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○転寝の昼寝

 昨日は障子の張替えで多少疲れていたのか、昼食を終えて居間でテレビを見ながら、コタツの中に足を突っ込んで妻と二人が転寝をしてしまいました。リタイアしてサンデー毎日の私ゆえ、別に急ぐ仕事がある訳でもないので転寝の昼寝をむさぼったところで、誰にも文句を言われないのですが、転寝の昼寝は気持ちがいいもので、約一時間があっという間に過ぎてしまいました。

 「ピ~ンポ~ン」というチャイムの音で目が覚め、玄関先へ出てみると宅配便のおじさんが葬儀香典返しの品を届けに来ていました。サインをして受け取りましたが、真昼間だというのに寝ぼけ眼の私の顔を見て宅配便のおじさんはどう思ったことでしょう。

 知らず知らずの間に昼寝をするということは、「二人とも日ごろの疲労が蓄積しているからだ」と妻は弁解していたようですが、昼寝は少し長めにするとかえってだるくなるようです。お陰で体内時計が狂ったのか昨日の夜は床に入っても中々寝付かれず、今朝も3時に目が覚めて狂いっぱなしなのです。

 私の日常は12時に寝て午前4時に起きるという暮らしです。寝る時間は妻と同じですが起きる時間は妻が午前6時半のため毎日2時間半の開きがあるのです。一日2時間半はどおってことはありませんが、10日で25時間、1ヶ月で75時間、1年で900時間の差になるのですから塵も積もれば山となるのです。私は妻と差のついた1日2時間半の殆どを書斎で過ごします。主なものはブログを書くことと本を読む程度なのですが、それでも書いたブログは1ヶ月に1冊、この5年余りで60冊を越えたのです。

 転寝の昼寝は体に良いのか少し元気が出たような気がします。しかし長年続いてきた私のバイオリズムが多少狂ってしまいました。年度替りの年度末で今年度の講演や原稿書きなどの仕事も全て方がつき、ほっと一息

ついたところです。昨日は書き溜めたブログを呼び出して6ヶ月間分をプリントアウトしました。プリンターのインクカートリッジ交換も頻繁で早く補充をしないと底をつきそうです。プリントアウトした6冊の綴りは今日にも人間牧場へ運び、長い書架の一角をに置いて、訪れた人に供覧してもらうのです。そうだ今日も転寝の昼寝をしよう。

  「真昼間 コタツに足を 突っ込んで 転寝するも 宅配ピ~ンポ~ン」

  「昼寝して 夜が寝れない これいかに バイオリズムが 狂ったかしら」

  「誰からも 文句言われず 俺自由 今が一番 幸せかもね」

  「一年の 垢を落として 年度末 転寝パワー 仕事片付く」

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○障子の張替え

 間もなくわが家へ帰って一緒に暮らす息子たち家族のために、わが家はどことなく落ち着かない春を迎えています。本当なら3月いっぱいで家を二世代同居用に造作して迎えたいと思っていましたが、当の息子は設計事務所に勤めていて造作はお手の物と思っていたのに、仕事が忙しくてずっと休みもなく、ましてや人間牧場の建築を手掛けた大工さんに見積もりや発注をしたものの、今度は東北・関東大震災の影響を受けて資材調達のめどが立たず、工事が延び延びになっているのです。


 せめてできるところから使用ということになり、とりあえず40年近く使ってきた全ての畳を取り替えるため、数日前に畳屋さんがやって来て、畳の寸法を取って帰りました。私などの素人は畳は京間か本軒間か分かればどれも一緒の広さかと思いきや、レーザー光線のような道具で一枚一枚寸法を測る姿を見て、畳屋さんの世界もアナログからデジタルに替わっていることに気がつきました。畳は機械化されているので4~5日で出来るそうで、もう間もなく畳が届き、とりあえず真新しい畳の上での第二の人生が始まることになるのです。

