人間牧場

〇おじいさんは山へ柴取りに行きました

 「昔々あるところにおじいさんが住んでいました。おじいさんは山へ柴取りに出かけました」な~んて昔話そのままに、今朝は午前6時に軽四トラックで人間牧場まで、柴餅を作るための柴を取りに出かけました。そもそもは妹みゆきの経営するくじらというお店で、この時期手作りの柴餅に似た蒸しパンを売っていますが、その蒸しパンの下に敷くサンキラの葉っぱを頼まれていたので、朝涼しいうちにと思い立ったのです。
 私の軽四トラックは冷房がない車なので、両脇の窓を全部開けて走ると、早朝の清々しい風が車内に入ってとても気持ちのいい朝でした。既に太陽が昇っていたため、麦藁帽子を被って、人間牧場のコンニャク畑の直ぐ下の畑に下りて、木にまとわりついたサンキラの葉っぱを、破れないようにトゲのある茎を持ってちぎり取るのです。

サンキラの葉がまとわりついた木
サンキラの葉がまとわりついた木

 涼しい間にと思った作戦は少しはずれ、手や首に薮蚊の大群がまとわりつき、刺し始めたので一度作業を中断して水平線の家まで戻り、蚊取り線香に火をつけて腰にぶら提げ、再び下りて採集しましたが、蚊取り線香の煙をかいくぐった薮蚊に少し刺されてかゆみを覚えましたが、30分ほどで沢山の葉っぱをゲットしました。
 一度に取り過ぎると枯れて使えなくなるので適当な量をとり終えると、上のプルーンの木?に沢山実がなり紫色に熟しているのが見えました。プラムのつもりで買い求めて3年前に植えた木ですが、今年初めて実をつけたものの、実は食べてみたものの余り美味しくないのです。10個ほどサンプルとして自宅へ持ち帰りましたが、はてさてこの実は一体どのようにすればいいのでしょうか?。悩むところです。

プラムのような実がなった木
プラムのような実がなった木

 蜜蜂の巣箱の直ぐ横に植えているブルーベリーの木が1本だけ適地適作だったのか、グングン伸びて私の背丈を越えていますが、昨年5kgばかり収穫した木に、今年も沢山の実がつき黒く色づいていました。この木は10日ほど前に2kgばかり収穫しており、今朝もピザ釜作業小屋からステンレスの丸いボールを持ち出し、2kgほど収穫しました。いやはや野鳥の食害にも合わず、思わぬ収穫でした。
 わが家の庭に植えているブルーベリーは、土地に合わないのか生育が思わしくないのですが、人間牧場は赤土酸性土壌なので性に合っているようで、今後はこの木を母樹として挿し木で増やしたいと思っていますが、上手く行くかどうか・・・。とりあえず今朝はいい仕事をした後、草刈機で家の横の斜面や家庭菜園横の草刈りをしてたっぷりリ汗をかきました。

 

 

  「朝早く おじいは山へ柴取りに まるで童話の ような働き」

  「涼しいと 思って早く 行ったのに 薮蚊の餌食 蚊取り線香」

  「プラムだと 思って植えた 木になった 正体不明 これは食べれる?」

  「赤土の 土地が良かった ブルーベリー 大きくなって 今年も5k」

美味しく熟したブルーベリー
美味しく熟したブルーベリー
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人間牧場

〇私は夏、スイカで生きています

 私は子どものころからスイカが大好物です。ゆえに夏になるとビールを飲まなくなった私のために、妻は東峰の顔見知りのスイカ生産農家にわざわざ出かけ、一抱えもあるようなスイカを5~6個買って来て、存分に食べさせてくれています。最近は核家族化が進み、大きいスイカは売れないそうで、スーパーなどでは半月型8等分のスイカや、スイカの皮がゴミに出るのを嫌う人のために、スイカの実だけを小切りにしてパックに入れて売っていますが、スイカはやはり切りだちが一番美味しいようです。

家の玄関先でゴロゴロしている山スイカ
家の玄関先でゴロゴロしている山スイカ

 双海町には東峰地区という国道56号線沿いにスイカの山地があります。そこら辺を中山だと思っている人もいるようですが、山の中ながられっきとした双海町分なのです。7月から8月になると国道沿いに手作りの小屋が作られ、農家のおじさんやおばさんがスイカを売っていますが、最近は味に自信があり有名になったこともあって、小屋掛けでの販売は少なくなりお店を構える所が多くなりましたが、田舎のなまり懐かしい会話も弾んで、時には味見までさせてもらい、長閑な山村の暮らしを垣間見ることができるのです。

