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○チョコレートが届く

 2月14日を明日に控え、私の元に手紙を添えたチョコレートが何個か郵便で届きました。この歳になって女性からチョコレートが届くなんて、ありえないことだと思っていただだけに、義理チョコにせよちょっとだけ嬉しくなりました。役所に勤めていたころは職場の女性たちから義理チョコを何個か貰っていましたが、それらは甘いものより辛いものを好む年代だったため、チョコレートの殆どは自分の子どもや近所の子どもたちに差し上げていたのです。今も日常はチョコレートなど余り食べませんが、この時とばかりに封を切りチョコレートを食べてみました。口の中いっぱいに甘さが広がり、これが恋の味なのかと思わず思ったりしました。

 普通愛の告白は男性が女性にするものですが、この日ばかりは意中の男性に女性がチョコレートに思いを込めて告白できるとあって、世の女性たちはチョコレートを手づくりしたり、デパートで買い求めたりして胸を焦がしながら贈るのです。貰った男性はそれが本命なのか義理なのか見極めなければなりませんが、はてさて恋の行方は果たしてどうなるのでしょうか。

 一昨日所用で松山へ行った帰り、スーパーへ立ち寄りました。スーパーの入り口付近にはバレンタインデーを当て込んで、チョコレート売り場が出来ていました。節分に恵方巻寿司を売っていた場所はきれいに片付けられてチョコレート売る場に変身していて、商魂逞しい姿を垣間見ました。


 2月14日は270年ごろ、ローマで殉教したテルニーの主教聖バレンティヌスの記念日です。ローマの異教の祭りと結びついて女性が男性に愛を告白する日とされるようになり、日本ではチョコレートを贈る風習が定着したようです。正式にはセント・バレンタインデーと呼ばれていますが、義理チョコにせよ貰った私は相手にお返しをしなければならないのです。毎年妻に頼んで買ってきてもらい送り返していますが、これも中々大変なようです。

 若い頃暇つぶしのためにパチンコ屋に入り、大入りした玉を全部チョコレートに買えて持ち帰り、4人の子どもたちが大喜びしたことを思い出しました。そういえばパチンコにももう20年近くも行っていないようです。チョコレートを見てバレンタインデーよりパチンコ屋を思い出す私はやはり古い時代の人間のようです。


  「チョコレート 届いて宛名 見て思う 嬉し恥ずかし この歳なりて」

  「チョコレート 見て思い出す パチンコ屋 俺も古いな そんなことしか」

  「封を切り チョコを一粒 口の中 恋の味とは こういうものか」

  「プレゼント 幾つなっても 嬉しくて ニヤニヤするな 妻が忠告」

 

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○子どもたちにお話をしました

 由並小学校の中尾先生から、小学4年生の授業でふるさとのことについて授業で話して欲しいと連絡が入りました。早速暇を見て学校へ出向き、18人の子どもたちから出されている質問項目をいただいて帰りました。質問事項は亥の子・本尊山・シーサイド公園・双海町という名前の由来・みかん畑・三島神社の二重門・由並小学校・きれいな海と夕日・お神楽・人と人とのふれいあい・夕やけこやけライン・商店街・上灘川・海など多岐に及んでいるため、双海町誌などで調べる間もなく、また約一時間程度では全てを詳しく話す余裕もないので、結局は知っている程度の浅はかな知識の切り売りとなってしまいました。

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 授業はシーサイド公園のイベントホールをお借りして行いました。子どもたちがどんな話をしたら興味を示すか、またとてもためになったと思えるような話をするため、いきなり町のシンボル的存在である本尊山の高さから話しました。

 日本で一番高い山富士山の高さは3776m、では本尊山の高さは何mでしょう。私は子どもころ双海町の名山の高さを壷神山クナイ(971m)、牛の峰山ヤクロー(896m)、黒山ナミオ(730m)、明神山ムサシ(634m)と覚えました。東京タワーは333mですが、新東京タワーといわれるスカイツリーは武蔵の国にあることから、ムサシ(634m)なんです。高野川の裏に聳える明神山の高さとスカイツリーが同じなんて、凄いですねーと話すと子どもたちはとても驚いた様子でした。

