shin-1さんの日記

○日振島を訪ねる(その6)

 講演会が終ってから少しの間、隣の和室でお茶とお菓子だけの交歓会があり、皆さんと楽しいお喋りをしました。早めに切り上げて外に出て空を見上げると十五夜の月が印象的に出ていました。「若松さん運転をお願いします」と民宿のご主人にいきなり車のキーを手渡されました。昼間通った道なのですが乗せてもらっただけなので、同乗している小林さん親子ともども不安に駆られながら、民宿までの狭い道を延々と走りました。いくら田舎の狭い道に慣れているからといってもそれとこれとは別の話なのですが、ここらにも島の人々のおおらかさがあるようでした。

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 昼間走った入り口四角、出口半円の狭くて珍しい、電灯もついていない暗いトンネルを抜けましたが、島の細い道は街路灯などまったくなく、昼なお暗い道沿いのあちこちにお地蔵さんが立っている姿がより恐怖をかき立てましたが、何とか無事に能登の民宿に到着することが出来ました。

 風呂から出て暫くの間、女将さんとご主人、それに小林さんとお酒とお茶で雑談しました。ANAから宇和島に派遣されてる小林さんと始めて出合ったのは3年前、伊方町でのシンポジウムでした。あれから早くも3年が経ちました。小林さんの宇和島における活躍は目覚しく大きな足跡を残しましたし、私が塾長を務める年輪塾にも何度か参加していただき交友を深めてきましたが、あと数日でその仕事も終わり、東京方面へ帰るらしいのです。離任間近なこの時期に、フスマ一つで仕切られた部屋で寝食をともにできてとてもラッキーでした。


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 朝食を済ませ身支度を整えて歩いて五分の船着場へ歩いて行きました。民宿の林さんご夫妻が港まで見送りに来てくれました。沖合いに浮かぶ沖ノ島へはハマユウの咲くころ必ず来るからと約束をしました。

 定期船は能登、明海、喜路と港に立ち寄りましたが、明海では畠山公民館主事さんが、喜路では笠岡組合長さんがわざわざ桟橋まで見送りに来てくれました。小林さん親子も私ももう大感激でした。人を迎えることも大切ですが、人を送ることの大切さをしみじみと考えさせられました。

 船は途中段々畑で有名な遊子にも立ち寄り、耕して天に至ると形容される石垣を海から眺め、午前8時20分に宇和島港桟橋に着きました。私は小林さん親子とここでお別れし、急いで車に乗り次の目的地である広島県尾道へと向かいました。

 宇和島市日振島去り難し、早春の穏やかな海を巡って小林さん親子とともに訪ねた日振島での思い出は一生忘れないことでしょう。

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  「桟橋で 手を振り送る 人ありて 春の日振に 別れを告げる」

  「美人連れ 何と贅沢 この旅は 天気味方し 思い出残る」

  「寝付かれぬ ふすまの向こう 美女二人 寝返り打って 朝来るを待つ」

  「島暮らし 時計の速さ 違うよう のんびり過ごす 田舎満喫」

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○日振島を訪ねて(その5)

 日振島のあちこちで色々なものに出会いました。その一つは日振島小学校の校門近くに建っている記念碑です。「だまされる人になってもだます人になるな」と書かれていました。森岡天涯の言葉です。私は若いころ青年団に入団して愛媛県青年団連合会の会長や四国四県青年団連絡協議会の会長をしましたが、そのご縁で全国の青年の家を殆ど回っています。とりわけ愛媛県内に設置されていた東・中・南予青年の家には幾度となく42年間お歴史に幕を閉じた南予青年の家は前身が南予会館で、その建設に尽力したのが日振島出身の社会教育家森岡天涯だったのです。森岡天涯は単身アメリカに渡り、帰国後は郷里の福祉厚生に尽力した人です。

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 中央青年の家に泊まると牛、南予青年の家に泊まるとニワトリの匂いと声で目を覚ますといわれたように、南予青年の家の近くには鶏舎があって、ニワトリの賑やかな鳴き声が聞こえたのも今はいい思い出となっていますが、青年の家の閉鎖を亡くなった森岡天涯はどう思っていることでしょう。

 森岡天蓋の戒めの言葉が宇和島市立住吉小学校の校庭にもあると笠岡組合長さんが教えてくれました。「大きな石は俺にもてころ」と書かれているそうです。「もてころ」とは宇和島の方言で「もってこい」というのだそうです。つまり難問題があったら私に相談に来なさい」というのです。

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(今は懐かしい南予青年の家)

 今の日本には誰を信じてよいか分からないほどだます人が沢山います。私も何度か小さい事ながらだまされたことがありますが、例えだまされてもだます人になるなという天涯の教えは、とても深い意味を持っているように思えるのです。この碑文の前に立つと、背筋が伸びたような気持ちになりました。私も社会教育にいささかなりとも関わった人間なので、天涯のように自らの心を正すとともに、地域の発展に貢献しようと決意を新たにしました次第です。


  「だますより だまされる人 まだましと 天涯教え 校門ありて」

  「今はない 青年の家 懐かしく ニワトリの声 耳に残りぬ」

  「もてころと いう方言の 意味を聞き 頷きながら 石碑なぞりて」

  「今日もまた 訪ねし島で 教わりぬ 先人教え 拳拳服膺」 

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