shin-1さんの日記

○膝の上の教育

 私が子どものころには幼稚園や保育所も、ましてや学習塾もありませんでした。ゆえに私は幼稚園や保育所、学習塾へは行った経験がないのです。幼児教育が大切なのは論を待たないし、幼稚園や保育所、学習塾を否定するつもりはさらさらありません。むしろそうした幼児教育や英才教育が充実していることをいい時代だと思っているのです。しかし子どもを産み育てる母親の役割や子どもを正しい方向に導く父親の役割を考えると、子育てを他人に預け過ぎで、少し物足らないような気もするのです。

 ある昔の人が言っているように、「私たちは十戒のうち少なくとも八戒は母の膝にいる間に父の口から学んでいた。力は正義でないこと、天地は利己主義のうえに成り立ってはいないこと、泥棒はいかなるものでもよろしくないこと、生命や財産は結局のところ人間にとって最終目的にはならないこと、その他多くのことを知った」のです。つまり子どもを母親の愛情と父親の理性で育てたのです。ゆえに私はたとえ他人による幼児教育を受けていなくても、何とかこの世の中の道理にもとることなく、学力は多少劣るものの生きて来られたのです。

 私たちは物の少ない貧乏な時代に生まれ育ちました。ゆえに親は汗水たらして生きるために一生懸命働きました。親の働く姿を目の当たりにして、少しでも親の役に立ちたい、早く一人前になって親を楽にさせてあげたいと幼な心に思ったものです。それは産み育ててくれた恩への感謝だったのかも知れません。親は温かいまなざしで子どもを見つめ、子どもは親を見つめいい親子の人間関係で育ちました。十戒にもとる行為をすると目から火が出るほど叱られ、時にはげんこつの一つももらいましたが、それは決して児童虐待などではなかったのです。

 街の巷を無表情や反抗的にさまよう青少年の姿を見るにつけ、ひょっとしたら彼らは母親の膝の上にいる時代の愛情と理性の教育が足らなかったからではないかと思うのです。いくらひっ迫財政の中から子ども手当を出しても、いい子どもは育たないと思うのです。

 三水(さんずい)のつく言葉には色々ありますが、社会教育では汗と涙と酒が必要と誰かが言っていますが、私は汗と涙と港も必要だと思っています。特に三水(ざんずい)のない港は巷です。母親や父親、兄弟のいる家庭は心の港のような気もするのです。出港、寄港、帰港、母港、まさに人間には港が必要です。


  「出港や 帰る港と なるような 温い家庭を 作ってやらねば」

  「十戒の 八戒までが 膝の上 勉強などは 二の次なのに」

  「親と子が 顔を見合って 暮らせたら ただそれだけで 幸せですよ」

  「俺などは 勉強多少 劣ったが 温もり心 父母のお陰だ」 

 

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shin-1さんの日記

○新春からパソコンのトラブル続き

 今年は正月新春からパソコン関係のトラブル続きで、毎日その対応に四苦八苦しています。つまずきの初めはプリンター用紙が無くなったことからです。とりあえず正月休みを利用して、これまで書いているブログの未整理部分をプリントアウトしようと、殊勝なことを考え隣町のホームセンターで500枚×5冊=2500枚を買い求めました。「よしこれで安心」とばかりにプリントを始めたものの、12月と7月の2カ月を終えたところで、今度はプリンターのカートリッジインクが赤信号を表示し始めました。まだインクの買いだめはあるだろうと思いきや、ICC50シアンのインクだけが不足しているのです。仕方がないのでプリントをあきらめ、お墓参りに行ったついでに保内町の電気屋さんでエプソン50のインクを一箱買い求め帰宅しました。

 ところが悪いことは重なるもので、今度はパソコンの調子がおかしく、前々からおかしいと思っていたUとM、それにスペースのキーが全く動かなくなりました。急いで東芝に電話し、電話の向こうの人の指示で型番などを読み出し、結果的に修理に出すことにしたのです。

 今の私にとってパソコンがないということは生活のリズムが狂うことを意味します。毎朝4時に起きて一本のブログを書き、毎夜寝る前に一本のブログを書いて更新することができなくなるのです。電話で聞き及ぶとパソコンの修理は発注してから10日間もかかるというのです。10日間もパソコンが使えないのは仕事にならないばかりか大変です。