 私の話が一応終わると、全員から手が挙がって質問が相次ぎ、まるで蜂の巣をつついたような楽しい授業が出来ました。担任の先生も校長先生も私の話に驚いた様子で、漁協女性部の皆さんが差し入れしてくれたラヴじゃこ天を一枚ずついただいて美味しく食べて授業を終え、学校へ帰って行きました。

 学校へ質問事項を貰いに行った時、「あかね色に輝く街で」という由並小オリジナルソングの楽譜と歌詞、それにCDをいただいて帰りました。その折近々予定されているラジオ番組にハーモニカで参加しないか誘われましたが、自信がないのでお断りしました。その様子が先日の新聞に出ていたようでした。

 私は由並小学校の学校評議員をしています。一年に3度しかない会合にも忙しくて出席できなかったりしていますが、これからも子どもたちのためにできる支援をしたいと思っています。4年生の授業に参加してみると、児童の中には私が実行委員長を務める子ども体験塾に参加している顔見知りの子どもも多く、顔を覚えている子どもたちは「進ちゃん」と愛称で呼んでくれました。66歳になって「進ちゃん」と呼んでくれることはとても嬉しいことなのです。

 さあ今度はどんなオファーがかかることでしょう。楽しみです。


  「子どもらに ふるさと話す 手が挙がる 進ちゃん先生 頑張っちゃって」

  「俺にしか 出来ぬ話も あるはずと 毛並み変わった 出前の授業」

  「進ちゃんと 愛称呼んで くれる子ら 嬉しい出会い 今後も重ね」

  「差し入れに 貰った串刺し ラヴじゃこ天 町を愛する 心育てと」

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○身の程知らず金光教の研修会で講演 

 わが家の近所に天理教と金光教の教会があります。氏神崇拝の古い地域ですから天理教も金光教も、大変失礼な話ですがどちらかというと地域ではメジャーな宗教ではなく、一部の信者さんが信仰をしているようです。

 先日その金光教の若い神主さんから突然、「研修会で講演をして欲しい」と頼まれました。神主さんのことはよく知っていて、PTAや公民館活動にも熱心に参加したり、気軽に声をかけてもらっていたので、「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」と常々言っていることもあって、浅学を顧みず喜んでお引き受けすることになりました。

 この話が決まったことを妻に告げると、これまでお寺さんに関係する研修会に出かける度に、「そんな偉いところで何を話すの?」と不思議がった妻は、今回も同じような心配をしてくれました。確かに妻が言うように宗教を志すレベルの高い人たちに果たして無宗教な私の話は受け入れられるのだろうかと、少しだけ心配をしました。

 打ち合わせと称して先日関係者の方が自宅に見えられ、その人たちから色々なお話を聞きましたが、気張らず普通の気持ちで話そうと意を強くしたのです。


 昨日は神主さんが会場となる愛媛県生涯学習センターまで車で乗せて行ってくれるというので、お言葉に甘えて同乗させてもらいました。伊予インターから松山インターまで高速道路を走る道すがら色々なお話をしましたが、宗教を学んでいるだけあって問答も的確で、短い車内での会話時間ながら色々なことを学ばせていただきました。

 生涯学習センターの会場には沢山の信者さんが、この冬二番目の寒さで山々に雪を抱いているにもかかわらず満員のようでした。

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 予定は1時間20分でしたが、少し早く始まったので1時間25分も話させてもらいましたが、聞く耳の肥えた方々らしく会場の反応は抜群で、気持ちよく流れたようでした。子どもや孫と出会う約束をしていたため質疑応答を断わって、妻の迎えに来た車でおいとましましたが、行ってよかったとしみじみ思いました。

 神主さんは今時珍しい5人の子宝に恵まれていて、その子どもさんたちも人間牧場で行っている子ども体験塾に参加するなど伸び伸びと育っています。いい教育をしているなあと思いつつ、今朝も冬の強い季節風の吹く中を、散歩しながら金光教会の前を通り、昨日のお礼を込めて拍手と拝礼をさせてもらいました。

 (双海の金光さんで神主さんのホームページが開きます)


