shin-1さんの日記

○論語を読む⑩

 有朋自遠方来 不亦楽乎(学而第一)

 今朝の論語一読は「朋有り遠方より来たる亦楽しからずや」です。友だちがひょっこり遠くから訪ねてきました。こんな楽しいことはない」という意味です。私は仕事柄毎日色々な人に出会います。しかしその殆どは一回ポッキリで出会わない人が多いのですが、中には回を重ねて深い付き合いをしたりする人もいるのです。中には遠方ゆえ出会わなくても、年賀状のやり取りやメールなどで消息を確かめ合っている人もいて、人の縁の不思議さを噛みしめているのです。

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 昨日広島へ出張していたら出張先へ市役所地域事務所に勤める友人の松本さんから携帯電話が入りました。聞けば若松進一さんの電話番号が知りたいと連絡が入ったそうです。最近は個人情報などという難しい時代なので、相手の電話番号を聞いたらしく、私にその人に連絡するようにとのことでした。

 昨日は帰りが遅く相手先に電話をかける暇がなかったので、今朝電話をかけました。その人は大阪枚方に住む松岡さんという方で、ご主人も奥さんも双海町出身です。縁あって私と私の姉が仲人をした人でした。もう30年も前の出来事でしたが、お互いが懐かしくお互いの近況を語り合いました。

 論語のように遠方から朋が来るのも楽しいものですが、何十年かぶりに声を聞くこともかれまた嬉しい限りです。聞けばこちらには親類もあってお目出度お悔やみなどで時々帰っているようですが、今度帰った時は訪ねて行きたいと言って電話を切りました。田舎を出て都会で暮らしていると、時々ふるさとのことが思い出されるようです。特に年齢を重ねると望郷の念は募るらしく、夢に見る事だってあると述懐していました。いつかは分かりませんが、次に帰郷した時はこの論語の言葉を噛みしめることでしょう。

 今朝人間牧場へやって来た人も30年前に、わが家の横の私設公民館煙会所でお酒を飲んだことがあるそうで、煙会所から人間牧場へと進化した私の姿を見て驚いていました。西ノ島といい、四万十市といい、また今日の訪ね人といい「朋有り遠方より来る亦楽しからずや」でした。


  「遠方の 友より電話 懐かしく 過ぎ越し日々を 思い出しつつ」

  「書斎壁 吊るした論語 カレンダー 日々眺めつつ 納得しきり」

  「論語読み 論語を知らず ええ加減 注釈つけて 自分納得」

  「論語の字 パソコン探す 苦労する 浅学わが身 恥じつ検索」 

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○大型タイプの中型バスで人間牧場へ 

 一昨日は幡社連といわれる高知県幡多地域の社会教育委員さんが15名、双海町へ視察にやって来ました。視察の目的は人間牧場と双海町社会教育関係者との交流なのですが、私が高知県四万十市中村の幡社連へ講演に出かけたよしみでの来訪となったのです。事務局をしている教育事務所の社会教育主事さんから電話で視察研修の申し込みがあった時、「人間牧場へ通じる道は狭いので、くれぐれも中型以下の小さいバスで来るように」と、前もって釘を刺していたのに、待ち合わせ場所である下灘コミュニティセンター前に現れたのは、大型タイプの中型で、はてさてあの狭い道を通るだろうかと心配しました。

 本来なら私は軽四トラックで先導するのですが、席に少し余裕があったこともあったし、バスが通るか心配だったのでバスに乗せてもらって山道を進みました。道沿いには何ヶ所か道の上を潅水用のパイプが空中を通っていて、それらが屋根につかえはしないか心配しながら恐る恐る進みました。この時期周囲の雑草も茂っていないので、冷や冷やしながらどうにか通ることが出来ました。

 市道にバスを止め、天気もよく多少年齢が高そうに見えるものの、歩いてもらうことにしました。人間牧場への道は急な坂道なので、時々歩くのが不自由な人もいるのでこれまた心配の種は尽きないのです。