 ということで仲間の力を借りもう一台のパソコンをとりあえず使えるようにしたという昨日からの結末です。


 昨晩試験的に代替品となったパソコンでブログを書きました。今朝起きて代替品のパソコンを開き書いていますが、何とか対応ができてほっとしているところです。でもトラブルがいつ起きるか分からないので、とりあえず明日の夕方、メーカーの指示で日通ペリカン便がパソコンを取りに来るそうなので、首を長くして修理の行方を見守りたいと思っています。年金暮らしの私にとって4万円の修理代は堪えますが、まあこれも仕方がないと今はあきらめています。

 新しい年が明け、私のパソコンにも新しいメールが沢山入ってくるようになりました。特に講演依頼は早くも12月5日まで予約される始末です。有難いことに違いはないのですが、何となく早いようにも思ったりしながら、パソコンなしではなしえない、私の仕事のことをふと思いながら、今朝もこのブログを思いつくままに書いているのです。外は私の心の動揺を反映するように、再び北西の季節風が強く吹き始め強風波浪注意報が発令されました。


  「トラブルの 解決能力 身について 何とか対応 するにはしたが」

  「妻が言う あなたパソコン 触り過ぎ 私とパソコン どっちが大事?」

  「トラブルの 代償金で 片付けば 安いもんだと 開き直りて」

  「机上には パソコン二台 顔揃え まるでオフィスの ような気もする」


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shin-1さんの日記

○試験運転

 いつも使っているパソコンのキーボードに不具合が生じて、中々自分の思うようにパソコンが動かなくなってしまいました。最初は変換ができなくなる障害でしたが、最近はUとMの文字がキーボードをたたいても動かなくなり、打ち込んだはずのUやMが表示されず。「ま」という字は「あ」だけ、「ゆ」という字はYというローマ字だけが表記されるのです。前にもこんなトラブルがありメーカーに問い合わせたり遠隔操作で修理を試みましたが一向に改善せず、イライラは日毎に募るばかりとなりました。このパソコンはもう保証期間が過ぎているので、直すのにはかなりの日数と費用がかかるようで、そのことも対応を渋った要因なのです。

 しかしこのままでは原稿か気にも支障が出ることから、思い切って修理に出すことにしました。その間代替え用のパソコンを用意しなければならなくなりました。ちょうど良いものが見つかりましたが、これまたわが家のインターネット回線に接続して使えるようにするにはそれ相応の専門的知識と技術が必要であり、またプリンターやスキャナーを使えるようにもしなければなりません。結局公民館の赤石さんに依頼して接続換えを試みました。

 赤石さんは気軽に応じてくれ年明け早々の忙しさの中で色々と対応してくれましたが、最後は赤石さんの友人でパソコンに堪能な専門家の方の助言を携帯で聞きながら修正を続け、やっとのことでブログ書きとメール受発信、それにプリンターが使えるようになりました。

 私はその間何もすることができず、ただ腕を組んで赤石さんの後ろから遠目で作業を見守るしかできませんでした。日ごろは大口をたたいて偉そうなことを言っている私ですが、手も足も出ないとは歯がゆいものです。一応セットを完了して赤石さんは引き揚げましたが、はたして上手くアクセスできてブログやメールが使えるだろうかと不安でなりません。普通は二本のブログ記事ですが、今日は夕方から試験運転のつもりでこの記事を書いていますが、キーボードの具合は抜群で、これなら間違いや変換ミスも少なく済みそうで、ホッとしているところです。

 さて修理に出すパソコンはどのくらいの日数を経て生まれ変わるのでしょうか。こんなこともあろうかと貯金箱貯金をしていましたが、どの程度の出費が必要なのか想像もつきません。まあこんなこともあるだろうと腹をくくり、パソコンの修理を決断したいと思います。


  「腕を組み 作業する人 後ろから 見てることしか できない私」

  「難解な パソコン修理 する仲間 尊敬します できない私」

  「できること できないことを 割り切って 人に頼みし できない私」

  「嬉しいね 助っ人なりし 人がいる いつも迷惑 できない私」

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shin-1さんの日記

○水仙泥簿

 昨日は妻の実家のお墓参りに出かけました。八幡浜までは高速道路を使う方法と長浜~大洲経由の方法、それに夕焼けこやけラインを長浜~保内を通るコースがありますが、昨日は下灘のお墓にお参りした都合もあって、海岸沿いの道を走ることにしました。