 東峰産の通称山スイカは、肥料と独特の方法で栽培されているため、シャリシャリした食感と甘味が特徴で、どのスイカを食べても当たりはずれがないようです。スイカは外皮を水洗いしたあと上と下をまるで蓋を開けるように切り取ります。切り取った瞬間真っ赤な中身が見えますが、やがて真っ二つ半分に切ると大体そのスイカの正体が分るのです。やがてスイカは4等分8等分に切られ、ラップをかけて冷蔵庫にいれて冷やされますが、わが家では大きい冷蔵庫の中はまるでスイカだらけになるほど冷やしているのです。

 私はスイカを朝昼晩、食事のあと、デザートとしていただきます。妻が私に、「お父さんは夏はスイカで生きているようなものじゃねえ」と冷やかすほど、毎日三度これでもかというほど食べるのです。お陰様で利尿効果もあってか、熱中症にもならず元気に過ごしているのです。不思議と言えば土の中の水分を吸って、何故スイカは赤い水分を作るのか、凡人の私には理解できない話です。
 「スイカはお盆まで」とよく言われますが、私は名残のすかも食べるので、8月いっぱいはスイカを燃料にして暑い夏を乗り切りたいと思っています。

  「酒辞めた せめてスイカを 食べてねと 妻はせっせと 山スイカ買う」

  「好物の スイカで夏は 生きている 一日三度 食事の度に」

  「冷蔵庫 中はスイカが 占領し 妻の嘆きも お盆過ぎまで」

  「夏が好き それはスイカが 楽しめる ただそれだけで あとはフーフー」 

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人間牧場

〇秋植えの花用土作り

 わが家は田舎ゆえ家の敷地が660坪ととてつもなく広いため、親父は細々ながら庭の草引き、妻はプランターへの水遣り、私は菜園への水遣りと、連日三人三様猛暑の続く外に出て、朝晩忙しそうにそれぞれの役割をこなしています。私は主にサトイモとトマト、長ナス、キウリ、トウモロコシなどの夏野菜に潅水用のホースで水を遣りますが、妻は裏山から湧き出ている清水をバケツで受け、玄関先に置いている大きな壷で飼っているメダカに水を足したり、水をジョロに入れてプランターに植えた草花に、せっせと水遣りをしています。

土を入れ替え準備が整ったわが家のプランター
土を入れ替え準備が整ったわが家のプランター

今年は夏の草花を植える前に、プランターの土をコンクリートの土間に移し、雑草を取り除いたあと肥料や新しい土に加え、土壌改良のため苦土石灰を入れて丹念に混ぜ合わせたものを使かったため、草花は順調に育って、沢山の花を楽しむことができましたが、流石にこの頃になると体力が弱ったのか枯れるものも出始めました。昨日は妻に頼まれプランターの土の入れ替えをしました。春先と同じように、肥料と苦土石灰、新しい土を入れて混ぜ合わせるのですが、夕方とはいいながら暑くて暑くて、大汗をかいてしまいました。

 雑草や枯れた草花を引き抜いて一輪車で畑の隅の雑草置き場まで持って行き、空いた15ばかりのプランターに新しく作った土を入れましたが、仕事から帰った妻は私の作業している姿を見て、大喜びでした。妻は既に草花の苗を買ってきているようで、今日辺り植えるようですが、花を見ながらの暮らしはどこか安らぎを覚えます。
 もう20年も前、町の海外派遣研修の団長として、世界一の花の街ニュージーランド・クリストチャーチを訪ねた折、花に囲まれた暮らしの豊かさに感動しました。クライストチャーチの市民は、日本のように自分の家の庭だけで花を楽しむことはせず、むしろ自分の家の庭を外向きにして道行く人に楽しんでもらえるよう心を配っていました。

 私の花に対する心を大きく変えたこの研修を機会に、町で花作戦を展開し菜の花や水仙、アジサイ、酔芙蓉、桜といった花づくりを官民一体でやった結果、双海町は花咲く町として見事に変身したのです。花を愛でる心を持たなければ町は輝かないということが分ってきました。
 自分の家のガーデニングは綺麗に植え飾るのに、日本人は何故町を花で飾ろうとしないのか、これも外国人と日本人の根本的な違いですが、日本人はどうやら花より団子の方かも知れません。私も及ばずながら自分の家で花づくりの訓練をしながら、もっと美しい町にするために努力したいと思っています。

