shin-1さんの日記

○千本桜の森植樹終る

 昨年のこのごろ、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンテアグループでは、「千本桜の森プロジェクト」という新しい事業を思いつきました。一ヶ所100本を毎年3~4ヶ所づつ、合計3年間で十ヵ所桜の木を植栽しようという計画です。大野事務局長と戦略会議を重ねてグループ総会で提案了承され、準備を進めてきました。幸運にもえひめ地域政策研究センターのアシスト事業に応募採択されて、引くに引けないところへ追い込む戦術も相変わらずです。

 しかし桜の植樹時期は秋植えも可能ながらやはり春植えが一番なので、助成事業を担当するセンターの河野さんに進捗について、最後まですっかり気を揉ませてしまいました。それでも手を挙げてくれた愛南町内海地区、国立大洲青少年交流の家、大洲市柳沢田処地区、伊予市双海町下灘地区、伊予市中山町佐礼谷地区に桜の苗を配布し、先週の日曜日までにやっと念願の植栽を終えることが出来ました。

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(田処亀本さんからメールに添えて送られてきた写真)

 仕事や日程の都合で、私は地元下灘と佐礼谷しか参加することは出来ませんでしたが、大洲市柳沢田処の亀本さんからは写真を添えたメールやお礼の絵葉書を報告がてらいただきました。前年度廃校になった下灘中学校跡地運動場に12月19日に植えた桜も、今年で廃校になる大洲市田処小学校に植えた桜も、ある意味一抹の寂しさを感じましたが、これこそ21世紀えひめニューフロンティアグループが目指している、地域再生への願いなのです。平成の大合併以降日本全国の地方は急速の疲弊の坂道を転げ落ちています。桜を100本植えたくらいで地方が再生するとは思いませんが、それでも限界集落が増え、耕作放棄地が広がりつつある田舎をこのまま見過ごす訳には行かないのです。

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(新聞で紹介された佐礼谷の植樹の様子)

 先週の日曜日私は、早起きをして伊予市中山町佐礼谷村中の小さな公園に出かけました。公園といっても広場があるだけですが、集まっていた30人余りの顔ぶれを見て私は驚きました。その殆どの人は私と同年代若しくはそれ以上の人たちでしたが、隣町で知り人が多いのは当然ながら、集まってる人の殆どはかつて私たちと一緒に青年団活動をやった人たちなのです。伊予郡連合青年団の団長をしたこともある私ですが、あれからもう40年も経っているというのに、彼らははつらつと地域で活動しているのです。若い頃青年団活動で育まれた郷土愛やボランティア精神は多分死ぬまで行き続けるに違いないのです。

 日本の田舎を支え続けた青年団も消えて、集まった人たちのような清らかなふるさとを愛する心を育む場と機会は残念ながら少なくなりましたが、彼らが頑張る限り田舎はまだまだ復元可能なようです。


  「千本の 桜の森を 作ろうと 始めた事業 既に五ヶ所も」

  「先々で 出会う仲間の 嬉しさよ 青年団は 今も生きてる」

  「十年後 植えた桜の 木の下で 花見をしよう どんな姿で」

  「歳相応 若くはないと 言われるが 心の若さ 誰にも負けぬ」


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○梅の花咲く頃

 先週の日曜日は、親父の妹で松前町神崎に住んでいた伯母の一周忌法要のため、妻と二人で出かけました。この日は中山町佐礼谷村中で桜の植樹が計画されていて、21世紀えひめニューフロンティアグループの代表をしているため、ちょっとでも顔を出さなければならず、朝7時20分に自宅を出て1時間30分で法要出発までに帰ってくるという妻との約束で出かけたものですから、なんとも忙しい朝となりました。

 目論見どおり出発9時の10分前には帰宅し、急いで黒の礼服に着替えました。男とは便利なもので僅か10分で食事をしたり着替えたり、身支度を整えられるのです。

 法要は自宅で営まれ、私たちは20分前に到着したのに叔父さんやや叔母さんたち親類縁者は殆ど集まっていました。仏壇に線香や不祝儀を供え伯母の遺影を見ながら、あっという間に過ぎたこの一年の時の流れの速さを思いました。

 伯母の家は道元禅師に源をなす曹洞宗のようで、やがてやって来た若い副住職の約30分間の読経が朗々と流れ、短めの説教の後、折から降り出した小雨の中を近くのお寺の境内にある墓地まで歩き、線香を手向け法要は終りました。

 用意された料理を食べながら久しぶりに身内のみんなと顔を合わせ、会話を交わして1時間ばかりを過ごしました。親父の兄弟もそれぞれに歳をとって、やれ足腰や脛が痛い、やれ今度は誰の番?などと寂しく笑っていました。

 仏事の後ながら、私たち夫婦は新聞で紹介されていた伊予郡砥部町の七折梅祭りを見学しようと、前もって相談ができていました。こんなに近くなのに七折へはまだ一度も行ったことがないのです。カーナビで七折を入力して15分も走ると道の両側に梅祭りの幟や看板が幾つも立っていて、道に迷うこともなく到着しました。日曜日のことゆえ混雑を予想していましたが、早めに降り出した雨の影響でしょうか、駐車場も混んでなく、少し拍子抜けしたテント出店の法被を着た人たちも手持ち無沙汰といった感じのようでした。

 農道の入り口で入場料一人300円を払い梅林内に入ると、まあ見事な梅の花が咲いていました。傘を差した妻をモデルに手持ちのデジカメで何枚か撮影しながら園内を散策しましたが、雨もまたよし、モデルもまたよし、昼食後の運動によしといった感じで、妻は梅林の美しさに痛く感動した様子でした。

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(妻をモデルの七折梅林撮影会)

 入り口で、餅撒き会場で、また時にはすれ違う道々で、「あら若松さんじゃない」と声をかけられ、その度夫婦二人仲良く梅見をとの目論みは外れてしまいました。途中広場で餅撒きがあり、雨で少ない来園者のため、私たち夫婦は沢山餅を拾い、妻は大喜びでした。

 七折の梅は小梅系で地元ではすっかりブランド化され、春の梅の花、初夏の梅の取り入れなどは愛媛の風物詩となってすっかり季節の話題となっているようです。仏事がなければこの日は地元双海町で開催されている菜の花ウォークに参加するのですが、仏事のお陰で念願の七折の梅林を見ることが出来、帰宅後遊び半分で撮った写真をプリントアウトして妻にプレゼントをしてやりました。

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(明くる日の新聞に掲載された菜の花ウォークの新聞スクラップ)



  「念願の 七折梅を 訪ねけり 燃え立つような 色香楽しむ」

  「そこここで 声をかけられ その度に 妻は先行く 見学コース」

  「雨もよし 傘を差したる 妻モデル 梅に劣らぬ 写真の写り」

  「梅の香は 残念ながら 写真には 写らぬけれど 記憶しまいて」 

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