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 研修時間は僅か1時間余りなので、急いで説明や見学をしないと昼食や交流プログラムに支障があっては大変と、急ぎ足で話をさせてもらいましたが、参加した皆さんは私の話に熱心に耳を傾けてくれました。また自著本夕日徒然草も何冊か買っていただき嬉しい限りでした。

 この日は春霞というのでしょうか、自慢の遠望が効かず瀬戸内の島々は見えませんでしたが、日ごろ太平洋しか見ていない人たちにとって穏やかな春の凪いだオーシャンビューの海は、心癒されたようです。このところの陽気で咲き始めた梅林の梅の花がほのかに春を感じさせてくれました。


 春の訪れとともに人間牧場へも連日沢山の人がやって来て、その度に私は狭い道を軽四トラックに乗って行ったり来たりしています。牧場近くに住む人たちは私の奇妙な行動に首をかしげています。「何でこんな僻地に人が来るのだろう」と・・・・。一昨日のように大型的中型観光バスなどを見るとそれはもう驚きの連続で、まるでお遍路さんのお寺参りのようだと表現する人もいるほどです。「人でも仕事でも愛する所に集まってくる」というのが私の持論ですが、当分視察者の受け入れは続きそうな雲行きです。

 京も早朝3人の視察者が朝早く遠方からやって来ます。今日は10時30分から松山でコープえひめの理事会があって出かけなければならないので、私の予定に合わせてもらいました。これから出かけます。


  「こんなとこ 何で来るのと 不思議がる 来る意味ありて 人は訪ねる」

  「くれぐれも 小さなバスで 来て欲しい 言っていたのに ハラハラバスで」

  「急な坂 上り下りする 息荒く 人間牧場 自然溶け込む」

  「瀬戸内と 太平洋を 比較する 海は海でも 感触違う」


 

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○親父と二人でジャガイモの植え付け

 「椿さんが終わるとジャガイモを植えなさい」と死んだ母から聞いていた言葉が耳についていて、昨日は夕方親父と二人で家庭菜園に出てジャガイモの植え付けをしました。まず何処得植えるかで親父と意見が食い違い、畝の巾がやれ狭いやれ広いと意見が食い違い、今年も親子が他愛ない主張を述べ合い、結局は息子の私が折れて、親父の言うとおりに作業を進めました。

 まず予定した畑に牛糞を撒いて、倉庫から取り出した耕運機で畑を中耕するのです。親父が丹念に草を引いてくれていたお陰で中耕は思いのほか早く終わりました。さあ畝立てです。92歳の親父はいつも腰が痛いといっていますが、畝立ては自分が糸の定規を引いて真っ直ぐにしないと気がすまないので、私はその間少し大きめのに種芋をまな板の上に置き包丁で切りました。

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(行儀よく並べて植えられたジャガイモ)

 今年は男爵を5キロ、メークインを3キロ、キタアカリを3キロと、合計11キロも種芋を用意しました。先週松山へ行った折ダイキで買い求めていたので、準備は万端です。やがて親父の畝立ても終りそこへ定規で計って一戸づつ植えて行くのですが、と梅で見ていた親父は「曲がりよる」とか、「もっと深く」とか、いちいち文句を言うのです。まあ年寄りの言うことなので、目くじらを立てることもなく親父の指図に従って2時間ほどで10列に種芋を植え終わりました。

 種芋を植え終わった場所が分からなくなると草引きや施肥に支障が出るので、種芋を植えた場所には籾殻を置きました。作業中親父は間もなく始まるであろう日課のように毎日見ている水戸黄門が、テレビで放映される時間が気になるらしく、さっさと引き上げてしまいました。

 私にとっては好都合で、親父のいなくなった畑で畝を調整したり道具類や耕運機を片付けたりしました。


 親父も92歳の冬を寒い寒いといいながら、どうにかこの冬を風邪を引くこともなく乗り切りました。年寄りにとっては昨年の夏の暑さも、今年の冬の寒さも体には堪えたようでした。夏が来たら冬がいいといい、冬が来ると夏がいいと、相変わらずわがままなことを言っていますが、ブログに毎年のように書いている記事に添えた親父の写真を見ると、少し衰えを感じさせますが、まあ今年も4ヶ月ほど後には、親父と二人で元気にジャガイモを掘って食べたいものだと思っています。

