shin-1さんの日記

○氏神様に初詣

 歩いて10分足らずのところに氏神様である天一稲荷神社があります。正月なので午前9時頃妻を誘い二人で初詣に行きました。鳥居をくぐり急な石段を登り、境内へ進むと何人かの顔見知りの人に出会い、立ち話をしながら「おめでとうございます。今年の正月は寒いですね」と、新年のあいさつを交わしました。木々の隙間から見える伊予灘は、白馬のような大きい波が海岸に向かって幾重にも押し寄せ、灯台のある港の防波堤を容赦なく越えていました。

若松進一ブログ
(氏神様への初詣)

 神社は私が宮総代や区長をしていた4年前に平成の大改修事業が行われ、拝殿、社殿、本殿や屋根尾おすっかり立派になっています。拝殿にかかっていた藁の注連縄も最近銅版製に変えられ厳かな感じがしました。社殿ではお賽銭を入れ、鈴を鳴らし二礼二拍手一拝し敬虔な祈りを捧げました。私は神社やお寺で妻のように、「宝くじが当たりますよう」などと、おねだり型のお祈りはしません。だってこれまでも一度だってこうした願いを神様は叶えてくれたことがないからです。健康すらお祈りしても大怪我したり入院したりするのですから、神様はあ余り信じないようにしているのです。

 神頼みとは所詮そんなものなのです。私は神様に頼むのはむしろ自分に言い聞かせることだと思っています。ゆえに自分の能力の程度を知っているので、あまり高望みをしないようにしています。私がいつも神様に向かって祈るのは家族がとにかく健康であることだけです。お金がなくても健康で働けば何とかなるし、家族が健康ならば家中が明るくなるのです。

 最近寄る年波のせいだけではないと思うのですが、回りには病気持ちの人が沢山いて、病院へ通ったり薬を腹が太るほど飲んでいる人をよく見かけます。また出会うと病気で人生を悲観的に生きている人をよく見かけます。そういう人に限って、健康を他力本願的に捕らえて何もしないのです。健康はあなた任せで勝ち得るものではけっしてないのです。

 年末年始にかけて異常とも思える寒波に見舞われました。中国地方山陰鳥取では1メートルもの積雪で国道に車が千台も20キロにわたって渋滞し、自衛隊までが出動する騒ぎとなり、大山スキー場では表層傾で4人が亡くなり、暗くて悲しいまくあけとなりました。

 こんな寒い日は戸外へ出るのも勇気がいりますが、それでも身体を動かさなければ身体がなまってしまいます。防寒のため厚着をし思い切って外に出て坂道を歩くと、身体がポカポカして気持ちがよくなり、何か元気が回復したようで、年末年始の美食にヘキヘキしていた食欲も回復しました。今年も「幸せは皆身にあり」と思い、ポジティブに生きて行きたいと思っています。

  「初詣 賽銭値切る 祈るゆえ 神も承知と 願い叶わず」

  「幸せは 皆身にありて 神様の せいにするなと 言ってやりたい」

  「寒いから 余計戸外へ 出る勇気 身体ポカポカ お腹すっきり」

  「まず健康 それだけあれば 生きられる 少欲多施の 諺どおり」

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shin-1さんの日記

○正月に思う

 元漁家だったわが家では、元漁師の親父と元漁師の息子がいるものですから、年中行事は漁家でなくなった今でも漁家の風習を守り続けているのです。正月元旦の迎え方も、私が子どものころ教わったことを見よう見真似でかたくなに続けているのです。

 わが家では正月元日の朝だけは戸主である男の私が一番早く起きて台所に立ちます。まず若水で顔と手を洗い身体を清めます。そして台所で大晦日に取っただし汁を鍋に入れて、蒲鉾や豆腐などの具材を切りだし汁の中に投入します。煮立てば、前もって洗って水切りした餅を入れます。餅が半煮えになると火元を止めて漆塗りのお皿に二つ盛ります。ひとつは神様棚、もうひとつは二階座敷の床の間に設えた鏡餅を飾った三方の前に供えます。神棚も床の間にも新酒とお光を灯し、敬虔な祈りを捧げるのです。今年の目標を言葉に出して言い、家族の無病息災を祈るのです。一方台所の隅に祀っている仏壇には火で焼いたお餅に生醤油を少し差して供え、お光、線香、白湯茶を供えて感謝の手を合わせて祈るのです。

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 少し冷めた神棚と三方の雑煮を下げて鍋に戻し煮えたら私のお椀に注ぎ入れて私が食べるのです。私の雑煮の儀式が終わった頃家族が起きて来て、前もって聞いていた個々の雑煮餅の数だけ炊いて、おせち料理を並べ居間で家族に雑煮を振舞うのです。

 お酒をたしなんでいた10年前までは、お屠蘇を飲んでいい気分になっていましたが、身体の都合で酒を断ったため、お屠蘇さえも飲まなくなり、形式的なものになってしまいました。