  「お父さん 何を話すの? 不思議がる 身の程知らず 請われるままに」

  「大勢の 信者の前で 気負わずに 平常保ち 爆笑時々」

  「どうだった 妻が心配 声かける 楽しかったと 本心話す」

  「人の世は いずこも同じ ものゆえに 心開かば 応えてくれる」

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○親馬鹿と馬鹿親は違うが同じようなもの

 よく使われる言葉に「親馬鹿」というのがあります。「わが子可愛さの余り、子どもの的確な評価が出来ないで、他人から見ると、愚かに思える行動をすること」を親馬鹿いうのですが、親や馬や鹿には大変失礼な話だが、親という字が前と後ろにつくだけで随分意味が違うのです。

 親から見れば子どもは不思議な動物です。何でも素直に言うことを聞いていた子どもが、成長するにしたがって反抗し始め、高校生や青年になると親の言うことなど聞かず、手に負えなくなるのです。親は仕方なく子どもの言いなりになって、携帯電話やゲームを買い与えたり、小遣いを渡すのです。物や金を与えることで子どもとの絆を深めようと思っているのでしょうが、愛情は物や金ではないことをしっかりとわきまえないと、どんどんエスカレートして量が増えてくるのです。


 高校生が進路を決める時期がやって来ました。最初から大学を目指す高校生も多いのですが、就職難ということもあってとりあえず専門学校や大学へ進学する高校生もかなりいるようです。それらの高校生にとって専門学校や大学は、「行きたくないのに学校がる」「親が行けというから仕方なく行く」存在のようで、余程親がしっかり見届けないと、誤った方向に行く可能性があるのです。

 高校生は今自由登校の時期のようです。3月には入ると間もなく卒業式が行われますが、それまでは車の免許を取ったり、友だと戸楽しい時間を過ごすのです。私の近所にも何人かそんな高校生がいるのですが、いち早く免許を取った高校生が昨日若葉マークをつけて新車を運転していました。見ればその車は軽四どころか三百万円を越えるスポーツタイプのデラックスな車でした。聞けば親が子どもの求めに応じ買い与えたそうですが、親は目を細め「親馬鹿」だと笑っていましたが、これは完全な「馬鹿親」のような気がするのです。

 目の冷めるようなピカピカのその車も、慣れていないためか未熟運転か分かりませんが、この一週間のならし運転であちこちに傷をつけてしまい、親もハラハラ・ドキドキの毎日だと聞きました。幸いブロック塀や電柱でこすったようですが、もしこれが人身事故だったらどうなるのだろうと、他人事ながら馬鹿親ぶりにあきれ返るのです。一方近くに住むもう一人の女の高校生は、高校を卒業すると松山のパン屋さんに就職が決まっていて、こちらも通勤のための準備に余念がないようです。この高校生は親と相談して軽四の可愛い車を買ったようです。この子に聞けば車は自分でローンを組み、月々の給料から一年をかけて支払うそうで、利口親・利口娘の典型のような姿に、思わず心の中で拍手を送りたい気持ちになりました。

 幸せには人に与えてもらう幸せ、自分で出来る幸せ、人に与える幸せがありますが、ものやお金を与えるだけの幸せは長続きしないことをしっかりと見極め、親馬鹿、馬鹿親にならぬようにしたいものです。


  「親馬鹿と 馬鹿親一字 違うけど どちらも同じ 五十歩百歩」

  「いい親は 子どもの自立 促して 見えぬ力で 一人立ちさせ」

  「間違いと 勘違いする 馬鹿親は 幸せの芽を 摘んでいるよう」 

  「就職が 決まって嬉し 女高生 しっかりしてる ローンで車」 

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○あれから10年

 
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(ハワイの慰霊碑)


 私の母校の船沈む

 悲しき出来事あってから

 早くも10年矢のように

 経って今年も思い出す


 沈んだ船はえひめ丸

 潜水艦にぶつかって

 海底深く沈んだが

 科学技術で浮上した


 探せど一人見つからず

 今も一人は海深く

 沈められたる船ともに

 10年海で過ごしたる

 船の沈んだ海見える

 ハワイの丘に記念碑が

 鎮魂祈り建てらて

 今年も遺族訪ねたる

 