 去年掘って倉庫に保存していたジャガイモは、このところの陽気で芽が出て食べられなくなり、仕方なく親父は出しの度に少しずつゴミとして片付けているようです。

  「親と子が ああでもこうでも ないなどと 他愛ないこと ぶつけ合いつつ」

  「ジャガイモを 半分に切り 土の中 埋めて籾殻 置いて終わりぬ」

  「もうそんな 時期が来たかと 今年又 季節めぐりの 早さ実感」

  「俺よりも 作業効率 いい親父 言われるままに しぶしぶやりぬ」

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○手持ち無沙汰で金次郎のハガキを20枚書きました

 しまなみ海道を渡って尾道市御調町へ行くため、昨晩はいつもより少し早めに床に就きました。馴れないことはしない方がよかったのか、今朝は3時過ぎに目が覚めてしまいました。一応4時に起きてブログを2本書いて出発する予定だったので、ブログを書き始めようとアメーバブログの「記事を書く」を呼び出すと、何と今日は午前2時から午前8時までメンテナンスで、アクセスが出来なくなっていました。折角早く起きたのにウーン残念と思いながら、それじゃあとハガキを午前6時までに20枚も書いてしまいました。「誰に書いたのかって?」、そりゃあ日ごろお世話になっている全国の人です。

 このところ年輪塾のメンバーは、清水塾頭の緻密な計画に基づいて、県内の学校の二宮金次郎の銅像調査が始まり、私もその片棒を担いで伊予市・伊予郡・上浮穴郡などの学校へ電話をかけて銅像の有無などの予備調査に加わりました。

 その予備調査も皆さんのご協力でどうにか終りいよいよ本調査に入るのですが、忙しくて年輪塾に参加できなかった人にとって見れば寝耳に水のところもあって多少混乱しましたが、まあ何とかみんなの力でスタートできそうなのでホッとしているところです。

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(貴重な記録として残っている下灘小学校の二宮金次郎像)

 そんなこともあって、今日皆さんに書いたハガキには、私の母校下灘小学校の校庭にかつてあったが今はない二宮金次郎の銅像の写真をプリントアウトしました。私は子どものころ金次郎がどんな本を読んでいるか調べたくてこの写真の台座に上がったのです。運悪く傍を通りかかった校長先生に叱られ校長室に連れて行かれました。そして約一時間正座のお仕置きをされました。

 今思うと懐かしい思い出ですが、校長先生は「二宮金次郎の読んでいる本にはいろはにほへとと書いている」と私に間違ったことを教えたのです。まあその先生も冥土へ旅立っているので余り深くは詮索しないでおきましょう。

 一日のリズムは大切です。朝からリズムが狂うと調子が変になるのです。朝早く起きたこともあって、広島へは少し早めに出発しました。普通は休みもせず一気に走るのですが、今日はしまなみ海道をのんびりゆっくり走りました。2~3日前に三次市川西地区へ行く時走った道なので、スムーズだったものの、やはりどこかリズムが狂っていました。偶然瀬戸田のサービスエリアで知人の女性たちに出会いました。5人で遊びに行く途中だとか、いつもより少し濃い目の化粧をして少し着飾り、何処か品があるように振舞っていましたが、中身は一緒だと一人思い出し笑いをしてしまいました。