 漁家は船玉様という大漁や海の安全を司る神様を大事にします。子どもころは漁船やあちこちにある小さな祠などを回って小さく切った雑煮や田作り、神酒などを供えて歩きましたが、今はもうその風習は佐sが似なくなりました。こうした迎春の風習も私一代で終りかと思うと何か寂しい気もしますが、願うことなら少しだけでも息子に伝えてやりたいと思っています。

 私が家の存在をしっかりと意識したのは結婚が決まった時でした。親と同居をすることに多少は抵抗もありましたが、同居を了承した妻とやがて生まれた子ども4人に私の兄弟二人、両親、祖母と一時は10人近い大家族を形成して暮らしました。ゆえに妻の苦労は並大抵ではなかったと思うのです。

 30歳で家を建て、貧乏ながらも4人の子どもを育て、やりくりしてどうにかここまで辿り着きました。私の半生からすると37歳になった長男息子はもう代替わりの年齢なのです。楽隠居などとは努々思っていませんが、わが家のルーツを考えると、そろそろ政権交代を決断しなければなりません。息子にとって今は経済的にきついかも知れませんが、日本の家庭はこうして延々と生き続けているのです。

 今年はそのことをわきまえて、身辺の整理をしなければなりません。年末には次男が大掃除を手伝ってくれました。私たちが勿体ないと思っていたものを、平気でゴミ袋に入れてゴミにしてくれました。私もゴミ袋に入れられないようにもう少し隠居予備軍として頑張りたいと思っています。


  「今年は 色々思う ことありて 違う正月 迎えた気分」

  「雑然と していた机 片付きて 何処か違った 雰囲気醸す」

  「神仏に 祈り捧げる 今日の朝 いつもと違い 身も引き締まる」

  「親父より 受け継ぐ風習 長男に そろそろ伝え 役目終えたい」 

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○今年の目標は「湧潮流」

 昨日と今日、たった一日しか変わらないのに、昨日は大晦日で今日は元日です。家族で紅白歌合戦を見ていましたが、ひいきの歌手が中々出ず、ついには大晦日の大掃除の疲れもあって風呂にゆっくり入り、紅白歌合戦の結果白組が勝った話は、午前零時になって布団に潜り込んできた妻から聞きました。寝入りばなだったので、それから目がさえてついうとうとしていましたが、今朝は正月でもあるし思い切って普通の日より20分も早い3時40分に起床して、書斎で机のパソコンに向かい思いつくまま、今年最初のブログを書き始めました。

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(書斎に張った今年の目標「湧潮流」)

 今年の目標は馬路村からいただいたカレンダーの表紙に「上昇気流」と書いていたので、その4文字熟語に決めようかと思いましたが芸がないので、海の町双海町に住んでいるので、「湧潮流」と決めました。昨年金子みすヾの「大漁を、年末に清水塾頭の旧暦の話を覆いだしたこともこの3文字熟語を選んだ要因のようです。

 「湧潮流」とは海洋用語で、特に漁業関係でよく使われます。海には月の引力の影響で、たえず潮の満ち引きによる潮の流れがあります。私たちは海岸線などの干満の差によってその動きを目視できるのです。


 しかし潮の流れは微妙繊細で、周りの地形や天気、それに月齢によって様々な変化が生じるのです。「湧潮流」はこの流れが何かにぶつかった時海底深い海水がプランクトンを巻き上げながら一気に上に向かって流れます。そんな場所には魚が沢山集まり、漁師にとって格好の漁場となるのです。

 最近はこのような場所を人工的に造ろうと、大きなコンクリートのケーソンを海底に沈めて「湧潮流」を発生させようという実験まで行われているようですが、投資効果はまだ結論が出ていないようです。

 さて「湧潮流」を人間に置き換えて考えて見ましょう。潮の流れは時代の潮流と自分の心の有様を意味します。つまり時代の潮流を的確に捉える判断力と、自己実現の気力がなければいい流れに棹差すことができないのです。またいくら判断力と気力の流れがあっても、心の中にプランクトンになる知識力がなければ、行動力による智恵力は生まれないし、プランクトンに集まる魚を捕らえることはできないのです。思いつくだけでも「湧潮流」は様々な条件が必要で、それらが絡み合ってできる総合力のようなのです。


 今朝パソコンで今年の目標である「湧潮流」の文字を書いてプリントアウトし、昨年の目標として張り出していた二宮尊徳翁の「積小為大」の上に掲げました。①時代の流れを読み「湧潮流という時流に乗る。②自らの心に「湧潮流」という流れを起こす。③「湧潮流」が心の底から巻き上げるプランクトンのような智恵の源を蓄える。④「湧潮流」に人を集める。⑤自ら漁師となって行動力で成果を得る。まあおおよそこの五つくらいを念頭にしっかりとこの一年をs語したい誓いを新たにしました。

  「今年の 三文字熟語 『湧潮流』 海の町ゆえ 新たな視点」

  「いい言葉 思いついたと 早速に プリントアウトし 壁に掲げる」

  「『湧潮流』 おおよそ五つ 念頭に 今年生きよう 誓いも新た」

  「馬路では 上昇気流 俺は俺 『湧潮流』で 向こうを張ろう」

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