 さて息子たちが暮らす予定の二階には8畳2間と6畳2間の計4部屋があります。1部屋は洋室なので壁の内装さえすればいいのですが、畳に始まって障子やフスマの数も多くフスマはフスマ屋さんに張替えを頼むものの、障子だけは自分たちが毎年一度は張り替えているのでこの際妻と二人でやることにしました。

 昨日の朝座敷に新聞紙を敷いてその上に外した6枚の障子を積み上げ、刷毛に水をつけてふやかし、丁寧に剥いで行くのです。最初はゆっくりとやっていましたが、遊び心が働いて障子紙に穴を開けたり破ったりしながら楽しみ何とか一人で骨だけにして汚れを拭き取りました。

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(障子紙には透かしが漉き込んでいました)

 妻が昼休みに帰ってきたので、早々に昼食を終え、障子紙と糊、それに刷毛を用意して張替え始めました。障子の張替えは毎年やっているとはいいながら年々新たで糊が十分でなかったり垂水が出来たりしましたが、何とか1時間ほどで張り終わりました。霧吹きをして障子を合わせ作業を終えましたが、サッシ窓ガラスや敷居に雑巾掛けして窓を開けていたのを忘れていたため、折から強まった北西の季節風が窓を通して吹き込み2枚はあえなく張替えの運命にあるようです。

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(障子を張り替えたわが家の2階)

 それにしても障子はいいものです。これぞ日本文化と思えるように窓を通して外の日差しが柔らかく差し込み、何ともいえない風情を感じさせてくれました。わが家もご多聞に漏れず日本家屋といいながら障子は座敷の6枚だけしかなく、あとは全てフスマとガラス戸なのです。結婚して40年、家を建ててから35年があっという間に経ちました。その間毎年妻とお二人でやって来た障子紙の張替えですが、一向に上達せず今年も大失敗をしてしまいました。来年も元気で夫婦で喧嘩をしながら張替え作業をしたいものです。

  「一年に 一度必ず やる仕事 障子紙張る 二人三脚」

  「うっかりと 冊子を開け 風入り 折角張った 障子剥がれて」

  「俺はいい お前が悪い 言い合って 犬も食わない 障子紙張る」

  「真新し 障子差し込む 春日差し 何ともいえない 日本の文化」

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○上灘漁協女性部の元気の源は何?

 昨日は私が学識理事を務めるコープえひめの理事会があって松山市大可賀にあるアイテムえひめへ出かけました。アイテムえひめは見本市などをする大きな会場で、これまで県民文化会館で行っていた年に一度の総代会を会場を変えて6月に開く予定なので、その下見を兼ねて理事会の会場を変更したのです。

 私はこれまで何度も各種イベントに参加しているため会場を知り尽くしていますが、理事さんの中には馴染みが薄く公共交通の便も幾分悪いことから、6月の総代会は少しだけ心配しているようですが、理事長さんや専務さんが言うように人間は前例踏襲型の安心・安定を求める風潮があるので、ここらでショック療法をする必要があり、私はむしろ会場の変更によって生じる進化を望んでいます。

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 会場へ行く途中に漁協女性部の松本部長さんから、会場へは地域事務所の松本さんからそれぞれ午後からの取材同席の誘いの電話が入りました。前もって聞いていたので理事会後の昼食を済ませ草々に引き上げて午後2時にシーサイド公園に到着しました。

 取材は午前中から始まっていて、東京から来た2人に松本部長さんと松本さん、それに私が加わって事務所で取材に応じました。

 取材相手からこれまでの草創のころの経緯や漁協女性部の活動について質問形式で聞かれましたが、「若松さん漁協女性部の元気の源は何ですか?」と尋ねられました。

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 「漁協女性部の元気の秘訣は色々ありますが・・・」と話を続けながら私流に幾つか考えてみました。

