shin-1さんの日記

○田舎は切り捨てられ見捨てられるものでもない

 毎日ブログを書きながら、暇つぶしではありませんが息抜きに、お気に入りとして登録している何人かのブログを何の承諾もなく読んでいます。その人たちのブログに時々自分のことが肯定的(自分ではそう思っています)に書かれていたりして赤面したりもしますが、まあ納得しつつ時にはコメントを書き込んで声なき声のデジタル交流を行っているところです。

 昨日の喜久家ブログ(浅野長武さん)に私のことが書かれていました。同時に別の記事を読んで納得した言葉があったので紹介します。


 田舎は切り捨てられる存在でもなければ、忘れ去られる存在でもない。

 住む人の心の持ちようで輝きを増す。


 この言葉は田舎に住む、田舎応援団を自認する私がよく講演などで使う言葉とよく似ています。過疎化、高齢化、少子化、産業不振の顕著な田舎では、限界集落や学校統廃合などマイナス的現実を悲観して不安を持って生きている人が沢山います。講演などでやって来る大学の先生や著名な都会暮らしをしている講師は、自分でやらないことを慰め的に話をして、最後に「やるのはあなたたちだ」と言って帰って行くのです。

 私も大学の先生や都会暮らしの著名な講師と同じように色々な話をしますが、浅学な私は理論をは話せないため論理を話しています。論理とは実践に裏打ちされた生き様言葉なので、参加者たちには田舎のおっちゃんの話としてすんなり受け入れられるようです。

 限界集落や学校統廃合などへの行政の無策ぶりには多少憤りを感じていますが、いくら憤りを声高に叫んでも何一つ解決しないことを、田舎に住む人はしっかりと認識して生きて行かなければならないのです。行政が切り捨てたり見放しても、人間がその土地に住んで希望を持って暮らしている限り、そこはユートピアなのです。

 今はどんな土地に住もうと汗さえ出せば、知恵さえ出せばユートピアは生まれるのです。一番困るのは人の過疎ではなく心の過疎です。隣近所が離れていても今はインターネットという優れもののお陰で、情報過疎は解消できるし、うまい空気、うまい水、うまい野菜や魚を食べ、仲間とともに暮らす幸せを、都会のゴミゴミした社会で暮らす人に、田舎の良さを見せびらかしてい生きて行くくらいの勇気がないとダメなのです。

 人はどうであれ、少なくとも私はそう生きているつもりです。ゆえに大きな輝きほどではありませんが、自分で納得した自分サイズの恒星として輝いて生きているのです。私がいつも言っている、「田舎嘆きの10ヶ条」を「田舎楽しみの10ヶ条」に変えて生きて欲しいと思うのです。

 20世紀に田舎に生まれ田舎に育ち、21世紀にもなお田舎に生きています。多分死ぬ時も田舎のままで田舎で死んで行くことでしょう。これは不幸せでなく大きな幸せだと、今日も輝いて生きて行きましょう

  「他の人の ブログを読みて なるほどと 納得しつつ コメント送る」

  「ブツブツと 田舎を嘆く 田舎人 田舎こんなに いいとこなのに」

  「水うまい 空気もうまい 人情も 野菜魚と とびきり贅沢」

  「この田舎 生まれ育ちて おらくは 死んで行くはず これも幸せ」 

 

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shin-1さんの日記

○大きな木も小さな細根によって支えられている

 人間牧場の水平線の家には、標高130メートルの眺望が楽しめるようにウッドデッキが設えています。このウッドデッキはある意味人間牧場の象徴的なもので、観音開きのように開く硝子戸を開けて外に出た訪問者は、一応に眼下に広がる瀬戸内海の眺望の素晴らしさに感嘆の声を上げるのです。硝子戸を開けると室内25畳の広さとと同じ広さのウッドデッキ25畳が、一体的な大広間になるよう設計された息子の知恵に、手前味噌ながら感心して使っているのです。


