〇人間牧場で2週続けての勉強会
現役時代に、親友の高岡さんとともに夢工房というグループを立ち上げ、多い頃は2ヶ月に一度20人ほどの仲間が、松山駅近くの四十雀という居酒屋へ集まって、勉強会と呑み会をやっていました。今でも狸が石を投げたように1年に1回程度は集まりますが、退役組が多くなるとどこか、傷をなめあうような思い出話や、近況報告的話が中心になって、出会っても中々心がときめかないのです。
仕方がないと諦め声がかかれば大河に身を委ねていますが、現職組の奮起を促しながら、時代を先取りするような生き方をしたいものだと、再起動を夢見ています。
そんな夢工房の仲間の一人である、西予市明浜町に住む原田さんから、「何人か人間牧場へ連れて行くので、少し話を聞きながらアドバイスが欲しい」と連絡がありました。スケージュールを確認し連休明けの昨日午後1時に、下灘コミセン前で待ち合わせの約束をしました。午前中人間牧場へ愛妻弁当を持って出かけ農作業をしていると、松本さんから「明浜支所の西村さんから、先日新聞に載った地域おこし協力隊員の川口さんにもお会いしたいと連絡がありましたが、あいにく川口さんは大阪出張中で、富田、本多の両名も読み聞かせ隊の活動中で手が放せないので、とりあえず私が皆さんをコミセンで迎えて、人間牧場へ上がります」とのことでした。
少し早めに昼食弁当を食べ、千本桜の森づくり事業の標準木として植栽している枝垂桜の添え木が少しいびつになっているのを、脚立を使って補正し直し周辺の草を刈りました。一段落した午後1時過ぎ松本さんの案内で、明浜町の人たちがやって来ました。驚いたことに6人の3人までが先々週の土曜日、ピザ焼き実習のためにやって来た人たちでした。最近地域おこし協力隊員として明浜に赴任したという松本仁紀さんと、一年後閉校になるという小学校跡地の活用策を模索するためコーディネーターとなった川崎昇さんを中心に、2時間ばかり熱のこもった議論をしました。学校跡地の利活用は中々骨の折れる仕事だけに、特に川崎さんは真剣でした。
川崎さんの持参した資料には「、狩江小学校跡地を活用した都市と田舎の交流事業」で、取り組みた予定の夢のプランの概要が書かれていました。その事業を推進する「かりとりもさくの会」も立ち上がっているようで、悩みは多いものの先々が楽しみです。
私は若い頃から狩江地区へは何度も足を運んでいて、知り人も多く地区の実態はよく知っていますが、風光明媚で文化度も進取の気性も持ち合わせたいい地域なので、これからも浅学菲才で役不足ながら、折に触れお手伝いをしてあげたいと思いました。原田さんは知人の祇園丸というチリメン加工をしている方からお土産を言付けてくれました。ありがたいことです。お礼に冷蔵庫で保管していた蜂蜜を言付けました。
夕方川崎さんと西村さんから嬉しい感想とお礼のメールが届きました。
「驚いた 二週続けて 牧場へ やって来る人 数人おりて」
「学校が 閉校なる前 どうするか 知恵出し合って ふるさと守る」
「少子化と 過疎・高齢化 深刻で また学校が 一つなくなる」
「日本の 田舎どうなる 縮み行く イノシシだけは 密度が高く」