 ①根底には共栄網という100年に及ぶ一口株主制度の気風が受け継がれている。

 ②富岡さんや松本さんなどリーダーの献身的な精神が凄い。

 ③じゃこ天という働く場が確保され経済活動が行われて成果を上げている。

 ④本物と真心の精神が会員に浸透している。

 ⑤地域に貢献する喜びを知っている。

 ⑥行政や経験者の支援をしっかりと取り付けている。

 ⑦進化したいというポジティブで革新的な考えがある。

 ⑧時代の流れをしっかりととらえている。

 まあこんなところでしょうか。18年前道の駅シーサイド公園を造ったころは、若松進一の口車に乗せられてとんでもないことを思いついたと誰もが懐疑的な考えでした。でも平成7年3月16日の開業以来、色々なことはありましたが、目標を高く掲げて今日まで進化の道を辿ってきたのです。その軌跡は私の進化曲線と同じであり、これから進むであろう進化曲線も同じだと確信しているのです。

 そのライン上には松本部長と地域事務所の松本さん、それに私もいるのですから損得なしで彼女たちを導いたり後押しをしなければならないのです。幸い私も松本さんも漁家の出身なので漁協女性部の皆さんと同じDNAが流れているのも強みだとふと思いながら、2時間近くの取材を終えました。


  「女性部の 元気源 何だろう 指折り数え いっぱいあって」

  「私には 漁師気風の DNA ゆえに海見る 胸が騒いで」

  「本物と 真心必ず 売れるから ゲキを飛ばした 昔懐かし」

  「今思う よくぞここまで 進化した これから先も ファイト一発」

 

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○子ども教室ふるさと体験塾閉講式

 一昨日の夕方午後6時から、私が実行委員長を務める双海町子ども教室ふりさと体験塾の閉講式が、市役所地域事務所3Fでありました。今年のふるさと体験塾に参加したのは町内に住む35人の子どもたちです。その報告書によると、今年度は次の7回開催されました。

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 第1回 命のリレーを学ぼう       出席者36名 スタッフ18名

 第2回 青島漁船クルーズ        出席者31名 スタッフ20名

 第3回 みんなでキャンプ        出席者35名 スタッフ14名

 第4回 秋の収穫祭            出席者29名 スタッフ21名

 第5回 グリーンツーリズムを学ぼう  出席者31名 スタッフ16名

 第6回 ふたみ名物体験         出席者36名 スタッフ19名

 第7回 うどんを作ろう          出席者36名 スタッフ25名


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 私は実行委員長なので極力スケジュールを空けて参加するようにしていましたし、7回のうち第1回の命のリレーを学ぼうと第4回の秋の収穫祭の会場が人間牧場だったこともあって、今年度は全てのプログラムに参加することが出来ました。

 閉講式では7回の写真がスライドで紹介されましたが、どの写真にも子どもたちの素敵な笑顔が写っていて、みんなで笑いながら鑑賞しました。プログラムのその都度短い感想文を書かせていたのですが、その幾つかも紹介されました。

 感想文はそれぞれに返され、750枚にも及ぶ写真の全てはCD-Rにして参加した子どもたちへプレゼントされました。私の一部をいただきましたが、成長著しい子どもたちにとっては、何よりのプレゼントで、大きくなったら過ぎ越し思い出の一コマとして見ることでしょう。

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 今年のふるさと体験塾は嬉しいことが沢山ありました。中でもこれまでふるさと体験塾に参加した中学生や高校生がジュニアリーダーとしてかかわってくれたことは大きな収穫でした。この日も閉講式の司会進行を高校生の博美ちゃんがしてくれたり、会場準備や後片付けを大学生の宮崎さんや中学生が手伝ってくれました。

 ジュニアリーダーへは図書券の記念品が子どもたちの代表から手渡されましたが、ほのぼのとした光景でした。また参加した子どもの中には29名もの皆勤賞の子どももいて大いに盛り上がりました。

