shin-1さんの日記

○山仕事でいい汗をかきました

 宇和島市に次いで松山市でも桜の開花が宣言されましたが寒さがぶり返し、昨日は久万高原町では薄っすらと積雪があったようです。閏住の菜の花も今が盛りと春を告げているようです。昨日は40年も前に友人から預かっていた錆びた短い刀を人間牧場近くに住む同級生に返すため午前8時に家を出ました。久しぶりに同級生に出会いましたが、何年か前奥さんに先立たれ、お父さんも弟妹も相次いで亡くして今は独身の次男息子さんと二人で暮らしているようですが、所帯やつれというのでしょうか、心臓病を患っていることもあって、何処となく元気がないようにお見受けしました。家を出る時妻が焼酎などの手土産を持たせてくれたのを手渡すと大層喜んで再会を誓い合いました。

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 人間牧場では久しぶりに作業着に着替え、倉庫からチェンソーを持ち出し、先日伐採した栗の木を小切りにして薪を作る作業をしました。小気味よいチェンソーの甲高い音が山々に木霊して、あっという間に小切りは終りました。本当はこの薪を片付けたかったのですが、まだ生なので当分ここで自然乾燥させてから運ぼうとやり過ごしました。またマサカリで割るほど大きなものもなかったので、幾分拍子抜けがした感じです。それでもこれだけの薪が確保できたことは大きな収穫でした。

 願わくばこれから薪を運ぶ作業は人海戦術をと考えますが、人を当てにすると当てが外れて腹が立つので、草刈りをしながら少しずつ運ぼうと考えています。

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 昨日は少し風はあるものの人間牧場は春真っ盛りで、何年か前に植えたスモモの木には今にも咲きそうな花がいっぱいついて、大空の青にマッチしていました。スモモの根元には早くも柔らかい春草が伸びているので、手袋をはめてそれらの草をむしり取りました。

 少し手を休めて春草の畝にゴロリ寝転ぶと、春色の空が一面に広がりとても気持ちがよく,、ついウトウトするほどでした。ツワブキも山蕗も柔らかい目を出し、冬の寒さに耐えたアザミも咲いて、春、春、春です。これから夏に向けてしんどい草刈り作業が待ち受けていますが、これも天の恵みと受け止め、人間牧場でいい汗を流したいと思っています。昨日は馬路村からいただいたミツバチの巣箱を一個持ち帰り入り口を作る作業を終えて自宅の裏山にとりあえず置きました。冬を越したもう一つの巣箱はこのところの寒さで鈍ってはいますが、暖かい日にはミツバチが出入りしているようです。


  「チェンシーの 甲高い音 山々に 木霊し春が 来たこと告げる」

  「草むらに 寝転び青い 空を見る スモモの花枝が 吸い込まれるよう」

  「ミツバチも 冬より目覚め 忙しく 飛び交いながら 早くも始動」

  「寒さより 草刈り作業 まだましと この時期いつも 思っているが」  

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○親子はよく似るもの

 血筋とは恐ろしく親子はよく似るもので、年を経るごとに仕草や声まで同じになってきます。若いころはそれが嫌で、何かと親父に反感反目したものですが、自分が結婚して子どもができるとその反感反目の心が次第に薄れて、いつの間にか自分の分身のような子ども姿に目を細めるのです。

 私と親父は骨董が好きという趣味の面がよく似ています。二人が元漁師だった経歴がそうするのか、人から見ればガラクタと思えるようなものを丹念に磨き上げ、家の倉庫を改造して海の資料館「海舟館」まで作っているのですから、変わり者親子といわれても仕方がないのです。

 私は年老いた親父のたしなみを作るため、時々馴染みの骨董屋を覗きます。金もないので高いものなど買えませんが、骨董屋の倉庫に眠っている見捨てられたように埃を被った物の中から幾つか選んで分けてもらい、新聞紙に来るんで無造作に持ち帰ったこれらの品々は、親父の手によって洗ったり拭かれ見事なお宝に変身するのです。そのプロセスを共有することで日常の会話も弾み、親子の絆が深くなるのです。

 昨日親父は隠居の座敷で刀箱を取り出して刀類の手入れをしていました。空気の澄んだこの時期に打ち粉で一年間の目に見えない錆を落とし、薄っすらと油を塗って再び刀箱へ収めるのです。この手入れを怠ると刀や槍などは錆が出て研ぎに出すととんでもないお金が要るのです。

 親父は孫である私の息子に刀の手入れに使う油を研ぎ屋さんから買い求めて来るよう依頼していたようですが、残念ながらその刀研ぎ屋も潰れて今はなく、インターネットで注文したようで先日その油が届いて親父を喜ばせていました。

 親父は毎年刀や骨董類の手入れを私に受け継がせようとしていますが、親父の生きがいを取っては悪いとこれまで理由をつけて渋っていましたが、92歳の高齢になり歩くことも耳も目も不自由になるといよいよ息子である私の出番が来たようにも思うのです。

 私の息子がこの春から同居するため間もなく引越しして帰ってきます。この際私によく似た息子の力を借りて私への代替わりをしなければなるまいと思っています。

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(親によく似た浅野先生の息子さん)

 先日伊方町三崎平磯の喜久家プロジェクトを訪れた時、浅野先生親子に会いました。私「将来は学校の先生になるの?」浅野先生の息子さん「ならない」、私「どうして?」、浅野先生の息子さん「うーん」とやり取りをしました。まだ中学生なので親への反感反目が芽生える反抗期なのでしょう。私と私の息子の関係もそんな時代があったなと、思わず心の中で微笑んでいました。

 息子を独り立ちさせることは容易なことではありません。私は私の仲間たちとの活動の輪の中に息子を入れたり、自宅へ人を引き入れて色々な人に意識的に出会わせました。その結果社会性のある人間に育ったような気がするのです。浅野先生も同じようなことをしていると少しだけ嬉しくなりました。子どもは親の鏡、親は子どもの鏡です。まずいい親の鏡を持ちたいものです。

  「親子とは どうしてこんなに 似るものか いつの間にやら 親にそっくり」

  「反感や 反目したが 雪解けて 親子仲良く 骨董磨く」

  「わが息子 そっくりだねと 他人から 言われどっきり 嬉しくなりて」

  「いいとこが 似ればいいのに 欠点も 譲ってしまう これも親子だ」

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