  「時々は 妻にゴマすり 手伝って 人間関係 損なわないよう」

  「プランター 15も土を 入れ替える これで秋植え 準備OK」

  「雑草は 植えないけれど 生き生きと 植えた草花 息も絶え絶え」

  「花はいい 心和ませ 癒される 花より団子の 私だって」 

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人間牧場

〇蜂蜜の採集が最終局面

 蜂蜜の採集が最終局面に入ってきました。7月16日に裏山の2箱を、7月21日に人間牧場の4箱をそれぞれ採集しましたが、今年は裏山から6升、人間牧場から10升の蜂蜜が採れ、合計16升の大豊作にホクホク顔で、昨年の10升を大きく上回る、私にとってはこれまでにない成果を得たのです。
 長男息子は私の採集した蜂蜜を糖度計で計りながら、家庭用サウナを使い独自の製法で水分を飛ばし、85パーセントまで糖度を上げ、ろ過して不純物を取り除き、最終的にはネットで購入した大小の瓶に詰めて行くのです。蜜蜂の師匠である井上登さんの指導を受けながら、巣箱の設置、蜜蝋塗り、キンリョウヘンの設置等から始まり、ミツバチに刺されないようおののきながらも、作業して蜂蜜を採集した私の言い分も、糖度上昇やろ過、瓶詰めに苦労している息子の言い分も、多少溝があって、言い合いをしながらやっていますが、まあほほえましい限りだと、傍で見ている妻は毎朝パンに蜂蜜をつけて食べ、漁夫の利を得ているのです。

 

今年最初の出来上がった蜂蜜瓶詰め
今年最初の出来上がった蜂蜜瓶詰め

 昨日息子が可愛らしくて綺麗な手提げの竹かごに、今年の仕上がった蜂蜜の瓶を10個入れ、わが書斎に見せにやってきました。さすが設計の仕事をしているだけのことはあると、そのセンスの良さに感心しましたが、小瓶に入れられた蜂蜜は、不純物もなく透き通って、いかにも美味しそうな蜂蜜に仕上がっていました。息子の蜂蜜精製作業は親の私から見ると、「何もそこまでこだわらなくても?」といつも思うのですが、これも息子の性分なので温かく見守りたいと思っています。
 人間牧場は今年2つの巣箱にスムシが入り、駄目になりました。私の蜂蜜採集は取りきり方式を採用しているので、蜜源の少ないこの頃に採蜜すると、蜜蜂は殆ど逃げてしまいます。幸い1つだけ残っているようなので、大事にして越冬させ来年の種蜂になって欲しいと願っています。裏山の巣箱も一つは残念ながら逃げましたが、一つはかろうじて残っているようなので、これも大事に育てたいと思っています。

今年の蜂蜜は上出来の仕上がりです
今年の蜂蜜は上出来の仕上がりです

 さあ今日辺り、裏山に残っている2つの巣箱の採蜜をやろうかと手ぐすねを引いています。巣箱を持ち上げた限りでは、2つの巣箱ともかなり重いようなので、軽く見積もっても多分一箱2升計4升はあるようなので、前2回の収穫を合わせると20升の大台、つまり昨年の倍の収穫になりそうで、私の養蜂人生にとって最高の年になりそうな雲行きです。
 「軒先なりて油断するな」という古事諺があります。成果に酔い知れていると、最後にとんだ落とし穴やどんでん返しが待っているので油断をするなという戒めですが、今年はムカデに刺されてアナフィラキシーショックにも遭遇しているので、ミツバチに刺されないように細心の注意を払わなければなりません。暑い時期なので汗が目にしみ、ついつい薄着や防虫ネット、ゴム手袋を忘れたりしそうですが、もう一度原点に帰ってしっかりと仕上げをしたいと思っています。