  「この写真 なくんば俺の 記憶など 当てにならぬと まざまざ見つめ」

  「金次郎 学校改築 その折に 壊されなくす 返す返すも」

  「学校は 良くも悪くも 飲み込んで 記憶の彼方 薄れ行くもの」

  「二十枚 一気にハガキ 書き上げて ポスト投函 旅の途中で」

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○自著本「夕日徒然草」の販売好調

 高知県奈半利町に住む坂本利男さんから贈られた、馬路村産の150年生魚簗瀬杉の切り株を、親父が座卓風に仕上げてくれたのは5年前です。その座卓を人間牧場・水平線の家に持ち込んで少しの間座卓として使っていましたが、いつの間にか座卓の上に座布団を敷き高座として使うようになり、私の新しい挑戦が始まりました。年輪にあやかり150話の落伍小話を作り、地の書・水の書・火の書・風の書・空の書という5冊の自著本にまとめること、さらにはその150話を即興で小話できるようにすることを考え付いたのです。

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 この構想は現在3冊を発刊して外から見れば順調そうに見えますが、どうしてどうしてこれがかなり重い自分へのプレッシャーとなって私を悩ませているのです。最初から私の構想に同調して構成や校正を快く担当してくれている年輪塾清水塾頭や、印刷製本を担当してくれている村上太さんとは最初からの腐れ縁なので、多分後2冊の出版までは付き合ってくれるものと期待をしていますが、私がちょっと気を許してしまったため、肝心の販売が疎かになってしまい深く反省しているのです。

 一冊目の地の書は目論見どおり1年間で1000冊を完売しました。二冊目の水の書も最初は順調でしたが、その後すっかり販売することを忘れてしまって、少し気合を入れなければこの本の売り上げで人間牧場を運営するという目論見が崩れてしまう恐れがあるのです。

 そこで今年は講演に行く際や人間牧場へやって来る人に少しだけワンコインの協力を求めることにしました。そんな矢先の先週、私は一泊二日で広島へ行きました。みづま工房と平田観光農園の平田会長さんが主宰する研究会の二次会でこの話が話題になり、参加した11人全員が前金で3冊ずつ買ってくれたのです。また明くる日三次市川西地区で行われた落伍独演会でも福永館長さんのご配慮により33冊もお買い上げをいただきました。


 今日は高知県西部教育事務所の松下先生が引率して人間牧場へ視察にやって来られ、その折も皆さんに購入をしていただきました。この3日で8冊も販売できたのです。私はこの本代を原資にして人間牧場で様々なボランティア活動をしています。ワンコインの本題など高が知れていますが、それでも全国の皆さんのご芳志でこうして活動が出来るのですから嬉しいことです。関係の皆さんに厚くお礼を申し上げます。

 この上は性根を入れて風の書と空の書の原稿執筆をしなければなりませんが、あと60話はかなり骨が折れるようです。話芸にも磨きをかけなければなりません。忙しい日々が続きます。

  「三冊の 自著本売って 資金にと 始めたものの すっかり忘れて」

  「ワンコイン 気安いからか 買ってくれ 最近だけで 百冊近く」

  「売り上げで ボランティアする アイディアも 何とか黒字 収支収まる」

  「落伍本 書いて喋って 売り歩く 中々骨の 折れる仕事だ」

  

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○昭和は遠くなりにけり

 小中学校と音楽が苦手だった私が、ひょんなことから息子が学校で使っていた僅か15穴の小さなハーモニカを手に入れ、吹き始めてからあっという間に10年余りが経ちました。今では努力の甲斐あって、下手糞のそしりを免れないながら200曲もの歌が吹けるのですから、オリンピックマラソンでメダルを取った有森有子さん流に言えば、自分で自分を褒めてやりたいような心境なのです。

 

 今では臆目もなくテレビショッピングで妻が買ってくれた2本のハーモニカを、妻手づくりのアサギ模様の袋に入れて、愛用の木になるカバンに忍ばせて持ち歩き、興が乗れば講演などと組み合わせて全国各地で吹いているのです。残念ながら楽譜を貰っても未だに読むことが出来ず、もっぱら体感音楽とでもいうのでしょうか、歌を口ずさみながらハーモニカでなぞるように吹いているのです。

