人間牧場

〇この町の子育てを考える研修会

 昨日は午前中と夜に研修会があり、少し気忙しい一日でした。朝食時に毎朝妻にその日の予定を話すのが日課となっていますが、夜の研修会の講演に軸足が向いていたのか、出番のない参加するだけの午前中の研修会は、書斎で原稿書きに熱中し過ぎて時間ギリギリとなり、急いで車を走らせたものの2~3分時間に遅れてしまい、会場となっているコミセンについた時には、失礼ながら研修会は始まっていました。

アンケートの説明
アンケートの説明

 昨日午前中の研修会は「この町の子育てを考える」という研修会でした。座談会に先立って6月に実施した子育てアンケートの結果が、主催者である地域おこし協力隊の富田さんによって、パワーポイントで詳しく説明がありました。回収率は37パーセント(115通)だったそうですが、その中にはわが家の若嫁も回答していていたので、興味を持ちながら聞きました。富田さんはこうしたアンケートの分析についてはその道のプロなので、いい分析結果を得ていました。

 

 その後前田眞さんをファシリテータにして二宮さん、橋本さん、酒井さんの3人が、子育てに関する意見を述べてくれました。3人とも自分の日ごろの活動や過ぎ越し子育てを述懐し、とても参考になる話でした。日本全体が少子高齢化へと進む中で、田舎の少子化は深刻で、学校が統廃合されたり、保育園さえも存亡の危機に貧しています。でも子どもが少ないことは幾ら考えても、変えようがない悩みなので、そこからどんな手を打つかについても話されました。

発表する3人の女性
発表する3人の女性
ファシリテーターの前田眞さん
ファシリテーターの前田眞さん

 行政への要望や不満は沢山あり、改善して欲しいと思いますが、合併後行政サービスをこれ以上求めることには限界があります。幸い公共施設は空き部屋が沢山あったり、暇と金と技を持った高齢者も利用しようと思えば沢山います。田舎で普通の子どもを育てるには、知恵と汗を出し子育てをする普通の親になることです。わが家も4人の子どもを心だけは豊かな普通の子どもに育てましたが、ふるさとが好き、人が好きという本来人間が持つべき持ち物は持っているようです。

 地域おこし協力隊のメンバーはいわばよそ者です。多分彼らがいなかったら、地域づくりと子育てを結びつけて考えるような、柔軟な発想は浮かばなかったものと思われます。田舎のしがらみや田舎だからと諦めていたことが、田舎の発展を阻害しているのです。今後も枯れ木も山の賑わいゆえ、何のお役にも立ちませんが、彼らの活動に注目し、田舎の良さをもっともっと理想郷に近付けられるようにしたいものです。

  「子育てを 地域づくりと 結びつけ 勉強するは さすがよそ者」

  「発表も 調査結果も 首縦の 納得でした 次が楽しみ」

  「枯れ木ゆえ 頭数しか 役割は ないかも知れぬ それでも出かけ」

  「孫二人 私育爺 子育てに 関わる幸せ これから先も」

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人間牧場

〇ゴボウの健康効果

 私のインターネット歴は意外と短く、インターネットを使い始めてまだ10年近くにしかなりません。誰の手ほどきもなく、うろ覚えで始めたため基本がしっかりしていないので、様々な応用が効かないばかりか、トラブルに巻き込まれるともうお手上げで、何度長男息子や娘婿に助け船を出したことか分りません。その都度息子と娘婿の手ほどきによって、何とかここまで使いこなせるようになってきました。
 元々は講演先から「プロフィールや講演資料をメール便で送って下さい」という、要望に対応するための手段として使う程度の軽い気持ちでしたが、娘婿に勧められてブログを書くようになったり、原稿を書くワープロ程度の手段として使うようになって、PCの前に座る時間が長くなり始めました。今では暇を見つけて人のブログを読んだり、調べ物をしたりしています。

