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○私のことを書いてくれた人

 3日前、私は伊方町立三崎中学校に勤める浅野先生の口利きで講演に出かけました。浅野先生とは先生が国立大洲青少年交流の家に出向していた3年間、交流の家に出かける度に会話を交わし、私のブログの愛読者となってもらっていることもあって、新しい赴任地である地元の三崎中学校へ帰ってからも、何かにつけて深いご縁をいただいて、人間牧場や年輪塾のメンバーを巻き込んだお付き合いをしているのです。

 先生はその後喜久家プロジェクトというブログを始められ、私もリンクメンバーとなってその愛読者の末席を汚していますが、学校の先生だけあって知識や話題も豊富で、いつもいい学びをさせてもらっているのです。

 一方浅野先生のブログで三代目こと、お菓子屋の田村さんという若者と偶然にも知り合いました。何年か前三崎町での研修会で名刺を交換しただけの出会いでしたし、その後はお互い疎遠になっていましたが、浅野先生の声かけで三崎中学校での講演会に参加していただき、質問討議や校長室での語らいなど、密度の濃い会話の機会を持つことが出来ました。その後お互いのブログに書き込んだりしながら過ごしていますが、田村さんもブログの達人で、若いながら文章表現能力も上手く、若い人の文章に触れることが少ない私のような年代にとっては、若者の考えや行動を知る上で大いに刺激を受けているところです。

 二人が私の講演内容を違った角度から、お互いのブログでレポートしてくれていて、その場のインスピレーションで話す私にとっては、「えっ、そんなこと話たっけ?」と思うようなことが随分ポジティブ肯定的に書かれていて、汗顔に至りです。

 私には知人や仲間が沢山いて、色々な場所で色々な話の引き合いに出されて話していただくし、文章に書き込まれる事だってあるのです。時には悪評や時には辛らつに批判めくこともありますが、この歳になるとそれらも含め笑ってやり過ごすことが出来るのです。

 私は若いころから、人に自分のことを話してもらったり、文章に書いてもらうようになると一人前と思って生きてきました。いまだに半人前の私ですが、人が私の話を聞いてその内容を書いてくれることはもの凄く参考になるのです。


 ちなみに、浅野さんのブログは「喜久家プロジェクト」、田村さんのブログは、「四国の最西端、日本一細長い佐田岬半島で菓子屋をやっている三代目のブログ」という、佐田岬半島にも似た長い長い名前がついています。一度覗いて見てください。私たちの知らない世界の話題が満載です。

 三崎町の清見タンゴールというこれからが旬のオレンジも美味しいし、田村菓子屋のお菓子もとても美味しいいですよ。お勧めします。

  「俺のこと 書いたブログを 読みながら 中々いいこと 言うと感心」

  「文章に 書かれた俺の 記事を読み もっと勉強 反省しきり」

  「偶然に 書いた二人は 佐田岬 突端近き 所に住んで」

  「タンゴール ウニ入り饅頭 食べながら 二人の顔が 頭に浮かぶ」

  

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○高知県中土佐町生涯学習フォーラム

 2月は28日までと短く、今日がいよいよ最終日だと思うと、寒かった冬が何だか懐かしく感じますが、今月も県外に数多く出かけたりしながら忙しい日々を、病気もせず元気に過ごすことができました。そんな私の忙しさを思ってか、昨日は高知県中土佐町大野見へ車で講演に行く運転手をかって出てくれることになりました。

 「明日は現地へ10時に到着しなればならないから家を出るのは午前7時」と妻に告げ、いつもより少しだけ早めの11時30分に床に就きました。ところが昨日の朝はいつもより1時間も早い午前3時に目が覚めてしまい、もう30分寝たい心境ながら起きて、帰りが遅くなるだろうと予測してブログを2本書きました。

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 午前7時、さあ出発です。妻は朝食の後片付けや親父の夕食の準備までして、雨になるという天気予報を信じて洗濯物まで取り込む慌しさです。いつもの事ながら電気は消したか、ガスは止めたか、コタツやテレビのスイッチは切ったか、鍵はかけたかとチェックに余念がないため、「早くしろ」とせかす私はいつも小言を言うのです。

 夫婦が故に、私も妻も忙し過ぎるため、考えてみればいつもすれ違いのような気がして、大野見までの3時間の道程を、色々な話をしながら走りました。途中肱川の道の駅、梼原の道の駅でトイレ休憩をしたり、運転を交替したりしながら9時40分頃に津野村との峠を越えて大野見に入りました。