 人間牧場は母親が長年丹精込めたみかん畑でしたが、母の加齢と私の仕事が忙しいことを理由の不義理がたたって、10年近く放任園になっていました。自然とは偉いもので10年の間にみかんの木は完全に枯れ、そこに雑木や雑草が生えて、足の踏み込めないまるで密林のような姿になっていました。この地に人間牧場を作る構想を練り、自由人になったのを機に今から6年前の4月1日、たった一人で開墾に着手しました。長年肉体労働から遠ざかっていた私の体は最初、その労働の激しさに悲鳴を上げていましたが、その内体も慣れて何とか視界を確保できたのは一カ月も過ぎてからでした。


 雑草や棘は草刈り機で、大木はチェンソーで切り倒し、切り株の下にうずくまる根っこは鍬とマサカリで抜根しましたが、太ももほどある木々の根の広がりや細根の多さには驚いたものでした。そして開墾から学んだのは、「どんなに大きくて強いものでも、小さくて弱いものによって支えられている」という教えでした。私は田舎の役場という小さな組織で長年働いていました。公民館活動や夕日によるまちづくり、町名変更など明暗を分けた仕事は一匹狼のような形で孤軍奮闘してきたつもりでした。また公民館活動も夕日によるまちづくりも沢山の人に支えられて成し得たことを感じてはいましたが、孤軍奮闘の辛さや反対意見への抵抗もあって、ある意味孤軍奮闘の気持ちが上回っているようにも思えたのです。

 一人藪に分け入り開墾しながら、私というたった一人の人間の非力さを感じながら、また地中深く根を張った雑木の抜根をしながら、私や私のやった仕事を支えてくれていた多くの人の存在の多さや大きさに気がついたのです。その経験をしながら自分のこれからの生き方は私を支えてくれた地域への恩返しをしなければならないと固く心に誓ったものでした。

 そんな折、植えた訳でもないのにウッドデッキの両隅に一本ずつ杉の小さな木が芽吹きました。一本は通り道に当たるため来訪者に踏みつけられて最初は息も絶え絶えといったところでしたが、それでも杉の苗木は天に向かってぐんぐん伸び始めました。大きくなったら土台を揺るがすかも知れないと心配するものの、願わくば人間牧場の歴史としてシンボル的に育ててみたいと思う心が強くて、未だに成長を続けているのです。

 この木は実生苗なので人間牧場のどれかの杉の木が母樹となっているに違いありません。人間牧場内の全ての杉の木は母親が北西の季節風からみかんの木を守るために植えた防風垣の名残の木なので、いわば母親の分身みたいなような感じもするのです。

 私はこの2本の木に、相次いで生まれ育っている孫たちの名前をとって「朋樹」「希心」と名付けました。二本の木々は負けず劣らず元気に育っていて、最初に芽吹いた「朋樹」はもう見上げるほどの大きさに成長しているのです。いつか孫たちにこの木の来歴を話し、地中に根を張っているであろう細根の大切さを話してやろうと思っています。

  「大木も 地中細根 あればこそ 天に向かって ぐんぐん伸びる」

  「母植えし 防風垣が 母樹となり 芽吹いて育つ 杉の逞し」

  「杉の木に 負けず育てと 願いつつ 朋樹希心と 孫の名つける」

  「一年に ひとつ年輪 刻みつつ 育つ杉の木 背伸び競いて」

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○今の子どもは忙しい

 最近の子どもたちは、私たちが野山を駆け巡って友だちと自由奔放に過ごした子ども時代とはまったく違い、ある意味不自由な暮らしを強いられているようです。小さいころから行きたくないのに親の都合や願望で、塾や習い事に通わされ、子どものスケジュール表はいつもびっしりなのです。自由なはずの夏・冬・春休みですら、健全育成の名のもと野外活動にそれぞれの青少年団体が子どもたちを奪い合い、多い時には夏休みに4つもキャンプに参加する子どもさえいるのです。

 私はアンケート調査を余り信用しない方ですが、それでもアンケート調査の数字はある程度の方向を示していれることも事実なのです。

 親を対象に実施したあるアンケート結果によると、子どもを持つ現代の親は子どもころ78.5%が習い事を経験しているそうです。習い事の内容としては、①ピアノ・電子オルガン36.7%、②習字・書道31.9%、③水泳・スイミング26.7%、④ソロバン13.5%、⑤英語・英会話13.0%のようです。