 先日パソコンをいじっていると、「ごぼうの健康効果」という文字がPC画面に現れました。興味を持って読み進めてみると、ゴボウの話が次々と書かれていました。私は元々ごぼうが大好きで、妻も時々ゴボウを買ってきて料理を作ってくれるのです。そんなこともあって家庭菜園でゴボウを作ろうと思い立ち、今年の春先ゴボウ作りに挑戦しました。以前母が存命中はゴボウを作っていましたが、頼まれて畑でゴボウを掘らされました。ゴボウは土中深く根を下ろしているため、穴を掘るほど土を掘らないとゴボウは途中で切れてしまいました。母に「根性が足らないと途中で切れる」などと散々悪口を言われながら、あの重労働だけは嫌だと悪夢を思い出し、一ヶ所は畑の土を深耕してゴボウの種をまき、もう一ヶ所は工事用の幕板を組んでかさ上げした土に蒔きました。両方とも春から初夏の雨を受けて順調に育ちましたが、この頃になるともう一ヶ月以上もまったく雨が降らないため、青々していた葉っぱは萎れて枯れたような状態になりました。

直播のゴボウ畑
直播のゴボウ畑

 このままでは食用になるまいと思っていましたが、ゴボウの健康効果を思い出し、昨日は妻に頼まれたこともあって、日中の暑さの中で深掘りして植えた畑のゴボウを掘りました。いやはや土は固くて地堀り鍬で掘るものの、大汗をかいてしまいました。それでも細いゴボウに混じって見事なゴボウができていました。妻も大喜びで早速昨日の夕食にはジャガイモとゴボウとニンジンを鶏肉で煮込んだ料理が一品出ました。いやはやその美味しいことは抜群で、大いに食が進みました。
 ゴボウは悪の強い野菜と考えられています。それもそのはずゴボウを削っていると手の指は真っ黒になるのです。このアクの正体はポリフェノールだそうです。だとしたら通常水で晒してアク抜きをしていたのは、栄養と美味しさを捨てていたことになるのです。ゴボウの抗酸化能は野菜の中でもトップクラスで、過熱や焙煎した抗酸化能は更にアップするのだそうです。

 私たち現代日本人の食生活は脂肪過多で、腸内環境は悪化の一途を辿り、生活習慣病や老化を引き起こす大きな原因になっているようです。ゴボウに含まれる豊富な食物繊維やポリフェノールは、腸内環境を整え、便通を良くするだけでなく、免疫力を活性化させたり腸内毒素を減少させるようですが、毎日ゴボウばかりを食べれる訳ではないので、全てをゴボウに依存することはできませんが、せめて自家製で安全なゴボウをこれからも極力食べたいと思っています。
 最近友人からゴボウ茶をいただきました。「ゴボウのお茶?」とその時は余り飲む気にもならずほおっておきましたが、よくよくネット資料を読んでみると中々面白く、自分でも簡単に作れそうなので一度試しに作って、飲んでみようと思っています。いやはやまた私の好奇心に火がつきそうです。

  「今年春 美味しいゴボウ 食べたくて 二ヶ所作付け 順調育つ」

  「昨日昼 地中深くに 根を下ろす ゴボウ汗だく 10本ほど掘る」

  「食卓に ニンジンジャガイモ ゴボウ入れ ごった煮一品 美味い美味いと」

  「健康に すこぶる良いと 書いてある どこまで信じ どこまで食べる?」

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人間牧場

〇夕やけこやけ

わが家の裏山から見える初秋の夕日
わが家の裏山から見える初秋の夕日

太陽が一番北寄りのコースを通るのは6月21日の夏至の日です。そのころはまだ盛夏に向かっている時期なので、一日の中で一番昼が長く夜が短いとは余り気がつきませんが、夏至の日から2ヶ月が過ぎると、流石に朝の来るのが幾分遅く、日の入りも早くなったと暦の確かさを実感し、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にも~」の言葉を実感するのです。
 このところの日課となっている夕暮れ時、家庭菜園への水やり作業をしていると、毎日のように西の彼方に夕日が綺麗に落ちる姿が見られます。水遣りの途中なのですが、水を遣りながら夕日の美しさについつい見とれて、カメラで夕景を撮りたいと思いながら作業を続けています。

中学校の体育館の窓に映った夕景
中学校の体育館の窓に映った夕景

  昨日は運よく少し早めの水遣りも終ったので、今年の夏の夕日も見納めとばかりに、裏山に登って夕日を一枚撮りました。夏はわが家から自慢の夕日が日常的に見えますが、これから秋に向かうと急速に夕日は西よりのコースを取りはじめ、残念ながらもう一ヶ月も過ぎると、西の端に隠れてしまうのです。