 花と食飲好きだった

 ものなど供え香手向け

 祈り両手を合わせたる

 悔しさ滲む顔涙

 2月10日が来る度に

 心の傷がうずきだす

 えひめ丸事故10年は

 あっという間と人は言う

 遺族にとって10年は

 3650日の積み重ね

 辛いしんどい祈る日々

 これから先も続くだろう


 若い頃乗船経験した船は

 今頃何処にいるのだろう

 沈んだ船は四代目

 船こそ違え名は愛媛丸

 ああえひめ丸愛媛丸

 この名を聞く度思い出す

 この日が来る度思い出す

 その船の名はえひめ丸

  「10年が あっという間と 人は言う 記憶新たに 2月10日を」

  「消したいが 消してはならぬ 記憶ゆえ 語り継ぎたい 思い出したい」

  「えひめ丸 船の名前を 聞く度に 心がうずく 悲しみ新た」

  「知事代わり わが町名前 俺さえも 変わりし10年 激動でした」 

 

 

 

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○えひめ丸事故から10年

 私の母校である愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、ハワイ沖でアメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルと衝突して沈没し、9人の尊い命が奪われた世にいうえひめ丸事故が起ってから、昨日で10年を迎えました。昨日は朝から新聞やテレビがこのニュースを取り上げ、薄れ行く記憶や悲しみを新たに思い起こさせてくれました。

 遺族にとってはこれから先も癒えぬ悲しみと記憶だし、私のように母校の出来事や初代の愛媛丸に乗船し遥か南の珊瑚海まで航海した経験のある私にとっても、これまた一生忘れられない悲しい思い出なのです。

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 先日上のような一枚の挨拶状が私の元に届きました。愛媛県知事を三期務めた加戸守行さんが任期前に辞任し、選挙の結果前松山市長の中村時広さんが圧勝して就任されました。私ごとき一介の人間にこのような退任と就任の挨拶状が来ること自体、おこがましく感じ丁寧に受け取りましたが、加戸前知事にとってもえひめ丸事故は忘れられない思い出のようだし、新たに就任した中村知事さんにとっても県立高校だけに悲しみの輪の中に入らなければならないのです。

 中村知事さんは関係者に同行してハワイでの慰霊祭のため渡米し、昨日はその始終がテレビのニュースで流れました。また宇和島水産高校でも慰霊と鎮魂の集会が同時刻に持たれていました。

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(4代目えひめ丸)
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(五代目えひめ丸)  

 水産高校の先輩である玉井さんから先月、2月4日に愛媛大学で行われたえひめ丸事故10年の講演会に誘われたり、昨日の慰霊祭に誘われたりしましたが、残念ながら予定が立て込んでいて参加できませんでした。玉井さんは鎮魂歌「希望海」の作詞者であり、ハワイと母校に製作した慰霊碑のプロデューサーでもあるので、毎年事故のあった2月10日が来ると注目を集めるのですが、10年を期に区切りをつけたいとも話していました。

 玉井さんのように深く関わった訳でもないのに、私にとっても2月10日は忘れられない日でもあるのです。10年前のこの日は私の自著本「昇る夕日でまちづくり」の出版記念の日でした。その日私は南海放送本町会館で行われる出版記念パーティーの会場を飾るべく、特老夕なぎ荘の近くで菜の花を摘んでいました。

 自宅に持ち帰り青竹の中に挿していると、近所に住む姉悦子がやって来て、宇和島水産高校の実習船えひめ丸が沈没したとニュースで流れていると知らせてくれました。これは運命のいたずらだと思いました。寄りにも寄って愛媛丸(初代の船は漢字名)の写真も載せている私の本の出版記念の日に沈没するとは何事だろうと運命のいたずらを嘆いたものでした。

 当時56歳と若かった私も10年の時の流れの中で66歳となりました。身の回りも大きく変化して国では政権が自民党から民主党に政権が交代し、愛媛県も知事が変わり、私の町も平成の大合併で伊予郡双海町から伊予市双海町になりました。これからも時代はどんどん進んで変わって行くのでしょうが、事故のあった2月10日8時43分は私の生ある限り忘れられない思い出の一日なのです。

