○宇和島市日振島訪問記(その2)
日振島はご存知藤原純友ゆかりの地です。平安時代の貴族であった純友は瀬戸内海に出没する海賊を退治するため派遣されました。しかし自らも海賊の首領となって、日振島を拠点に反乱を起こしたことでもし知られていますが、今から千年余りも前の936年頃のことゆえ知る人も少なく、何故か詳しいことは余り残っていないようです。
私が始めて日振島を意識したのは高校生のころ、宇和島水産高校に遊学した折、社会科の三好先生が歴史に詳しく、私もその影響を受けて随分教えを請いましたが、半世紀も前の高校生の頃のことなのではっきりと覚えていないのです。
私が水産高校当時一年下の漁業科に林さんという人がいました。林さんは大型まき網を有する会社の社長さんだし、その後日振島漁協の組合長を長らくやられた立派な方ですが、その人の存在を通じて日振島を認識していたのです。
日振島は昔宇和海村でした。私が青年団長時代宇和島市と合併しました。宇和海村時代は北宇和郡連合青年団、通称北連青といって、今でもその時代の名残の知人や友人が沢山いるのです。ゆえに今回足を踏み入れた日振島でも何人か昔を懐かしむ人たちに出会いました。
公民館職員の畠山さんに運転してもらい、私たちはその夜泊めてもらう林さんの弟さんご夫妻が経営している、つわぶきという民宿へ向かいました。道すがら畠山さんの説明で、かつて南レク全盛時代に整備したという大入海岸キャンプ場などを見学しましたが、うたかたの夢破れ今は訪れる人も殆どなく、荒れるにまかせている諸施設を見学しました。キャンプ場も海水浴場も離島が故の不便さや、経済効果至上主義に見捨てられた姿は、公金の無駄遣いこの上なく、説明責任も果たされぬままで、継続の難しさをしみじみ感じ胸が痛みました。
それにして日振島は風光明媚です。海は何処までも澄み渡り、海岸の美しさは何処にも引けをとらないほど立派で、カメラを向ければ何処でも絵になる光景が見えるのです。小林さんは島根県の山の中で生まれ育ったようで、美しい海を巡る景観に目をパチクリさせて見とれていました。
日振島では早くも様々な草木が春を告げるように芽吹き始めていました。早い山桜は満開でしたし、木イチゴの可憐な白い花も咲いていて、道端の草木を見るだけでも飽きませんでした。
民宿つわぶきは能登という漁港の中程にありました。三間から嫁いで来たというオーナーの林妙子さんは知的な方で、ご主人と二人で歓待していただきました。私も漁家の長男なので何かと気心が知れていて、色々な話をしました。妙子さんにはどこかで出会っているようでしたが、どうやらえひめ地域政策研究センターの発行している「舞たうん」という雑誌の島特集に寄稿されていて、それを読んだ記憶のようでした。
「二十年 ぶりに訪ねた 日振島 黒潮恵み 春の足音」
「何処見ても 飽きぬ景観 美しく 見せてやりたく ブログ紹介」
「つわぶきと いう名の宿に 逗留す 女将人柄 心癒され」
「この島に 逞し生きる 人ありて 行く先々で 教えられたり」