見返り坂から眺めた小焼け
見返り坂から眺めた小焼け

 夕日の写真を撮ったついでにカメラをポケットに入れたまま、散歩に出かけました。私のウォーキングパラダイスを少し歩くと双海中学校へ出ました。少し遅かったのでしゅっターチャンスは逸しましたが、体育館のガラス戸に、それは綺麗な茜色の夕景が映っていました。直接夕景を見るのも綺麗ですが、二次元的に見る夕景もおつなものでした。

上灘川橋の街路灯とお月様
上灘川橋の街路灯とお月様

 県道に出てふと振り返ると、真っ直ぐな一本道が続く逆さ八の字の谷間の向こうに、綺麗な小焼けが印象的に見えました。上灘川にかかる橋まで来ると橋の街路灯のオレンジ色の光の向うに真ん丸に近い旧歴12日のお月様が見えました。これも一興です。このところ一ヶ月も雨が降らず、猛暑好天の影響でしょうか、道沿いの田圃では稲穂が頭を垂れ、早くも黄色く色づいていました。少し急ぎ足で高村電気店まで歩き引き返しましたが、少しの散歩でも体中すっかり汗をかいてしまいました。
 日々の雑事に追われ、移り行く季節の移ろいを感じないまま何げなく過ごしていますが、立秋を過ぎ、お盆を過ぎると、日中は暑いものの少し秋の気配を感じるこの頃となりました。

 

  「菜園の 向うに綺麗 夕日見え 急いでカメラ シャッターチャンス」

  「体育館 窓に綺麗な 夕景が 二次元景色 これも一興」

  「街路灯 向うに綺麗な お月様 周りの田圃 早くも色づき」

  「何げなく 過ぎ行く日々の 速さかな 回りすっかり 秋の気配が」

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人間牧場

〇収穫したプルーンを使ってジャム作り

 人間牧場の農場に植えたプルーンの木が、今年初めて実をつけました。スモモやプラムと一緒に植えたため、スモモと一緒ぐらいな時期に実をつけて、一緒のころに熟すのだろうと思っていましたが、プルーンの実はスモモやプラムより2年も遅く初なりを迎えたのです。ところが今年初めて実をつけたものの、スモモの時期が終っても一向に熟さず、8月になってやっと表面に白い粉を吹き濃い紫色になりましたが、実は食べても美味しくありませんでした。木の品種を選ぶのを失敗したと失望し、とりあえずなった実を少し収穫して帰ろうと、駄目もとで採果袋に半分程度収穫したのです。

 

水洗いした約1キロのプルーンの実
水洗いした約1キロのプルーンの実

 妻はそのプルーンの実を見て、今年の初夏酸っぱい梅の実でジャムを作ったところ、思わぬ出来栄えと私の太鼓判に味を占めたのか、「ジャムにしたら」と提案がありましたが、その無愛想な姿から私も妻も半信半疑でした。昨日は妻が仕事で家を留守にしていることをいいことに、私一人でプルーンの実を水洗いして包丁で半分に割り、中からアーモンドに似た種を取り出す作業をしました。割った実を卓上計で1キロずつ計り4キロを、妻の用意してくれていた大鍋に入れました。あらかじめインターネットでプルーンのジャム作りを検索して調べていたので、プルーンの実の上に砂糖を1キロ当たり400g入れ、指示通り約2時間半寝かせました。11時30分になったころガスコンロに乗せて少し弱火で炊き始めると、水も入れていないのにプルーンの実から出た水分が鍋一杯になりました。

種を取り鍋に入れたプルーンの実
種を取り鍋に入れたプルーンの実

 更に火を弱めて灰汁を取りながらグツグツ煮ると、皮は少し硬いものの実がほぐれて程好い具合に進みました。昼休みに帰った妻の指導を受け、更に弱火で1時間ばかり焦がさないようにかき混ぜ続けると、まああれほど茶紫だったプルーンの実が、鮮やかな赤色に変身したのです。その後私と息子がペンキ塗りに出かけるため、若嫁にバトンタッチしてレモンを4個入れて煮詰めると更に赤色が増し、イチゴジャムより綺麗な赤いジャムとなりました。今朝は昨晩時間切れで冷ましていたジャムの水分を、もう少し飛ばすため火を入れ、完成させたいと思っていますが、防腐剤を入れない自然食品のため、大量にできたジャムはカキ氷用に若嫁にお裾分けしてやり、冷凍保存して食べたいと思っています。