 最後に担当者としてふるさと体験塾の事務局を勤めた赤石公民館主事さんがウクレレ片手に自慢の歌を披露してくれました。かつて私も若いころ赤石さんと同じように13年間も公民館主事をしたことがあるので、赤石さんの思いの深さを、この歌を聴きながら存分に感じることが出来ました。ふるさと体験塾に参加した子どもたちもそれなりに成長したでしょうが、ひょっとしたら一番成長したのは赤石さんではないだろうかと、目を細めました。

 来年度もふるさと体験塾は継続して開講する予定です。既に実行委員会で来年度のプログラムの概要骨格も出来上がっていて、子どもたちにとってはワクワクするプログラムがいっぱいなのです。私も自分の成長の原点となった公民館の事業でもあるし、人間牧場での活動も予定されているので極力参加したいと思っています。

 毎回20人を越えるスタッフが参加してくれるし、学校の全面的な協力もあって学社融合が事のほか上手く進んでいます。また子どもを育てようという気風も親にはあるようです。ふるさと体験塾はみんなの智恵と汗でもっともっと進化させたいと思っています。


  「七回の 子ども体験 それぞれに 笑顔はじけて うれし成長」

  「何よりも 嬉しいことは 中高生 ジュニアリーダー 育ったことだ」

  「吾ながら 人間牧場 整備して 良かった思う 子ども育ちて」

  「これほどの スタッフ ありて育つ子等 町の宝と 思い次年も」


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○庭の草削り

 わが家の庭の手入れは主に92歳の親父がやっています。今は庭木の殆どが芽吹きの頃を迎えているため、作業はもっぱら地上の草引きです。息子の私が忙しくて当てにならないため、親父は陽だまりを選んで自作の腰掛に座ってのんびり草を引いているのです。

 今の時期庭の草は余り目立ちませんが、昨日までの春の雨で雑草は急に勢いを増し、あちらこちらに顔を出し始めました。昨日は肌寒かったものの久しぶりに上天気で、私も午前中2時間、午後3時間庭の草を削りました。本当は暇さえあれば親父のように一本一本引き抜けばよいのでしょうが、暇もなく面倒くさいので草削り用の鍬で所構わず雑草を根から削って行くのです。

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 貧乏をしているくせにわが家は田舎なので、敷地面積が660坪もあって滅茶苦茶広く親父の手には負えないため、草刈機で裏山や畑を、草削り鍬で庭を私が手助けしないと見る見るうちに雑草に覆われてしまいます。除草剤でも使えば少しは作業も楽になるのでしょうが、畦畔保護や健康のためにも除草剤は一切使わないため、早め早めにこうして草と戦っているのです。

 草削りに夢中になっていると郵便局員が宅配便を届けてくれました。日振島公民館の畠山さんからサザエとアワビ、ナマコが沢山届き嬉しい悲鳴です。またポケットに入れた携帯電話が何度も鳴って、講演依頼のため予定表を確認するため自宅に出入りしたりまあ忙しいことです。


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 午後4時ころやっと目安にしていた庭の除草を終わりました。削って集めた草は2~3日天日に干して根の土を落としてから、庭の隅にしつらえた雑草置き場へ運ぶ予定ですが、何はともあれすっかり綺麗になったようです。これで5月の連休前までは持つ予定なので来週からは人間牧場の農作業に取り掛かる段取りをしなければなりません。お百姓さんが「農業は草と虫との闘いだ」と言っていたのを聞きましたが、今頃になってその言葉の意味を噛みしめています。

 さてこれから10年くらいは何とか私の体力で庭と人間牧場の草手入れは出来るかも知れませんが、その後はどうなるか私と親父の関係のように、そのうち長男の力を借りねばならない日もそんなに遠くないと思いながら、昨日の作業を終えました。


