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○吉田町学校支援理解促進研修会

 1月14日と15日の両日、島根県雲南市吉田町で開かれた学校支援の在り方を考える研修会に招かれ出かけました。一日目は田井公民館で19時からの夜の集会でした。この公民館は思い出の深い公民館で、10年前講演に招かれ講演中に瀬戸内海側で芸予地震が起き、講演を一時中断したのです。その後テレビのニュースで地震のことを知り、現職の課長でもあったので役場に連絡を取ろうと試みましたが、残念ながら役場にも家にも電話が通じず、急いで帰宅の途に着いたのでした。

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 参加した人の顔をいちいちは覚えていませんが、10年の時の流れはこの山村にも過疎化、高齢化、少子化という厳しい波が押し寄せ、私がこの日事前に訪ねた吉田小学校民谷分校は来年一年で長い歴史に幕を閉じ、廃校になるのだと聞きました。児童の数5人の雪に埋もれた小さな学校は、弱小学校ながら壁のいたるところにこの一年間地域とともに歩んできた足跡が張り出され、どんな立派な大規模校にも負けず、とても輝いて見えました。これも地域ぐるみの学校支援あればこその成果なのです。

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(5人の子どもの健康観察表)
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(壁に張り出されている児童数の推移)
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(分校の一年間)

 その夜は近くの奥出雲湯村温泉にある古民家再生旅館に泊めていただきました。窓から見える川沿いの集落の風景も、部屋の優しい灯りも、また大衆浴場のような源泉かけ流しの湯殿も冬の山陰路の隠れ家的風情があり、満足のいくものでした。

 夜時折「ドサッ」という大きな物音がして、一瞬「何事か」と目が覚めました。どうやら30センチを超える屋根に積もった雪が、折から降り出したみぞれ交じりの雨で落ちたようでした。それからは目がさえて結局眠れないため、旅のお供に持参した一冊の本を読みながら夜明けを待ちました。

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(宿舎オーペルジュ雲南の窓越しに見える雪の風景)
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(講演会場吉田健康福祉センターの窓越しに見えた桜の木は雪の花でした)

 二日目は吉田の中心部に会場を移し午前9時からの開会でした。会場に着くと15年前に島根県美保関で出会った横木さんに出会いました。また知り合いの川上社教主事さんとも嬉しい出会いとなりました。この日は私の都合と折からの寒波の影響で雪が降り積もると道がふさがれることが危惧されるため、わがままを言って10分間ばかり早く切り上げさせてもらいました。

 昨日午後通った峠道には既に20センチもの新雪が積もっていましたが、どうにか国道へ出て予定通り松島さんの車で辿り着き、私の車に乗り替わってしまなみ海道を渡って四国へと帰りました。


  「携帯で 『着いたぞ雪だ』 報告す 妻はいいねと 雪に憧れ」

  「夜突如 ドサッと音で 目が覚める 屋根から落ちた 雪かも知れぬ」

  「再来年 この学校も 廃校と 聞いて無念の 心が痛む」

  「十年は 長いようでも 短くて 世の中変わり 私も変わる」


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○薪ストーブを囲んで大学生との研修

 えひめ地域政策研究センターへ一昨年まで3年間出向していた松本さんが、双海地域事務所に帰って来たため、わが町へやって来る人がかなり多くなってきました。3年間に培った県内外の人脈ネットワークと、自らのスキルアップによって人との出会いの重要性が増したからであり、そのおこぼれを頂戴する私にとっても嬉しいことだと喜んでいます。中でも研修にやって来たり、双海町をテーマに卒論を書くためやって来る学生たちとの出会いは、私が大学の非常勤講師や客員教授を務めていることもあって、願ってもないチャンスなのです。

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 3日前農学部三回生で隣町中山町出身の武智さんが研修のため、受け入れ主である松本さんに連れられて人間牧場へやって来ました。瀬戸内とはいいながら真冬の寒風がもろに吹き付ける人間牧場・水平線の家へは、私も今年に入ってまだ一度も訪れてなく気になっいたので、これ幸いとばかりに事務所で待ち合わせして一緒の車で出かけました。

 急いで薪ストーブに火を入れ、赤々と燃えるストーブを囲みながら3人で色々な雑談をしました。大学生たちにとってはこの不況の中で就職先を見つけることは容易なことではありません。自分の夢と現実の落差を感じながらも、また実家が専業農家でゆくゆくは農業の後を継がなければならない宿命も吐露しながら、1時間半も話し込みました。