 

砂糖を降りかけて2時間半寝かせたプルーンの実
砂糖を降りかけて2時間半寝かせたプルーンの実

 まだ人間牧場のプルーンの木には実が残っているので、それも急いで収穫して加工したいと思っています。いやはや降って湧いたような出来事に、来年からの実りの季節が楽しみになってきました。「無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」ほどではありませんが、捨てるはずだったプルーンの実は意外なところで活用の道が開けたようです。
 息子は私のプルーンジャムづくりなどまるで無関心で、傍でせっせと蜂蜜の精製作業をしていますが、家族全員が何らかの方法で自給率を高めるために関わっていて、ほのぼのとした家族の姿にホッと一息ついた感じの夏休みの一日でした。

 

 

 

出来上がった真っ赤なプルーンジャム
出来上がった真っ赤なプルーンジャム

 

  「茶紫 プルーンの木の実 種取りて 砂糖ふりかけ コンロにかける」

  「驚いた 真っ赤なジャムに 大変身 凡人私 理解もできず」

  「調理場に 殆ど立たない 私だが ジャムの加工で 面白さ知る」

  「来年は プルーンなるのが 楽しみに なってきました 牧場界隈」

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人間牧場

〇どうやらプルーンらしい

 プラムやプルーンという果物が何かも分らず、とりあえず実のなる木を植えようとホームセンターの店頭で、5年前にスモモやブルーベリーなどの苗を買って人間牧場の狭い農場に植えました。気の成長は早くスモモとブルーベリーは3年目から実をつけ、特に今年のスモモは大豊作でした。ところがプルーンの木はかなり大きく育ったのに、一向に実をつけず気を揉んでいましたが、今年の春花が咲いて今年初めて3本の木の2本に実がなりました。
 一緒に植えたスモモ感覚で実の成長と熟すのを待ちましたが、どういう訳か実は余り太らず熟しもせず、インターネットで調べた結果、この程度だということが分かりました。

採果袋で収穫したプルーンの実
採果袋で収穫したプルーンの実

 白い粉が実全体を覆い、紫がかった色はいかにも美味しそうですが、生食で食べても甘味が殆どないためどうしようか迷っていましたが、とりあえず採果袋に半分ほどをトゲのある木に梯子をかけて登り収穫して持ち帰りました。妻と相談し今日にでもネットで調べたプルーンジャムの作り方を参考にして作って見たいと思っていますが、はてさてどんなジャムができることでしょう。
 今年は梅が大豊作だったため、妻は梅の実を使って梅ジャム作りに挑戦しました。あの酸っぱい青梅が果たしてジャムになるかどうか心配しましたが、どうしてどうしてこれが結構な味のジャムに仕上がり、この2ヶ月間毎朝の食卓に出てくる食パンにつけて食べましたが、風味がとても爽やかで昨日までに比較的大きな一瓶を食べきってしまい、妻を喜ばせました。妻もジャム作りについてその気になっていて、ジャムを収納する冷蔵庫が欲しいと自給率向上を目指しているようです。

プラムのような実がなった木
プルーンの実が沢山なった木

 プルーンは別名西洋スモモというのだそうですが果肉の実離れがよく、実の中にはアーモンドのような種があっていとも簡単に取り出せるのです。果皮の表面にまるでグラニュー糖をふりかけたように白い粉がふいているのも特徴らしく、食べても無害だと知りました。もし美味くプルーンのジャムができると、樹上に諦めて残している実も収穫したいと思っています。
 5年前までまったく知らなかったブルーベリーやスモモや梅を使ったジャム作りに今年新たにプルーンジャムが加わりそうです。果物を使ったジャム作りの仕上げに欠かせないのはレモン果汁です。今年の春植えたレモンの木も今のところ枯れもせず順調に育っているので、しっかりと有機肥料を施して早く収穫できるようにしたいと思っています。

 

 

