shin-1さんの日記

○愛媛県立松山工業高校の卒業式

 昨日は私が学校評議員を務めている愛媛県立松山工業高校の卒業式があり、小雨ぱらつく中を出かけて行きました。通称松工といわれるこの学校へは息子三人が在学中に、PTA役員(常任理事1年、副会長1年、会長6年)として8年間も通いました。その後も学校へ講演に出かけたり、OB会である真砂会の会長などをしたものですから、未だに足を洗うことが出来ず深い関係を保っているのです。

 学校に着くと玄関先の来賓用駐車場へ、そして校長室へ案内されました。校長さんとは顔馴染みですが、校長さんは面白い人で、正月3日に八幡浜から松山の自宅まで70キロを、12時間かけて走ったり歩いたそうです。その想いと実行力にはさすがの私もただただ脱帽でした。

shin-1さんの日記

 来賓席は知事代理の清家図書館長さん、県議会議員は共産党の佐々木さんが来られていて、私たち学校評議委員もその横に席が用意され、少々面映い感じがしました。

 今年の卒業生は東京タワーの高さと同じ数字の333人でした。一人ひとりの名前が呼ばれる度に卒業生の大きな「はい」という返事が体育館いっぱいに響き渡り、とても気持ちのいい卒業式です。ブラスバンドの奏でるクラッシック音楽も爽やかで、式辞・祝辞・送辞・答辞も全て完璧でした。何よりも嬉しかったのは実業高校らしく333人の卒業生の中で3分の1の110人が3年間皆勤という快挙を成し遂げて表彰されたことでした。昔は学校へ行きたくても行けなかったのに、今は学校へ行きたくないのに学校がある時代だと、少々ネガティブなじだいなのに、この数字はやはり校長先生たち教師の教えをしっかりと守り通学した生徒たちの頑張りなのです。

 思えば私もえひめ丸沈没事故で脚光を浴びた愛媛県立宇和島水産高校を、今から半世紀近い47年も前に卒業していますが、卒業式では皆勤賞と優等賞、それに産業教育中央会表彰という三つの賞を貰い、今は亡き母と一緒に蒸気機関車に乗って宇和島を離れました。その時母が一番喜んでくれたのは3年間休まなかった皆勤賞でした。学校へ行くのは当たり前ですが、学校へ3年間休まず通うことは並大抵のことではありません。風邪も引くし、腹も痛くなるし、時には行きたくない事だって3年の間にはあるはずなのです。

 息子たちもみんな皆勤だったことを思うと、どうやらわが家は頭脳は凡人ながら、頑張りだけは若松家の伝統のようにも思えるのです。

 就職氷河期といいながら松工は就職率100パーセントです。最近は進学も4割強を締めるようになり、時代の変化を感じます。制服も学生服からブレザーに変わりました。学校の施設も随分立派になって、101回目の卒業式も無事終りました。間もなく入学試験の難関を合格した生徒たちが満開の桜の下をくぐって入学してくることでしょう。毎年繰り返される学校の年中行事を見届けながら、「思えば遠くへ来たもんだ」と、校歌「百錬鉄と鍛えつつ・・・」を聞きながらわが人生を思ったりしました。

 今月は学校評議員をしている由並小学校、双海中学校の卒業式もあり、スケジュールが許せる限り出かけようと思っています。

  「半世紀 前に卒業 したことが 脳裏をかすめ 思い出されて」

  「皆勤賞 取って亡き母 褒めてくれ 蒸気機関車 宇和島離れ」

  「答辞聞き 思わず涙 頬伝う 卒業式は 涙が似合う」

  「それぞれの 道に進んで 行く子らに 心からなる 大きな拍手」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○親父の決断

 昨日の朝、私が書斎でパソコンに向かって文章を書いていると、親父がやって来ました。「相談がある」と言って椅子に座り、ポツポツと話し始めました。

 「このところ足や腰が痛く、目も薄くなって自分の体力の衰えを感じ始めた」

 「自分と同年代の人も殆ど死んでしまっていなくなり、話し相手が少なくさびしくなった」

 「自分の命もそんなに長くは持たない」などと、いつもと違った消極的な話です。

 聞けばこの10日余り、自分なりにこれからの短いであろう自分の人生を色々考えたようです。その結論として「特老に入った方が仲間もいるし身の回りの世話もしてくれるので」と思い、近くに住む二人の娘に相談したところ、「施設に入ったらもうこの家には殆ど帰れないからやめた方がいい」と、色々な人の話しをしたそうです。二人の娘は私たち兄弟夫婦に遠慮してか、「家族もよく面倒を見てくれるし、これ以上の幸せを求めたら罰が当たる」などと、私たちの親父に対する対応を褒めて話したらしいのです。