  「少しだけ 足腰痛く なりました 草取り作業 体に堪え」

  「あと何年 親父と俺を 足す力 持つのだろうか 少々不安」

  「まあ綺麗 妻の一言 疲れなど 忘れて悦に 入って庭見る」

  「雑草は 植えないけれど 逞しく 植えた野菜は 育ちが悪い」

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○散った椿の花もまた美しい

 寒かった今年の冬もようやく終わりに近づき、海沿いの町ゆえの特権でしょうか、水仙から始まった花暦は菜の花にバトンタッチして、今を盛りと咲き誇り多くの人の目を楽しませてくれているようです。また菜の花のような派手さはないものの、人間牧場界隈やわが家の庭には山茶花に変わり椿類が、控えめな装いで咲いています。

 花にはそれぞれ主張があって、菜の花の黄色も、椿の濃い赤色もこれまた自然のなせる業とでもいうのでしょうか、趣が違うのです。まさにオンリーワンなのです。

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 昨日畑の隅で侘助系の椿の木の下にピンクの花びらが落ちているのを見つけました。本当は落ちる前の咲いた花を見てやりたかったのですが、このところの忙しさにかまけて見ることが出来ず、名残の花しか見ることが叶いませんでした。この椿の木はもう10年も前、森林組合長をしていた稲田利一さんにいただいたもので、今は畑の隅でまるで防風垣のように、つつじや山茶花とともに無造作な扱いをしているのです。椿の花にすまないと思い書斎からカメラを持ち出して、散った花の芸術を楽しみました。

 

 役目を終えて地上に落ちた椿の花も風情があります。俳人なら一句、写真家なら一枚とそれぞれ上手く表現するのでしょうが、凡人の私ゆえ落ちた花の移ろいに目をやるくらいしか出来ませんでした。椿の花は去年の暑かった夏も、今年の寒かった冬もこの場所に立ち、季節の巡りの中で花を咲かせ、花を散らしたのですから、来年も咲いてくれる事を祈ってこれくらいの恩返しをしなければバチが当たるのです。落ちた花の中からしっかりした花を一輪持ち帰り広いガラスのコップに水を入れ、花を浮かせて見ました。水中花ならぬ水上花ですが、見事コップの中で蘇り、殺風景な机の上を飾ってくれました。

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 仕事から帰った妻が机の上の水上花を見て、「まあ綺麗、お父さんも侘び寂びが分かるのね」と褒めているのかくさしているのか分からないような言葉をかけてくれました。「花の命は短かいのでせめてもう一花咲かせてやりたいと思って」というと、「あなたも此花の心境」と返されました。そういえばリタイアした渡しはこの花のように地上に落ちているのかも知れません。もう一花なんて思いませんが、せめてこの花のように清楚に生きて行きたいものだとしみじみ思いました。


  「雨上がり 地上に散った 花の色 まるで芸術 思わず振り向く」

  「一年を かけて椿は 花咲けど 見る人もなく ひっそり散って」

  「落ちた花 一輪拾い 水上花 机に置いて 一人楽しむ」

  「この花の 姿に似たり 今の俺 一花咲かす 余力もなくて」


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○私の講演を聞いた感想文が届きました

 先日伊方町立三崎中学校の浅野先生から一冊のファイルが送られてきました。三崎平磯にある喜久家へお邪魔した時見て欲しいと手渡されましたが、てっきり見るだけだと勘違いして、置いて帰ってしまっていたのを送ってもらったのです。

 ファイルを開けると喜久家プロジェクトのスライドショーの写真が6ページ、浅野先生が執筆している伊予弁シリーズ記事が2ページ、新聞のスクラップが2ページ、中3学年通信JUMPが2ページ、そしてその後ろには「青春へのメッセージ」という生徒たちの感想文が沢山コピーして添付されていました。

 全部念入りに時間をかけて読ませてもらいましたが、「ふるさと講演会」で私の話を聞いた生徒の感想文は、私の講演はさて置き、とてもよく書かれていいて汗顔の至りでした。そこで汗顔のついでにJUMPに紹介された6人の生徒の感想文を、記録のつもりでブログ記事に紹介しようと思いました。