 かつて宿泊したことのある四万十源流の家に立ち寄り、周辺を少し散策しましたが、木立に囲まれた田舎の風情は今も変わらず、四万十川源流域の水も冷たく澄んでいました。

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 周辺地域の地図を渡した妻は夕方5時まで自由行動をするので、大野見青年の家で降ろしてもらい、事務所に案内されました。玄関先には綺麗なお雛様が綺麗に飾られていました。この場所も3~4回訪ねているし、中心的に働いている人たちも懐かしい顔ばかりで安心して雑談に耽りました。

 昨日の集会は中土佐町生涯学習フォーラムで、私の出番は午前中11時から1時間余りの基調講演と、午後1時15分からフォーラム討議の助言を頼まれ、アトラクション縁起の後の午後4時30分からは食談交流会と、3部に分かれて中々忙しい日程でした。

 この日は高速道路の開通記念イベントがあるとかで、多少そちらへ参加者が流れた感もありましたが、会場には大勢の人が集まっていました。専門のPAさんの配置していてマイク関係やDVD関係は申し分なく、いずれの出番も反応がよく気持ちよく話させてもらいました。

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 昼食時には合併した旧町村の観光資源がパワーポイントで上映され、懐かしくも親しみのある土佐弁でのナレーションにみんな感心して見入り聞き入りました。下の海沿いに面した風景も一度は訪ねたいと思いました。
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 交流会は食堂サロンで行われました。料理は全て女性太鼓集団の面々がボランティアで手づくりしたようで、所狭しと並んだ料理はいずれも美味しく、僅か30分ほどしか参加できませんでしたが、大勢の参加者で賑わい和やかな雰囲気の中、ギノー味噌さんからいただいた味噌やドレッシングなどの「裏が味噌」なる宣伝を10分間もさせてもらいました。聞けばギノー味噌は高知県でも販売しているらしく、「技あり、効果あり」という感じで、田中社長に報告したいと思いました。

 折から振り出した雨の中を迎えに来てくれた妻と合流し、元来た国道197号を梼原~日吉~大洲~長浜~双海へと、午後8時過ぎにわが家へ帰って来ました。聞けば妻は自由時間中太平洋まで行ったり、源流の家の立ち寄り湯を楽しんだようでした。


  「ああ今日も 深いご縁を いただいた そんな思いの 一日過ごす」

  「久方に 妻の運転 する車 あれやこれやと 夫婦の会話」

  「元気かと 何年ぶりに 出会う人 声かけくるが 誰だったっけ?」

  「合併で 風向き変化 薄々と 感じて歩く 久方の村」

 

 

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○手打ちうどんを作る

 昨日は私が実行委員長を務める子ども体験塾の、今年度最後の集会がピザ釜体験工房で行われました。子どもやボランティアを含めると総勢60人もの賑やかさで、プログラムは西岡栄一さんの指導で手打ちうどんに挑戦しました。私も手打ちうどんの体験は初めてなので興味津々でした。

 まず参加者全員にポリ袋に入れられた小麦の粉が配られ、そこに決められた量の塩と水を入れてもらい、ひたすら袋の上に手の甲で圧力をかけ30分近くもこねるのです。最初は熱心にやっていた子どもたちも飽きてきて、やれ水が足らないだとか文句を言いながらこねていました。

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 やがて耳たぶほどの柔らかさに練りあがると、今度はうどん引き伸ばし機で圧圧縮引き伸ばされ、まるで暖簾のような美しいうどんに仕上がってゆきました。ボランティアの人たちはつけ麺用のだし汁を作ったり、打ち上がったうどんを茹でたりと大忙しでした。

 やがて釜揚げうどんが出来、早速薬味を入れただし汁につけて試食会です。うどんは子どもたちが作ったため放蕩のような大きいのもあればそうめんのような細いのもありましたが、そこはご愛嬌でみんな予想以上の味にビックリしながら、たらいうどんを完食しました。それにしても手打ちうどんの指導をしてくれた西岡栄一さんの勉強熱心なのには驚きました。これでピザ窯体験工房にまた新しいメニューが追加されたことになるようです。