 その結果次のような宣言ともとれる言葉を私に話しました。

 「わしはこの家の畳で死ぬことにしたので、これからもよろしく頼む」

 「この家で死ぬということは、戸長であるお前の言うことをよく聞くから何でも言ってくれ」

 「あと1ヶ月したら孫や曾孫が一緒に住んでくれるという相談を受けて、これ以上の幸せはないが親子でもめな   

 いよう仲良く暮らしてくれ。孫たちが帰るのなら隠居を明け渡してもいい」

 「年金暮らしなので金はないが、わし一人暮らすのには十分だ」

 「畑仕事や庭の草引きくらいしかわしの体力では役に立たない」といいました。

 最近10年前に80歳で亡くなった母の夢をよく見たようです。そして母と夢の中で対話をして、この結論めいた決断をしたそうですが、薄れ行く記憶の中で、今しか自分の主張を信頼する息子に話す機会はないと思っての発言と重く受け止め、私も私なりに親父に話してやりました。

 「これから死ぬまで一生面倒を見るからよろしく頼む」

 「して欲しいことがあったら遠慮なく言ってくれ」

 「あまり無理をするな」

 「家族と楽しく暮らそう」でした。

  「この家の 畳で死にたい 言う親父 母と相談 夢の出来事」

  「人は皆 歳とり一度 死ぬ定め 俺の将来 見ているようだ」

  「人生を 悟った親の 言う言葉 長男ゆえに しかと受け止め」

  「貧乏を 物ともせずに 生きた父 しっかり看取り 生かせやりたい」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○痩せるには内燃と外燃の二つの方法がある

 私たちが子どものころ見かけた日本人の大人は、殆どの人が痩せ型でした。ビヤ樽のように肥えた人を見るのは外国の人くらいだったように思うのです。ところが日本人の暮らしが豊かになって、肉やパンを食べるようになったせいか、あるいは労働量や運動量が不足しているのか、日本人でもまるで高砂部屋のような人をよく見かけるようになったし、温泉などに入ると殆どの人が少し小太り気味な体系になっているようです。

 最近太った人にはメタボリック症候群などという名前をつけられ、一定の数値を超えると危ないとばかりに、病院や保健関係機関から、痩せるよう指導されるのです。


 私たちの体重は食生活による入力と、運動・労働による出力によって保たれています。入力が多いと体重が増え、出力が多いと体重が減るのはどこかお金の世界に似ていますが、身長から100とか110を引いて0.8を×と標準体重が出てきて、標準体重ゾーンをを超えると太り過ぎ、下回ると痩せ過ぎというレッテルが貼られるのです。私のようにどちらかというと痩せている人間は体重を余り気にしませんが、太る過ぎの人はそのことが気になるらしく、特に女性は痩せたい一心で涙ぐましい努力をしているのです。

 体重を減らす方法には食べる物を少なくすることや運動で汗をかくことが考えられます。それは内燃によってエネルギーを消費する一番理想的な方法なのですが、気にする余りに「ダイエット」という言葉を信じて痩せ薬を飲んだりして、とんでもない副作用を引き起こす人もいるので、気をつけなければなりません。

 こうした内燃とは別に外燃という方法もあります。つまり温泉に入ったりサウナに入って体温以上の温度で発汗を促進させるのです。この方法は運動によって一向にに痩せないジレンマから解き放たれるために、現代人がよく使う方法ですが、これも度が過ぎると水分が不足して体調を崩したりするので、注意をしなければなりません。

 私は温泉が好きで、松山市近郊には温泉浴場が沢山あり、温泉好きな妻と二人で温泉めぐりを楽しんでいます。最近の温泉にはサウナが併設されていて、サウナに入った後に入る水風呂はとても気持ちがいいものです。また汗をかいた後の冷水はこれまた美味しいものです。中には温泉やサウナを終えて発汗した後、家に帰るのが待ちきれず、休憩室で冷えた缶ビールを美味しそうに飲んでいる人を見かけますが、これでは折角汗をかいたことがごわ算になってしまうのです。それでも酒の好きな人は、汗をかいた後のビールの味が忘れられなくてサウナで汗をかいているようです。


 温泉やサウナでの外燃は、運動による内燃よりも手っ取り早く汗が出て効果が上がるため、皆さんはこぞってサウナなどを利用していますが、ジムに通って機械器具の力を借りて汗をかいたり、プールに行って体力をつけながらエネルギーを消費するのがお勧めだし、ランニングやウォーキングなどを日常生活に取り入れ習慣化する方法が一番健康的なようです。

 現代人は栄養過多で直ぐに肥えますが、やせるのは難しいようです。お互い健康には気を付けたいものです。


  「痩せたくて サウナで汗を 流すけど ビール鱈腹 元の木阿弥」

  「内燃で 汗を出すのが 一番と 今朝もウォークで 爽快気分」

  「太ってる 人は概して よく食べる 少し減らせば 少しは痩せる」

  「体重を 維持することは 難しい 自分以外に 助ける人なし」

 

 

[ この記事をシェアする ]