 武智さんの希望では、観光サービス産業のような所へ一度就職して、働きながら将来のことを外から眺めてみたいと思っているようです。農学部を出たからいきなり農業ができるほど農業はやわい仕事ではありません。ましてや将来どうなるかということも、農業を取り巻く環境が厳しいだけに不安です。

 武智さんは昨年私が4日間にわたって大学で、地域活性化論Ⅰと地域活性化論Ⅱの集中講義の際に受講した学生でもあるので、他人事とは思えぬ気持でした。ゆえにこれからの研究の一助にと私は「昇る夕日でまちづくり」と「夕日徒然草地の書・火の書・水の書」という4冊の自著本をプレゼントしてやりました。本来本は買うもので貰うものではないと思い、殆どの人には差し上げないのですが、大袈裟ながら将来への投資として差し上げました。

 年末から年始にかけて人の気配を感じなかった人間牧場には、水平線の家の外壁に穴をあける悪者のキツツキが住みつき、海に面した外壁を一生懸命くちばしで叩いて穴を開けていました。追い払っても再び悪びれる様子もなく相変わらずの悪態です。

 今年は冬の寒さが一段と厳しい故、また新春早々顔面にダイガラ餅つき機の杵が落下して小怪我したため大事をとって、例年だと新春早々行う予定の落ち葉を集めて苗床を作る作業も大幅に遅れています。遅くても来週にはやらないと発酵が間に合わないので、傷の具合も自然治癒力のお陰で随分良くなったようなので、心機一転心を入れ替えて頑張りたいと思っています。


  「牧場の 薪ストーブに 火を入れて たった三人 色々話す」

  「三冊の 自著本渡し 促しぬ 今しかできぬ 学び数々」

  「キツツキが 新たな穴を コツコツと 追い払えども 向こうの都合」

  「薄々と 夢と現実 段差見ゆ 厳しいだろうが がんばれ支援」

 

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○学校支援の学習会

 二日間にわたって島根県を強行軍で往復したため、今日は少し時差ボケしたような感じです。また、島根県からの帰路、足を延ばして宇和島まで行き、人に会ったり、夜は農協の賀詞交歓会で記念講演を頼まれ、忙しくも気を使ったゆえに、今晩の書き込みやこの続きは明日にゆだね、今晩はこれからお風呂に入ってゆっくり休みたいと思います。

 お休みなさい。

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(眞さんのつぶやきで紹介された雪に埋もれた雲南市吉田町)

 旅の疲れで昨夜は久しぶりにぐっすり寝込みましたが、昨晩から今朝にかけて外は大荒れの天気です。センター試験が行われるこのごろは毎年なぜか天気が悪くなるのです。昨日あたりから超一級の寒気団が日本列島を覆い、まるで冷蔵庫に入ったような寒さです。

 西国四国なので滅多に雪も積もらず、溜めた水が凍ることなども殆どないのですが、今朝は家の玄関先に置いているメダカを泳がせている壺の水に薄い氷の膜ができていました。朝七時に寒風を突いてけたたましいサイレンが鳴りました。どうやら今日は下灘の運動公園で市消防団の出初式があるようで、各分団の消防自動車が赤いランプを点灯させて走っていました。

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○雪の島根県雲南市吉田町へ

 一年中、まるでフーテンの寅さんのように、木になる鞄を提げて全国を旅している「進ちゃん」こと私は、今年も元気に全国行脚の旅を始めました。手始めに招かれたのは島根県雲南市吉田町でした。この町はかつて飯石郡吉田村といって、鉄の歴史村をキーワードに教科書に載るほどアカデミックで活気あふれる活動を行い様々な情報を発信していました。その後平成の大合併で雲南市の一部となり、村の名前もまるで格上げされたように吉田町となったのです。

 今回の仕事の源流をたどれば、小学生5人の小さな民谷分校の地域コーディネーターをしている松島俊枝さんから、「学校の地域支援の在り方についての学習会の講師で来て欲しい」と声がかかったからでした。松島さんとは15年前に島根県公民館大会が美保関町で開催された時、記念講演講師としてお邪魔したことがきっかけでした。松島さんは当時吉田村田井公民館の主事として活躍をされていて、すっかり意気投合し島根へ行く度になにかとご厄介をかけている間柄なのです。

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(眞さんのつぶやきというブログに掲載された松島さんと私)

 私はこの話があった時少し躊躇しました。というのも今年は例年になく寒く、雪深い中国地方の山間部へ行くには交通お便が気になること、二日目の15日土曜日の夜にはギノー味噌の田中社長さんの肝入りで宇和島へ行かなければならない外せないスケジュールが入っていたこと、学校支援の話ができる専門家ではないことなどでした。でも綿密な計画を立て、松島さんの全面的な協力をいただき、最終目的地である宇和島まで距離程と時間を割り出し、雪道に慣れている松島さんが世羅町から吉田町まで運転をしてくれたのです。