 子どもに習い事を習わせたいと考える親は83.3%もあって、習わせたいものも、①ピアノ・電子オルガン、②習字・書道、③水泳・スイミング、⑤英語・英会話の順になっていますが、親の習ったソロバンに代わって④に子どもに選ばせるが入っているようです。

 親に、あなたは子供のころに習ったことがその後の人生に役に立ちましたか?と尋ねると、殆ど役に立っていないと、どちらかというと役に立っていないと答えた人が多いようで、習い事は学習塾のような成果はなく、むしろ自分の生きていくためのの感性を磨くのにやくだっているのではないでしょうか。


 私もこのアンケート結果には同感で、私自身の日々の暮らしでも、楽器を弾いたり聞いたり、文字を書いたり英語を話したり、泳いだりはしないのです。今頃になって「もしもピアノが弾けたなら」「もしももっと字が上手に書けたら」「もしも泳ぐのが得意だったら」「もしもソロバン計算ができたら」「もしも英語が話せたら」などと思いを巡らせると、子ども時代にそんな習い事の環境に恵まれなかったことを悔いるのです。と同時に今の子どもたちは恵まれていると思う反面、自分の遊ぶ時間や自由時間が削られて可哀そうだと同情もするのです。

 残念なことに子どもを育てる今の親たちは、子どもの頃せっかく習ったこれらのことを生かしていないという事実です。せっかく高い金を出して買ったピアノも応接間の飾り物として埃を被っていたりしたのでは全く意味がないのです。かくいう娘も嫁ぐ時、マンションが狭い、隣近所に迷惑がかかるという理由から、わが家の応接間で埃を被っているおです。綿も悪ふざけで年に何回かピアノを弾いたりしますが、自分の子どもたちの誕生日に母親がハッピーバーズデーの曲を弾いてやれたら、どんなに素敵な母親だと感じることでしょうか。

  「あれこれと 習い事して 忙しい 今の子どもは 可哀そうだな」

  「習い事 してない私 あれこれも できず一生 終ってしまう」

  「アンケート 調査結果が 物語る 生かして生きる ようにしないと」

  「役立たぬ ことを習うも 意味がある 潜在能力 いつか役立つ」

 

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○初春水仙祭りに思う

 8日~9日に渡り、2日間にわたって行われた初春水仙祭りも、私のちょっとした怪我などの話題を添えて無事終りました。屋外イベントにとって天気ほど重要な意味を持っているものはありません。特に今年のように例年にない寒波の襲来が激しい冬の季節は、寒さに弱いお年寄りはまず来ないし、オーソドックスな花がテーマなので、例年より長い冬休み最中であっても、子どもたちには縁遠いようです。それでも正月休みがやっと明け、春を待ちわびる人も沢山いて、会場となったシーサイド公園イベント広場は久しぶりに活況を呈していました。

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 私が15年前に始めた水仙祭りは、どうしたらお客さんが来てくれるか、どうしたらお客さんが特産品センターの中へ入って品物を買ってくれるかが主要なテーマでした。ゆえにイベントホールを千本もの水仙を山取りしてきて青竹やハンギリなどで刈谷崎省吾ばりに私がディスプレーして、お客の体と視線を室内に呼び込んでいました。当時は鮮魚店もじゃこ天の店も今のような姿でなく、日曜市のお店もなかったのです。屋外のイベント広場には、東洋殖産からタダでいただいた植木鉢に一年中をかけて育てた水仙の鉢植えが、まるでお花畑のように白い木枠で囲われて並び、もうこれでもかと言わんばかり演出していました。

 イベントを30年以上にわたって手掛けてきた、いわばセミプロのような私ですが、水仙祭りも時代の流れの中で、変えてはならないものと変えなければならないものとを整理していく時期に来ているようにも思えるのです。その重要な役割を担っているのは、企画する段階での第三セクターと市役所の存在です。イベントには「何のために」「何を」といった5W1Hが必要ですが、主催する人が誰なのか、誰がシグナルを出しているのかが見えづらくなっているようです。例えば今回私の不注意で私がちょっとした怪我をしました。私だからよかったようなものの、もし不特定多数の参加者が事故に巻き込まれていたらどうだろうとも思いました。要はと責任の取り方も含めた危機管理能力があるかどうかが試されているのです。

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(UFOじゃこ天とは面白い)

 