道端には既に春を呼ぶ花としてすっかりお馴染みとなった水仙が咲いていて、芳しく馥郁とした香りを漂わせていました。ふと道端を見ると車が一台何か怪しげな行動をしているのです。どこかのおばちゃん5人が道端の水仙の花を切っているのです。一輪ならまだしも一束なのです。私は車を路側帯に止めて走ってそのおばちゃんたちに近づき、「その花は町民が丹精をこめて育てているので取らないように」と、諭しました。

 「なんじゃあ、このおじさんはいきなり」と、不意を突かれたおばさんたちは私の言葉におののき、それまでの笑顔が一瞬にして曇りました。笑顔の可愛いらしい私好みのおばさんは、「すみません」と平謝りに頭を下げましたが、私が嫌いなタイプのように見えるおばちゃんはふてくされたような顔をして、「これは野生の花かと思って」と言い訳をしました。私は立ちすくんだおばちゃんたちに双海町の花いっぱい運動について話をし、理解を求めましたが、残念ながら詫びられても切った花は元に戻すことは出来ないのです。

ふとこのおばちゃんたちはここで取った花は一体何処へどんな気持ちで飾るのだろうと思いました。多分あの量ですから5人が分けて持ち帰るのでしょうが、この花を野生の花と思って飾ればそれはもう立派なインテリアです。でも盗んだ花となると同じ花でも「×××・・・・」でしょう。

 おばちゃんたちのいうように多分悪気があった訳ではないのでしょうが、水仙を切り取った包丁を見るとこれはもう明らかに計画的な犯行としか思えないのです。手に持った包丁をコートの下に隠すように車に積み込んで、行く当てのない切られた水仙をばつが悪そうにトランクに入れて持ち帰る5人のおばさんたちは今頃、走る車の中でどんな会話をしているのだろうと思いながら見送りました。「意地悪な叔父さんに見つかってしまって今日は最悪だ」と嘯くのか、「悪いことをしてしまった」と後悔するのか、はたまた「あのおじさんから聞いた水仙祭りに今週末はシーサイド公園へみんなで出かけよう」と相談するのか、異論の分かれるところです。

私はこれまでにもこのような光景を何度も見てきました。そして注意を促してきました。その都度謝られたり時には口喧嘩までして不愉快なこともありましたが、「花盗人は盗人にあらず」はもう遠い昔の出来事です。今は「花盗人は最低な盗人」だと思うのです。

 そんないきさつの後、保内町の伊予銀行で妻が預金を引き出したいというので立ち寄りました。銀行の入り口には保内町商工会がありました。講演に来た時立ち寄ったはずですが毎回講演は夜間のためすっかり場所を忘れていました。妻が銀行へ入っている間に商工会へ立ち寄りました。馴染みの事務局長さんや指導員さんに会うより、焼き物干支をいただいたこともある安藤さんの笑顔に会いたかったのが本心(笑い)ですが、皆さん優しい笑顔で対応していただき、指導員さんの案内で妻までお茶の接待をしていただきました。実は銀行で引き出したお金は蒲鉾屋を営む商工会長さんが偶然にも若松さんという方で、前回講演会でお会いして以来中元やお歳暮に使わせてもらっていて、その支払いのためだったのです。事務局長ご夫妻とカナダ旅行が一緒だったことや

 局長さんの奥さんが若松蒲鉾に勤めていることもこれまた不思議な話です。まああれやこれや世の中は面白いですね。

  「水仙を 盗む人あり 注意する 包丁容易 計画犯行」

  「一年を かけて咲きたる 水仙を いとも容易く 持ち去るなんて」

  「今頃は 車の中で 『糞親父』 なんて悪口 言ってるだろうな」

  「水仙を 取るは推薦 出来ません なんて戯言 一笑付され」

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shin-1さんの日記

○1月4日は墓参り

 大晦日に百八つのお寺の除夜の鐘を聞き、終わって間もなく神社へお参りに行く神仏混合のいい加減さを感じながら、これも日本人の今流にいえばファジーなんだと納得していますが、正月三が日が終わった1月4日は、私たちの地方ではまるで喪が開けたように、親類縁者のお墓参りをするのです。お墓にお供えするものは、小みかんと小さく切った餅と干し柿、それに手向ける線香です。それぞれ一式をお盆に盛り車に積み込みました。親父は既に自転車で朝早くお参りを済ませているようでした。

