人間牧場

〇丸太輪切りの板に彫られた恩という文字(その2)

 先日私が運営委員長を務める国立大洲青少年交流の家から電話が入り、松岡所長さんに頼んでいた木彫りの置物とでもいうべきものが、できたから取りに来るようにとのことでした。運よくその明くる日大洲市立平野小学校の6年生へ、お話しに行く機会があったので、講演に先立ち立ち寄りました。所長さんはあいにく出張で留守でしたが、所長室へ置いている木彫りをいただいて帰りました。
 松岡所長さんは書と木彫りが上手く、時々訪ねる青少年交流の家の所長室には、所長さんが彫った木彫りの書があちらこちらに置かれていました。それらは全て素人の私の目で見ても玄人はだしで、その出来栄えに感心するばかりでした。

丸太の輪切り板に彫られた「恩」という文字
丸太の輪切り板に彫られた「恩」という文字

 前に出かけた折、大洲にゆかりの近江聖人中江藤樹の言葉である「知行合一」という言葉を彫ってある作品をいただきました。折角いただいたのだから書斎に飾っておくだけでは勿体ないと、エコバッグに二宮金次郎の銅像と一緒に忍ばせ、講演に行く先々で青少年交流の家や松岡所長さんの話とともに、中江藤樹の話や「知行合一」の意味について話をしているのです。
 今回私が松岡所長さんにお願いしていた文字は「恩」という一文字です。欅の木と思しき直径25cmほどの輪切りの板に、「恩」という文字が彫られ、文字は黒色で、朱色の落款まで入れた手の混んだものでした。人間牧場のテーマが「恩」なので、近いうちにこの木彫りを水平線の家のどこかに掲額として飾りたいと思っています。

 「恩」とは人から受ける感謝すべき行為です。恵みや情とも訳せますが、心はあくまで「恩を着る」、つまり受けた恩をいつまでも有難く思うことであり、間違っても恩を施したことについて、ことさらに有難く思わせる、「恩を着せる」であってはならないのです。「着る」と「着せる」は「せ」が一字入っただけで、とんでもない意味に早変わりします。
 私のこれからの生き方は、「恩返し」です。間違っても「恩を仇で返す」ことのないよう、しっかりと恩を心で受け止めたいものです。

  「頼んでた 恩という文字 彫ったから 取りにおいでと 電話連絡」

  「大好きな 恩という文字 一字だが 様々出来事 思い浮かびて」

  「これからの 私の人生 恩返し 大したことは できないけれど」

  「おじいちゃん これは何だと 聞く孫に 父さん子ども 名前に心」
   (息子の名前は一心、孫の名前は希心、奏心です)

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