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 往復700キロのうち200キロ以上を時には2メートルを超す雪の壁を、すり抜けるようにスリリングに走りました。西国四国に住む私にとっては、2メートルの雪などめったにお目にかかれないとあって、車の中から車窓の景色をカメラに収めたりしました。

 それにしても雪国の人はしたたかです。14日の夜の集会もほぼ満員、15日午前中の集会もほぼ満員でした。察するに田舎の雪道をかき分けて集まったのでしょうが、まねのできない熱心さだと感心しました。もし私たちの町に少しでも雪が降るとこんなに大勢の人数が集まっていたかどうか、ただただ感心するばかりでした。


  「縁あって 二メートルもの 雪積る 中国山脈 分け入り訪ね」

  「積もる雪 ものともせずに 集まりし 人の熱意に 感心しきり」

  「桜の木 白い雪つけ まるで花 咲かせたように すっくと立ちぬ」

  「雪道を スノータイヤで スイスイと 雪慣れ運転 ハラハラドキドキ」

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○中山町成人大学に招かれて

 何年か前双海郵便局に勤めていて、中山郵便局長を最近退職した門田さんから早い年末に、「中山町の成人大学の学級長をしているのですが、新春早々の空いている日の夜講演に来て欲しい」と電話がありました。職場も住んでいる町も違いますが、顔なじみで心許せる知人からの頼みゆえ、快く1月13日の夜7時30分からの講演を引き受けました。

 7時30分は遅いなあと思いつつ、明くる日の朝島根県雲南市へ旅立たなければならないことも気にしながら出かけました。時間を早めに設定する癖のある私は、午後6時35分に自宅を出たため7時には会場となる中山町の公民館に到着しましたが、几帳面な性格の門田さんは既に玄関先に立って出迎えてくれました。

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 公民館の事務所へ通され、顔見知りの方々と雑談を交わしながらお茶をいただき、開会時間が来るのを待ちました。5分前に2階の会場へ案内されましたが、顔見知りの方も多く冬の寒い夜にも関わらず沢山の人が集まっていました。門田さんとの打ち合わせで講演のテーマは「心豊かに生きる」にしていたので、準備もせず気負うことなくごく自然体で1時間20分ほどお話しさせてもらいました。参加者の殆どの人が私の話を何度か聞かれていていますが、はてさて皆さんの心にどのように響いたことでしょう。

 それにしても集まった人たちはしっかりとした聞き耳を持った人たちばかりでした。演台で長年話していると、その日の客筋がよく分かるのです。反応の速さ、笑いのタイミング、全てがいい雰囲気でした。

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 門田さんから帰りに中山町特産の生なうどんと蕎麦、それにシイタケまで手土産にいただきました。久しぶりに退職した門田さんに出会いましたが、話によると最近は商工会長をしていた上岡さんたちと、史談会を設立して頑張っておられるようです。

 人間には竹のように幾つもの節があり、松のように人生の年輪を重ねて行くものです。また梅のように花を咲かせたり散らせたりしながら日々生きるのです。田舎に住んでいるとややもすると将来への不安が先にたって押し潰されそうになりますが、「いい時代は来ない。いい時代にする」くらいな気概で、生まれた所で死ねる幸せをかみしめながら心豊かに生きて行きたいものです。

 帰り道翠小学校周辺のイチゴハウスには、冬の長い冬を少しでも短くしてイチゴを目覚めさせようと電気が点けられていました。凍てつく暗闇に幻想的に見える電気の明かりに癒された気持ちになりました。

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  「友人に 誘われ夜の 講演会 懐かし顔が 集まり嬉し」

  「暗闇に 幻想的な 明かり点く イチゴハウスに どこか癒され」

  「お土産に 貰った蕎麦と うどん今日 旅立つゆえに 食えぬ残念」

  「隣町 やはり懐かし 人揃い 思いのたけを スムーズ話す」

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○今年最初の美しい夕日

 年末から年始にかけて波状的に寒波がやって来て陸も海も大時化で、双海町の漁師さんは年末の早い時期から昨日までまだ一度も出漁できず、会う人ごとに「これじゃあ飯が食えん」と嘆いています。普通の年だと海は時化ても年末や年始ころには何日か凪ぐ日もあるのですが、今年は何年かに一度の大時化のようです。