このまま何の反省や見直しもしなかったら、このイベントはこれ以上の発展は望めないのです。客足が以前より減ったことも気になります。それをエミフルや高速道路無料化実験事業のせいにして諦めている人たちが第三セクターにも市役所にも蔓延しているようにも思えるのです。いつの時代もマイナス的要因はつきものです。それを打ち払う企画力は問題意識を持った危機感と学習からしか生まれないのです。

 新しい芽も幾つか感じられました。入口付近で米湊さんや松本さんたちが売っていた、B級グルメのようなUFOじゃこ天は、前日地元新聞で紹介されたこともあって、かなりの売れ行きだったようです。公共媒体のマスコミをタイムリーに使ったこの作戦は、かつて私が使った手法なのですが、デジタル時代になってもこうした情報発信手法は確かな手応えとして、今後も大いに活用してほしいと願っています。

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(愛媛新聞地方欄に載ったUFOじゃこ天)

  「幾つもの イベント仕掛け 思うこと 鍵は必ず 内にあるもの」

  「責任を 誰が取るのか 危機管理 試されました しっかり議論」

  「アイデアや 情報発信 撒き餌する お陰で売れた UFOじゃこ天」

  「水仙が 忘れ去られる オットット おばちゃんたちの 苦労大事に」 

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○不燃人・可燃人・自燃人・類燃人、あなたはどのタイプ?

 昨日は怪我をした顔にリバテープを張ったままの痛々しさで、昨年11月に開かれた社会教育実践交流集会の反省会に臨みました。松本小番頭と午後5時に伊予市で待ち合わせして、私の車で会場となっている道後のにぎたつ会館へ予定通り20分前に到着しました。既に代表世話人の讃岐先生や事務局の仙波さんたちも見えられて賑やかな世間話をしました。

 時ならぬ私の痛々しい顔を見て誰もが驚き、「どうしたの?」と気遣いの言葉をかけてくれました。その都度「いやあ実は・・・・」と釈明するのですが、30人を超えた殆ど全員の参加者への対応に、会が始まる前から少々疲れてしまいました。

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 この日の席順はくじ引きで私は16番を引き当て、横の席が松本さん、讃岐先生、米湊さんと同じようなくじを引き当て苦笑いをしました。酒の飲めない私はもっぱら注ぎ役で、次々とお酌にやって来る人と面談しながら3時間も過ごしました。

 参加者の中には今日ブログを読んでコメントを書き込んだばかりの浅野先生がいました。先生とは国立大洲青少年交流の家に勤務していたころ知り合い、その後も意気投合して年輪塾への参加もあり最近では最も近しい関係の人なのです。先生がいきなり「若松さんは今日のような会は何故か目立ちませんね」と唐突に言われました。「同化」を心がけている私への嬉しい評価でした。

 少しだけ酔っている浅野先生と、素面の私との会話は少し長めで、二つのことを話しました。まず一つは人間の4つの分類でした。大変失礼な話ですが人間をごみにたとえ不燃人、可燃人、自燃人、類燃人に分け、2・6・2の不文律を、2・5・2・1にしようと提案しました。不燃人はいくら言ってもやらない人、可燃人は指示待ち人間で言えばやる人、自燃人は誰に言われることなく自らが行動を起こす、昨日集まっているような人たちです。しかし究極のランクがもう一つあることに気がつきました。それは類燃人です。類燃人は自燃人なのですが、自分の持っている内なる炎を他の人に点火できる人、つまり人に影響を及ぼす人なのです。私も最近はそのことに気づき、かくありたいと思って行動しているのです。

 さてもう一つの話は、家族の有り様の話です。先生も自宅を増改新築中だとブログに書いていました。家を建てるということはそこを拠点に暮らしをしたり、近所づきあいをすることです。そして家族や近隣との人間関係が始まるんですが、身近な人間関係ゆえに様々な気苦労が生まれます。特に長男の嫁と親との関係に微妙な影を落とすのです。勿論長男はその板挟みの中で左についたり右についたりする気苦労をしなければなりませんが、時には息詰まることだってあることを承知しなければなりません。賢明なご家族ゆえとり越し苦労になるよう