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 食事が終ってから子どもたちに大学生と私でレクリエーションの指導をしました。今年は折に触れて子どもたちにレクを伝授していますが、特に私が開発した競り市という指を使ったゲームは大好評で、難しいのに既に5唐人の子どもたちがマスターしてくれているのです。3月に開かれる閉講式には子どもたちの多くがマスターしてくれることでしょう。

 人間牧場で芋を植えたり掘ったり、漁船で底引き網を体験したり、またシーサイドで職場体験をしたり、今年も子どもたちは沢山のことを学びました。双海町という振るい土壌を引き継いで新しい感覚で運営をしている子ども体験塾は、嬉しいことに卒業した中学生や高校生が数人ボランティアリーダーとしてお手伝いをしてくれています。これでけでも立派な人材育成が出来たと内心喜んでいるのです。今年度は初めて西日本最高峰石鎚山の登山にも挑戦しました。また新しい歴史を積み重ね、また新しい種を蒔いたような一年でした。


  「手打ちする それとも客を 半殺し 民話子どもに 優しく伝え」

  「三十分 ひたすらこねる 重労働 子どもあくびを しながら挑戦」

  「こりゃ美味い あっという間に 底をつく たらいのうどん 子ども正直」

  「何となく お袋の味 うどん喰う 薬味しいたけ 敬遠しつつ」

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○夕焼けこやけラインに桜の植樹

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループでは、今年度から1ヶ所100本の桜を向こう3年間で1000本植えようと「千本桜の森植樹運動なるものを始めています。地元紙愛媛新聞で希望地を募ったところ沢山の問い合わせがあり、とりあえず今年度は愛南町内海地区、大洲市国立大洲青少年交流の家、大洲市柳沢田処地区、伊予市中山町佐礼谷地区、それにわが伊予市双海町下灘中学校跡地及び夕やけこやけラインから申し込みがあり、それぞれと競技をして植樹の準備をしてきました。

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 私が代表をしていてこの事業を何としても軌道に乗せたいと、双海町でも公民館や学校と提携し110本の桜をいただき、下灘中学校跡地運動場には昨年12月19日に、残り60本は昨日午後夕やけこやけラインに植樹しました。昨日は前日関東で春一番が吹いた上昇気温も元に戻り、絶好の植樹日和に恵まれ、30人ほどの協力者が集まって2時間ほどをかけて桜の苗木を丁寧に植えました。

 私と市役所総合支所の松本さんが午前中に、前もって用意していた竹を、閏住海岸、下灘駅周辺、本村海岸の3ヶ所に等間隔に置いて行き、植える準備をしました。

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(わざわざ松山から参加していただいた藤原茂さん)
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 昨日は植樹に当たって嬉しい参加が幾つもありました。私たち21世紀えひめニューフロンティアグループの顧問的存在の藤原茂さんがわざわざ松山~やって来てくれました。長年私たちのパトロンとなってご援助いただいている関奉仕財団へ、口添えをしていただいたのは藤原さんなのです。藤原さんは私たちから見れば高齢ですが、こうして植樹に参加してもらい頭が下がる思いがしました。

 また小学校の先生をしている双海町在住の幸先生は家族5人全員で参加をしていただきました。さらに今度新年度に閏住の区長になられる燈本さん、市役所職員、えひめ地域政策研究センターの河野さん、宮栄公民館長、更生保護婦人会のメンバー、少年少女面白体験塾にリーダとして参加した学生さんや子どもたちなどなど、30人もの人がまあ賑やかに植樹をしてくれました。

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 みんなが解散してから私と松本さんは、今回の千本桜の森発想の原点となった人間牧場へ、枝垂桜の苗を3本植樹するため登りました。市役所から参加した若い職員さん2人と、大学生の宮崎さん、センターの河野さんも参加していただき、植樹を終えた木の横に、フロンティアグループ事務局長が準備をしてくれた立派な標柱を立てました。この3本の枝垂桜を親木とするなら、さしずめこれから植えるであろう千本の桜は子木です。そのためにもこの木は何としても立派に育ててやりたいと思いました。宮崎さんがかまど小屋の鍋で水をやってくれたことも、いつかは語り草となることでしょう。

