○春の佐田岬半島・その③(お菓子屋の三代目を訪ねる)
私にとって佐田岬半島は訪れる度に、青石の海岸や石垣、岬対岸の豊後佐賀関、珍根のあこう樹など自然豊かな魅力を感じる場所でもありますが、もう一つの魅力は何といっても私に繋がる心優しい人たちが住んでいることです。井野浦に住む塩崎満雄さんとは青年団時代からの交友ですし、平磯に住む浅野先生兄弟とも新しくて深い交流を続けています。指折り数えればきりがないほど多くの知人友人がいる隙間に、最近新しい友人が加わりました。その人の名前は田村義孝さんです。66歳の私にとって、私の年齢の半分ほどの田村さんは、ひょっとしたら岬半島では一番若い友人かも知れないのです。
田村さんとは何年か前一度名刺交換をしたことがありますが、その後お互いが忙しかったり別の道を進んでいることもあって出会うこともなく時が流れていました。ところが浅野先生の喜久家プロジェクトというブログを介してバーチャルの世界で急接近し、今ではコメントメールのやり取りをするまでに急接近しました。そして先日三崎中学校での私の講演会に参加して意見まで述べていただき、何としても田村さんの元へ表敬訪問をと考えていたのです。
田村さんは三崎二名津に住んでお菓子屋をやっている、今流に言えばパテシエです。自分で三代目と名乗っているので多分おじいさん、お父さんと続いたお菓子屋の跡取りだと思います。三崎町民会館で講演を頼まれたついでに国道を右折して二名津の集落へ入りました。
二名津は私が漁師をしていた若いころ、何度か冬の海に時化込まれて入港停泊した港町です。記憶の彼方にあるような賑わいはすっかり消えていましたが、港の近くに車を止めて辺りを散策していると、美しい中年の女性に「若松さんですよね」と声をかけられました。「エッこんな所で?」と驚きました。聞けばこの女性何年か前まで役場に勤めていたそうで、私の講演を聞いたことがあると言うのです。丁度12時ころだったので畑から昼休みで帰る途中のようでした。「田村さんなら私が連れて行ってあげましょう」と優しく先導までしてくれました。
コールタールを塗った黒い波型トタンの細い路地を通った所に田村菓子屋さんはありました。運よく三代目は家にいて、短い時間ながら立ち話をしました。バラ売りの饅頭を10個余り妻と親父への土産に買い求め、土産に雛豆までいただいて、先を急ぐからと早々に失礼をしました。
毎日忙しく全国を歩き、走り回る私にとって何よりの栄養剤は人間です。中にはインターネットで交信するだけのバーチャルな人もいますが、ちょっと勇気を出して出会えばバーチャルがリアルになってきます。田村さんはその典型で、これで田村さんとの交信はよりリアルな関係になることでしょう。
町歩きをしていると面白い物を発見する事だってあります。菓子屋さんの路地には何と水道の箱の中から楠の木が生えていました。ど根性庭木とでも命名したい思いました。また路地の隅には大きな四角い青石が標柱のように建っていました。何の目的なのか?、これも田村さんに聞いてみたいと後ろ髪を引かれる思いで二名津の集落を後にしました。(ハガキを書いたのに出すのを忘れて手渡ししてしまい、そのハガキが田村さんのブログで紹介されています。お恥ずかしい。)
「突然に 訪ね驚き 立ち話 土産雛豆 いただき帰る」
「ど根性の 庭木にょっきり 水道栓 始めて見ると これも驚き」
「その昔 漁師していた 若い頃 訪ね面影 すっかり消えて」
「バーチャルが リアル変身 いい出会い 思い出しつつ ブログしたため」