  「悲しみも 新た10年 えひめ丸 ハワイと愛媛 同時に慰霊」

  「皮肉にも 事故で有名 なる母校 複雑心境 2月10日は」

  「ゴルフして 事故の対応 遅れとり 総理世間の 風受け辞任」

  「10年は 人も社会も 俺までも 変えて流れる 大河の如く」

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○友人のお父さんのお悔やみに出かける

 毎朝日課のように朝食を取りながら新聞を読みます。「朝ごはんを食べる時くらい新聞を読むのは止めて欲しい」と再三妻から注意をされてきましたが、「馬の耳に念仏」「糠に釘」「馬耳東風」とばかりに無視して、「これは亭主の特権」と主張して昨日の朝も今朝も読んでいるのです。最近は妻も諦めているため、新聞の川柳欄などを読んでやり、二人で朝から大笑いしたりするのです。

 最近は歳をとったせいか新聞のお悔やみ欄に自然と目が行くようになって、亡くなった方々の年齢数字を見ながら、私と歳が前後する人の人生を思いながら、いよいよ自分の番が近づいたと思ったりするのです。


 先日フロンティアグループの総会で、友人のお父さんが亡くなったことを友人から聞いて知りました。母が亡くなった時葬儀に参列してもらっている義理もあるので、昨日は友人の実家のある西予市宇和町へ線香をあげに出かけました。カーナビでおおよその見当をつけ、目印となるカントリーエレベーター辺りに到着して友人の携帯誘導でどうにか辿り着きました。

 築30年余の紅柄塗りの民家は寒い冬の朝日に輝きとても立派に見えました。県庁を退職して5年近くが経っているため友人も私と同じサンデー毎日組なのですが、剣道をやっているため背筋はしゃんと伸びて、若さでは負けないと思っても、友人には少し後れを取っているようだと実感しました。

 亡くなった友人のお父さんは元高校の校長で、祭壇に供えられた弔辞を読ませていただきましたが、教育者らしく高潔な人だったようです。退職後地元の公民館長をしていたこともあって一度お目にかかったことがある遺影を懐かしく眺めながら線香を手向けて手を合わせました。私の親父より一つ若い91歳の生涯だったようです。

 奥さんも少々足が不自由なようですがしっかりと対応され、先生の思い出話をしてお暇をしました。この家には私の友人を含め3人の男の子どもがいるのですが、二人は東京近郊に住んでいて帰る当てはないようです。友人も今は独り身なのでここへ帰っておふくろさんと二人で暮らせばどんなにかいいのにと、助言をするのですが当の本人は私の言葉など何処吹く風のようでした。

 田舎に住むことは人が思うほど生易しいものではありません。近所付き合いという重い荷物も持たねばならないし、家や土地を守り墓を守ることもずっしりと肩にのしかかってくるのです。私は子どものころから長男というレッテルを貼られ、長男は家賀を継ぐものという長男教育を受けて育ちました。しかし私の妻はそのことにかなりの抵抗があったようです。今は諦めて長男の妻を演じていますが、わが家でも間もなく長男家族が帰って同居暮らしを始めるのです。長男息子も私と同じようなレッテルと教育を受けて育ったための決断でしょうが、長男の妻にとってはかなりのプレッシャーのようです。陰湿な嫁姑の関係だけは避け明るく暮らしたいたいと思っていますが、はてさて心配の種は尽きないようです。


  「歳とると お悔やみ欄が 気になって いよいよ順番 来たかと思う」

  「同じ歳 お悔やみ欄に 見つけたり 少し早死に 俺はまだまだ」

  「長男に 生まれて損と 思うより 得と思って 前向き生きる」

  「あの家も この家さえも 空き家とか 寂びしかりけり 家が泣いてる」 

 

 

 

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○地域伝統文化キッズ・カーニバルを観覧しませんか

 私のブログを読んでいる人はどんな人か、時々「読んだ」とコメントをいただく人は薄々知っていても、全ての人の名前や顔は知るよしもありません。ましてやアクセス数が毎日1000を前後する人をいちいち詮索する手立てもなく、成り行きに任せて読んでもらっている程度の理解しか出来ないのです。