 昨日は翠小学校の学習発表会でで、「クレア&香」のコンサートが予定されていたのに出演者が体調不良でキャンセルし、私が代理登板することになりました。今の小学生の知っている歌など残念ながら私は知りません。多分童謡くらいは知っているだろうと安易な気持ちで吹ける歌を頭に描いて望みましたが、会場には21人の小さな学校ながら大勢の観客が集まっていて、その人たちを意識した歌も織り交ぜながら吹きました。

 昨日の夜、最近のテレビ番組は夜になるとバラエティー番組がやたらと多く、つまらないものですから、妻が録画している「後世に残したい歌四時間スペシャル」を妻と二人でリラックスしながら視聴しました。戦後はやった歌の数々を見覚えのある懐かしい歌手が歌うのですが、昭和は遠くなりにけりといわれるほどに懐かしく、私も妻もいつしかテレビから流れる歌に合わせてがなり声を上げて歌っていました。

 テレビの番組から歌謡番組の殆どが消えました。これも視聴率を意識しての世の中の流れでしょうが、私たち昭和生まれの人間にとってはもう歌の世界は遠い思い出にしかないようです。ハーモニカを吹くようになったお陰で古い歌を思い出し、時々陶酔するように吹いては昔を思い出していますが、美空ひばりや石原裕次郎など時代を駆け抜けあの世に旅立った人の歌をハーモニカで吹くと、心を揺さぶられる様な錯覚に浸るのです。

 自分はまだ若いと思うこと自体古くなった証拠なのですが、私は人がどうであれ、人に何と言われようとこれからも暇があれば、記憶に残る私の歌のアルバムをめくりながらハーモニカを練習したいと思っています。たった20センチほどのポケットに入るような小さな楽器ですが、ハーモニカは私の心を揺さぶる不思議な音色を奏でてくれます。もう一度性根を入れて練習して、やがては音楽家、芸術家ならぬハーモニ家を目指したいものです。

  「ハーモニカ 吹く度昭和 思い出す 次第に遠く なり行く記憶」

  「近頃の テレビ番組 バラエティ 多くなり過ぎ 見るものなくて」

  「録画した 歌を聞きつつ 口ずさむ 時には歌手に なった気分で」

  「長崎の 鐘という歌 藤山さん 歌った歌を ハーモニカで吹く」

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○しんちゃんのハーモニカコンサート

 数日前、翠小学校の和田校長先生から「若松さん、2月20日は空いてない?」と電話がかかってきました。「私は18日~20日まで広島へ出張しています」と答えると、「その出張は何時に帰るの?」と食い下がられました。聞けば「学習発表会に予定していた『クレア&香コンサート』が先方の都合により止む無く中止になり、学習発表会の性格から誰か代理をと考えているので、何とか代理でハーモニカを吹いてくれないか」という相談でした。急遽私のカンピューターを働かせて逆算し、朝早く出れば何とかなるとなりふり構わず、「そりゃあお困りでしょう」と安請け合いをしてしまったのです。

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(私のショートなトークもよく聞いてくれました)

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(赤とんぼのプレゼントに子どもたちも大喜びでした)

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(私のハーモニカ演奏)

 引き受けた後でよくよく考えてみると人の真似に出ることはへっちゃらなのですが、人の前でハーモニカを吹くなどという大それたことを何故引き受けたのだろうと後悔しましたが後の祭りです。当日の今日まで何日か日はあったのですが、この一週間はとても忙しくてハーモニカの練習をする暇などありませんでした。車で帰りの道すがらどんな曲を吹こうか迷いながら帰り、急いで着替えて取るものもとりあえずエコバッグに詰め込んで翠小学校へ出かけました。校長先生は運動場に出て私を出迎え、「少し早く発表会が進行しています。10分切り上げますので宜しく」とこれまた私をせかすのです。

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(みんなでふるさとと赤とんぼを合唱しました)

 お茶をいただいて早速音楽室・ランチルームへ入り取るものもとりあえず準備をして早速コンサートは始まりました。前に座った21人の児童たちと観客で満員の人たちの前で、臆目もなく私はハーモニカ演奏にトークを加えて40分余りの持ち時間をこなしました。