  「実がなった けれどもこれが 何なのか 訳も分らず ネット手助け」

  「プルーンの実 採果袋に 詰め込んで 持ち帰りさて ジャムにしようか」

  「また一つ 新た食べ物 加わりて 来年からの 楽しみ増える」

  「包丁で 実を切り種を 取り出して 砂糖で煮込み ジャムを作りぬ」

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人間牧場

〇でっかい鯛が届く

 わが家は代々漁師の家で、私が子どものころは親父が主に鯛網を営んでいたし、私自身も若い頃漁師をしていたので、大きな鯛を見ても別に驚くことはありませんが、親父が70歳を機に漁師を廃業して漁船・漁具を全て処分した25年前から、魚は買うもの・貰うものとなりました。それでも親類に漁師さんが多いののと、私が魚が大好きなこともあって、魚が食卓に上らない日は殆どないくらい、魚を沢山食べて元気に暮らしているのです。
 そんなわが家へお盆の時期でもあるのか、親類から鱧が一箱届いたのを皮切りに、鱧の骨切りしたものや、鯛が2度にわたって届きました。従兄弟の組合長から貰った鱧の骨切りしたものは別として、鯛はその都度私の手を煩わせて捌きましたが、一昨日息子の友人から届いた鯛は別格で、7キロ以上もある大きなものゆえに、流石の私もその処理に悪戦苦闘する羽目となりました。

 

息子の友人から届いた大きな鯛
息子の友人から届いた大きな鯛

 大きな鯛の皮目にはとても大きな鱗が、まるで鎧のようにびっしりついています。その鱗を取るのは一苦労で、市販の鱗取りで丁寧に鱗を引くのですが、鱗は容赦なく四方八方に飛び散り、肌の露出した部分や流し台のあちこちにへばりついて、乾くと中々取りにくいのです。そのため鱗を引き終わると一度丹念にそこら辺や肌の掃除をして水で流さなければなりません。その後腹に包丁を入れて内臓を取り出し、あらかじめ用意していた捨ててもいい買い物袋に入れるのです。sらにエラを取り除き終わると軽く水洗いしてまな板に乗せ、首の部分に出刃包丁を入れ、頭と胴体を切り離すのですが、背骨はでっかくて、余程力を入れないと切り取るのは難しいようです。更に難しいのは頭を半分に割ることです。これ程の鯛になると頭はでっかくて、おいそれとは割れないため、まるで日曜大工のように入れた包丁の上を、専用の少し大きめの金槌で叩くのですが、手がしびれるほど力を入れなければなりません。

 次に身の部分を3枚に下ろし、ヒハラを切り離して骨も出刃包丁を打ち下ろして、食べやすく煮やすいように小切りし、最後は尾びれを切り離します。昔は鯛を料理した証として鯛の尾びれを台所の柱に貼り付けたものですが、今は不衛生なのでその名残もなくなったようです。頭や腹身や骨は通称あらと呼んでいますが、鯛のあら煮は最高です。しかし3板に下ろす調理もすっかり上手くなったため、背骨には身が殆どついてないと、若嫁や妻が嘆く始末です。あらと身を水洗いしてタッパに入れると表面をサランラップでラップしできるだけ空気と冷風に触れないようにして、冷蔵庫を片付けて入れ、残飯を片付けたり流し台や使った包丁等の道具をタワシで水洗いして一段落ですが、いやはや魚の調理には時間と力が要るものです。
 一昨日の夕方は家族全員が美味しい鯛の刺身を「美味しい、美味しい」といって、堪能するほど食べました。今夜はチルドに保管した残りの片身をづけにして、づけ丼でいただきます。熱いご飯にづけを乗せ、その上にもみ海苔と薬味をかけ、産みたて卵を落とし、山葵を溶いたづけタレをかけてかき混ぜながら食べます。づけ丼は漁師さんのまかないご飯ですが、南予では鯛飯とも日向飯ともいわれる郷土料理です。ああ田舎の暮らしは幸せな日々です。