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 ○私は、物事を継続して行うことが苦手です。ですが、若松さんが27年間はがきを書いているという話を聞いてびっくりしました。「もう一人の自分が、自分に命令を出す」ということや「継続することで良いことがあり、それで自信が持てる」ということはすごいと思います。そして最後に言っていた「人間は一人では生きられない」ということが自分で分かっていても、人から聞くと改めて友達や家族の存在って大きいなと思うことが出来ました。

 ○若松さんの話を聞いて、マイナスをプラスに変える発想をしていたり、常に上に向かっていこうとしていたりと、自分が見習おうと思うところがたくさんありました。いろいろ悩んでいるだけではなくて、動いてみようかなと思いました。

 ○一番印象に残っているのは、「人間はスタートは同じ」だということです。私は、元から能力が違うとか思っていました。でも、人間は誰にでも潜在能力があるし、変われる可能性もたくさんあるので、やっぱりみんな同じ人間で平等なんだと思いました。

 ○今、受験勉強をしていて「あと2週間だから」と思っているけど、いやになってくることがあります。でも、若松さんが言っていたように楽しくなくても、楽しいと思うことが大切だと思いました。続けることは必ずいいことがあると思って、日々積み重ねていきたいです。ことわざの「ちりも積もれば山となる」というのは、このことだなあと思いました。

 ○話を聞いていて心に残った言葉がたくさんあります。日々の積み重ねが大事ってことや主張を述べないと思っていないのと同じと言うこと、聞いていたら全部大事な言葉に聞こえました。ほかにもアイデアは落ちていると言っていました。若松さんのアイデアはすごくてたくさんのものを作っていてビックリするほどでした。私もアイデアをみつけていろいろ作っていきたいと思いました。


 ○私は春に双海に咲くあの菜の花が好きです。黄色いじゅうたんみたいになってて、毎年きれいだなと思っています。あの菜の花が咲くまでに、あんな物語があるとは知りませんでした。若松さんたちの活動によって、毎年きれいな菜の花が見られるんだと思いました。私も2週間後には受験があります。自分と同じ緊張感を持っている仲間と共にがんばろと思いました。

 ○話の中に出てきた「スタートはみんな同じだ」とか「何でも楽しいと思えば楽しくなる」、「人間は距離ではなく思い」、「夢は日々の努力が大事だ」とすごく納得できることばかりで、たくさんのことを学ばせてもらいました。私も将来の夢が決まったら、日々努力してがんばりたいと思いました。


 ああ嬉しい。感想文を読んでその一言に尽きます。よりリアルに聞いてもらうため、あえてレジメを用意しないのが私の講演スタイルですが、感想文はメモを取る習慣がしっかりと身についているように思いました。浅野先生ありがとう。そして熱心にメモを取りながら聞いてくれた生徒の皆さんありがとうございました。


  「講演を 聞いた感想 文届く 汗顔ながら 嬉しくなりて」

  「メモを取る 習慣ありて このような 感想書ける 指導次第で」

  「何よりの 土産届いて 読みふける 感想文が 更なるパワー」

  「いささかの お役に立ちて 何よりと 安堵の胸を 撫で下ろしたり」


 

 

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○双海の夕日は今が旬

 地元の区長を退任すると、決まったように区長と副区長は監事という役を仰せつかります。もう4年間もやっているのでそろそろ退任をと思っていますが、次の区長さんが決まらないことには退任できないのです。そんなこともあって昨日の夕方灘町区の監査会があり、上灘漁港の直ぐ近くにある灘町集会所へ出かけました。午後6時からなので10分前に軽四トラックで到着すると、西の彼方に綺麗な夕焼けを見ました。