 私が吹いた歌はふるさと、赤とんぼ、ぎんぎんぎらぎら、夕焼けこやけ、みかんの花咲く丘、母さんの歌などの童謡に加え、竹田の子守唄、五木の子守唄、四季の歌、星影のワルツ、北国の春、ふたみ音頭、寅さんの歌、巨人の星、金次郎の歌などなどバラエティに富んでいました。時々間違って吹いたりもしましたが、まあ素人のことゆえお許しをいただいたようです。

 手持ち無沙汰な子どもたちに元上灘中学校長窪田先生に作ってもらった竹の赤とんぼをプレゼントしてやり、木を引きつけたお陰で子どもたちもみんなよく話を聞いてくれました。今日は元校長の長岡先生や学校のエコ改修工事に携わった建築関係の人たちも大勢訪れてみんなでふるさとと赤とんぼの歌を大合唱しました。エコ改修ですっかり生まれ変わった音楽室内に歌声とハーモニカの音色が優しく響き、まるでメルヘンの世界を連想させてくれました。

 私のハーモニカももっと練習しないと人様に聞かせることは出来ないと、恥をかいたことを悔やみましたが、私にとっても、またこの春でこの学校を最後に校長を退職するであろう和田先生にとっても、また6年生の卒業予定者にとっても忘れられない思い出となったことでしょう。今日は言い一日を過ごすことが出来ました。校長先生ありがとう。


  「しんちゃんと いきなり子ども 声かける 阿吽の呼吸 これで十分」

  「やくもまあ そんなに下手な ハーモニカ 恥ずかしがらず やれるもんだな」

  「トークショー これが私の 自己流と 40分間 あっという間に」

  「もう少し しっかり練習 しなければ 心に誓い 反省しきり」

 

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○人間牧場へ西ノ島の南さんたちがやって来ました

 双海町役場を退職してはや6年が終わろうというのに、私の元へは相変わらず連日のように日本全国から大勢の視察者がやって来ます。その人たちを分類すると、私の生い立ちそのままに、①まちづくり関係者、②生涯学習関係者が圧倒的に多いのですが、中には③人間の生き方などに関するものまであって、巾が広く奥が深いのです。私は請われるままにその人たちを誰彼と隔てなく、自分の時間の許す限り迎え入れ、時には人間牧場へ、時には自宅にまで引き入れてお話をしています。リタイアして正業とてない自由な身の私なのですが、講演などで結構忙しく、その空いた日を選んで人々はやって来るので、商工会からいただいた大型の手帳には、妻が感心するくらい結構スケジュールが詰まっているのです。

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 そんな私の詰まった間隙を縫って、島根県隠岐の島・西ノ島町の南さんたち一行5人が研修にやって来ました。役場に勤める若い南さんとは西ノ島町議会議員角市さんの招きで昨年10月に西ノ島町へ講演に行った時知り合い、意気投合して深い付き合いを重ねているのです。南さんは来春4月から3年間、住み慣れた島を離れ島根県へ出向することが内々決まっているようで、それだったら私の町に同じように3年間えひめ地域政策研究センターへ出向して勉強してきたモデルのような人がいるからと、市役所の松本さんと引き会わせることを約束していたのです。

 南さんは他の3人の若者と一緒にやって来ました。合流した坂出市役所の人を連れ立って18日に来ることが決まってから、私のスケジュールが少し狂い始め、結局は私が広島へ行かなければならなくなったため、午前中だけしか対応が出来ず、松本さんに無理を言って後の世話をお願いしたのです。

 南さんたちは前日まで高知県馬路村へ立ち寄って勉強をしていましたが、私の予定に合わせるため早朝に高知県を出て、8時30分過ぎには双海町へ到着してくれました。私が若いころは夜討ち朝駆けをモットーに勉強したと、少々無理難題とも思える日程を強要してしまったことを今は少し後悔しているところです。

