shin-1さんの日記

○新品の草刈機を購入しました

 もう20年近くも使っているわが家の草刈機もどうやらそろそろ寿命かなと、春や夏が来ると思いつつこの4~5年自分で修理をしながら使い続けてきました。人間牧場へ草刈り作業に出かける度に、家の裏の草を刈る度に、「そろそろ寿命」と独り言を言ったつもりでしたが、その独り言を妻は聞いていたようで、昨日の昼「お父さん機械類は事故でもあったら大変なので、草刈気を買おう」と勧めてくれ、二人で伊予市の永井農機具店へ出かけました。このお店は2年前に親父が耕運機を購入したことのあるので、馴染みといえば馴染みなのです。


 私としては今使っているタイプがいいとイメージしつつ店の中へ入ると、若い女性の店員さんが展示している草刈機の前へ案内して、最近の草刈機事情を話してくれました。全国では草刈機による事故が相次いで最近は安全基準が年々難しくなっていると聞きました。残念ながら私のイメージしていた草刈機の姿はもう何処にも見当たらないのです。

 仕方がないので店員さんの勧める2種類の中からホンダの草刈機を買うことにしました。5万8千円の品が特価で税込みの3万8千円だそうです。

 「暫くお待ち下さい。調整をしますので」と男の技術者が呼ばれ、鋸のような刃を取り付けエンジンにオイルとガソリンを少しだけ入れて始動の仕方を指導してくれました。今までの草刈機は混合油でしたが、今回買い求めた草刈機はガソリンだそうです。音も静かですが気になるのは安全装置がやたらと多く、作業効率が悪いと直感しました。わが家の草刈り場は急峻で足場が悪いところが多いので不満でしたが、店員さんが言うとおり「足場が悪ければ悪いほど危険度増すので」の言葉には納得しました。それにしても3万8千円は、年金暮らしのわが家にとっては少々高い出費です。それを許して買ってくれた妻に感謝しながら、今年もいよいよ草刈りのシーズンが来たと思いつつ、「今年もがんばろう」と思いました。

 草刈機の寿命は使う頻度や手入れによっても異なりますが、せいぜい10年です。ということは私が手にする草刈気はこれが最後か、若しくは元気でいれば10年後にもう一台といったところなのです。機械類は運みたいなものもあって、調子の良いものに出会うと、今使っている草刈機のように20年でも持つのです。逆に調子が悪いのに出会うと寿命が短いのです。

 早速近々にガソリンを購入して人間牧場の草刈り作業を始めます。

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shin-1さんの日記

○日本人へのまなざし

 私が日本人であることを初めて意識したのは、18歳の時宇和島水産高校の実習船えひめ丸でオーストラリアの近くの珊瑚海まで遠洋航海に出かけた折、イギリス領ニューへブリデスエスピリッツ・サント島という島へ、物資補給のため立ち寄った時でした。

 敗戦の傷が癒え、日本が高度成長に向かって走り出していた昭和37年の出来事でした。それまで遠巻きにしか外国人と接した事のない私にとって、異郷の土を踏むのも外国人と握手や会話をしたのも勿論初めてだったので、胸の高まりは想像以上でした。外国という土地で外国人と接し、自分が日本人であることを自覚したのです。

 その帰路、日本を間近に望む伊豆半島の沖合いで冬としては珍しい980ミリバールの低気圧の洗礼を受け、マグロを満船しているえひめ丸は木の葉のようにさまよいました。船長以下乗組員の必死の努力によってどうにか脱出した朝ぼらけの海の向こうの水平線に富士山の姿を見た時、日本に生きて帰ったことの喜びが沸き起こり、日本という国に生まれたことをしみじみと思ったものでした。

 そしてその12年後、ジョン・万次郎に憧れ30歳で総理府派遣第10回青年の船で建国200年のアメリカへ渡った時も、サンフランシスコで日本が真ん中にない世界地図を見て日本人であることを意識しました。

 実習船えひめ丸の感動か49年、青年の船にっぽん丸の感動から36年経ちましたが、東北・関東大震災が起こり、そのはずみで福島原発事故が起こって18日目を迎えるこの時期に、最近日本という国に住んでいることを考えさせられるようになりました。

 一つは粉雪舞う厳しい寒さの中にありながら、被災地の人々の静けさです。6年前ハリケーン・カトリーナに襲われた米ルイジアナ州では群集が店のドアを蹴破り液晶テレビやバスケットの練習台まで盗み出したのです。昨年の中米ハイチ地震でも住民がスーパーなどから勝手に商品を持ち出しました。

 日本の今回の地震でも実際には主身や詐欺といった被害が出ていますが、群衆によるものではなく、海外の感覚からすると暴徒化しない日本の被災地の静穏さはそれだけで賞賛に値するのです。水やガソリンが多少品薄になってはいますが、あからさまな便乗値上げもなく、店の前に何時間でも長い列をなして待つ姿は、日本人の心をとても印象的に写し出しているのです。

 しかし一方で福島原発の事故は、唯一の被爆国である日本にとって戦後66年目の大きな汚点となりました。地震や津波の引き起こした事故とはいいながら、安心安全と原子力に無知な国民を納得させ、安易に原発を作り続けたことや、東京電力という巨大独占企業の無責任さが混迷喉を深くしているのです。


 東北の被災地の人たちの姿を思うと、日本人に生まれて良かったと誇りに思い、福島原発の事故を思うと日本人は大丈夫だろうかと憤りを感じる、この相反する思いは安全を誇った原発から上がる白煙や報道を見聞きする度に、今後しばらくは私の心の中で葛藤することでしょう。

 外国の人々は被災者たちの沈着で節度のある態度に賞賛を惜しまず、リップサービスでない支援をしてくれています。苦境にあっても天を恨まず運命に耐え、怒号も喧嘩も起きない避難所の助け合う姿は、平和な暮らしに馴れた私たち非被災者に大きな教えを与えてくれているのです。がんばれ日本。立ち上がれ日本人。

  「略奪も 怒号もなくて 静かなり 被災者姿 日本の誇り」

  「霞立つ 霞ヶ関は 責任を 逃れてばかり 腹が立ちます」

  「日本人 捨てたものでは ありません 外国メディア 不思議まなざし」

  「少しだけ 少しだけれど お裾分け 復興願い カンパしました」

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