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 「そうか今日は春分の日の明くる日か」と思いながら砂浜に出て、シーサイド公園まで歩いて夕焼けを見に行きました。春分の日はご存知のとおりシーサイド公園の恋人岬のモニュメントの穴にスッポリ夕日が入る火なのです。残念ながら今年の春分の日は一日中雨だったため、昨日の夕日も雲がかかって、モニュメントの穴から見えるほどではなかったのかも知れません。というのも監査会が6時からなので、早々にシーサイド公園を立ち去ってしまったのです。

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 そこで春分の日の夕日を見れなかった人や、私のブログを愛読してくれている人へのプレゼントとして、とっておきの夕日の写真をお見せしますので、もし本物の日本一と自認する双海の夕日夕焼けが見たいのであれば、ここ一週間が旬ですので是非恋人岬のモニュメントの穴にすっっぽり入る夕日を見にお越し下さい。

 ちなみに3月23日今日の夕日は、私が作成した夕日の時刻表によりますと18時23分ですから、18時ころからシーサイド公園に出かけることがお勧めです。

 夕日は一度行って直ぐに綺麗な夕日を見たというラッキーな人もいますが、概して見れなく失望して帰る人も多いようです。その場合は「若松の嘘つき」とか、「日本一だというが大したことはない」と思うものです。そう思われても結構ですが、何度か足を運ぶ心の余裕を持つと、意外と天気予報が気になって、事前に調べたりするようになり綺麗な夕日に巡り会う確立が高くなるのです。

 夕日を見るには一人で見るのも結構ですが、最も身近な人と見ることをお勧めします。例えば恋人を誘うのもいい方法です。夕日や夕焼けの前で愛を誓って結ばれた人は意外と多いようなので、婚活にはぴったりの場所かも知れないのです。最近はシーサイド公園の恋人岬で、結婚式の前撮りをするオンリーワンなカップルも結構多いようです。

 さて夕日を見学するのに欠かせないのはカメラです。最近は携帯電話のカメラ機能が良くなって、携帯電話で撮影する人も多いようですが、願わくばデジカメで撮影してオリジナルな芸術を楽しんで欲しいものです。ちなみにプロの写真家が撮影するとほら、下の写真のようなまったく違ったイメージの写真が出来上がるのです。

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  「必見の 双海の夕日 今が旬 一人見るより 二人の方が」

  「見る人の 心の鏡 磨かずば 綺麗な夕日 綺麗に見えず」

  「春分は 季節変わり目 心替え 心機一転 夕日にパワー」

  「昨日見た 夕日朝日に なり昇る 不思議思いつ 多分明日も」

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○日振島を訪ねる(その6)

 講演会が終ってから少しの間、隣の和室でお茶とお菓子だけの交歓会があり、皆さんと楽しいお喋りをしました。早めに切り上げて外に出て空を見上げると十五夜の月が印象的に出ていました。「若松さん運転をお願いします」と民宿のご主人にいきなり車のキーを手渡されました。昼間通った道なのですが乗せてもらっただけなので、同乗している小林さん親子ともども不安に駆られながら、民宿までの狭い道を延々と走りました。いくら田舎の狭い道に慣れているからといってもそれとこれとは別の話なのですが、ここらにも島の人々のおおらかさがあるようでした。

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 昼間走った入り口四角、出口半円の狭くて珍しい、電灯もついていない暗いトンネルを抜けましたが、島の細い道は街路灯などまったくなく、昼なお暗い道沿いのあちこちにお地蔵さんが立っている姿がより恐怖をかき立てましたが、何とか無事に能登の民宿に到着することが出来ました。

 風呂から出て暫くの間、女将さんとご主人、それに小林さんとお酒とお茶で雑談しました。ANAから宇和島に派遣されてる小林さんと始めて出合ったのは3年前、伊方町でのシンポジウムでした。あれから早くも3年が経ちました。小林さんの宇和島における活躍は目覚しく大きな足跡を残しましたし、私が塾長を務める年輪塾にも何度か参加していただき交友を深めてきましたが、あと数日でその仕事も終わり、東京方面へ帰るらしいのです。離任間近なこの時期に、フスマ一つで仕切られた部屋で寝食をともにできてとてもラッキーでした。


