〇岡山県久米南町に招かれて(その2)
この歳になっても、話を聞きたいという依頼が相変わらず私の元へ舞い込んでいます。その殆どはリピーターで、「何年か前〇〇であなたの話を聞いたので」とか、「もう一度聞きたい」という嬉しいオファーですが、はて私はその時どんな話をしたのか?、場所やどんな集会だったかくらいは、おぼろげながら思い出すことが出来るのですが、話の内容となるとまったく覚えていないのです。多分相手も私の話の全てを覚えている訳ではないので、その都度気楽な気持ちで出かけて行き、相変わらず低レベルなお話をしてお茶を濁しています。
私が招かれる集会は、「お金がないので・・・」という言い訳がまず相手からもじもじ口をつぐむように言われれることが多いようです。また「人が何人集まるか分りませんが・・・」という言葉もよく耳にします。私はその都度「いいですよ」と、電話の向うの相手の心情を思いやり、快く引き受けるのですが、それでも予算がどうであれ人数がどうであれ、気を抜くことも出来ず、毎回全力投球で普通90分の話を参加者にして帰るのです。昨日招かれた岡山県久米南からの講演依頼も、久米南町婦人協議会会長米戸さんのそんな電話連絡から始まりました。
何度か今回の講演会の進捗状況経過を会長さんからの電話で聞きましたが、安心と不安の入り混じる中、昨日は列車を乗り継いで最寄の弓削駅へ下車しました。久米南町といえば河童伝説と川柳の町であることは知っていましたが、平成の大合併もせず人口僅か6千人弱ながら単独で残っている町だということや、目だった企業もない純農村地帯であること、町の年間予算規模が30億程度だということは、講師派遣申請とともに送られて来た町政要覧で始めて知りました。でも浄土宗の開祖法然上人誕生の聖地であったり、社会主義の思想家片山潜の出身地であったり、文化的に深い土壌を持っている町なのです。
講演会場となっていた文化センターや図書館も立派で、講師控室へ通されてからの私に対する接待も、人を思いやる温かい空気に包まれていました。講演は80分、質疑20分程度でしたが、集まった人たちの私の話を聞きたいという熱意が会場に満ち溢れていました。講演後には花束までいただき、また直原先生がかつて津山教育事務所社会教育課に勤めていた折、講演に招かれ知り合った直原先生の娘さんが、手土産を持って地域おこし協力隊の3人とともに控え室まで訪ねて来てくれました。
駅まで迎えに来てくれた会長さんに講演が終わって再び弓削駅まで見送ってもらいましたが、どこかほのぼのとした満ち足りた気持ちで来た道を引き返し、10時ころ自宅へ無事帰ることが出来ました。
「金がない 人も何人 集まるか そんな悩みの 講演会に」
「会場も 集まる人も 100点の 講演終えて ほのぼの帰る」
「10年も 前に出会った こと覚え 手土産まで持ち 楽屋訪ねる」
「また来るね また来てください 言いながら 列車の窓に 手を振る二人」