shin-1さんの日記

○早くも春の気配

 植物には遅い芽吹きもあれば早い芽吹きのものもあります。わが家の庭で一番に冬眠から目を覚ます植物は鉢植えしたブルーベリーです。もう春が来たと思っているのでしょうか芽は大きく膨らみ今にも伸びだしそうな勢いなのです。92歳になる親父は何を勘違いしたのか、この芽を見て間もなく実をつけると思ったのでしょうか、昨年採りの食害にあったことを覚えていて、網でブルーベリーの鉢植えを囲う作業を4~5日前から始めました。

 鉄筋を打ち込んで支柱を立てたり、エスロンパイプで横枠を組んだり、小さいながらもすっかり大掛かりな工事となりました。

shin-1さんの日記

 親父は元漁師なので、漁師さんから貰ったり、自分が漁師をしていた頃の網類を倉庫から引っ張り出して、言っての長さに加工し始めました。目が薄くなったとはいいながら体に染み付いた漁師の腕は衰えることなく発揮され、見事な囲い網が出来上がりました。

 私はこの一週間スケジュールが立て込んでいてとても忙しく、親父の手伝いなど殆どできませんでしたが、今朝から午前中をかけて囲い網を吊るす作業をして完成させました。設計図などない親父の目視作業は立派なもので、これで今年の夏はブルーベリーの実を採りに食べられることもなく収穫できそうです。

shin-1さんの日記


 今回の作業も結果的には66歳の私が92歳の親父の指図で動いて完成しました。ゆえに鉄筋や地中に埋めるブロック、エスロンパイプなどを買い求めたお金も全て親父の懐から出ているのです。この歳になって親父の世話になるのはいささか心が痛みますが、これも親父の生きがい対策だと思って納得しています。

 親父は何かにつけて器用です。器用な親の息子は概して不器用と決まっています。それは親が何でも自分がして子どもの出番を作らなかったからなのかも知れません。私の場合は親は私に色々教えたりさせてはくれたのですから、根っから不器用なのかも知れないと、今頃になって納得するのです。


 私の息子は37歳になりました。子どものころから物いじりが好きで、私より少し器用だと思います。今はソーラーシステムを自分で考えて、色々な部品をインターネットで買い揃え、蓄電した電気を使ったり、面白いことを楽しそうにやっています。まちづくりにも興味を持っていて、仲間といろいろなことをやっているようです。

 そろそろわが家でも代替わりの時期がやって来ました。親父の代が長かったため、私の代は短く、息子に受け継がれようとしています。まあこんな世襲もあるのでしょうが、願うことなら私以上の働きをして、わが家をワンランクアップして欲しいと願っています。

 

  「九十二の 親父に指図 されながら 囲い網など どうにかできる」

  「不器用な 俺は誰の子 親父の子? 時々思う 種の違いを」

  「親器用 俺は不器用 はて息子 どちらの血筋 引きてるのだろう」

  「さあこれで 鳥に食われる こともなし ブルーベリーの 木の実囲いて」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○この一週間

 松山市内に住んでいる小学校2年生の孫朋樹が熱が出て学校を休んだため介護を頼まれ、昨日また今度は孫尚樹が熱が出て、仕事のやりくりがつかないという娘の申し出を快く受け入れ、早朝7時娘のマンションへ行きました。午前10時に自宅で来客が予定されていたためかかりつけの小児科に連れて行って診察を受け、孫を乗せて高速道路を走って10時5分前に何とか自宅へ帰り、滑り込みセーフで来客を待たせることもなく綱渡りの仕事を終えました。

 思えば孫朋樹の介護から始まり孫尚樹の介護までのこの一週間は、東北地方を襲ったまぐにちゅーど9.0という観測史上例を見ない地震と、それに伴う10メートルを越えたという大津波、また最近は原子力発電所の相次ぐトラブルが発生し、暗くて重たい出来事ながら心に残る日々でした。テレビやラジオを付ければ全て震災関連のニュースだし、映し出される映像全てがまるでCG映画を見ているようで、余寒耐え難い寒さに震えながら今なお救助を待ったり、死亡や行方不明が選任を超える国家的異常事態に、大きな衝撃を受けています。

shin-1さんの日記
(新聞一面は津波10メートル)

shin-1さんの日記

(テレビ番組も全て大震災実況)
shin-1さんの日記
(新聞一面は福島原発事故)

shin-1さんの日記
(気仙沼の惨状写真)

 東北地方には友人知人も沢山いるし、その安否も気になるのでメールを入れても反応が返ってこない人のことを気にしながら一喜一憂しているのです。記憶に残したくない忌まわしい災害ながら、記録しなければ記憶されないという宮本常一の言葉を反芻しながら、この一週間の新聞を少しだけスクラップして、最小限の記録をしておこうと心に決めたものの、その量が膨大で何処から手をつけたらよいかも分からぬままなのです。


 それにしても気になるのは、原発事故のニュースです。本来なら人命優先の地震や津波に関する報道がされるべきなのに、政府も電力会社の引き起こした原発事故の対応ばかりに追われ、責任逃れに終始しているように見えるのです。計画停電などという言葉で電力を取り繕うとしていますが、病院で透析をしている人たちにとってみれば命にかかわることなのです。原発は安全だといい続けてきた政府と電力会社の責任は今後検証されることでしょうが、それにしても被災した人たちを救う手立てや、音信の途絶えた人たちへの対応も、気になるところです。


  「旧友の 音信訪ね 電話する むなしく響く 不通信号」

  「地獄絵の ような写真に 胸痛む 今宵再び 温度下がりて」

  「あの町を 確か通った ことあった 記憶微かに 思い出されて」

  「原発の 安全性は 音もなく 崩れて今後 どうなるのだろう」

[ この記事をシェアする ]