shin-1さんの日記

○翠小学校が危ない

 パソコンとは便利なもので、かつて私の書いたブログの中に星寛治さんや草野裕作さんの名前を入力すると、居ながらにして2009年2月11日の記事が検索できるのですから驚きです。そのブログ記事によると記事を書いた前日の2月10日、私はえひめ政策研究センターで当時研究員をしていた清水さんの計らいで、「教育を語る」という鼎談のファシリテーターをしていました。松山市堀の内にある県立美術館講堂に満員の人を集め、私の指図で山形県高畑町の星寛治さんと徳島県伊座利の草野裕作さんを相手にしていました。星寛治さんは明くる日人間牧場の年輪塾の講師を務めていただいたのでその後のご縁も深かったのですが、草野さんとは出会いがありませんでした。

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(2009・2・10、県立美術館講堂での教育を語る鼎談)

 数日前伊予市議会議員の岡田さんから草野さんを呼んで翠小学校で講演会をするので参加して欲しいと誘われましたが、昨日は二ヶ月に一度の双海史談会とブッキングしていてどうしようかと迷いに迷った末、草野さんへの恩義もあるので、史談会の中尾先生に詫びを入れ翠小学校の講演会に出かけました。

 翠小学校は現在20人の児童が在籍した小さな学校です。エコ改修も終わり箱物としては愛媛県一だと思うのですが、推計によると平成29年度にはこのまま児童数が減ると4人になり閉校になるかも知れないのです。子どもがいなければどんな立派な校舎があっても学校は存続しないのです。ゆえに何とかと来年度から校区外通学を特例で認めてもらい3人を確保したようですが、それでも20人と少ない数なのです。


 草野さんの伊座利の取り組みの話を聞いて、参加した人たちはそれぞれがそれぞれの立場で危機感を持ったことは間違いありませんが、じゃあ地域ぐるみでどうするか、行動を起こすことは容易なことではないようです。

 行政支援を諦め立ち上がった伊座利の住民が、地域のためになることならできることは何でもやっている姿は、とても真似のできるものではありませんが、だからといって手をこまねいていては下灘中学校と同じような運命を辿るだけなのです。住民の住民による住民のための活動のために草野さんは地域づくりの活動ポイントを10項目挙げていました。

 ①違いを認めること(十人十色・百人百様)

 ②動くこと(考えただけでは何も解決しない)

 ③気づいたことを気づいた人が行動に移すこと(気づきから活動へ)

 ④何をするかは自分たちで考え行動すること(実践のない行政マンや学者コンサルに振り回されない)

 ⑤普段着であること(似合わないネクタイや化粧はしない)

 ⑥住民が楽しむこと(過大なもてなしはしない)

 ⑦子どもも大人もみんなが対等であること

 ⑧活動を義務付けないこと(参加は自由)

 ⑨無理をしないこと(それぞれができる時にできることを)

 ⑩グチを言わないこと


 考えさせられる講演会でした。鼎談の時に聞いた同じ話なのに、翠小学校という切羽詰った現場で聞くとまた違った感じに聞こえました。この日は同じ悩みを抱える松山市伊台や伊予市中山町佐礼谷からも参加して50人ほどになっていました。やることへの批判、やらないことへの批判、他人事だ思う風潮、自分にでも出来ること、様々な思いが微妙に絡み、考えれば考えるほどトンネルの闇は深いようです。でも冬の寒さの次には春が、またトンネルの出口には明るさが必ずあるのですから、みんなで頑張らなければならないのです。

  「児童数 そんなに減るの? 知らなんだ これは大事 早く手立てを」

  「やらぬより やって批判を される方 選ぶべきだと べきだ論法」

  「議員さん あなたは立派 一石を 投じた勇気 拍手を送る」

  「まず自分 何が出来るか 考えて 子ども作るも 悪くはないな」

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shin-1さんの日記

○畳替え

 私の住んでいる家は古民家というほど古くはありませんが、築34年経って少し古さを感じるようになってきました。一階二階を合わせると77坪もあってだだ広く、部屋数は一階が5つ、二階が4つの計9つもあるのです。建築当時は祖母・父母・私たち夫婦に子どもが4人の計9人の大家族で、これほどの家でも座敷と応接室を除けば各部屋満杯でした。その後親父夫婦が同一敷地内に20坪ほどの隠居家を立てて移転したため、また祖母と母が亡くなり、子ども4人もそれぞれ独立したため、2階の部屋はそっくり空き部屋になっていました。

 この度長男息子たちとの同居話がトントン拍子に進み、話し合いの結果息子たち4人の家族が二階の住人になることが決まりました。同居の条件として台所をリフォームして明け渡したり、トイレや脱衣場を大改造したり、また畳やフスマを替えたりと、長男が建築士の端くれのためあれやこれやと計画しているようなのです。長男は年度末を迎えて仕事が忙しくてそれどころではないようですが、それでもあれやこれやとオーナーで金を出すのは親であることをいいことに、色々画策しているようですが、東北・関東大震災の影響で資材関係が動かなくなるハプニングにも見舞われ、リフォーム工事は大幅に遅れているのです。

 孫希心の保育園への入所も来月7日と決まっているので、当分は4月いっぱい借り受けている松山のマンションから通園することにしているようですが、とりあえず出来ることからしようということで、数日前畳替えをするため畳屋さんがやって来ました。

 現代といっても昭和51年建築の建物ですから、私の好みもあって洋間はダイニングキッチンと応接間、それに息子たちの部屋のみで、後は6畳・6畳・8畳・8畳・6畳・6畳の計40畳、つまり畳全てを買えると40枚にもなる大改造なのです。畳は10年に一度くらいの頻度で直してきましたが、今回は何年か前畳を替えた6畳を除いて新品にすることにしました。畳屋さんも驚きを隠せないようで、最近はたたみの需要が減っているため、一軒でこれほどの注文はここ数年で最大だと話していました。

 昨日は1時から2人の畳職人さんが軽四トラックにいっぱい畳を積んでやって来ました。そして古い畳を剥がして大掃除をし、順次新しい畳にやり替えて行くのです。私は午前中タンスの上の物を下ろしたり部屋を片付けたりとかなりハードな掃除を、たまたま春休みで遊びに来ている小学校2年生の孫朋樹を相手に孤軍奮闘して畳替えに備えました。畳の入れ替えなどを見ることも滅多にないので写真に撮ろうと思いましたが、残念ながらメモリーカードが上手く挿入されてなくて没になってしまいました。それでもスキーの板のようなスラシでタンスをいとも簡単に異動する姿に感心したり、畳に関するノウハウを雑談ながら随分聞くことが出来ました。


 昨日は妻が乾拭きした真新しい畳の匂いのする部屋に、布団を敷き孫と一緒に寝ましたが、新しい畳の敷かれた部屋は明るくなり、まるで別の家のような雰囲気でした。「畳と女房は新しいほどいい」と言われていますが、妻も亭主が新しいほどいいと思っているのかも知れないと思ったりしました。

 ともあれわが家のリフォームは妻の財布の心配を他所に、これからどんどん進んで行くのでしょうが、私たち夫婦も少し心のリフォームを心がけて、これからの人生を生きて行きたい思いました。

  「平成の 大畳替え 目の当たり 感心しつつ 畳談義を」

  「これ程の 畳を替える 勿体ない 心痛むが 嫁への義理も」

  「孫相手 あれやこれやと 大掃除 小さな力 ないよりましと」

  「新品の 畳の上に 蒲団敷き 香りほのかに 安眠誘う」

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