祈っています。ほんの短い時間にこれほど意味のある二つの話を引き出して、私に話させた浅野先生も只者ではないと思い、遠方ゆえにぎたつ会館に泊る浅野先生と2次会に出かける松本さんや米湊さんをあとに残して帰途につきました。

  「自燃人 理想の人と 思ったが その上目指す 類燃人に」

  「いつまでも 俺は素面だ 飲まぬゆえ 理論武装が 功を奏する」

  「楽しいね 心許せる 人と会う 思い語りて 夜の更けるまで」

  「顔に傷 何があったと 口々に 都度に釈明 少し疲れた」


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○思わぬ顔の負傷で男前が台無しです

 昨日は大荒れだった年末年始の天気が嘘のような、一転して風もないいい天気に恵まれ、双海町恒例の「初春水仙祭り」がふたみシーサイド公園で行われました。私も年末に漁協女性部長さんから餅つきのボランティアを頼まれていたので出かけて行きました。最近は高速道路無料化実験事業が行われているため、並行路線である国道56号線や国道378号線は交通量が激減して、日常もそうですが色々なイベントをしても集客に苦労をしているようです。これからは余程知恵を使わないと、「前年もやっているから」なんて安易な取り組みをしても人を集めることは難しいのです。

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(左目上を負傷し痛々しい私の自画像」

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(私の顔を直撃した木馬のようなダイガラ餅つき機)

 それでも30人余りで組織している花の会が主体になって水仙祭りは昨日と今日の二日間開かれ、正月休みに疲れた人たちがやって来ました。私が始めた初春水仙祭りなので心の痛みもあって、毎年のように後方支援に出かけていますが、私の出番はダイガラ餅つきの手臼役なのです。13時からの餅つきショーなので12時30分に会場へ到着し、市役所支所の人たちと一緒に臼や杵などを取り出して準備をしました。既にもち米は調理室のボイラーで蒸されていて白い蒸気を上げていました。部長さんが用意をしてくれた法被に着替え、初春ということで豆絞りの鉢巻をして威勢よくやろうと、心の準備ができました。


 ダイガラ餅つきは参加者参加型の餅つきなので、希望者を募り子どもも大人も入れ替わり立ち替わりダイガラの上に立って、よいしょよいしょと掛け声に合わせて突き立てるのです。珍しい光景を一目見ようと餅つき会場は人だかりが二重三重にできて賑やかでした。小突き、本突きと進み、やがて子どもに代わって頑丈な男の人がダイガラに立ちました。振り向いた瞬間顔面の上にいきなり杵棒が何の予測おなしに落ちてきました。目の上に衝撃が走り、真っ赤な血が噴き出し始めました。少雨いの人もその光景に一瞬静まり返り、私も締めていた鉢巻きで血の出た部分を押さえて加工場へ退きました。女性部のみなさんの、ダイガラの上にあがっていた頑丈な男の人も心配してやって来ました。自分の傷口は見えませんでしたが、消毒液と傷口テープで応急処置をしてもらいましたが、傷口の出血はそのうち収まりましたが、血染めのタオルは使えないので、女性部の人が真新しいタオルを用意してくれました。それで傷口の止血をするため固く締め、残りの2臼をどうにかこなしました。


 これまで一度も怪我などしたこともなかっただけに、改めてイベントの安全性を思いました。事故は忘れたころにやって来るものです。私でよかったもののこれが参加者となると補償など厄介なことに発展することを、これまでの経験から思い出しました。

 突きたての餅は瞬く間に売れ、完売したようです。私もお裾分けをいただきましたが、居合わせた遠方より家族連れで来られていた懐かしい人に差し上げ大層喜ばれました。

 花の会の方々が作った手作りのぜんざいを美味しくいただき、過ぎ越し15回の水仙祭りを懐かしみながら思い出話に花を咲かせました。みんなあれから15歳も歳をとった計算になるのですが、気持はあのころのままのようです。

 降って湧いた負傷騒動も大したこともなく、今日も13時からボランティアに出かけようと思っています。

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(娘・嫁・孫たちも山のにぎわいとばかりに参加しました)