 彼らの研修会には年輪塾塾生第1号の浜田さんや、ミミックプロモーションの十亀さん、地域事務所の赤尾さんも参加して賑やかな研修となりました。研修にやって来た南さんたちもさることながら、迎える私たちにとっても交流で得る人の縁と知恵は今後の人生において大きな力になるはずなのです。

 明くる日出張先の広島から松本さんにその後の様子を伺ったところ、米湊さんや中尾さん、西岡さんなども加わっていい研修や交流が出来たようでホッとしました。


 人は異文化ギャップによって成長するものです。私自身も高校生の時遠洋航海で地球の丸さを体感し、青年時代に建国200年のアメリカで盛会地図の真ん中に日本のない世界地図をみてカルチャーショックを受けたものです。南さんと松本さんとの出会いが新しい時代の幕を開けてくれることを祈っています。

 この日十亀さんは隠岐の島から南さんたち来るというので、観光ブースの提案模型を持参して、人間牧場でショートなプレゼンテーションをやってくれました。これには南さんや観光に携わる若者たちも度肝を抜かれたようで、これまた次なる発展を予感しているようでした。


  「親友が 縁で知り会い 修行来る 若者たちの 未来に拍手」

  「俺だって 若い頃には 修行旅 幾つも重ね 自分育てた」

  「三年間 たかが三年 いうけれど されど三年 心育てて」

  「隠岐の島 私と同じ 風の人 何処か気があい 何処か気になる」   


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○今日は川西コミュニティセンターで落伍をやりました

 昨日に続いて今日は広島県三次市で講演が予定されているため、朝9時前にホテルを出ました。平田農園の会長さんの話だと高速道路を使っても1時間30分、福永館長さんの話だと地道を走っても同じくらいといわれていたので、あまのじゃくな心が頭を持ち上げ、地道を安芸高田市経由で走ることにしました。カーナビは偉いもので目的地出る川西コミュニティセンターの電話番号を入力すれば検索して、距離数と到着時刻を粗方逆算して表示してくれるのです。

 今日の広島県地方はすこぶる天気もよく、そのため放射冷却現象の影響で沿線は一面真っ白い霜に覆われていました。沿線の所々に建つ電磁たる温度表示も軒並み0度以下で、一番冷え込んだ地域ではマイナス3度を表示していました。また安芸高田辺りは視界をさえぎるほど白い霧が一面に立ち込めていました。カーナビの指示するままに走り、センターへは11時前に到着しました。福永館長さんと連れ添って平田農園へ昼食に出かけました。この日は好天なので気の早い観光客が春を待ちきれないようにやって来て、ピザ窯でピザづくり体験をしていました。私と館長さんは座敷に上がらせてもらい、掘りごたつの中に足を突っ込んで地産池消の美味しい食事をいただきました。とても美味しかったです。


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 館長さんとのんびりゆったり、農業問題について話しました。館長さんは農業法人のお世話を長年やっているので、これまでのどの館長さんよりも農業に詳しく、農業のことを熱っぽく話す姿は自信に満ち溢れていました。

 即時が終わって引き返し準備に取り掛かりました。この地区へは昨年も講演に来ていて、今回は2度目のリクエストなのです。そのため今日は館長さんの許しを得て「落伍」形式にすることにしました。館長さんは運営委員さんと既に準備を終えられていて、2階には畳を5枚も積み重ねた立派な高座が出来上がっていました。私も持参のめくりや古道具を順序良く並べて準備をしました。


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 やがて座布団を敷いた会場もほぼ満員になったので、私は背広を縫いで三崎町の塩崎さんに貰った裂き織のはんてんに着替え、講座に上がって思いつくままに話を約90分楽しくさせてもらいました。思い起こせば昨年川西コミュニティセンターを訪れたのは春まだ浅い1月30日でした。今年も道の沿線には残雪が残っている2月19日です。参加していたのは昨年も来てくれた人が殆どなのです。いくら覚え情が悪いといっても同じ話も出来ず、まあ今日は楽しい話に終始しましたが、皆さん大きな口を開けて笑ってくれホッとしました。

