shin-1さんの日記

○ストーブと押入れの大掃除

 今年の寒さは半端ではなく、昨日の朝はよく晴れて無風状態だったため放射冷却現象でしょうか、無霜地帯といわれている私たちの町でもあちこちで真っ白い霜が降りました。昨日は月に一度の不燃物収集日だったので、缶やビン類などを幾種類にも分類して役場の裏の収集場所へ持って行きましたが、軽四トラックのフロントガラスは前が見ないほど白く凍って、ぬるま湯をかけ溶かしてから出かけました。

 私の家の上空は飛行機の通り道なのでしょうか、色々な飛行物体が遠く音を立てて飛んでいるのを時には夜まで見ることが出来るのです。昨日の朝は久しぶりに澄んだ青空に、筆で書いたような見事な白い飛行機雲を作りながら通り過ぎる姿を頭上に見ました。近くには松山空港、遠くには岩国の米軍基地があるからと想像しながら、白い雲の行方を少年のような気持ちで見ました。

shin-1さんの日記

 昨日は年輪塾塾生第1号の浜田さんが人間牧場の掃除にやって来ました。浜田さんはこの春目出度く勤めていた会社を定年退職する予定ですが、今は会社の配慮で残っている有給休暇を使って骨を休めれるらしく、時々私のところを訪ねて来てくれるのです。

 浜田さんは奇特な方で、年に何回かは塾生第1号を自認して、人間牧場へ勤労奉仕にやって来ます。水平線の家のワックス掛けやトイレの掃除など、こまごました手の行き届かない場所の手入れなどを誠心誠意やってくれるのです。昨日は念願だったストーブの掃除とトイレ前の押入れの掃除をしてもらいました。ストーブはこの5年一度も本格的な掃除をしたことがなく気になっていましたが、濱田さんは作業着に着替えストーブの木灰をジューノでかき出してスモモの木の根元に肥料として施してくれました。

 押入れも色々な道具類を入れていますが、それらを全て外に出して整理整頓をしてくれました。押入れは高さが高いので2段に改造しようということになりました。早速収納していた梅酒などを取り出し空にしたので近々の材料となる分厚きベニヤを買い求めて切断し、算木を組んで改造したいと思っています。

 大掃除をしたストーブに火を入れ二人で背もたれ椅子に腰掛け、海を見ながらウトウトしながら人生を語り合いました。私にとってリタイア後の6年間はあっという間でした。浜田さんにとってもこれから始まるであろうリタイア後の人生は、楽しくも少し右肩下がりの人生になるはずですが、しっかりと目線を特に持って進化して行けば、人生の仕上げに相応しい日々が待っていることでしょう。期せずして清水塾頭も第二の人生のようで、私にとってはどんどん同じ境遇の仲間が増えてゆくようで、ワクワク・ドキドキしています。

 浜田さん、今日はありがとうございました。


  五年間 一度も掃除 しないまま 春を向かえた ストーブ掃除」

  「修行だと 掃除いそしむ 塾生の 真摯な姿 見習いたいと」

  「ストーブは どうしてエコと 尋ねられ しどろもどろで お茶を濁して」

  「ミツバチが 早くも巣箱 出入りして 春の訪れ 羽音で知らせ」

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shin-1さんの日記

○広島県から研修にやって来ました

 昨日は地域事務所に務める松本さんが、日体大在学中にラグビー部の先輩としてお世話になったという広島県熊野町に住む世木田さんたち商工会のメンバー10人余りが、双海町へ視察にやって来ました。熊野町といえば筆の町といわれるほど有名な町で、毎年京都清水寺で繰り広げられる漢字一文字を管長さんが書くイベントの筆も、この町で作られているそうです。

 私も熊野町の招きで何度か講演に行った町であり、その折お土産に貰った習字用の筆や妻の化粧用の筆類は今も大切に使っているのです。

shin-1さんの日記

 商店街の活性化はどの町にとっても大きなテーマであり、とりわけ当事者を束ねる商工会では尻に火がついたような危機感を持っているものの、ご多聞に漏れず妙案は中々見つからないようです。実は私が連載記事を書いているえひめ地域政策研究センター発行の機関紙である「舞たうん」という雑誌の、次号のテーマが商店街であり、偶然にも前の日にその原稿を書き上げて送った矢先だったので、幾分かタイムリーな話が出来、とりわけ説明後の意見交換会やレストラン夕浜館での昼食会は大いに盛り上がりました。

 この日来られたメンバーはいずれも意識と知識の高い方ばかりであり、今後も松本さんつながりで、私的な交流を続けられそうな予感がしました。


 私の町もかつては小さいながら2つの商店街がありましたがいずれも消えてなくなり、今では買い物さえこと欠く惨憺たる有様です。当事者たる商店主の皆さんは時代の流れだと諦め、自分一代で商売を終えようとしているのです。また商店街を育成する商工会も隣の中山町と広域合併し、記帳指導などはするものの根本的な育成は出来ないとこれまた諦めているのです。

 思い返せば私が手掛けた道の駅シーサイドふたみを作る時、地元の商店街は死活問題だと大反対をしたものです。何とか説得しアンテナショップとして使って欲しいと頼み込み、商工会の出捐金まで出してもらいスタートしたのでした。

 今はそんな軋轢も何処へやら、とりわけ道の駅に商品を卸している海産物屋さんからはこれがなかったら危なかったと喜ばれているのです。商店を経営しながら商工会で各種イベントを楽しくやったあの人もこの人も既に他界したり老いていて、過ぎし昔を懐かしく思い出すのです。

 シャッター街と名前までついた日本全国の商店街は今後どうなって行くのか、私の知ったことではないと思えば思えるのですがやはり寂しく、願わくば地域の元気の源である商店街に活気を呼び戻したいと思っています。他力本願では出来ないこの難解な問題にどう立ち向かうのか、少しではなく多いに遅過ぎた感じを持ちながら熊野町の人たちと別れました。


  「先進地 どころか後進 地域だが 何故に人来る 不思議気がする」

  「視察でも 金を落として 帰るから 大事とばかり 丁寧対応」

  「何年か 前に貰った 化粧筆 お陰で妻は 品よく化粧」

  「二つとも 消えてなくした 商店街 再興なんて 夢のまた夢」 

 

 

 

 

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