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人間牧場

〇友を得るには急なるなかれ 親友は自然にえるものなり」

 私には妻も驚くほど沢山の友人がいます。友人の中には若い頃から付き合って今に続く人がいたり、昨日今日知り合った新しい友人もいてまちまちですが、音信を日常的に重ねている人はそんなに多くはありません。それでも退職と同時に手に入れたパソコンを使うメールという優れもののツールのお陰で、水産高校の大先輩で考える村の村長玉井恭介さん、高知県馬路村役場職員の木下彰二さん、伊予市郡中いっぷく亭の谷岡和美さん、双海地域事務所の松本宏さん、伊方町三崎平磯喜久家プロジェクトの浅野長武さん、双海地区公民館の赤石雅俊さん、高松市三谷コミュニティセンターの溝渕雅子さん、地域教育実践交流集会事務局の仙波さん、年輪塾塾頭の清水和繁さんなどからは、ダントツに多くのメールが日常的に入るのです。その中でも玉井さんや谷岡さん、浅野さんはブログをやっているのでお気に入り登録し、これまた日常的にアクセスしてコメント交換をしています。

 数日前、北海道鵡川町に住む菅原春巳さんから美味しいメロンが届きました。菅原さんはもう20年も前視察研修で双海町へやって来ましたが、そのことがご縁でシシャモやアスパラガスといった北の恵みが届くようになり、こちらからも柑橘類を中心に送り続け、お互い顔も忘れているというのにその時期になると、「もうそろそろ」と淡い期待を抱くのです。今年も届いたメロンは子どもたちにもお裾分けして香りと味を堪能しました。長野県南牧村の今井さんからは時ならぬ時期に日本一の高原野菜が送られてきたり、木曽福島の大目さんからもトウモロコシや信州蕎麦、高松の溝渕さんからはうどんや素麺、醤油豆、島根吉田村からは毎年正月藁飾り、広島忠海の竹本さんからはキビ餅や干しエビ、東京の岸本さんからは穴子の姿焼きが届くなどなど、全国の美味い物、珍しいものがどんどん届きその味と風情を楽しんでいます。

 先週の日曜日伊方町三崎に住む塩崎満雄さんが、わざわざ自宅までサザエを持って来てくれました。塩崎さんは私が愛媛県青年団連合会長をしている頃、西宇和郡連合青年団長をしていて会合で知り合いました。ゆえに多分私の記憶だと私の友人の中で一番古い付き合いの友人のようです。塩崎さんとは地域づくり活動も一緒にやってきた間柄なので、何かにつけて出合っているのですが、サザエの味は格別でした。 
 「友を得るに急なるなかれ、親友は自然に得るものなり」と明治時代の詩人国木田独歩が言っているように、友人は一朝一夕にできるものではありません。交流をしながらお互いが深い信頼関係を築く努力をしなければ長続きもしないのです。幸い私は妻が信頼関係の裏打ちをして、付き合ってくれるお陰で良好な人間関係を保つことが出来ているのです。友とは有難いものです。

  「わが家には 全国各地の 美味い物 次々届き 有難く裾分け」

  「メールにて 近況報告 朝夕に できる幸せ 私の武器だ」

  「親友は その気になれば 自然にて 一人ひとりと 増えてゆくもの」

  「早今朝も メールが届き 返信の メール作りて あいさつ代わり」

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人間牧場

〇秋ジャガイモの作付け

 「秋の実りのために夏草を取る」とは二宮尊徳の教えです。暑いからといって夏草を取る作業を疎かにすると、田圃には稗などがはびこり、秋の実りのころに要らぬ労力を要するのです。またこの時期になると台風被害を予想して、植えた早生系品種は早くも稲穂が稔り始めていますが、これからしばらくの間は、実り始めの稲穂を狙ってイノシシが出没するため、農家では田圃の周りを電気柵や網で囲ったり、ビニールテープを張ったりし始めましたが、夏草茂る山沿いでは、イノシシが虎視眈々と稲穂を狙っているようです。
 わが家は田圃を持たないためその心配はないのですが、わが家庭菜園の果樹園辺りに獣道があるのか、毎年下の田圃にイノシシが入って苦労しているようです。

 さてまだお盆が来ないし過ぎないので、秋植えの準備は少し早いようですが、せっかちな性格の私は、先日ホームセンターへ立ち寄ったところ、秋ジャガイモの種芋が店頭に並んでいるのを見て、そろそろ準備をしようと思いました。今年はジャガイモが豊作で、倉庫にたっぷり囲っているので、秋ジャガイモを作る必要はないのですが、それでも掘り立ての秋ジャガイモを食べたくて、去年のこのごろ駄目もとで家の食用ジャガイモを種芋に使って植えたところ、かなりの収穫があって、秋ジャガイモを美味しく食べれたので、今年も作ることにしました。昨日は空いた家庭菜園の一角を耕運機で耕し畝を立てました。畑は先日の雨と昨日の朝の少しの雨でお湿りが適度で、耕運機の作業も土煙が立たずスムースに行ないました。