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 朝食を済ませ身支度を整えて歩いて五分の船着場へ歩いて行きました。民宿の林さんご夫妻が港まで見送りに来てくれました。沖合いに浮かぶ沖ノ島へはハマユウの咲くころ必ず来るからと約束をしました。

 定期船は能登、明海、喜路と港に立ち寄りましたが、明海では畠山公民館主事さんが、喜路では笠岡組合長さんがわざわざ桟橋まで見送りに来てくれました。小林さん親子も私ももう大感激でした。人を迎えることも大切ですが、人を送ることの大切さをしみじみと考えさせられました。

 船は途中段々畑で有名な遊子にも立ち寄り、耕して天に至ると形容される石垣を海から眺め、午前8時20分に宇和島港桟橋に着きました。私は小林さん親子とここでお別れし、急いで車に乗り次の目的地である広島県尾道へと向かいました。

 宇和島市日振島去り難し、早春の穏やかな海を巡って小林さん親子とともに訪ねた日振島での思い出は一生忘れないことでしょう。

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  「桟橋で 手を振り送る 人ありて 春の日振に 別れを告げる」

  「美人連れ 何と贅沢 この旅は 天気味方し 思い出残る」

  「寝付かれぬ ふすまの向こう 美女二人 寝返り打って 朝来るを待つ」

  「島暮らし 時計の速さ 違うよう のんびり過ごす 田舎満喫」

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○日振島を訪ねて(その5)

 日振島のあちこちで色々なものに出会いました。その一つは日振島小学校の校門近くに建っている記念碑です。「だまされる人になってもだます人になるな」と書かれていました。森岡天涯の言葉です。私は若いころ青年団に入団して愛媛県青年団連合会の会長や四国四県青年団連絡協議会の会長をしましたが、そのご縁で全国の青年の家を殆ど回っています。とりわけ愛媛県内に設置されていた東・中・南予青年の家には幾度となく42年間お歴史に幕を閉じた南予青年の家は前身が南予会館で、その建設に尽力したのが日振島出身の社会教育家森岡天涯だったのです。森岡天涯は単身アメリカに渡り、帰国後は郷里の福祉厚生に尽力した人です。

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 中央青年の家に泊まると牛、南予青年の家に泊まるとニワトリの匂いと声で目を覚ますといわれたように、南予青年の家の近くには鶏舎があって、ニワトリの賑やかな鳴き声が聞こえたのも今はいい思い出となっていますが、青年の家の閉鎖を亡くなった森岡天涯はどう思っていることでしょう。

 森岡天蓋の戒めの言葉が宇和島市立住吉小学校の校庭にもあると笠岡組合長さんが教えてくれました。「大きな石は俺にもてころ」と書かれているそうです。「もてころ」とは宇和島の方言で「もってこい」というのだそうです。つまり難問題があったら私に相談に来なさい」というのです。

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(今は懐かしい南予青年の家)

 今の日本には誰を信じてよいか分からないほどだます人が沢山います。私も何度か小さい事ながらだまされたことがありますが、例えだまされてもだます人になるなという天涯の教えは、とても深い意味を持っているように思えるのです。この碑文の前に立つと、背筋が伸びたような気持ちになりました。私も社会教育にいささかなりとも関わった人間なので、天涯のように自らの心を正すとともに、地域の発展に貢献しようと決意を新たにしました次第です。


  「だますより だまされる人 まだましと 天涯教え 校門ありて」

  「今はない 青年の家 懐かしく ニワトリの声 耳に残りぬ」

  「もてころと いう方言の 意味を聞き 頷きながら 石碑なぞりて」

  「今日もまた 訪ねし島で 教わりぬ 先人教え 拳拳服膺」 

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