 ギノー味噌さんからいただいた味噌を幾つかネタにしながら配って大層喜ばれました。


  「久方に 落伍独演 悦に入る みんな笑って 元気裾分け」

  「よかったと 声をかけつつ 帰る人 どうぞ元気で 私も返す」

  「会場に 畳五枚を 積み重ね その上座り 落伍演じる」

  「八つぁんや 熊さん出ない 落伍だが 現代風で いいと評判」

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○一泊二日の広島への講演小旅行

 広島県はお隣の県でありながら、瀬戸内海を挟んだ対岸にあるために、しまなみ海道が架かっているとはいえ、山口県や大分県と並んでやはり近くて遠い地域です。今回は観光カリスマで知られる平田観光農園会長さんのお声がかりで、昨日の夕方5時から広島県庁内で講演をするため出かけました。はるばる島根県隠岐の島西の島町から親友角市さんのご縁で、人間牧場へ研修にやって来た南さんを午後から松本さんに任せての旅だったため、多少後ろ髪を惹かれる思いでした。

 12時きっかりに自宅を出て伊予インター~小松インター~しまなみ海道~福山インター~広島インターと乗り継いで、午後4時頃みづま工房の福田さんと打ち合わせしていた広島県庁前のリーガロイヤルホテルの地下駐車場へ車を止めへチェックインしました。身支度を整え早速迎えに来てもらった伊藤さんの案内で、県庁4階へ上がりました。ものづくり研修会は既に始まっていて、10人余りの人たちが熱心にパワーポイントを見ながら議論をしていました。

 私の話は午後5時から90分の予定で始まりました。平田さんや福田さん以外の方は知らない人でしたが、まあ気持ちよく話させてもらいました。質疑応答もそこそこに近くの居酒屋へ行き食談会です。研修会に参加していた殆どの人が参加していたため、楽しい語らいは3時間近く続きました。酒も飲まないのにウーロン茶を3杯もお替りしてしまいました。

 私の話の面白さの秘訣について色々聞かれたため、木になるカバンの中に入れていた夕日徒然草の地の書・水の書・火の書を取り出して説明したところ、全員が3冊を買ってくれるというのです。あいにく自著本の持ち合わせがないため送ることにしましたが、近頃すっかり忘れていた自著本が久方ぶりに、しかも33冊も前金で売れるとは考えてもいなかったため、いい交流会となりました。

 食談会を終り私は一人で電車通りまで歩き、紙屋町の地下街を通ってホテルまで帰りました。最近は広島は泊まることが少なく、通過する街となってしまいました。また普通は高速船で宇品に着くため、車での乗り入れは10年ぶりではないかと思うのです。カーナビのお陰で迷うこともなく一発でホテルへ到着し、素敵なホテルで久しぶりに一人ゆっくりとくつろぐことが出来ました。

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 福田さんが手配をしてくれたリーガロイヤルホテルの18回の部屋はとても豪華で、窓から夕方は夕日に映える広島城やお堀が、夜は周辺のライトアップが綺麗に見えました。私は家にいる時は用事がなければもっぱら書斎で過ごします。そこにはパソコンがあるので何かにつけてパソコンと向かい合っています。しかしホテルの部屋にはインタネットの接続コードが用意されていても肝心なパソコンを持ち込まないため、テレビを見たり本を読んだりしながら12時過ぎまでのんびりしました。妻から夜電話定時連絡があって3~4件の報告を受けました。早速今朝ホテルを発つ前に相手に電話を入れ、何とか旅先での連絡を終え、身支度を整えて9時前にホテルをチェックアウトしました。


  「この歳で 高速道路を ひた走る 移動の距離数 見ては驚く」

  「広島は 来る度街が 変化して 戦災の傷 見る影もなく」

  「常一も 驚くほどの 移動距離 車あるから 高速あるから」

  「ホテルから 窓越し見える 広島城 辺り景観 ご立派立派」

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