shin-1さんの日記

○押入れの収納スペースを倍にする大工仕事

 今月で定年退職する予定の親友浜田さんが先日人間牧場の掃除に来てくれました。忙しいスケジュールをこなしていて、最近掃除も行き届いていなかったので、助け舟とばかりに押入れの掃除をしました。部屋の中に押入れは二つありますが、一つは私の自著本「夕日徒然草」や16ミリ映写機などを収めています。もう一つトイレの前に押入れがあって、そこへは夏に使う手縫いの大きな蚊帳が袋詰めにして入れられていますが、この仕入れの背が高いため、収納スペースを倍に出来ないかと思案した結果、2段に知ることにしました。

 早速従兄弟で製材業を営む共栄木材の西下芳雄さんの工場へ三日前に出かけ、端材をいただいて帰りました。今日は午前中スケジュールが空いていたので、親父の端材置き場で適当な算木を見つけ、親父の仕事場に置いてある自動カンナで削ってもらい、軽四トラックに積んで人間牧場へ行き作業を行いました。

 先日浜田さんが掃除をしてくれた押入れの収納物を外に出し、持参した曲尺で寸法を取り、慎重に鋸で切り分けて材料を作り、電動ドリルでねじくぎで固定して行くのです。

 器用な親父の息子だというのに自称不器用な私のことゆえ、人が見れば笑うような発想で、午前中の1時間ほどであっという間に仕上がりました。自分で言うのもおこがましいのですが、今日の出来栄えは想像以上で、早速収納してみましたが、一段目は少し重たいものを入れ、二段目には軽いながら場所を取る手縫いの蚊帳がスッポリは入るようになりました。親父の使っている鋸と金槌、それに電動ドリルだけでこれ程いい仕事が出来るのですから、道具を持たせるともっといい仕事ができるかも知れないと、いささか手前味噌ながら自信を持ちました。

 本当は今日あたり畑の隅の落ち葉を入れた苗床に算木を組んでビニールをかける予定でしたが、北西の季節風が強まって、寒さが増してきたため、早々と午前中で引き上げてきました。

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(押入れを2段にした私の火曜大工の腕前)

 材料となる端材は貰ったからタダ、ネジ釘は100円と、出費は限りなくゼロに近く、私の労働力もサンデー毎日故に暇つぶし程度で、押入れの収納スペースが倍になりました。日曜大工ならぬ火曜大工の醍醐味を存分に味わったので、次は作業小屋の収納スペースの改造を計画したいと思っています。この作業は端材では出来ないため、ホームセンターで材料を買い求め、起用と思われる仲間の協力を得たいと思っています。

 今までは器用な親父を当てにして、私は手を汚さず評論家に甘んじていましたが、そろそろ独り立ちしなければなるまいと、肝に銘じた次第です。


  「不器用と 思っていたが 出来栄えは まんざらでもなし 自分を褒める」

  「不器用と 言われて自分 納得を していたけれど 起用片鱗」

  「百円の 出費で収納 倍になる 智恵・汗出せば 結果おのずと」

  「不便から 便利生まれる 智恵袋 次々夢が ふくらむものだ」 

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○愛媛県立松山工業高校の卒業式

 昨日は私が学校評議員を務めている愛媛県立松山工業高校の卒業式があり、小雨ぱらつく中を出かけて行きました。通称松工といわれるこの学校へは息子三人が在学中に、PTA役員(常任理事1年、副会長1年、会長6年)として8年間も通いました。その後も学校へ講演に出かけたり、OB会である真砂会の会長などをしたものですから、未だに足を洗うことが出来ず深い関係を保っているのです。

 学校に着くと玄関先の来賓用駐車場へ、そして校長室へ案内されました。校長さんとは顔馴染みですが、校長さんは面白い人で、正月3日に八幡浜から松山の自宅まで70キロを、12時間かけて走ったり歩いたそうです。その想いと実行力にはさすがの私もただただ脱帽でした。

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 来賓席は知事代理の清家図書館長さん、県議会議員は共産党の佐々木さんが来られていて、私たち学校評議委員もその横に席が用意され、少々面映い感じがしました。

 今年の卒業生は東京タワーの高さと同じ数字の333人でした。一人ひとりの名前が呼ばれる度に卒業生の大きな「はい」という返事が体育館いっぱいに響き渡り、とても気持ちのいい卒業式です。ブラスバンドの奏でるクラッシック音楽も爽やかで、式辞・祝辞・送辞・答辞も全て完璧でした。何よりも嬉しかったのは実業高校らしく333人の卒業生の中で3分の1の110人が3年間皆勤という快挙を成し遂げて表彰されたことでした。昔は学校へ行きたくても行けなかったのに、今は学校へ行きたくないのに学校がある時代だと、少々ネガティブなじだいなのに、この数字はやはり校長先生たち教師の教えをしっかりと守り通学した生徒たちの頑張りなのです。

 思えば私もえひめ丸沈没事故で脚光を浴びた愛媛県立宇和島水産高校を、今から半世紀近い47年も前に卒業していますが、卒業式では皆勤賞と優等賞、それに産業教育中央会表彰という三つの賞を貰い、今は亡き母と一緒に蒸気機関車に乗って宇和島を離れました。その時母が一番喜んでくれたのは3年間休まなかった皆勤賞でした。学校へ行くのは当たり前ですが、学校へ3年間休まず通うことは並大抵のことではありません。風邪も引くし、腹も痛くなるし、時には行きたくない事だって3年の間にはあるはずなのです。

 息子たちもみんな皆勤だったことを思うと、どうやらわが家は頭脳は凡人ながら、頑張りだけは若松家の伝統のようにも思えるのです。

 就職氷河期といいながら松工は就職率100パーセントです。最近は進学も4割強を締めるようになり、時代の変化を感じます。制服も学生服からブレザーに変わりました。学校の施設も随分立派になって、101回目の卒業式も無事終りました。間もなく入学試験の難関を合格した生徒たちが満開の桜の下をくぐって入学してくることでしょう。毎年繰り返される学校の年中行事を見届けながら、「思えば遠くへ来たもんだ」と、校歌「百錬鉄と鍛えつつ・・・」を聞きながらわが人生を思ったりしました。

 今月は学校評議員をしている由並小学校、双海中学校の卒業式もあり、スケジュールが許せる限り出かけようと思っています。

  「半世紀 前に卒業 したことが 脳裏をかすめ 思い出されて」

  「皆勤賞 取って亡き母 褒めてくれ 蒸気機関車 宇和島離れ」

  「答辞聞き 思わず涙 頬伝う 卒業式は 涙が似合う」

  「それぞれの 道に進んで 行く子らに 心からなる 大きな拍手」 

 

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