 10年後には昨日植えた桜がいっぱし大きくなってくれることを願っています。そしてこの桜の下で10歳ずつ歳をとった参加者たちと弁当を広げ花見をしたいものです。


  「千本の 桜植樹を するという 遠大構想 目指し一本」

  「今回も 多くの参加 植樹会 追いも若きも 鍬を振るいて」

  「十年後 どんな姿で 花見する 思うだけでも 心浮き浮き」

  「また一つ 楽しみ持って 歳をとる 桜植樹の 思い出胸に」

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○居酒屋「ふじ」で年輪塾生交流

 昨日の夜は午後6時から、今ではすっかり行き着けになった市駅裏の居酒屋「ふじ」という店で年輪塾の塾生交流会が持たれました。気がつけば今年初めての集会なので、さしずめ一月遅れの新年会のようでした。昨日はえひめ地域政策研究センターが主催した研修会があって、殆どのメンバーが参加したこともあって、また当日研修会の講師として参加した高知県四万十市の大宮産業竹葉社長を囲みたいという清水塾頭の思惑もあって実現しました。というのも皆さんは先日大宮産業へ年輪塾として研修に行って、竹葉社長にすっかり心酔しているのです。

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 私は昨日三崎町へ講演に出かけていて、昼間の研修には参加できず、しかも少し遅れると告げていたので20分近く遅れて会場へ着きました。久しぶりに出会う仲間たちですが、日常的に年輪塾ネットでメール交流しているため、バーチャルとはいいながら日常の暮らしが共有され飲み込んでいるので、深い出会いを重ねることが出来ました。

 年輪塾ではこの春から、愛媛県下の学校などに設置されている二宮金次郎の銅像調査を始めています。既に予備調査を終え、早い人は本調査に取り組んでいると報告がありました。予備調査では県内に180ほども金次郎の銅像はあるのですから、4月中までの目標をクリアするためにはみんなの努力が必要なので、塾長として少しだけゲキを飛ばしました。

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 心許せる友だちとの語らいは楽しいものです。いつもながらの飲み放題2時間3500円の小宴会でしたが、見も心も満腹でした。特にゲストである竹葉さんは高知県人らしからぬ(高知県人には失礼)実直な方で、皆さんの意見や質問に熱心に耳を傾け、大いに語らいました。

 人は人によりて人となるといいますが、私も66年間生きてきた人生の中で様々な人に巡り会い、人に教えを請うて今日があるのです。少しでも知識を吸収し少しでも智恵を出したいと今も自分流進化論を持ちながら生きているのです。竹葉さんや谷口さんは県外組ゆえ滅多に出会うこともなく、それだけ価値のある交流でした。昨日は博学な門田さんが田舎のガソリンスタンド論を皆さんに分かりやすく話してくれましたし、清水塾頭もしっかりとフォローをしてくれました。


 大河内さんと西田さんたち女性群も野暮ったい男性に混じって爽やかな風を吹かせてくれました。二人とも遠方などをものともせずの参加にはいつも脱帽です。西田さんは昼間に館長さんたちとともに研修会に参加し、私が双海町まで、双海町からは亀本さんが自宅までと、送り狼2匹の送迎リレーでした。

 

 愉快な仲間が私の周りには沢山います。仲間と共感共有しながら、これからもいい人生を歩んでゆきたいと思います。昨日仲間の清水さんと浜田さんがこの3月でひとまず退職することが発表されました。清水さんも浜田さんもまだまだ働く意欲十分で、これからの活躍を期待したいところですが、人はどこかで人生の岐路にぶち当たります。さてどちらの道を行くのか、人それぞれが幾つもの行き先の中から選ぶのでしょうが、一足先に選んび進んでいる私のように、彼らの行く手にも幸せが待っていることを祈っています。


  「お隣の 高知県から はるばると やって来た人 囲んで語る」

  「女いる だけで集会 何となく 楽しくなりて みんな饒舌」

  「退職を 近く迎える 心境は 六年前の 私と同じ」

  「俺の町 四つもあった スタンドが 今はひとつと なりて寂しく」

  

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○三崎中学校での講演会

 昨日は県庁所在地の松山から四国の最西端佐田岬にある旧三崎町へ、そして再び松山へとまあ忙しい一日となりました。それでも短いながら高速道路無料化実験事業のお陰で、随分楽な移動をさせてもらいました。昨日は私にとって2ヶ月毎にやって来る定期健康診断の日でした。早朝7時過ぎに家を出て県立中央病院へ出かけましたが、昨日はどういう訳か少し早く出ただけで朝のラッシュにも引っかからず、スムースに8時10分前に病院へ到着しました。