畝を立て植えた秋ジャガイモ畑
畝を立て植えた秋ジャガイモ畑

 立てた畝にジャガイモ倉庫から種芋になりそうな、適当な大きさのジャガイモ60個選びました。一畝15個として4畝作付けの計算です。いつも使っている木製の定規を使って種芋を等間隔に置いて行き、手スコップで穴を掘り、種芋を穴に納めて土を戻し、その上に種芋のありかを示すように籾殻をやり、さらに牛糞を元肥として施しました。昨日は全国各地でゲリラ的な大雨が降ったようで、わが町の空も少し曇っていました。それでも午後の屋外作業は大変で、熱中症対策と称して冷たい麦茶を飲みながら作業をしましたが、たっぷり大汗をかいてしまいました。そのためでしょうか昨日の夜はテレビを見ながらついウトウトして、日ごろより少し早目の就寝となりました。
 とりあえず、秋の作付け準備は整い、ついでに立てた畝には、昨年大洲のホームセンターでお盆の頃に買って植えた白菜の苗のお陰で大豊作だった白菜の苗を、今年も買って植えようと思っています。

  「まだ盛夏 だけど明日は 早立秋 そろそろ秋を 意識しながら」

  「秋ジャガの 味を楽しむ ため植える わが菜園に 早くも秋鍬」

  「大汗を かいてゴクゴク 麦茶飲む 熱中症に ならないために」

  「この夏は これまで以上 汗をかく これも大事な 健康管理」

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人間牧場

〇竹で葺いた屋根

 人間牧場のウッドデッキから見ると、眼下に瀬戸内海や水平線、青い空が180度の視界をとなって目に飛び込んできます。このコスモス(宇宙)と呼ぶに相応しい空間こそ、人間牧場の人間牧場たる所以であり主張なのです。その視界を遮るように邪魔をしているものが、電柱と電線、それに杉の木とローケーション風呂の屋根です。最初はそれらが気になって仕方がありませんでした。やって来る来訪者もそのことが気になるらしく、時々ご指摘を受けますが、朝日新聞に勤務しその後鳥取県議会議員になった砂場さんは、「電柱や電線は心の目で消せばいい」と言いました。視界を遮る杉の木を見たある人は、「ふるさとのこの松切るな竹切るな」と高浜虚子の句を引用し、緑を大事にしている私の心を誉めてくれました。

息子の発案で竹で葺いたロケーション風呂の屋根
息子の発案で竹で葺いたロケーション風呂の屋根

 はてさてロケーション風呂の屋根は如何なものか?と疑心暗鬼になっていましたが、人間牧場の建物を設計したわが息子は、屋根に真竹を半分に割り節を丁寧に取って交互に並べて葺いてくれました。当時は資金もそんなに余分がなく始めたので、竹で屋根を葺くと竹代だけでも有に10万円はするのです。私は費用、息子は意味を主張し真っ向から対立しましたが、結局私が折れて屋根は竹で葺きました。
 あれから8年が過ぎました。何がなく訪れる度に見ている光景なので、それほど気にもせず見ていますが、やって来る来訪者の中には竹で葺いた屋根を誉めてくれる人もいて、私ではできなかった発想と行動に、わが息子ながら感心しているのです。

 さてロケーション風呂の竹で葺いた屋根はどのくらい寿命があるのでしょうか。最初息子が「切り時のいい竹なので10年くらいは持つかも知れない」と言っていたこと思い出しました。8年が過ぎた今にして思えば、「もうそろそろか」と、屋根の様子を注意深く見ているのです。
 環境に優しいとか、景観に配慮した考えは頭の中では分っていても、お金がかかるものですから、中々取り組みにくいものです。でももしロケーション風呂の屋根がトタンだったらどうだったのだろうと思うと、10万円の費用もさることながら、やってよかったと思うのです。
 はてさてそろそろ10年、屋根の葺き替えのための10万円の費用を、これから工面しなければならないようです。

   「ロケ風呂の 屋根竹で葺く 10万円 息子押し切り やってよかった」

  「景観は 金で買えない ものゆえに 気配りしつつ 大事にしつつ」

  「10年の 寿命間もなく やって来る 新た10万 用意算段」

  「10年は あっという間に やって来る 残りの余命 目算しつつ」

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人間牧場

〇人間牧場で良樹塾の終了式(その2)