  「他の人で なくてよかった そう思い、傷口撫でるが 未だに痛い」

  「人災も 忘れたころに やって来る 心入れ替え 新た気持で」

  「男前 顔が台無し ふざけるも 傷口痛み 赤い血少々」

  「怪我すれば みんな優しく してくれる いつも怪我して いようと思う」

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○オウムになった親父

 サリン事件で世の中を震撼させたオウム真理教のオウムではありません。人間の言葉を真似して喋る鳥のオウムです。私が偉いと思う動物には水族館で芸をするアシカやイルカ、シャチ、昔から大道芸やサーカスでショーを演じているサルや犬などがいますが、調教師から訓練を受けた動物たちはそれぞれ入場料を払った人間様にそれ相応の芸を楽しませているのです。それらの動物と同じようにオウムは学習の出来る動物で、覚えさせれば人間様と日常会話ができるのですから、やはりダントツで偉い動物だと思うのです。

 松山五行歌会12月歌会の結果が主宰する見山あつこさんから送られてきました。出席歌、欠席歌の順に紹介と選評が書き添えられています。私も駄作なら締め切り間際にメールで欠席歌を送らせてもらいました。


 「おはよう」と

 声かけ親父顔を見る

 同じ「おはよう」二度も言う

 まるでオウムだ

 俺もああなる

 選評には「☆毎日繰り返される息子と父親の朝の光景。「おはよう」を二度も言う父に老いを感じている作者。だが、自分もそのうち歩く道。不安に感じながらも、どこか達観しているようにも思える作者です。」と書かれていました。撰者の選評は作った私の心をまるでレントゲン写真でも見ているように見透かしているのです。

 今朝も朝起きて着替えをする間もなく、一人暮らしの親父の安否を確かめるために隠居へ行きました。最近は寒くなって巣籠もりしているようにも見えるのですが、どうしてどうして食事が終わるとすぐに散歩に出かけたり、昨日は7キロ先の下灘診療所へ自転車に乗って診察のまで出掛けるほどの、92歳とは思えぬ元気さですが、さすがに耳は遠くなり、毎日見ているテレビの時代劇などはボリュームいっぱいに上げて1メートル以内で見ているのです。

 毎朝のあいさつは「おはよう」ですが、最近は「おはよう」と言う私の言葉で私の存在に気付き、私は顔を見合わせて同じ「おはよう」を二度繰り返すのです。すべからく会話はこのようにまるでオウムのように二度言って成立するのです。最初はまどろこしく思っていましたが、今ではすっかりオウム会話にも慣れてきましたが、これからも私と親父のオウム会話は続くことでしょう。

 親父ほどではありませんが、最近私も少し耳が遠くなったような気がします。時々やって来る孫たちの見ているテレビの音が意外と低く聞こえにくいのでボリュームをワンランクアップするのですが、孫たちはすぐにボリュームを下げてしまうのです。私も老いはもうそこまで来ているようです。


  「おはようと 言えばおはよう 返り来る まるでオウムと 話しているよう」

  「何となく 聞こえにくいと 思いだす 年のせいかも 知れないなどと」

  「行く道と 親父行動 注視する 納得しつつ ああはならぬと」

  「この歳に なっても親父 越えられぬ 自分自身に 多少落胆」

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○私の記憶装置が手元から消えた

 2005年3月31日(平成17年)をもって長年務めた役場を教育長を最後に退職し、2005年4月1日から始まった私の自由人生活で、妻とともに私に寄り添うような形で付き合ってくれているのはパソコンでした。在職中は部類のパソコン嫌いで、ワープロやパソコンで多少は仕事ができるようになってはいたものの、身を入れて勉強などはしていなかったのです。ゆえに後れを取っていた負い目もあって、本業から離れた時はもう一生パソコンなどには縁がない人生を送れるだろうと安心したものでした。

 ところが教育長在職中に、自由人になるであろう予測から講演を引き受けていた相手先から、「演題やプロフィール、レジメをメールかFAXで送れ」と催促が来るようになり、最初はFAX通信でお茶を濁してしていましたが、FAXの調子が悪くなったりFAX受信のためのカーボンが切れたりとトラブルが続発して、相手先にずいぶん迷惑をかけるようになりました。

 在職中に味わった電子メールの便利さを思い出し、退職2ヵ月後に仕方なくパソコンを始めたのです。パソコンを学校で習わなかった世代に生まれた私なので、パソコンも最初はトラブル続きで、結局は建築関係の仕事をしている長男と、大学関係の仕事をしている娘婿に世話をかけながら、何とかメールの受信やす審ができるようになりました。