 機械受付を済ませ血液検査の窓口に行くと、もう患者さんの長蛇の列でした。37番の番号札を貰って中待合室で待っていると、直ぐに「37番」というデジタル表示が出て、早速その席へ座りました。私はこの顔で注射が大の苦手です。子どものころ学校で予防注射があるというので、腹が痛いと仮病を使って学校を休んだほど小心者なのです。昨日の血液検査技師(看護師かも)は若い素敵な女性でしたが、私のしかめっ面を見て「注射がお嫌いなようですね」と笑顔で声をかけてくれました。

 検査が終わると診察の受付です。いつもの事ながら8時30分の予約にもかかわらず、血液検査の結果を基に検査をするので、約一時間余り待たされました。やがて17診の診察室からクラークさんに呼び込まれ、診察が始まりました。主治医の二宮先生がパソコン画面に写し出されたデーターを見ながら、一つ一つ説明をしてくれるのですが、全ての数値とも許容範囲なので「別に問題ないでしょう」とのことでした。先生は気さくな方で、私が講演で全国を飛び回ったり、大学へ教えに行っていることをよく知っていて、「最近は一番遠い所は何処へ行ったんですか」とか、「余り無理をせず適当にしてください」などとアドバイスをいただきました。

 診察ベッドに横になり血圧を測りました。「60と110で血圧は正常」だったし、お腹を手で触ったり聴診器で音を聞いたりしていましたが、異常なしのお墨付きをいただきました。

 次回はゴールデンウィークなどが重なるため、5月6日の午前中一年に二度やっているエコー検査をするそうです。パソコン画面で午前9時の予約を取り、全ての診察を終了し支払い窓口へ回り、2600円を払って病院を出ました。

 急いで所用のある県庁へ回り、提出書類を出して一通りの用事を終えました。さあ三崎へ向けて出発です。松山インターチェンジから高速道路に乗って大洲北只まで行きました。伊予から海岸線を通るべきか迷いましたが昨日は山周りで夜昼トンネル~八幡浜~保内町を選んだため少し早く到着しました。

 本当はもう少し時間があったら、浅野さんの喜久家プロジェクトブログで紹介された、平磯の大草鞋を見たいと思っていましたが、残念ながら見ることが出来ず浅野さんの撮影した写真をブログから借り受けました。

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 三崎中学校は旧三崎町役場に隣接した裏手に小学校と並んでいます。何年か前三崎町へ来たついでに浅野先生を訪ねたことがありましたが、あいにく留守だったことを思い出しながら、校長室で関係者と和やかにお話しながら時間の来るのを待ちました。やがて講演開始の14時20分となり、オープンスペースの二階多目的ホール会場へ案内されました。

 浅野先生との電話打ち合わせで決めた「青春へのメッセージ」という演題で、約一時間思いつくまま生徒と保護者、先生たちにお話をしました。冒頭水産高校の実習船えひめ丸のことを急に思いつき、命の大切さについて話してしまいました。そんな話をするつもりはなかったのですが、子どもたちの純真な顔々に吊られて話してしまいました。多分浅野先生の挨拶や会を進行したPTA補導部の皆さんの誘導呪文に誘われたようです。

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 生徒もPTA会員も、先生たちも大笑いしながら終始和やかに話を聞いてくれました。質問してもらった田村菓子店三代目や、閉会の挨拶に立った多田さんの話は、私の及びもつかない深い内容でした。

 再び来た道を引き返し、松山へ入ったのは午後6時を過ぎていました。少しだけ遅れるかも?と告げていた次の集会は午後6時開宴なので、清水塾頭から「今何処辺りですか?」と携帯が入り、せかされながら市駅前の居酒屋へ到着しました。

 呑み会を終え松本さんと西田さんを送り、自宅へ帰ってパソコンを開くと早速浅野先生からお礼のメールが入っていました。そして嬉しいことに講演を聞いたAさんという生徒から嬉しいメールが届いていました。このメールを読んで疲れが一変に吹き飛びました。こんな嬉しいことはありません。このメールは私にとって大切な大切な二人だけの宝物なのです。

