shin-1さんの日記

○学校支援の研修会

 愛媛地域教育実践交流集会の事務局長を務める仙波さんから年末に電話が入り、松山市の窪田小学校で学校支援の研修会で講演をして欲しいと頼まれました。「50分ほどの短い時間で申し訳ない」と聞いていたような記憶があるので、まあ準備をせずとも何とかなるだろうと鷹を食って出かけました。窪田小学校へは翠小学校にいた山本教頭先生が在校中一度話しに行ったことがあるので、大まかな場所は分かっていましたが、講演依頼文書に学校の電話番号が記されていたのを思い出し、近くに行ってからその番号をカーナビに入力しました。文書をよく見ると、公演時間は14時40分から16時まで1時間20分もあるようになっていました。相変わらず私の早とちりとうろ覚えのせいで危うく講演時間を間違えるところでした。

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 校長室に案内され私の話し相手を頼まれた長島女史と雑談をしながら、先生の入れてくれたお茶を飲みながら雑談をしていると、仙波さんが時間ですと呼びに来られました。一階とも地下とも分からぬ階段を下りて、会場へ入りました。はてさて持参したカバンの中に入れているパワーポイントを使おうかどうか、直前になっても随分迷いましたが、話の時間を少しでも長く取ろうと思い、結局は使いませんでした。

 オープンスペースの素敵な会場に着くなり、会場にはあちらこちらちらほらと、知り人が沢山いて手を上げ顔で会釈し、また声を掛け合いました。知人友人がいる前では話しにくいと思いましたが、話しているうちにそのプレッシャーも消え、まあ何とか時間いっぱいお話をすることができました。

 講演が終わり再び校長室に案内されましたが、校長先生は書が達筆で来月行われる卒業式の卒業証書の名前を自らが全て書かれるそうで、既に書かれた60数枚の卒業証書は乾かすために床いっぱいに広げられていました。この学校も開校時は学年それぞれ4クラスあったそうですが、今は学年2クラスに減っていて、卒業予定者も60人余りのようでした。

 壁にかかった歴代校長先生の中には顔見知りの高須賀先生や菊池先生の写真もあって懐かしく思い出されました。この学校はオープンスペースの素晴らしい学校で、花壇コンクールでも市町賞を受賞するなどの特徴ある学校経営が行われているようでした。

 学校支援の輪も広がっていて、この日も多数の関係者が集まっていました。

 今朝メールを開くと、早速仙波さんから昨日のお礼のメールが入っていました。仙波さんの丁寧な対応に感心しながら私もショートなお礼のメールを返信しておきました。

  「学校の イメージ変わる 窪田小 オープンスペース 授業が見たい」

  「そこここに 知人友人 顔見知り プレッシャー消え 饒舌話す」

  「嬉しいね 何処へ行っても 温かく 迎えてくれる 心がありて」

  「裏が味噌 名刺差出し 大笑い 持参サンプル 味見までする」

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○21世紀えひめニューフロンティアグループ年次総会

 本当は1月に総会を開催するはずだった、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの年次総会が昨夜、メンバーの一人である今治に住む河上和夫さん宅で行われました。メンバーの都合で開催日が二転三転したため、私の行くはずだった講演日程も二転三転し、関係者に要らぬ苦労と迷惑をかけたことをお詫びしなければなりません。

 昭和54年に産声を上げたフロンティがグループも、無人島に挑む少年の集いや丸木舟瀬戸内海航海、空からふるさとを見る運動、竪穴式住居語り部シンポ、大野ヶ原モウーモウー塾などなど、細々ながらもう30年もボランティア活動を続けているのですが、昨年から最後のご奉公とばかりに「えひめ千本桜の森づくり」に取り組み、今年の総会はいつになく盛り上がった議論をしました。


 若かったメンバーたちもリタイア組が増え始め、今年の春にはメンバーの一人である団塊の世代の佐賀山誠さんが、目出度く38年間の県庁生活にピリオドを打ち退職するそうです。みんなが集まれば決まったように、若かった頃の活動を思い出しては話すのですが、年齢がそうするの、日々の暮らしがそうするのか、過去や今を語ることが多くなって未来の夢を語ることが少なくなったような気がするのです。

 その点私は彼らのようにやれ年金が多い少ないとか、体の調子が悪いとかいう話よりも、日々の活動の話が出来たり、明日の夢を語れるだけ幸せなような気がしました。まあ考えようでは彼らと五十歩百歩で、体力と気力の衰えは薄々感じていて、自分自身に多少の腹立たしさも感じているのです。健康的不調を訴える彼らを診るにつけ、体力保持のため日々精進しなければと、心を新たにしたところです。

 さてフロンティアグループでは、毎年一回世界遺産を巡る旅を行っています。今年は日程が取れず予定していた飛騨高山の合掌造りツアーを延期しました。折角だから雪に埋もれたライトアップも見たいため、そのツアーを来年に繰り越して今年はとりあえず近場岡山県の姫路城を、4月10日日帰りで行くことにしました。聞くところによると姫路城は平成の大修理が行われていて、その全容は見えないそうですが、それもまた意味のあることのようで、早速メンバーの河野正彦さんを責任者に選び準備に取り掛かることにしました。

 これまで石見銀山、広島原爆ドーム、安芸の宮島、熊野古道、遷都1300年の古都などを巡りましたが、飛騨高山や北海道知床、九州屋久島などが今後の候補として上がっていますが、皆さんの年齢のことを考えると急がなければならないようです。

 昨日は河上さんのお宅で毎年のことながら手づくりの美味しいご馳走をいただきました。河上さん宅は近所に二人の息子さんが住んでいて、5人のお孫さんがいます。少子化何処拭く風の賑やかな子どもたちのはしゃぐ姿を見て羨ましいと皆が思いました。一年ぶりに再会した子どもたちはそれぞれ元気に成長していて、小学三年生の子は私の顔を覚えてくれていました。

 また私たちのために一緒に無人島へ行ったことのある息子さん夫婦は、料理を運んだり雑談をしたりして今年も温かいもてなしをしてくれました。嬉しい限りです。私の家もこの4月から長男家族が帰って来て同居生活をする予定ですが、河上さんの家庭を見習いながら、幸せを噛みしめたいと思いました。

  「山中の 峠を越えて 今治へ 例年通り 今年も総会」

  「孫五人 襖や壁は 傷だらけ 勲章のよう ご主人苦笑」

  「孫五人 来客迎え 大はしゃぎ こんな家庭を 築きたいもの」

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