  「手がしなる 程の大きさ 鯛届く 三枚おろす 私の仕事」

  「包丁と 金槌使い 頭割る 兜煮にして コラーゲン食う」

  「づけ丼は 漁師まかない 料理にて 荒々しいが これまた美味い」

  「鯛調理 身は勿論で 骨までも 猫食べたよう 美味い美味いと」

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人間牧場

〇迎え火を焚く

 昨日の朝わが家では家族が集まって玄関先で迎え火を焚きました。前日少し体調を崩し元気のない親父は参加しませんでしたが、息子夫婦と孫4人も参加して、ほんの束の間ながら久しぶりに賑やかな迎え火となりました。孫たちは麻柄を10センチくらいに手で折り、火をつけて燃やす姿が奇異に見えたのか、「何で火を燃やすの?」とあれやこれや「何故、どうして」と私に聞くものですから、お盆に死者の霊が里帰りすることを話してやりました。妻は朝少し早く起きてお料具膳を作り、お盆と春秋の彼岸に出す前夜飾った祭壇に、供えていましたが、目をパチクリさせながら傍で見ていた若嫁にも、そろそろこうした仏事を教えてやらねばと思った次第です。

家族で迎え火を焚く
家族で迎え火を焚く

 私は若松家の4代目長男です。親父進とトメ子が3代目ですが、2代目の六太郎とシヲノ、初代の儀平とマスのことは知っていますが、それ以前のことは殆ど知らないのです。特に私は1歳の時に亡くなった六太郎のことはまったく記憶にないし、わが家の先祖代々の歴盤に刻まれた品子と夏子という徴用先の大阪で空襲で亡くなった叔母のことも知らないのです。昨日迎え火で迎えた先祖はこの七人ですが、繰り出し位牌の一番前には今年13回忌を向かえる母トメ子の戒名を出しているのです。
 私の一番印象に残っているのは母と祖母で、二人は漁師の貧乏なわが家に嫁ぎ、大いに働き大いにこの家の礎になった人で、若松家の大恩人と言わなければなりません。

 母は昔の人ながら小型船舶操縦士の資格を取得して、親父とともに漁船に乗って漁師をしましたが、祖母はその留守を守って私たち子どもを育ててくれました。母も祖母も何かにつけて諺を引用し、うるさいほど人間の生きる道を説いてくれました。私もその歳になり、子どもや孫がいる身になっていますが、母や祖母のように子どもや孫にどれほどの説教ができるかと思うと、心もとない感じがします。
 今日は孫たちを連れてお墓参りをしようと思っていますが、墓前に手を合わせ孫たちに先祖のことについて話をしてやろうと思っています。六十八年生きて来て、どれほどの親類や縁者を見送って来たことでしょう。その都度涙を流し人の死とわが人生の生き方について考えましたが、先祖の供養は自分がいかに生きるか反省することでもあると思うのです。

  「迎え火を 焚いて先祖の 里帰り 妻はせっせと お料具供え」

  「迎え火は どうして焚くの? 孫たちは 奇異に感じて 私問いかけ」

  「どれほどの 親類縁者 送ったか その都度いのち はかなさを知る」

  「説教の 一つも孫に 伝えれぬ 先祖さぞかし 怒っているだろう」

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人間牧場

〇わが家のちょっとした騒動

 昨日も暑い一日で、午前11時の気温が30度を越え、午後は猛暑日になる勢いでした。こんな日は夜温も30度を下がらず熱帯夜になるようで寝苦しい日々を過ごしています。私は冷房が嫌いなためこれほど暑いのにまだこの夏は一度もクーラーを使っていないのです。息子家族は流石に現代人で、同じ条件の屋根の下に住みながら、暑いといって冷房を使っているようです。
 前日の夜に調理して冷蔵庫に保管していた鱧を親類縁者に配るため、昨日は朝早くから発泡スチロールの箱にアイスノンをたっぷり入れて出かけました。自宅へ帰って冷蔵庫に冷やしている麦茶で喉を潤していると、親父が玄関先で「進一、進一!!」と大声で連呼するのです。外に出てみると親父が杖もつかず下着姿で立っていました。「身体の調子が悪いので病院へ連れて行ってくれ!!」と言うのです。