  「日本一 細くて長い 佐田岬 突端学校 訪ね講演」

  「驚いた 開けビックリ メール便 Aさんからの 嬉し反応」

  「遠いけど 思い高ぶり 遠くない ほのぼの帰る 山周り道」

  「大草鞋 見たいけれども 見れなんだ 写真拝借 ブログに載せる」  

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○動物のいたずら

 昨日の朝親父が私の書斎の窓から顔を出し、「2~3日前に家庭菜園に植えたジャガイモを何か分からぬ動物が掘り起こしているので見て欲しい」というのです。畑に出てみるとジャガイモを植えた上に目安として置いていた籾殻が無残にもそこら辺に飛び散っていました。最近親父は畑と道の境へ近所の金物屋さんからブロックを買い求めて仕切り石として埋め込むため、魚網で作っていた柵を撤去していたのです。今後温かくなって農作物が大きくなるとハクビシンやイノシシに襲われる危険性もあるので、金網で防護柵を作りたいというのです。

 早速親父を軽四トラックに乗せ、伊予市内のダイキホームセンターへ出かけました。親父はもう歳ですから車に乗るのも気合を入れないと乗れませんし、車から降りる時は気をつけないとひょろ付くのです。それでも車に乗るといわれなくてもちゃんとシートベルトをする気丈さもあって、中々のものなのです。

 ホームセンターの売り場で金網を置いている場所を見つけ、店員さんに計ってきたであろう10メートルを告げてハサミで切り売りしてもらいましたが、ついでに農薬のスミチオン大瓶を2本牛糞10袋を買い求め帰りました。

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 前もって用意していた鉄筋をブロックの横にハンマーで打ち込み、私は所用があって金網の設置は親父に任せて家を出ました。やがて外出先から帰ると親父は早くも金網の設置を終えていて、立派な金網柵が出来ていました。いつも思うのですが、この歳になってもなお次々と新しいことを考えて行動し、またそれがいちいち理に叶っている親父は立派だと、改めて感心した次第です。

 こんな起用直y時の息子に生まれたのだから、さぞかし息子である私も器用さを受け継いで良さそうなものなのに、私は不器用で鍬を使えば傷めるし、やることなすこと後回りだと親父にいつも叱られてばかりいるのです。


 自分で自分の不器用さをいつも嘆いていますが、妻だけは私の器用さの片鱗を認めてくれているのです。正月も終わり正月の片鱗は神様棚に供えた私手づくりのお飾りがでんと座っているのですが、このお飾りは妻が時々褒めてくれるのです。最近は魚の下ごしらえも随分上達したと褒め殺しされ、お陰で昨日は親類の漁師さんから貰った小魚の処理を任される羽目になり、妻の術中に入ったと苦笑いしながら作業をしました。

 畑に侵入した動物は私たち人間様をあざ笑うように器用です。私も少し腕を磨き、親父ほどではなくっても、せめて畑に出没する小動物よりは器用に振舞いたいと思っています。


  「玄人の 様な親父の 腕前に いつも感心 しつつ今日まで」

  「この歳に なってあれこれ やることが あるから元気 親父は凄い」

  「金網の 柵を親子で 作ってる 姿どこかで 動物見えてる」

  「親起用 息子不器用 世の習い だから世の中 上手くいってる」

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○遅咲きの花にも味がある

 昨日は多少こもってはいたものの、気温の高い所では15度を超えて月上旬並みの温かさでした。先日広島県三次市川西地区で使った落伍独演会の小道具類を人間牧場へ運ぶため、午前中の寸暇を惜しんで軽四トラックで出かけました。毎年この頃になると、水仙の花ももう見納めといわんばかりに、花の咲き終わった花ガラが無残に風に晒されているのですが、今年は冬の寒さが異常だったせいでしょうか、ここにきて水仙の花が一ヶ月も遅れて満開となり、わが家の畑の畦道に沢山咲いていました。

 ここら辺は人里離れているし、道も狭いことから道行く人に見られることもなく短い花の季節を終るのでしょうが、せっかく苦労して咲いたというのに惜しい話だと思い、道端に車を止めて一人のんびり花を楽しみました。水仙の花の近くに鼻を寄せると、水仙独特の香りが何ともいえない香りを漂わせてくれるのです。

 今の世の中は花も食べ物も経済に結び付けようと早咲きにするし、早いと目だって一目や話題を奪うのですが、遅咲きだって十分味があると思うのです。どちらかというと遅咲きだった自分の人生と水仙の遅咲きを重ねながら、何処か似ていると思ったりしました。

