shin-1さんの日記

○勇気とやる気があればと言うけれど

 書斎の板壁にかかった月一めくりのカレンダーを見ながら、「2月も早半ばを過ぎたかと」日々の過ぎ去る早さに少々驚いています。歳をとると何となく一日が過ぎるのが遅いという人もいますが、私は日々の暮らしが充実しているのかやることが多いのか一日、一ヶ月があっという間に過ぎて行くような感じがするのです。

 その月一めくりのカレンダーの今月の言葉は、「『勇気』と『やる気』があれば道は開ける」です。この言葉を信じたいと、今年の春高校や大学を卒業し就職しようとしている若者は努力しているようですが、就職氷河期といわれる今年の就職戦線はことのほか厳しく、まだ3割強の若者の就職先が決まっていないのです。

 先日大学3回生の子どもを持つお母さんに会いました。この学生は面接入試という今流行の制度で愛媛大学法文学部へ入学しました。当時法文学部の非常勤講師をしていたこともあって、入学前からお母さんも息子さんもよく知っていますが、入学してからはまちづくりや青少年のボランティアに積極的に参加してくれ、親も私たち周囲も目を細めていましたが、早くも来年は4回生になるらしく、親としてはボランティア活動に熱中することも大事だが、そろそろ将来のことを考えて勉強や就活に力を入れて欲しいと思っているようです。前述のような就職戦線の厳しさを親は薄々感じていて、さもボランティア活動はもう二の次というような口調でした。

 当の本人は親の心子知らずというのでしょうかいたってクールで、何とかなるだろうと鷹を食っているよな雰囲気も見受けられるのです。人間には生き方を模索しなければならない時期というのがあります。中学校から高校へ、高校から大学へ、大学から社会人へと大体3つの関門があるようですが、高校や大学への進学は知能や偏差値によって選別されるため、どちらかというと行きたいより行ける学校が優先されるのです。勿論大学から社会人への関門もある意味知能や偏差値によって選抜されるのですが、ここでは大学の格という目に見えない越え難い壁もあるようです。

 彼のようにまちづくりやボランティアで学んだことは口で大切だと言いつつ余り役に立たないのがこの世の中の矛盾だと思うのです。


 彼はまちづくりやボランティアの現場でコミュニケーション能力など、大学では学べない様々なことを学んでいます。もし私が社長なら、もし私が採用担当者だったら、どんな立派な卒業証書を持っている人よりも、彼を選ぶでしょうが、世の中は残念ながらそんな風にはなっていないのです。50社も採用試験を受けてまだ内定をもらえない今の世の中は異常であり、採用試験というふるいに落とされた若者が、ニートやうつ病など様々な苦悩の中に否応なしに突き落とされているのです。それでも私たちや親は「「勇気ややる気があれば道は開ける」と、若者を励ます以外ないのでしょうか。かれは間もなく就活真っ只中に入ります。彼の社会で積んだ経歴が花開く人生であって欲しいと願っています。

  「五十社も 受けて落ちたる 若者に 勇気やる気と 言うは空しい」

  「ボランティア したいけれども 評価する 会社なくんば 誰もやらない」

  「もし俺が 社長だったら 面接で 彼を一番 採用したいと」

  「今年又 若者苦悩 多い春 花粉症病む 妻と同じ」

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shin-1さんの日記

○国立大洲青少年交流の家運営委員会

 昨日はあいにくというよりは、久しぶりのまとまった雨に内心ホッとしています。私たちの地方では、年末から殆ど雨らしい雨が降らっていなかったものですから、天の恵みと思ったものです。これまでだと雨が雪に変わり、積雪で高速道路が通行止めになったりしていましたが、今回の雨はどやら春待ち雨になったようです。

 でもこの雨を一番心配したのは九州宮崎の新燃岳周辺に住む人たちです。相次ぐ新燃岳の爆発で大きな被害を受けた高原町などの周辺市町では、雨が降る度に土石流の不安におののきながら暮らしているのです。昨日はまとまった雨が降るということで、周辺住民に避難が勧告され避難したようですが、幸いなことに大事には至らなかったようです。宮崎県では牛の口蹄疫、ニワトリのインフルエンザに続き、今回の新燃岳と相次ぐ被害に翻弄されて、甚大な被害に見舞われていますが、春待ち雨も一方では皆さんを苦しめる結果となっているようで、心よりお見舞い申し上げます。

shin-1さんの日記

 昨日は国立大洲青少年交流の家の運営委員会があって、雨の中を出かけて行きました。道中見える葉を落としている沿道の木々も、雨の恵みで心なしか芽吹き前のような春の色に変わっているようでした。

 お昼ごはんを一緒に食べようと所長さんや次長さんからお誘いを受けていたので、12時少し前に到着しました。広島県神辺町の高校生がバス5台を連ねて研修にやって来ていたため、交流の家はこの時期としては大賑わいで、車も職員さんの誘導で裏の駐車場へ回しました。

 交流の家に長らく勤めている児玉室長さんが厳寒まで出迎えてくれました。児玉さんはこの春目出度く定年退職だそうで、交流の家の名物がまたひとつ消えるようで寂しく思いました。

 交流の家のレストランはバイキング方式で、豊富なメニューの中から自分の好みに合ったものを好きなだけ食べることが出来るのです。いつも欲を出して少々食べ過ぎるのですが、昨日もソバとカレーにおかずを、考えられないほど沢山、美味しく食べてしまいました。


 大洲市長さんやマスコミ関係者。大学関係者、近隣県関係者、PTAや学校関係者、青少年関係者、県市関係者など、運営委員に選ばれて方はどの人も立派な方々なのですが、長年運営委員をやっている古顔のよしみで運営委員会長に選任され、議長席に着きました。あらかじめ手元に送ってもらっていた膨大な資料に基づいて、1時間余り説明を受け、あとの一時間は意見を述べ合いました。

 青少年交流の家の所管は文部科学省ですが、政権交代による事業仕分けの洗礼を受け、民間委託などの方法が検討されているようですが、所長さん以下職員にとっては頭の上に置かれた重い重しを感じながら、利用者のことを考えなければならない苦難の日々が続いているようです。

 私は40年も前、国立大洲青少年交流の家の誘致にかかわった一人ですが、正直こんな田舎の特徴とてない施設が、ここまでやるかと思えるほど血汗滲むような努力をして大きな成果を出している姿に、深い敬意を払っています。

 事業仕分けの意味は分かりますが、地方を知らなさ過ぎる中央での決め事が余りにも多いため、大きな憤りを感じていることも事実です。一方では無駄だといい、一方では必要性を強要する姿は地方の意見を無視しているように見受けられるのです。利用率が全てではないと言いつつも、利用率を基準にしたがる文部科学省の行動も気になるところです。昔は金は出す、口は出さない、責任は取るというのが国県でしたが、今は金は出さない、口は出す、責任は取れと言うのですから、これ程いい加減な組織はないのです。今は組織をああでもないこうでもないといじくり過ぎて、虫の目的には方向を見つけにくくなっています。一方で地方が大事と言いつつ、一方で中央が支配するこんなやり方で青少年が育つ施設になるはずがないのです。

 まあ文句を言っても仕方がないので、稼働率57パーセントと全国でも上位にランクされているこの施設を、少しでもよくして行くために、今後も微力を捧げたいと思っています。


  「中央の 地方無視する やり方に 怒り心頭 声は届かず」

  「稼働率 基準したがる 中央に 言ってやりたい 一度見に来い」

  「四十年 時の流れを 感じつつ よくぞここまで バトン繋いで」

  「春近し 交流の家 上り坂 帰る時には 下りになりて」

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