 それでも知人友人などは出会う度に私の近況をブログ記事でつぶさに知っているため、「お父さんも元気そうで」とか、「その後腰の具合はいかがですか」とか、ブログを読まないと知りえない話題で大いに盛り上がったりするのです。

 昨日は「パソコンをいじっていて偶然あなたのブログに辿り着きました。懐かしくて思わず一気に読もうとしましたが、毎日更新している文章が長くてまだほんのさわりしか読んでいませんが」何て書き込みメールをいただいたりするのです。

 

 昨日旧友である大洲の徳永吉和さんから「地域伝統文化キッズ・カーニバルについて」という少し長めのメールが届きました。徳永さんはかつて彼が公民館に勤めていたころ知り合い、頼まれて講演に行ったり公民館の広報を送ってもらったり、時には人生のあり方についてお手紙を貰ったりして深いお付き合いをしている人です。市役所職員でありながら大洲青年会議所に所属してまちづくり活動をしていましたが、年齢資格の40歳を迎えて円満退会し、活動の矛先を天満区獅子舞保存会に向けて子どもたちの健全育成活動に力を注いでいるようで、さすがだと嬉しくなりました。

 地域の伝統文化や青少年の健全育成活動は骨の折れる仕事ですが、文面からは「50年ぶりに豆まき・さるつり・きつねの演目を復活させた」とか、来る2月27日にひめぎんホールにおいて開催される地域伝統文化キッズ・カーニバルに2番目で10時20分から出演します」とありました。


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 「地域伝統文化キッズ・カーニバルとといいながら、昨年はPR不足からか出演者のためのイベントみたいで観客席はガラガラでした」「ついては若松さんのブログで紹介して欲しい」というのです。私のブログがそれ程観客動員に寄与できるとは毛頭考えられません。しかしもし一人でも増えればと、彼の申し出を快く引き受け今朝のブログにこうして紹介しているのです。

 私はあいにくこの日、高知県大野見で行われる生涯学習推進大会の記念講演を引き受けていて、愛媛県を留守にしているため出席できませんが、早速知人や友人に電話をかけお誘いをしました。勿論わが孫にも見て欲しいと誘いましたが、これからワンプッシュするつもりです。このブログを読まれた皆さんで可能な方は是非見に行って欲しいと願っています。


 それにしても地域伝統文化を育てる活動は骨が折れますね。このイベントに参加するだけで車を借り上げたりすると何だかんだで10万円ものお金がかかるようです。晴れの舞台を経験させることは、子どもや育成する人たちの成長に欠かせない栄養剤のようなものなのですが、大きなリスクも伴うようです。でも金は天下の回り物ですから、何とか一つ一つの壁を乗り越えて欲しいと願っています。

 平成の大合併が一段落し、広域になったためふるさと意識がだんだん希薄になってきました。また市役所職員のふるさとを思う気持ちもトーンダウンしているようですが、徳永さんのように「足は野につき心は天に向かって開く」気概で、草の根の活動をしっかりとしている人がいることを頼もしく思っています。


  「いずこにも 地域根を張る 人ありて 支援したくて ブログ紹介」

  「まちむらの 地域文化で 育つ子は 大きくなっても ふるさと忘れず」

  「孫連れて いって見たいと 電話口 二人釣り上げ 少しお役に」

  「 


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○あなたのふるさと何処ですか?


 あなたのふるさと何処ですか?

 言われて愛媛・松山と

 幾つも枕に言葉添え

 説明したが通じずに

 悔しい思いをした私

 君のふるさと何処ですか?

 言われて伊予市の向こうです

 長浜こっちのそこら辺

 説明したが通じずに

 悔しい思いをした息子

 君のふるさと自慢何?