 朝食を済ませて準備をし、毎年のことなので自分の家のお墓を起点に、どの墓地から行くかを決めて順番にお墓めぐりです。最近は私の親類も高齢化したため海を見下ろすずっと上の方にあったお墓を、少しでもお参りが楽に出来るようにと海沿いに移転したため、特に昨日のような雨模様で足元が濡れてすべるような日は随分大助かりでした。まず自分の家のお墓に行きました。信心深い親父は往復1キロ程度のお墓に、一週間に一度のペースでお参りをして、お墓の拭き掃除をしたりシキビを入れ替えてくれているので、随分綺麗でした。

若松進一ブログ
(裏山に朝日を拝むわが家の墓地)

 妻がお寺で角桶で水を汲んで持参し、シキビの花活けに水を足したり、湯の実の水を入れ替えました。私は選考にライターで二人分の火を点け、妻の分を渡してそれぞれが線香立てに立て手を合わせ、先祖の供養と家族の安全を祈りました。

機能はひっきりなしにお墓参りする顔見知りの人がお墓周辺を行き来していたため、挨拶や近況立ち話に花が咲きまるで墓地外交のようでした。

 境内にある一昨年末に亡くなり丁度一年の新仏である叔父のお墓、姉の家のお墓、存命中何かとお世話になった新仏である丸山元町長さんのお墓にお参りをしました。この日は官公庁の仕事始めの日で、役場裏の駐車場に車を止めてお墓参りをしたため、顔見知りの市役所の職員に何人かお会いしてあいさつをしましたが、中には合併をしてからこの6年間、こんな小さな田舎町だというのに一度も出会ったこともない人もいて、その人の行動の狭さか、私の行動の範囲が限定的なものなのか分かりませんが、すっかり驚いてしまいました。

 墓地は3ヶ所巡って10数件の家のお墓参りをした後、折角思いついたお墓参りなので、足を延ばして妻の実家のお墓がある八幡浜まで行きました。八幡浜湾を見下ろす大宝寺の裏墓地から見える風景は、妻と結婚して40年近く毎年見ていますが、何処か郷愁をかき立てる見飽きぬ風景です。折りしも12時の時を告げる「みかんの花咲く丘」のミュージックサイレンが鳴って、妻はこの街で過ごした昔を懐かしそうに思い出していたようです。やはり住み慣れた街はいいもののようです。

お墓参りが一段落したので、大洲メッセで買い物を済ませ、オズの湯を楽しもうという相談が二人でまとまりました。これもサンデー毎日のなせる楽しみです。

このところ外食昼食をする時は、二人が別々のメニューを注文し、二人で半分分けしながら二つの食事を楽しむようにしています。これも長年二人で生きてきた智恵でしょうか。機能はお墓参りに名を借りた犬も食わない夫婦水入らずのドライブになったようです。


「正月を 過ぎて二人で 墓参り ついで温泉 楽しむ余裕」

「いつの日か このお墓入る 日が来ると 冗談言いつ 線香たむけ」

「人間の 命はかなき ものにして 町長と叔父 逝き早一年」

「この街で 生まれ育った 言う妻と 歌を聴きつつ 縁の不思議を」

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shin-1さんの日記

○正月三が日も無事終わる

 正月三が日も無事終り、刑していた子どもたちや孫たちも引き上げて、昨晩は久しぶりに妻と二人だけの静かな夜を迎えました。殊勝にも年末年始の忙しさで肩が凝ったという妻の肩を少しだけ揉んでやりました。私も日ごろとは波長の違う孫たちの甲高い泣き笑いの声が頭に響き、多少疲れ気味だし、おせちや雑煮などご馳走ばかりを食べて過ごしたため、多少不食欲気味なようなので、裏山を歩く少し強めのトレーニングを再会しました。

 昨日の夕方妹夫婦が正月のあいさつにやって来て、これも一段落したので姪が持って来てくれた養殖ヒラメを刺身用に料理しました。妻はヒラメと残っていたブリの刺身を使って私のリクエストに応え握り寿司を作ってくれました。普通は台所で食事をするのですが、おせち料理が並ぶ年末年始だけは居間でテレビを見ながら食事をするのですが、昨晩は二人だけの寿司パーティとなりました。ネタがいいので回転寿司など問題にならないほどの味にすっかり満足し、お陰様で満腹となって元の木阿弥でしたが、正月を締めくくる料理としては最高でした。