 昨日はコープえひめの第一線で働く20人の中堅職員が集まり、人間牧場で良樹塾の終了式が行なわれ、私と私がお手伝いを頼んだ年輪塾の浜田さんと二人で、その対応に追われました。食事の準備は骨が折れるものです。ましてや今回はピザを人数分焼くとあって、浜田さんには前日の仕込みもあって、随分迷惑をかけてしまいました。でも傍で様子を見た限りでは、ピザもかまどご飯も味噌汁もまあまあ満足してもらったようで、少しホッとしています。
 食事が終ると終了式を前に大川さんがファシリテーターとなり、一年間を振り返った3分間スピーチが行なわれました。その内容は羅列すると概ね次のようなことが語られていました。

車座になって
車座になって

 ・色々な講師の話が聞けた。
 ・日々の仕事に忙殺されていたが、仕事と自分を外から冷静に見つめることができた。
 ・数字の見方を学ぶことができた。
 ・命がけで取り組む経営者の視点が印象的だった。
 ・自分が変わらねばならないと思った。
 ・心の引き出しを多くするよう努めたい。
 ・目標を持ちコツコツ積み重ねることの大切さを学んだ。
 ・既に学びを実行に移している。
 ・自分の学びを後輩に伝える義務がある。
 ・組織を動かすのは結局人だから人を育てなければならない。
 ・できたこと、できなかったことを検証しながら一歩前へ進みたい。

時には熱っぽく
時には熱っぽく

 最後に「若い皆さんへの期待」というテーマで30分間、私のスピーチが組まれていました。私は高知県馬路村魚梁瀬杉の切り株の上に腰を下ろし、思いつくままお話をさせてもらいました。沖合いに浮かぶ周防大島出身の、旅する巨人宮本常一の「記録しないと記憶されない」という言葉を引用して、メモを取らない姿勢に少し苦言を呈しました。馬路村の友人木下さんを引用し、思ったこと、気がついたこと、浮かんだアイディアを自分宛のメールに送り、スキルをアップして輝いて生きていると紹介しました。
 また最近の人は知識の習得を、インターネットに依存して本を読まないと、これまた苦言です。そこで自分に投資するつもりで、私の書いた「夕やけ徒然草」を買って読んではどうかと、手前味噌、裏が味噌の提案しました。予想を超えて自分に投資してくれました。

 最後に大洲青少年交流の家の松岡所長さんからいただいた彫刻文字、近江聖人中江藤樹の「知行合一」と、私が常々求めている「恩」について話しました。この1年間色々な知識を学んだけれど、それを知識として終らせることなく行いと合一することによって、大きな成果が得られると締めくくりました。
 大川さんも坂村真民さんの「鈍刀を研く」という言葉を引用されました。切れない刀は幾ら研いても切れないかも知れないが、研く行為によって鈍刀を磨いている自分の心が磨かれると、味わいある言葉で締めくくられました。塾と熟は違うけれど、未熟を半熟にし、半熟を完熟にする塾は、これからのコープえひめにとって大きな力になることでしょう。

  「苦言言う これも私の 仕事かも それを受け入れ 初めて前へ」

  「投資せず 成果求める 人多し 努力必ず 報われるもの」

  「鈍刀を 幾つ磨いた ことだろう 気がつきゃ自分 心磨かれ」

  「ああやっと 人間牧場 らしくなる ここで育って あちこと散らばり」

良樹塾終了式の記念写真
良樹塾終了式の記念写真
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人間牧場主

〇戻ってきた一枚のハガキ

 先日愛媛県金融広報委員会から頼まれて、大洲市立平野小学校の6年生にお話しに行きました。僅か50分の講演でしたが、実に楽しい授業でした。何よりも嬉しかったのは26人全ての児童が後日カモメールの暑中見舞い用のハガキにて、感想を寄せてくれたことです。早速私は26人の児童にハガキを書きました。書いたといっても多少忙しかったことを理由にズルをして、夕焼けトロッコ列車に乗った時撮影した7月24日の、双海の夕日を絵葉書風にあしらい、ショートなメッセージをパソコンで入れて全員共通のハガキを出したのです。多分届いているだろうと郵便局を信じていました。