 言われて何にもないですと

 田舎嘆きの十ヶ条

 ぼそぼそ語るも通じずに

 悔しい思いの若人ら


 あれから二十の時流れ

 努力の甲斐あり花・夕日

 今じゃすっかり有名に

 自慢話に花が咲く

 俺がやったと胸を張る


 アメニモマケズ頑張った

 失敗めげず頑張った

 みんな仲良く頑張った

 昨日も今日も頑張った

 できた語り部・物語

 

 諦めないでよかったと

 しみじみ思う過ぎし日々

 夢は見るものできるもの

 今日はどんな夢見るか

 やればドリーム・ターゲット

  「東京で あなたふるさと 何処ですか? 言葉通じず 寂し思いを」

  「わが息子 自分の町を 語れずに 悔しい思い したと述懐」

  「双海町 今じゃ堂々 花夕日 語る言葉と 語り部ありて」

  「さあ次は 何を目玉に しようかと 思うが体 ついて行けずに」 

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○味噌が伊予柑に化けた

 人間牧場のかまど小屋が完成してから、ご飯に味噌汁、梅干と漬物というシンプルな日本食を推奨実践して二年余りが経ちました。かまどで炊いたご飯も味噌汁もすこぶる好評で、飽食の時代で不評と予想していただけに、その意外性には内心驚いているところです。

 廃品回収に出されそうになったアルミの鍋を、同級生女性の親から2個貰い受け、親父に頼んで鍋蓋、取っ手を作ってもらった鍋道具類も来客時にはフル創業で活躍してくれているのです。ただ惜しむらくは、かまどの焚口が2つしかないため、イベント時にはご飯を炊く羽釜と味噌汁を炊く鍋を交互に入れ替えなければならない苦労もありますが、まあそれくらいの作業を苦にしていては前へは進まないのです。

 味噌汁を作る時は基本的に煮干で出汁を取ります。間に合わない場合は止む無く出汁の素も使いますが、双海町は煮干の産地なのでその普及も大切な仕事だと思っています。最近の若者たちは面倒くさくて値段も高いゆえ煮干で出汁を取ることなど疎遠ですが、煮干で出汁を取った味噌汁はコクがあってとても美味しいと評判です。味噌汁の命は出汁と味噌ですが、味噌は「裏が味噌」のコマーシャル名刺ですっかり有名になったギノー味噌を使っています。この味噌は愛媛県が全国一の裸麦を原料にした麦味噌です。大豆や米を使った味噌とは食味が違いますが、煮干とよく合うのです。味噌汁には必ず豆腐とワカメ、それにネギというこれまたシンプルな具財なのにとても美味しいのです。

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 一昨日は子ども体験塾の事務局をしている赤石さんを誘い、先日苗床に踏み込んだ落ち葉の上に透明なビニールをかける作業をしました。米ぬかと油粕をばら撒き水分を与えていた落ち葉はこのところの陽気で発酵が始まっているようで、落ち葉の上に手を当てると地熱のような温かさを感じるようになっていました。

 この日、人間牧場での子どもたちのイベントの度に蜜柑類を差し入れしてもらう近所の西嶋さんが、親子で伊予柑の選別出荷作業を家の前でしていました。持ち合わせていたギノー味噌からいただいた麦味噌を3袋ほど訳を言って差し上げました。奥さんは大層喜ばれ選別中の伊予柑をキャリーに一箱くれました。伊予柑は妻も子どもも大好物で早速持ち帰り食べましたが、味といい香りといい最高でした。

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 ビニールを被せる作業が予想以上に早く終わったので、今月末に予定している千本桜の森プロジェクトで植える桜の杭にする竹を切りに唐崎まで出かけました。道上の竹林に入り、私がころあいな竹を切って道へ落とすと、赤石さんが鎌で枝葉を落とすという連携で、瞬く間に80本近くの竹杭ができました。私と赤石さんの竹杭を確保する役割はこれで終り、あとは26日の当日皆と一緒に桜の苗木を植樹するだけなのです。

 忙しい合間を縫って春を迎える作業は急ピッチで進んでいます。味噌が化けた太陽の恵み伊予柑でビタミンCを補給しながら、季節の変わり目を楽しみたいと思っています。

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 「麦味噌が 伊予柑化ける 田舎道 春はそこまで 来ているようだ」

  「苗床の 落ち葉かすかに 熱がする 早くも発酵 目論見どおり」

  「苗床の 落ち葉ビニール 布団かけ 温かくして 発酵促す」

  「杭用の 竹を山から 切り出して 背丈に揃え 切りて束ねる」

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