 娘婿に勧められて始めたブログや娘婿が作ってくれたホームページによって、一応パソコンを下手糞ながら使えるようになりましたが、相変わらずトラブルの度に息子や娘婿の支援を受けていて、最近は仲間内をいいことに市役所の松本さんや教育委員会の赤石さん、松原さんにも協力を求めている情けない66歳の初老なのです。

 さて今使っているパソコンは退職後2台目です。不具合が生じ娘婿がインターネットで購入してくれたものですが、最新のVista機能の東芝dynabookは何かと便利な機能が付いているものの、私の能力では使いこなすこともできず、もっぱら文章作成、メールの受発信、ブログ作成、プリンター接続のプリントやスキャナー使用程度にとどまっているのです。

 何ヶ月か前にキーボードに違和感を生じ東芝の修理センターに電話を入れ、遠隔操作と携帯電話で何とか応急処置をしましたが、スペースキーや変換キーが動かなくなったり、MとUの文字が出なかったりし始め、結局は動かなくなり修理に出すことにしたのです。修理は約10日間を要するとのこと、契約している日通が緩衝段ボールを持って指定日に取りに来ることなどを確認して予約、ついには昨日の午後4時、私の元から私の退職後5年余りの記憶装置が消えたのです。修理期間中は代替のNECパソコンを使っていますが、お気に入りなど仲間のブログ更新も殆どできず、忍耐の日々が続きそうです。なくなって初めて私の記憶の殆どを引き受けてくれていたパソコンの重要性を思っているこのごろです。

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(代替使用しているNECのパソコン)


  「手元から 記憶装置が 消えました 六年近く 集めたものが・・・」

  「あらためて デジタル時代 生きている 実感しつつ パソコン修理」

  「修理など するよりましな 方法は 使い捨てする 今の世の中」

  「どこか変 机の上の 様変わり 落ち着かなくて ソワソワしつつ」 

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○道を踏み外すことのないように生きよう

 私は35年間小さな田舎町双海町の役場に勤めてきました。役場に初出勤した日先輩上司から一冊の分厚い本を手渡されました。双海町の条例を綴った例規集でした。上司は分かったような口調で「この条例を頭に叩き込め」「役場はこの条例と法に則って仕事をするところだ」などと私を諭しました。しかし役場に入って間もない私には、お役所用語のオンパレードとでもいえる条例など、覚えるどころか読めば読むほど適当な解釈ができると思ったのです。というのは条例の最後あたりに、「町長が認めた場合はこの限りでない」と、町長さえ認めれば書ていることを覆すことだってできると思ったのでした。現に田舎の役場では条例の解釈が私の思った通り緩やかだったのです。ましてや私に条例の蘊蓄を傾けた上司は、条例など覚えているどころかまるで無視するような行動をしている時もありました。

 私も管理職になってからは、議会の度に新しい条例案や改正案を作成して、議会に提案議決してもらったりしましたが、私は法というのは人間の都合のいいように作り直されるものだと思っています。例えば刑法で時効が決められていても、社会の変化に合わなくなったと判断されると時効が無くなったり、公職選挙法だって議員の都合のいい方法に変えられ、解釈だってそれぞれ勝手に解釈して法の目を逃れようとするのです。

 法は国民の幸せのためにあると作る人は言います。法の番人たる公務員も法を守ることは国民の幸せのためだと言います。それは正しいことかもしれませんが、法を守るべき人が法の目をかいくぐる術を知っていてかいくぐるとしたら、法は作る人と守る人を守るためにあるような懐疑も成り立つのです。

 私は遅ればせながら最近、自らが開いている私塾年輪塾で二宮尊徳翁夜話を学ぶ機会を得ました。清水塾頭からメールで送られてくる夜話解説を読みながら、百数十年の時を超えてなお尊徳の言ったことが陳腐化していないことに気がつきました。尊徳の言葉は道なのです。まさに道は不変不易なんです。