 聞けばベッドから畳の上に降りた際、けつまづいて転げたようで少しパニックになっていました。隠居に連れ戻し「ベッドに寝かせ病院へ行くのも暑いから、下灘診療所の先生に往診に来てもらおう」と納得させ、本宅に戻った私は診療所に電話をしました。早速30分後下灘診療所の先生は看護師さんを伴って往診に駆けつけてくれました。体温にも以上がなく簡易採血検査や内診の結果、暑さのせいか少し体力が落ちているので点滴をすることになりました。親父も私と同じく冷房が嫌いで、そこここの窓を全て網戸にして過ごしていますが、扇風機を用意して換気をしました。
 点滴が始まると親父は落ち着きを取り戻し、約一時間半程度かかる点滴をベッドに横になって注入しました。先生と看護師さんは帰り際、メモ書きした用紙を私に渡して説明し、点滴の針抜いたり抜いた跡に止血テープを張るよう言い残し帰って行きました。

 妻から指示のあったヒエピタを額に張ってやり、1時間半ばかりを親父の枕元で過ごし、耳の遠い親父に少し大きな声で話したりしましたが、点滴をしたままトイレに連れて行ったりした結果、点滴も終わり昼寝をさせました。
 午後4時頃妻が仕事から帰り隠居へ行くと、親父は何を思ったのか部屋中の窓を閉めていたようでした。その後助産師をしている娘が孫二人を連れて帰省したので、親父の様子を見に隠居へ行ってくれ、点滴のおかげで少し腰回復したようだと言ってくれました。何はともあれ家族を巻き込んだ親父のハプニング騒動に昨日は少しざわめいたものの、大事に至らずホッとしています。親の介護の大変さを少し垣間見た一日でしたが、今朝は元気を取り戻して、妻が午前6時スイッチオンにセットした電気炊飯器のご飯が炊けないと、朝5時に私の書斎へやって来ました。早速隠居へ行き説明をして納得させました。今日も暑いぞ!!、親父頑張れです。

  「ふらついて こけたと親父 玄関で 私の名前 連呼しながら」

  「点滴で 元に戻った 親父見て 医師の凄さに 感心しきり」

  「介護とは こういうものか 納得し 一から学ぶ 孝行息子」

  「点滴の 針をこわごわ 抜いた後 止血テープで 一件落着」

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人間牧場

〇鱧の骨切り

 昨日の午後3時頃、下灘に住む叔父の若松国夫さんから「鱧を取りに来るように」と電話を貰い、軽四トラックで魚市場まで行きました。下灘漁協の魚市場は私が産業課に勤務していた時代に、沿岸漁業構造改善事業で造った思い出に残っている施設です。下灘の魚市場は他の魚市場と違い、午後3時から市が開かれていて、私が到着した3時半頃は、沢山の魚が水揚げされ活気に満ち溢れていました。
 久しぶりに魚市場に顔を出したため、懐かしい顔々から「元気!!」とか「おじいさんは元気ですか?」と声をかけられ、その都度「はい元気です」とか「親父も何とか」なんて短い言葉を交わしました。

 いただいた鱧一箱と雑魚類一箱を車に積み込み、急いで自宅へ帰りました。猛暑の中なのでまず氷が解けないうちに発泡スチロールの箱にそれぞれの魚を詰め替え、包丁を研ぎ、まな板と鱧を捌く時に必要なキリを用意し、家の裏に設えている流し台で鱧を捌き始めました。腕首ほどの鱧がトロ箱にぎっしり詰まっているので、数えはしませんでしたが有に50匹近くあるようで、急がなければ夏とはいえど陽が暮れると心をせかせ、無心になって捌きました。流し台は外にあるため夕方になると薮蚊が出るので、妻は蚊取り線香に火をつけてくれ、また喉を潤すために冷えたお茶まで用意してくれました。
 昨日の鱧は頃あいな大きさだったため、格闘することもなく順調に捌き、捌いた鱧を氷の入った発泡スチロールに入れ、品質が落ちないように心を配りました。

 捌き終わるとそれらを氷水で綺麗に洗い、しめて骨切りです。骨切りは包丁が切れないと中途半端になるので時々砥石で包丁の刃を立てて臨みましたが、疲れてくると切り過ぎて皮目まで切ってしまうことの度々でしたが、6時過ぎやっと一段落したので、魚の好きな親友西岡さんと宮栄さんにお裾分けをしようと、スチロールに入れて若嫁にラップをかけてもらい、車を走らせて持参しました。お二人とも晩酌をやるので昨夜は私の骨切りした鱧で一杯飲んだものと思われます。
 残りの魚を下ごしらえして冷蔵庫に入れ、残飯を片付けトロ箱を水洗いして終ったのは午後7時になっていました。急いで家庭菜園の野菜に水をやり、孫たちとお風呂に入って、覚え始めた掛け算を孫二人と暗唱し、暑かった一日を振り返りました。今朝は昨晩調理した鱧を発泡スチロールに入れて、お裾分けしてあげようと思っています。多分わが家も今晩は、鱧三昧な料理が食卓に乗ることでしょう。その出来栄えと味が楽しみです。