 私はおせち料理の中で一番好きなのは田作りです。田作りイワシをフライパンで少し炒り、ゴボウと一緒に煮込むのです。鷹の爪を入れてピリッとした感触の田作りはとても美味しく三ヶ日の三度三度の食事の度に味わうのです。数の子や蒲鉾や豆類、刺身などのような少し高級感のする物に比べ田作りは庶民の味なため、家族の誰もが作った時は食べてもその後は殆ど箸をつけないため、今日あたり妻は炊き直して煮詰め、多分これから2~3日は田作りを食事の共にすることでしょう。

 妻は明日から仕事です。サンデー毎日の私の予定は1月8日からスタートです。それまでのんびりと正月気分の余韻を味わう予定で、読む本も4~5冊机の上に用意しています。また新年早々少し長めの原稿も依頼されていて、これも急いで仕上げなければなりません。昨日大阪に帰省中の娘から、「明日帰る。仕事の都合で子どもを2日ほど預かって欲しい」と懇願されました。私は「うーん」と即答を避けましたが仕方がありません。また明日からは賑やかな孫と付き合えるのですから・・・。


「三が日 終りて時の 速さ知る 残り三百 六十二日か」

「田作りを 毎日食べて 過ごしたる 正月終り 未だ残りで」

「ご馳走は 俺にゃ似合わぬ 麦ご飯 炊いて欲しいと 妻に懇願」

「久方に 妻の握りで 寿司パーティ ヒラメとブリは とても美味しく」



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shin-1さんの日記

○春からブログトラブル

 ブログの記事を書き始めて5年が過ぎました。最初は記事を書いてもプリントアウトせずただ書くだけでした。ところがある日のこと、高知県馬路村役場に勤める木下さんを役場オフィスに訪ね出会った時、木下さんは自分の机の後の書棚から何やら分厚い綴りを出してきました。何とこれが私のブログ記事をプリントアウトしたものだったのです。驚くやら恥ずかしいやらでしたが、自分のブログがこうして人に読まれたり活用されたりすることを、お粗末ながら始めて知ったのです。

 その後、色々な人から「私のブログを読んでいる」「読むのが楽しみ」「失礼ながらあなたのブログを活用させてもらっている」などなど、様々な反響の声が全国の知人友人から寄せられ、その度に赤面したりお礼状を出したりしましたが、少しだけ読者を意識して書くようになったことも事実です。

また最初は文字だけだったブログ記事にデジカメという強力な味方が出現し、今では何処へ行ってもデジカメをぶら下げ、特に旅行先などでは珍しい風景や講演会場などを写してルポのような簡単な回想記事も書いているのです。

 高知県馬路村の木下さんが私のブログ記事をプリントアウトしていたのを見て、帰ってから直ぐに何日かかけて全ての記事をプリントアウトしました。かなりの労力だったことや、プリントアウトするのにエプソンプリンターのカートリッジインクが瞬く間に無くなり、また用紙が無くなり、隣町のホームセンターまで買いに走ったり、近所の仲間にお裾分けしてもらったりと、色々な出来事がありました。またプリンターが故障して直すことが出来ず、息子に頼んでインターネットで安いものを購入したりもしましたが、あれもこれも今では楽しい思い出となりました。


 しかし、プリントアウトしたブログ記事一ヶ月分をまとめ目次をつけ、100円ショップで買った紙製のホルダーに綴ったものの、一年間で12冊、5年間で60歳つも出来た膨大なブログ綴りの収納場所が瞬く間になくなり、ついには人間牧場・水平線の家自慢の長くて大きい書棚の一角を占領して、これも限界かなと思っているところです。そんな折強力な味方が出現しました。大分県佐賀関に住む盟友渡辺又計さんからある日のこと突然に、私のブログをCDRに全て集録して送ってくれたのです。しかも私のブログの記事の誤字脱字や変換ミスも修正する念の入れようにビックリしたものでした。これだとたとえ私のパソコンが痛んでも、私が死んでも残るのです。

 それでもプリントアウトをしなければと思い、毎年正月休みを利用してこれまでは何とかプリントアウトをしてきましたが、昨日から始めようと思って始めてみたものの、途中で用紙が無くなり、また途中でインクが切れるなど散々な混乱に会い、目下のところプリントアウト作業を中断しているのです。まあサンデー毎日の私ですから急ぐこともあるまいと鷹を食っていますが、気になる性格なので何とか早く昨年の分だけでも作業を進めたいと思っているところです。新年早々思わぬアクシデントに見舞われましたが、とりあえず今日は意外と高いカートリッジインクを買いに行く予定です。

