shin-1さんの日記

○しんちゃんのハーモニカコンサート

 数日前、翠小学校の和田校長先生から「若松さん、2月20日は空いてない?」と電話がかかってきました。「私は18日~20日まで広島へ出張しています」と答えると、「その出張は何時に帰るの?」と食い下がられました。聞けば「学習発表会に予定していた『クレア&香コンサート』が先方の都合により止む無く中止になり、学習発表会の性格から誰か代理をと考えているので、何とか代理でハーモニカを吹いてくれないか」という相談でした。急遽私のカンピューターを働かせて逆算し、朝早く出れば何とかなるとなりふり構わず、「そりゃあお困りでしょう」と安請け合いをしてしまったのです。

shin-1さんの日記
shin-1さんの日記

(私のショートなトークもよく聞いてくれました)

shin-1さんの日記

(赤とんぼのプレゼントに子どもたちも大喜びでした)

shin-1さんの日記
(私のハーモニカ演奏)

 引き受けた後でよくよく考えてみると人の真似に出ることはへっちゃらなのですが、人の前でハーモニカを吹くなどという大それたことを何故引き受けたのだろうと後悔しましたが後の祭りです。当日の今日まで何日か日はあったのですが、この一週間はとても忙しくてハーモニカの練習をする暇などありませんでした。車で帰りの道すがらどんな曲を吹こうか迷いながら帰り、急いで着替えて取るものもとりあえずエコバッグに詰め込んで翠小学校へ出かけました。校長先生は運動場に出て私を出迎え、「少し早く発表会が進行しています。10分切り上げますので宜しく」とこれまた私をせかすのです。

shin-1さんの日記
(みんなでふるさとと赤とんぼを合唱しました)

 お茶をいただいて早速音楽室・ランチルームへ入り取るものもとりあえず準備をして早速コンサートは始まりました。前に座った21人の児童たちと観客で満員の人たちの前で、臆目もなく私はハーモニカ演奏にトークを加えて40分余りの持ち時間をこなしました。

 私が吹いた歌はふるさと、赤とんぼ、ぎんぎんぎらぎら、夕焼けこやけ、みかんの花咲く丘、母さんの歌などの童謡に加え、竹田の子守唄、五木の子守唄、四季の歌、星影のワルツ、北国の春、ふたみ音頭、寅さんの歌、巨人の星、金次郎の歌などなどバラエティに富んでいました。時々間違って吹いたりもしましたが、まあ素人のことゆえお許しをいただいたようです。

 手持ち無沙汰な子どもたちに元上灘中学校長窪田先生に作ってもらった竹の赤とんぼをプレゼントしてやり、木を引きつけたお陰で子どもたちもみんなよく話を聞いてくれました。今日は元校長の長岡先生や学校のエコ改修工事に携わった建築関係の人たちも大勢訪れてみんなでふるさとと赤とんぼの歌を大合唱しました。エコ改修ですっかり生まれ変わった音楽室内に歌声とハーモニカの音色が優しく響き、まるでメルヘンの世界を連想させてくれました。

 私のハーモニカももっと練習しないと人様に聞かせることは出来ないと、恥をかいたことを悔やみましたが、私にとっても、またこの春でこの学校を最後に校長を退職するであろう和田先生にとっても、また6年生の卒業予定者にとっても忘れられない思い出となったことでしょう。今日は言い一日を過ごすことが出来ました。校長先生ありがとう。


  「しんちゃんと いきなり子ども 声かける 阿吽の呼吸 これで十分」

  「やくもまあ そんなに下手な ハーモニカ 恥ずかしがらず やれるもんだな」

  「トークショー これが私の 自己流と 40分間 あっという間に」

  「もう少し しっかり練習 しなければ 心に誓い 反省しきり」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○人間牧場へ西ノ島の南さんたちがやって来ました

 双海町役場を退職してはや6年が終わろうというのに、私の元へは相変わらず連日のように日本全国から大勢の視察者がやって来ます。その人たちを分類すると、私の生い立ちそのままに、①まちづくり関係者、②生涯学習関係者が圧倒的に多いのですが、中には③人間の生き方などに関するものまであって、巾が広く奥が深いのです。私は請われるままにその人たちを誰彼と隔てなく、自分の時間の許す限り迎え入れ、時には人間牧場へ、時には自宅にまで引き入れてお話をしています。リタイアして正業とてない自由な身の私なのですが、講演などで結構忙しく、その空いた日を選んで人々はやって来るので、商工会からいただいた大型の手帳には、妻が感心するくらい結構スケジュールが詰まっているのです。

shin-1さんの日記
shin-1さんの日記

 そんな私の詰まった間隙を縫って、島根県隠岐の島・西ノ島町の南さんたち一行5人が研修にやって来ました。役場に勤める若い南さんとは西ノ島町議会議員角市さんの招きで昨年10月に西ノ島町へ講演に行った時知り合い、意気投合して深い付き合いを重ねているのです。南さんは来春4月から3年間、住み慣れた島を離れ島根県へ出向することが内々決まっているようで、それだったら私の町に同じように3年間えひめ地域政策研究センターへ出向して勉強してきたモデルのような人がいるからと、市役所の松本さんと引き会わせることを約束していたのです。

 南さんは他の3人の若者と一緒にやって来ました。合流した坂出市役所の人を連れ立って18日に来ることが決まってから、私のスケジュールが少し狂い始め、結局は私が広島へ行かなければならなくなったため、午前中だけしか対応が出来ず、松本さんに無理を言って後の世話をお願いしたのです。

 南さんたちは前日まで高知県馬路村へ立ち寄って勉強をしていましたが、私の予定に合わせるため早朝に高知県を出て、8時30分過ぎには双海町へ到着してくれました。私が若いころは夜討ち朝駆けをモットーに勉強したと、少々無理難題とも思える日程を強要してしまったことを今は少し後悔しているところです。

 彼らの研修会には年輪塾塾生第1号の浜田さんや、ミミックプロモーションの十亀さん、地域事務所の赤尾さんも参加して賑やかな研修となりました。研修にやって来た南さんたちもさることながら、迎える私たちにとっても交流で得る人の縁と知恵は今後の人生において大きな力になるはずなのです。

 明くる日出張先の広島から松本さんにその後の様子を伺ったところ、米湊さんや中尾さん、西岡さんなども加わっていい研修や交流が出来たようでホッとしました。


 人は異文化ギャップによって成長するものです。私自身も高校生の時遠洋航海で地球の丸さを体感し、青年時代に建国200年のアメリカで盛会地図の真ん中に日本のない世界地図をみてカルチャーショックを受けたものです。南さんと松本さんとの出会いが新しい時代の幕を開けてくれることを祈っています。

 この日十亀さんは隠岐の島から南さんたち来るというので、観光ブースの提案模型を持参して、人間牧場でショートなプレゼンテーションをやってくれました。これには南さんや観光に携わる若者たちも度肝を抜かれたようで、これまた次なる発展を予感しているようでした。


  「親友が 縁で知り会い 修行来る 若者たちの 未来に拍手」

  「俺だって 若い頃には 修行旅 幾つも重ね 自分育てた」

  「三年間 たかが三年 いうけれど されど三年 心育てて」

  「隠岐の島 私と同じ 風の人 何処か気があい 何処か気になる」   


[ この記事をシェアする ]