 ある人が「法は時により中国の聖賢によっても変わる。わが国に移されればなおさらである。しかし道は、永遠の始めから生じたものである。徳の名に先だって、道は知られていた。人間の出現する前に宇宙は道を持っていた。人が消滅し、天地がたとえ無に帰した後でも、それは残り続ける。しかし法は、時代の必要にかなうように作られたものである。時と所が変わり、聖人の法も世に合わなくなると、道のもとをそこなう。」と言っています。

 私のような凡人にはまだ道の何であるかは分かりませんが、学ぶことによって「自分の前に道はない。自分の後ろに道はできる」のだと信じて、道を踏み外すことのないようにしたいものです。

  「法律や 条例などは 解釈で 変わるものだが 道は変えれず」

  「尊徳を 学びて道を 意識する 踏みつけ道だが おぼろげながら」

  「随分と 回り道した これまでを 振り返りつつ 道なき道を」

  「これほどに 進んでいると 思う世も 百年前より 人は遅れて」

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○十亀さんの新しいアイディアは面白い

 早いもので、動く広告塔を自認する私のすっかりお馴染み持ち物となって、木になるかばんに忍ばせ全国を持ち歩いている電光掲示板を手に入れて、早3年が経ちました。この電光掲示板は新居浜の十亀孝さんに地域づくり人養成講座で出会い、酒の席で「電光掲示板のPRに一役買う」という約束でいただいたものなのです。以来デジタルに弱い私ですが、デジタルに弱い田舎人の前でどうにか使いこなし、講演会に参加した人たちをあっと言わせたり、興味を持った人に売り込みをして、どうにか十亀さんへの義理面目を保ってきたのです。私の口利きで既に徳島県や高知県へ嫁入りした、電光掲示板を使ってPR効果を出している人もいるようです。

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(十亀さんの「飛び出す名刺」も中々のアイディアでした)

 電光掲示板をいただくきっかけを作ってくれた清水年輪塾塾頭の配慮で、電光掲示板へアナログ文字をパソコン入力するのも、ちょっとしたトラブルを解決するのも全て清水塾との手を煩わせていましたが、先日清水塾頭が十亀さんに出会った折、ソフトを私のパソコンに入力して欲しいと頼まれたらしく、年末にメールが入ってやり取りの結果、昨日午後1時過ぎに十亀さんは私の自宅へやって来ました。早速私の書斎でパソコンにインストールしていただきましたが、パソコントラブルの真っ最中で本体を今日の午後修理に出すところだったため、とりあえず代替パソコンに入力してもらいテストや入力ノウハウを学びました。

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(まだ試作中のブース模型案)

 平成18年ニュービジネスコンテスト松山「キャリアベンチャー選手権でストリートCMが再優勝種を受賞した、PR演出クリエイターを名乗る十亀さんは面白い発想をする人で、昨日も試作中の模型を持参して私の意見を聞きたいというのです。私もまちづくりに関してはいささかの興味や蘊蓄を語る人間なので意気投合し、色々な意見を述べ合いました。

 最近はB級グルメや特産品販売、コスプレなど全国各地でご当地PRが盛んに行われていますが、その折のブースが余りパッとしないのに目をつけるしたたかさはさすがです。とりあえず全国各地を出歩いている私が電光掲示板の時と同じようにマネキンになる約束までして初夢語りは終りました。

 妻は電光掲示板をいただいたことを気にしていて、お土産でもとささやかなものを用意をしてくれましたが、十亀さんのような問題意識を持って常に夢を語る人は大好きです。この夢がいつも私が口を酸っぱくして地域づくり人に言っている「夢とソロバン」なのです。また「夢はドリームではなくターゲットである」ことも、ストリートCMで最優秀賞を獲得した彼が実践していることなのです。

 生き延びて行くために企業は様々な努力をしています。十亀さんの姿は何か神々しく見え、私もうかうかしてはいられないと心を新たにした一日でした。「ご当地ブースは夢の宝石箱や~」(彦麻呂も大笑いや~)


  「その夢に 私も一つ 乗ろうかな マネキン役も 悪くはないな」

  「前向きに 生きてる人に 久しぶり 出会いワクワク ドキドキ共有」

  「十余り 亀の甲羅を 持った人 名前負けじと 目出度若松」

  「講演に 背景ブース 持ち込んで・・・・ 他愛ないこと 頭に描く」

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