  「用紙切れ インクが切れて ××××× トラブル続き 何も出来ずに」

  「手間暇を かけて自作の ブログ記事 プリントアウトし 牧場蔵書に」

  「大分の 盟友俺の 頼み綱 世の中いつも 助ける神あり」

  「五年間 書いたブログの 記事さえも たった二枚の デジタルとなる」

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shin-1さんの日記

○五行歌を作る

 昨年の四月、先輩友人の勧めで五行歌の会に加入して8ヶ月が過ぎました。先輩友人が会費2千円を立替払いしてくれていたのも気になりながら、出会った2、3回はどういう訳か貧乏人のくせに一万円札か持ち合わせがなく、先輩友人も「お釣りがないからまた次でいい」と延び延びになってましたが、元来借金の嫌いな性格ゆえいつも気になっていましたが、先日高知県仁淀川町で開かれた講演会に同行していただいた折、二千円を支払い晴れて松山五行歌会の会員になったような気がしました。

 一ヶ月に一度の句の締切日は直ぐにやってきます。主宰者の見山あつこさんから、それとはなしの督促が来ないと忘れてしまういい加減さにおさらばしようと、年末に届いたハガキのこともあって、慌しい年末に一句を作り送りましたが、句会への出席をそれとはなしに誘われているものの、浅学ゆえの駄作しか出来ない負い目もあって、また土日初春水仙祭りや社会教育実行委員会など千客万来で、新春句会も欠席句の提出と相成りました。

願わくば今年は句会へ出席して飛躍をと密かに願っています。

  正月を迎える度に思うこと

  ああまたひとつ歳をとる

  少しため息混じるけど

  仕方がないと諦めて

  今年もひとつ歳をとる

  百姓じゃ飯が喰えんと 

  米作る

  おじさんぶつぶつ言ってるが

  米を作って何故飯喰えぬ?

  不思議だなあ

  ひょっとして

  俺は認知症なのかしら

  探し物する見つかって

  記憶が戻り

  少し安心

  「どれひとつ やっても奥が 深いもの 中途半端じゃ 何も残らず」

  「五行歌を 作って半年 早過ぎた 未だ締め切り ならにゃ作れぬ」

  「今日が早 過去になり行く 忙し日々 うかうか出来ぬ 性根を据えて」

  

    

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shin-1さんの日記

○正月は自分の年齢を意識する日

 正月は日本中の日本人が自分を意識する日かも知れません。日ごろは何気なく過ごしている自分という人間が、とりわけ年齢を意識するのです。私もたった一瞬ですが自分の誕生日と共に年齢を意識して66年間生きてきました。今年も神様の前で手を合わせ、前日まで66歳だったのに、「今年は67歳になります。一生懸命生きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します」と決意を述べました。

 小さいころは早く大人になりたいと思って手を合わせました。最近は心のどこかで「歳をとりたくない」という一種の焦燥感があるのか、子どものころや若いころのような新鮮な気持ちは残念ながら持てず、ある意味少し諦め気味で正月を迎えていたようです。

 年末友人の清水塾頭から「くじけないで」という一冊の本が贈られてきました。年末の慌しさから書斎の郵便物箱に入れたまま封を切らずに年を越していましたが、元旦にそのことに気付き、急いで封を切りました。中から一冊の薄い詩集が出てきました。添えられた手紙には、「~前略~、宮沢賢治や金子みすヾもそうですが、厳しい環境に身を置いて生きたからこそ澄んで研ぎ澄まされたものが生まれるんだと思います。冬の厳しい寒さを経ないと野菜は美味しくならないし、白菜は寒ければ寒いほど甘くなります。このおばあさんもそうですが、笑顔がとても素敵です。このような歳を重ねられたらいいですね。かくありたいと思いました。~後略~」

若松進一ブログ

 「くじけないで」の作者柴田トヨさんは99歳白寿だそうです。普通なら肩の荷を降ろす92歳で詩を始めたというから驚きです。詩集には清水塾頭がいうように、厳しい人生を生きてきた人にしか分からない人生の重みがぎっしり詰まっていて一気に読みました。

 柴田トヨさんの詩には生かされて生きるというつつましさと風を感じる感性のようなものを感じました。また年をとったらこんな生き方をしたいとも思いました。と同時に、柴田トヨさんから見ればまだ66歳の若造なのに、もう歳をとったような気分で正月をを迎えたことを、深く深く反省しました。