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 閏住まで帰ると今度はご存知菜の花が、黄色い花をいっぱいいっぱい咲かせていました。先日の天地を揺るがすような大風で、一度は綺麗に咲いていた花が吹き飛んでしまい、地元の人を悲しませていましたが、その後の順調な天候に恵まれて花が回復し、今が見ごろと咲き誇っていました。

 3月になると菜の花ウォークや菜の花トロッコ列車も計画されているので、それまでは待ち遠しいけれども春一番の風が吹かないことを願っていますが、足繁く降るようになった春特有の恵みの雨も花散らしにならぬかと、少し気にしているところです。

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 かつて双海町は、花は踏みつけ花より団子の、花など似合わないと思われた無骨な漁師町でしたが、地道なまちづくりの努力が実って、水仙や菜の花が咲く美しい町へと見事に変身することができました。花にまつわる思い出話はきりがないほどあり、これこそまちづくりの物語なのです。花を愛する人たちも沢山増えて、明後日には海岸国道へ桜の木の植樹をする予定にしています。昨日の昼頃、私の仲間の今治に住む河上和夫さんが桜の苗木を届けてくれました。今回植える桜は60本で、前回下灘中学校跡地に植えた50本を加えると100本を超えるのです。桜の花を愛でれるのは3~4年先になるのでしょうが、遅咲きながら花の咲くまで満を持して待ちたいと思っています。


  「早咲きを 求めたがるが 遅咲きも 味があるよと 水仙咲いて」

  「菜の花の 一面黄色 春の色 ミツバチ飛んで 間もなく蝶ちょ」

  「まあ綺麗 一輪折し 人見つけ 採ったらダメと 注意促す」

  「たかが花 されど人々 思い込め 世話したお陰 春が来たよと」 

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○言ってはいけないこと

 祖母や両親、それに子どもが4人もいて大家族だったわが家も、いつの間にか祖母と母が他界し、子どもたち4人もそれぞれ家を去り、いつの間にか親父と私たち夫婦だけのさびしい家族になってしまいました。その夫婦も妻はまだ外で働き、私もリタイアしたとはいいながら講演活動などが忙しくて家に余りいないため、夫婦でゆっくりという時間は余りないようです。それでも昔のようにまるですれ違い列車のような生活ではないため、夫婦の会話は昔より断然多くなっているようです。しかしその分意見の食い違いも多く、テレビ番組も好みが違うため最後は妻の力が勝って押し切られ、仕方なく書斎にこもってパソコンと会話をするのです。またたまに外に一緒に出ると行きたい場所が違って、私のイライラが少し募っていますが、犬も食わない夫婦なのでまあどちらかというと中のよい夫婦を保っているようで、離婚もせずに仲良く一生を終れそうな雲行きです。

 私と一つ違いですから妻も65歳になって今年から多少なりとも年金が出るようになりました。間もなく勤めも辞める予定なので当然夫婦だけの生活は長くなる予定でしたが、今年の4月には息子家族が同居をすることになり、孫二人が加わるので賑やかな家族が誕生しそうです。

 私たち夫婦は昭和46年に結婚してから早くも40年近くになろうとしていますが、他愛のない喧嘩もする普通の夫婦なのですが、最近夫婦といえども言ってはいけないことがあるような気がしています。妻もそれを守って私に寄り添うように付いて来てくれたようだと気付くのです。

 ①身内の悪口

 ②稼ぎや役職の不満

 ③体のこと

 ④結婚したことを否定すること

 ①誰でも身内の悪口は言われたくないものです。特に親や兄弟の悪口を言われると気持ちのよいものではありません。親類縁者の中には全ていい人ばかりとは限らないので、「あそこやあの人とは昔親戚でも今は付き合っていない」などと言い逃れできるのですが、親や兄弟はそうはいきません。特に兄弟姉妹は願うことなら行ったり来たりの親しい付き合いをしたいものです。

 ②稼ぎや役職の不満を言われると頭にきます。稼ぎや役職は自分の能力を人が評価して成り立つものですが、私のように転職組は同じ年齢の人に比べればいつも一段下にランクされているため、上下関係の組織の中では不平や不満、不安が付きまとうのです。でもそれは宿命ではなく運命ですから、自分の努力によって変えれると思うのです。稼ぎは10万儲ければ10万円に見合った暮らしをすればいいのです。

