shin-1さんの日記

○起業のための作戦会議

 新春早々私の元に一本のメールが届き、「早々に逢って意見が聞きたい」と、新居浜の十亀さんから連絡がありました。この人は私に電光掲示板をくれた人なので、それ相応のお返しをしなければならないと、常日頃から考えていたので、快く逢うことにしました。

 最近は私も第一線を退いていることもあって、私設公民館「煙会所」や自宅の応接間へ案内することなど殆どせず、春から秋にかけては外の「夕観所」で、冬は私の書斎へまるで土足のような形で迎え入れているのです。年輪塾ネットの清水塾頭や松本小番頭、浜田塾生第1号などはそのことを百も承知で書斎の窓から入って、私の用意したお茶をすすりながら話し込むのです。


 新年早々新居浜からやって来た十亀さんは、紙袋に何やら沢山の模型を入れて持参し、それらを商品化するための助言を求めてきたのです。十亀さんはあるコンペで最優秀賞に輝き賞金100万円をゲットした凄い人なので、私のような田舎者の意見など取るに足らないのでしょうが、熱心にメモを取ったり意見を戦わせたりして帰って行きました。

 数日後十亀さんは、私の助言を取り入れて改良を重ね製品から商品への階段を駆け上がっていました。それでも私のような違った目で見ると改良の余地や新しいアイディアが見つかるもので、さらに改良を加えたアイディア商品として販売に一歩近づ懈怠と意気込んでいました。そして商品を売り込むための色々なプレゼンテーションの仕方も助言しました。

 そして今日、十亀さんは加藤さんや浜田さんと一緒にわが家を訪れ、起業に向け熱を帯びて大いに話し合いました。17年前シーサイド公園を整備した折、道の駅の管理運営のため第三セクターとはいいながら会社を起こした頃を懐かしく思い出しました。2千万円の資金調達、役員の選任や定款作成、商品開発と販売、職員の採用、経営などなど、今から思うとよくも一人でやったものだと感心するのです。その作戦から生まれたシュミレーションがかなり頭に当たり、黒字経営や5%の配当をする会社に成長したのですから、立派という他はないのです。今日の起業のための作戦会議は越えなければならない幾つものハードルを指摘しました。多分十亀さんはその指摘を分析して、次回はもっともっと成長することでしょうが、私も何だかワクワクしてきました。もう少し彼らと楽しい夢を共感・共有・共鳴したいと思いながら、次回の出会いまでの宿題を随分投げかけました。


  「儲かるか どうか分からぬ 夢語る 亀山社中の ような気がして」

  「共有が 共感・共鳴 しつつある 起業間近な 作戦会議」

  「書斎にて お茶をすすりて 夢語る 双海のことも 夢のまた夢」

  「電光の 掲示板さえ 今の俺 まるで宝の ように使いて」

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○島根県益田市へ日帰りの旅

 前の日の夜四国の最西端佐田三崎半島の平磯で、喜久家プロジェクトという若者活動を続けているグループの集まりがあって、夜遅く帰りながら早朝4時30分に起床し、急いで身支度を整えて、午前6時20分松山観光港発広島行きのフェリーに乗り込みました。

 近頃は春が近づきつつあることを実感するように、朝が来るのもだんだん早くなって、フェリーが出航する頃には対岸の島々もはっきり見えて来ました。本当は高速船で行けば1時間20分と、フェリーに比べると半分の時間で目的地へ着くのですが、高速船の運賃片道6900円、往復12800円はどう考えても高く、まるで新幹線並みの金額だと思うのです。フェリーに乗れば3200円と半値以下なので、3700円の差額だけでも相手に迷惑をかけまいと、いつもそんな貧乏人根性が働いてフェリーを利用するのです。でも本当は昨晩と今朝の寝不足をフェリーで休息をとり帳消しにしょうと思ったのです。

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 宇品へは10分ほど遅れて到着しました。宇品港へは真砂公民館の大庭館長さんたちが出迎えに来てくれていました。暫く来ない間に宇品の港近くまで高速道路が延伸して、インターチェンジも港の直ぐ傍なので、目的地の益田まで高速道路と一般道を使っても2時間程度で到着することが出来ました。途中の広島県と島根県の県境付近にはまだ1メートル近くの残雪があって、除雪機で切り取った垂直な雪の壁の中を走りました。

 この日は、国道191号沿線に位置する6つの公民館が輝ネットワークを組織して地域づくりに取り組んでいる人たちへのスキルアップ研修なのです。この組織へは毎年お邪魔をしているので顔見知りも多く、この日は落伍形式のお話をさせてもらいました。

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 講演が終わって再び宇品まで、今度は真砂の大庭館長さんに替わって東仙道公民館の館長さんが乗り込み、2時間もかけて送っていただきました。

 松山観光港発は7時、8時と1時間おきに高速船が出ます。逆に宇品からは4時30分、5時30分とこれまた1時間おきに船が出ます。3時過ぎに益田を出た私たちは職工20分前という絶妙な時間帯に到着し、夕闇迫る午後5時30分の船に乗ることが出来ました。瀬戸内海を赤く染め分けて沈む夕日はとても美しく、途中寄港した呉港での対岸には偽装工事のために停泊しているオレンジ色のタンカーが夕日に映えてとても綺麗でした。

 また音戸の瀬戸に架かる橋に替わって、一際高い位置に大きな橋が建設中で、間もなく完成することでしょう。

行く度に変化発展し続けている広島に比べ、対岸の愛媛松山は便利になったとはいえ、港界隈は関西汽船大阪航路の発着も姿を消し、どこか気が抜けたサイダーのような気もするのです。便利が全てだとは思いませんが、政治力や経済力という、私たちの手の届かないことの温度差に、多少落胆したような一日でした。

  「島根まで 日帰り旅行 便利なり 宮本常一 何と思うか」

  「中国の 山に分け入り 雪を見る 狭いといいつつ 日本も広い」

  「夕映えの 瀬戸内海は 美しい 水面に夕日 長く尾を引き」

  「経済や 政治力など 違うため 発展速度 月とスッポン」

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