   あなたに1

  出来ないからって

  いじけていてはダメ

  私だって 九十六年間

  出来なかった事は

  山ほどある

  父母への孝行

  子どもの教育

  数々の習い事

  でも努力はしたのよ

  精いっぱい

  ねえ それが

  大事じゃないかしら

  さあ立ちあがって

  何かをつかむのよ

  悔いを

  残さないために

  「九十九の 人の詩集に 励まされ 六十六の 俺はまだまだ」

  「何という 遅咲きなんだ この人は 俺は早咲き 過ぎたのかしら」

  「トヨさんに 比べりゃ俺は 三ついちと 勇気のような ものをもらいて」

  「詩を書いて みようと思い 書いてみた 奥が深いな 俺にゃまだまだ」

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shin-1さんの日記

○4つの貯蓄

 無人島に子どもを連れて行った若い頃、無人とのキャンプで、ひょうたん型由利島共和国の大統領として子どもたちに朝な夕な、心に残る話をしてやりたいとない智恵を絞りました。その中に子どもの感想作文によく出てくる4つの貯蓄の話があります。私はこれを四つ葉のクローバーに例え務めて分かりやすく話してやりました。

 先日そのキャンプに子どものころ参加したという青年に会いました。彼はすっかり逞しい青年に成長していましたが、「若松さん、あなたが無人島で話された4つの貯蓄のことは今でもよく覚えています。会社の入社試験の作文にそのことを書いたのですが、お陰様で合格して今の会社に入社しました。子どもが大きくなったら4つの貯蓄の話をしてやりたいと思います」と、嬉しい話をしてくれました。

 まず一つ目は金銭の貯蓄です。世の中を生きて行くのにはお金は大切なものです。お金は足すか引くかの単純なものと思わなければなりません。お金は働いて儲けるもので、お金で自分の欲しいものを買うことができるのです。楽をして設けるお金は得てしてろくなことはなく身につかないものです。例えば10万円儲けても11万円使ったら1万円の赤字になります。でも5万円儲けて4万円使ったら1万円の黒字です。なんでもないこの理屈が意外と分からない人が多いようです。1億円売り上げても2千万円の赤字を出す会社もあれば、1千万円売り上げて百万円黒字を出す会社もあるのです。経営とは金銭の貯蓄を基本原則にしなければ持続はできず、社員の雇用も信用も失ってしまうのです。

 二つ目は健康の貯蓄です。命あっての物だね、健康は何よりも勝る宝物です。身体の健康もさることながら、最近は世相を反映して心の病にかかる人が多くなっています。この10年日本の年間自殺者は3万人を越えているそうで、心の闇の深さを感じます。健康は一朝一夕で保てるものではありません。心と体のバランスも大事だし、快食・快眠・運動など日々の積み重ねが大事だといわれており、健康も貯蓄しなければならないのです。

 少なくとも昨年一年は何とか気力・知力をダウンすることなく過ごせたのもやはり精進の賜物と、今年も健康の貯蓄を心に刻んだところです。


 三つ目は人間関係の貯蓄です。「人生は人間関係に始まって人間関係に終わる」といわれるように、親子や夫婦など家族の人間関係でも難しいし、ましてや他人はもっと難しいものです。私は幸せなことに良好な間関係の中で日々を暮らすことができています。その貯蓄は老い先短い自分の人生の大きな宝物といえるでしょう。

 人間関係身近なほど利害関係が微妙に絡み、一旦こじれると裁判沙汰や殺人にまで発展することだってあるのですから、余程注意をしなければなりません。若い時は一人の方が煩わしい人間関係に振り回されることもなくいいのでしょうが、歳をとって一人で暮らす寂しさは、やはり人間は一人では生きて行くことができないことを物語っているのです。


 四つ目は感動の貯蓄です。「感動は感動という作用によってのみ点火される」というように、感動する心を持たないと伝わりません。私はこれまで様々な感度の場面に出くわし、共感の涙を流したり歓喜を味わってきました。ゆえに感動を人に伝えることができるのです。

 人の悲しみを悲しみと思い、人の喜ぶ姿を見て喜びとするような感動人間になりたいといつも思っています。

 職場の人間関係こそなくなりましたが、家族・近所・グループ・地域・先輩・後輩などとの人間関係の貯蓄をこれからも大切に生きて行きたいと思っています。

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