 ③体のことはどうしようもありません。髪が薄いと言われても足が短いといわれても、顔のつくりが俳優に負けても、これこそオンリーワンです。足の長さも顔のつくりも暮らしてゆくためにはさほど必要な条件とは思わないのです。

 ④「あなたと結婚したから私の人生はつまらなかった」と言う人がいますが、結婚はお互いが100点を持ち寄って原点してゆくのではなく、0点同士が長い時間をかけ100点を目指して加点してゆくものだと思います。結婚したことを否定するような言葉はタブーだと思うのです。

 夫婦関係に溝が生じたようだと気付いたら、これら四つの思い当たることを反省して反対のこと、つまり①身内の話ある口を言わない、②かせぎっやや九色の不満を言わない、②体のことを言わない、④結婚したことを否定することを言わない、つまりいいとこを見つけて褒めあうことです。お互いさらにいい夫婦になるよう努力しましょう。


  「夫婦でも 言っていいこと 悪いこと 分別せねば 離婚近づく」

  「俺たちも 喧嘩はしたが 長続き 三十八度の 一線越えぬ」

  「百点を お互い持ち寄り 減点す そんな夫婦は 長く続かず」

  「ゼロ点の 私少しは 加点され 今じゃ堂々 真ん中辺り」 

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○カツオでないマナガツオという魚

 昨日の夕方漁師をしている親類のおばさんから、「マナガツオのお裾分けをするから取りに来ないか」と誘いの電話がありました。丁度夕食前だったので急いで軽四トラックを走らせ下灘まで行きました。聞けば昨日は下灘の港に沢山マナガツオが水揚げされたそうで、親類のおばさん方も別の漁師さんからいただいたものをおすおすぁけしてくれたのです。今回沢山獲れたというマナガツオは小ぶりなようで、それでも10枚近くに加え建て網で獲ったメバルやホゴもいただきました。

 冬の時期は海が時化るため漁に出る日が少なく、特に今年は寒波の影響で年末から1ヶ月間殆ど漁に出られなかったため、新鮮な魚にありつけなかっただけに、貴重な食料源で大喜びでした。

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 マナガツオという魚はまるでエンゼルフィッシュのような魚です。マナガツオと名前がついてはいますがカツオとは無関係なイボダイの仲間なのです。カツオでもないのに何でマナガツオという名前がついたのかは色々諸説があるようで、カツオが採れる時期と重なっているとか、子どもが生後120日の「喰い初め」に骨が少なく柔らかいため鯛の代用として食べた「まなはじめ」に由来するとか言われていますが定かではありません。

 「北にサケあり西にマナガツオあり」といわれるほど有名で、特に瀬戸内海で獲れるマナガツオは味噌漬けにして食べられたり、刺身、塩焼き天ぷら、煮つけなど万能的な食べ方が出来るのです。わが家では刺身と塩焼きが定番で、昨日は刺身でいただきましたが、美味しくて食が進みました。一説によるとバターフィッシュといわれるそうで、バター焼きもいいそうなので今度試してみようと思います。

 風の噂によると、例年通り今年も何度かマナガツオの大漁に港は湧いたようですが、マナガツオが獲れる漁場は三崎半島沖の推進200メートルの深い場所だし、魚群探知機でマナガツオの群れを探さなければならないため、群れが見つからない日は漁獲ゼロの日も多く、まるで青森県大間のマグロ漁のように辺りはずれが多いのです。そのため漁船全てがマナガツオ漁をしないため、大漁になった時はお裾分けのお裾分けがこうして届くのです。漁獲の多い漁船は一網で200万円~300万円を稼ぐまるで博打のようなものなのです。

 マナガツオに西京味噌をつけて焼くと香ばしい匂いがあたり一面に漂ってきます。「さいきょうを焼く」(人の世話を焼くこと)という言葉の語源はひょっとしたら?何てちょっぴり思いました。

 妻はマナガツオを下ごしらえしてちゃっかり冷蔵庫に収蔵しましたので、ここ2~3にちはマナガツオ三昧の美味しい料理を食べさせてくれることでしょう。魚大好きな私として至福のようです。


  「マナガツオ お裾分けだと 貰い受け 早速夕餉 膳を賑わす」

  「マナガツオ 春の便りを 届け来る 季節巡りて 寒さ和らぐ」

  「美味しいと 異口同音で 言う二人 食が進みて ご飯お替り

  「親父にも お裾分けする マナガツオ かつて昔は 親父も獲った」

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