  「トロ箱に 一つの鱧と 格闘す 三枚下ろし 骨切り次々」

  「馴れたもの 鱧を背開き する手つき 妻も感心 上手くなったと」

  「調理した 鱧を親友 お裾分け みんな今頃 肴に晩酌」

  「鱧の目が 私の顔を 眺めてる 生きるためには 殺生やむなし」

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人間牧場

〇三つ揃った腕時計

 今年の父の日に子どもたちからプレゼントされた腕時計は、勿体ないと立派な箱に入れて書棚の隅に置いていましたが、妻の強い勧めもあって1ヶ月前から使い始めました。最初は腕首に馴染まず多少違和感がありましたが、5年間で1秒程度という電波時計の正確さもあって、やっと慣れてきたという感じです。
 数日前タンスの掃除をしていた妻が、小物入れの引き出しの奥から私と妻のペアー腕時計を見つけました。長い間タンスに眠っていた腕時計ですから電池切れで動きませんでしたが、息子が電池を変えてきてあげると優しい声をかけてくれました。4~5日前息子は電池を自分で変えれる何かをネットで発見したようで、私と妻の腕時計の電池をあっという間に動くよう直してくれました。

三つ揃った腕時計
三つ揃った腕時計

 息を吹き返した立派そうな腕時計は次男が私のために初給料で買ってくれたものなので、妻は大事にしまっていたようですが、腕時計は使って何ぼのものなので、使おうと思ってはいるものの、腕時計を二つも使いこなせるほど暇ではないのです。
 私の書斎にはもう一つ、この10年余り使いこなした腕時計があリます。これは東京へ講演に出かけた折、それまで使っていた腕時計が急に動かなくなり、急場をしのぐため東京新宿駅の地下街で千円で買ったものですが、この腕時計が故障することもなく動き続け、一度地元の時計屋さんで電池交換をしてもらいながら愛用し続けた、私にとっては最も長い間使っていた腕時計なのです。

 三つの腕時計はそれぞれ休むことなく動き続けていて、微妙に違う秒針の進み具合を比較しながら、贅沢にも私の気まぐれな気持ちで選ばれながら使われていますが、着る物も身につけるものも、お洒落にまったく無頓着な私の只今のお洒落は腕時計を三つ使い分ける程度のようです。
 今回見つかって息を吹き返した腕時計は、文字盤に数字が入っていませんが、防水潜水用で文字盤の周りに回転する24の数字が刻まれていて、例えば2時間後は何時という風に、指示が出るのですが、90分の講演をした場合、何時に終ればいいかw駆るような仕組みですが、私には難し過ぎて使いこなせないようです。

 とりあえず講演に便利なのはやはり新宿駅で買った千円の時計がナンバーワンで、時計は狂いさえしなければ金額ではないと軍配を上げるのです。
 私は講演に行く先々で腕時計を外して演題の上に置き、時計を見ながら公園を組み立てていますが、その癖が尾を引き何かにつけて腕時計を外す癖がついています。呑み屋でお酒を飲む時も、車に乗った時も、勿論温泉に入る時も腕時計を外すのですが、時には演題に置いた腕時計するそのまま置いて帰る大失敗をしたことだってあるのです。単なる物忘れなのか癖なのか、今となっては定かではありませんが、私の人生とともに腕に巻かれて時を刻み続けている腕時計をこれからも大事に使って行きたいものです。自分の年齢からして忘れたり無くしたりしない限り、もう腕時計を新しく買い求めることは無いだろうと思っています。

  「腕時計 3つも揃い さてどれを ちょっと贅沢 ちょっとお洒落」

  「千円で 買った安物 腕時計 これが一番 仕事で使う」

  「お洒落して 出かける時は 新しい 時計をつけて 出かけようかな」

  「見つかった 防水用の 腕時計 アウトドアーの 活動使おう」

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