戻ってきたハガキ
戻ってきたハガキ

 ところが、数日後一枚だけ宛名が不完全で配達できません」と、赤インクの横文字スタンプが押されて手元に戻ってきました。そういえば他の児童は番地まではっきり書いていたのに、この児童だけは大洲市平野町だけでした。そんなに広い都会でもないので届くだろうと鷹を食っていましたが、やはり大洲の郵便局は都会だったようです。
 どうしたものかと思案していたら、先日亀本さんの紹介で大洲市役所の森岡さんが、私の自費出版している「夕やけ徒然草」という本を分けて欲しいと、わが家まで取りに来られました。森岡さんの自宅は大洲市平野町なので、迷惑ながら調べてほしいと頼みました。森岡さんは明くる日から東京へ出張中だったにもかかわらず、律儀にも出張先の東京からその子どもの住所を調べ、昨日電話をかけてくれました。

 聞けばこの子どもは双子らしく、兄弟の一方には私の書いたハガキが届いているので、このままほおっておくと、双子のもう一人の子どもを悲しませることになったようなので、結果的には森岡さんに相談して遅ればせながら番地まで調べてハガキを出せたことで、少しホッとしているところです。その子どもには全て手書きでハガキを書きました。何故ハガキの到着が遅れたのかも、相手を傷つけないように気配りをして書きましたが、いやはや随分遠回りをしてしまいました。私は毎日ハガキを書いていますが、子どもから来るハガキも多いので、子どもにハガキを出すことも多いのです。子どもから来るハガキは殆どみんな鉛筆で書いています。でも嬉しい反応に一喜一憂しながら、ハガキのやり取りをしています。

  「講演で 出かけた学校 児童から ハガキ続々 汗かき対応」

  「都会でも ないと思しき 大洲から 住所不備だと ハガキ戻りぬ」

  「友だちに 住所調べを 依頼する わざわざ東京 電話連絡」

  「子どもゆえ 心に傷を つけぬよう 気配り書いて ポスト投函」

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人間牧場

〇丸太輪切りの板に彫られた恩という文字(その2)

 先日私が運営委員長を務める国立大洲青少年交流の家から電話が入り、松岡所長さんに頼んでいた木彫りの置物とでもいうべきものが、できたから取りに来るようにとのことでした。運よくその明くる日大洲市立平野小学校の6年生へ、お話しに行く機会があったので、講演に先立ち立ち寄りました。所長さんはあいにく出張で留守でしたが、所長室へ置いている木彫りをいただいて帰りました。
 松岡所長さんは書と木彫りが上手く、時々訪ねる青少年交流の家の所長室には、所長さんが彫った木彫りの書があちらこちらに置かれていました。それらは全て素人の私の目で見ても玄人はだしで、その出来栄えに感心するばかりでした。

丸太の輪切り板に彫られた「恩」という文字
丸太の輪切り板に彫られた「恩」という文字

 前に出かけた折、大洲にゆかりの近江聖人中江藤樹の言葉である「知行合一」という言葉を彫ってある作品をいただきました。折角いただいたのだから書斎に飾っておくだけでは勿体ないと、エコバッグに二宮金次郎の銅像と一緒に忍ばせ、講演に行く先々で青少年交流の家や松岡所長さんの話とともに、中江藤樹の話や「知行合一」の意味について話をしているのです。
 今回私が松岡所長さんにお願いしていた文字は「恩」という一文字です。欅の木と思しき直径25cmほどの輪切りの板に、「恩」という文字が彫られ、文字は黒色で、朱色の落款まで入れた手の混んだものでした。人間牧場のテーマが「恩」なので、近いうちにこの木彫りを水平線の家のどこかに掲額として飾りたいと思っています。

 「恩」とは人から受ける感謝すべき行為です。恵みや情とも訳せますが、心はあくまで「恩を着る」、つまり受けた恩をいつまでも有難く思うことであり、間違っても恩を施したことについて、ことさらに有難く思わせる、「恩を着せる」であってはならないのです。「着る」と「着せる」は「せ」が一字入っただけで、とんでもない意味に早変わりします。
 私のこれからの生き方は、「恩返し」です。間違っても「恩を仇で返す」ことのないよう、しっかりと恩を心で受け止めたいものです。

  「頼んでた 恩という文字 彫ったから 取りにおいでと 電話連絡」

  「大好きな 恩という文字 一字だが 様々出来事 思い浮かびて」

  「これからの 私の人生 恩返し 大したことは できないけれど」

  「おじいちゃん これは何だと 聞く孫に 父さん子ども 名前に心」
   (息子の名前は一心、孫の名前は希心、奏心です)

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