 昨日は午前中人間牧場へ大学生を案内し、午後は県公連の専門委員会が県の生涯学習センターであり出かけました。所用を済ませ帰る途中高野川海岸で思わぬ冬の美しい夕日を見ることができました。昨日は空も曇っていて、恐らく夕日は見れないだろうと落胆しつつ、日曜日に始まった大相撲初場所の中継をカーラジオで聞きながら帰って来たのです。

 三秋の峠を下って高野川海岸に出て、真黒い雲がまるでカーテンコールのように押し上がり、絵に描いたような綺麗な夕日が、西の端に沈まんとしていました。持っていたデジカメを取り出し、寒風の吹く中を思い切って外に出て写真に収めました。

 海から吹きつける夕暮れ時の風は身を切るように冷たく、急いで車の中へ入りヒーターの利いた車内のウインドー越しに夕日の写真を4~5枚撮りました。私と同じような衝動に駆られたのか次々と狭い路側帯に車が入ってきて、殆どの人が携帯電話のカメラでカシャカシャ音を立てて撮影していました。

 思えば年末から年始にかけてこんな綺麗な夕日を見るのは初めてのような気がするのです。

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 昨日は水平線近くに帯のような雲が現れ、期待したダルマの夕日はついに見ることはできませんでしたが、赤々と燃えるように、そしてジューンと音を立てるように沈んで行く夕日を見ながら、心がほのぼのとしてきました。これこそ夕日の持つ最大の魅力だと一人納得しました。

 この真っ赤な夕日がもう間もなく朝日となって地上の万物に降り注ぐとは、私のような凡人には分からぬ自然の営みです。と同時にこんな美しい夕日にパワーをもらえる地域に住んでいることを幸せに思うのです。この火の夕日は今年一年分のパワーをもらったような感じがしました。昨日から始まった私の仕事も順調であって欲しいと殊勝にも、沈み行く夕日に手を合わせ高野川海岸を後に夕暮れの海岸国道を家路へと急ぎました。


  「予期もせぬ 綺麗な夕日 お出迎え 雲を押し上げ カーテンコール」

  「夕日には これまでどれ程 恩恵を もらったことか 手合わせ感謝」

  「デジカメを 持って歩くは 日課にて シャッターチャンス 逃すことなく」

  「この夕日 俺のものだと よがりつつ 寒さに負けて 車内撮影」

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○舞たうん107号が届く

 えひめ地域政策研究センターが発行している「舞たうん」という季刊雑誌に、「shinn-1さんの日記」というブログと同じタイトルで、連載記事を書くようになって今季が14号ですから3年半が過ぎました。その間毎号変わる編集責任者との出会いを楽しんでいますが、今月号の特集テーマは「グリーン・ツーリズムでした。

 記事をスキャナーで取り込みましたが、容量が大き過ぎてブログに取り込むかとができず、その縮小の方法が代替パソコンのため分からなくて、結局デジカメで撮影し公開となりましたが、仲間に頼んでスキャナーして送ってもらい、お粗末ながら出来次第差し替えたいと思っています。

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 今月号の表紙は相変わらず鋭いタッチで柳原あやこさんが書いています。用紙の裏側に「表紙のことば」が次のように書かれていました。

 「双海でのピザ体験。手作りピザを石窯で焼く。中に入ると、家族連れが数組。世話役のおじさんおばさん達の、手解きを受けながらのピザ作り。お父さんの真剣な手付きに学ぶ。子どもの姿がほほえましい。伸びた生地のトッピングは近くで採れた新鮮な農・海産物が使われる。地元の方との交流を交えて、いよいよです。いろんな型のピザが窯から出てくる。私のピザも焼き上がり、いやまこと『おいしい!!』の一言。柳原あやこ」とコメントされていました。


 裏表紙には1月29日に開かれる予定のえひめ地域づくり研究会議のフォーラムの予告が載っていました。このフォーラムは年に一度開かれるもので、今回は盟友の岡田文淑さん、亀岡徹さんと私で放談をする予定のようです。大先輩の二人を向こうに回して何を語るのか、多少不安もありますが、まあなんとかなるでしょう。

 愛媛の地域づくりに深くかかわらせてもらった20年余り、舞たうんは私自身の情報受信発信誌として大きな役割を果たしてくれました。これからもみんなでいい情報誌に育てたいものです。


  「舞たうん 私の書いた 記事が載る 嬉し恥ずかし 十四号も」

  「どれ程の 記事を書いても 上向かず いつも反省 しきりにしてる」

  「絵に描くと 写真と違う 味が出る 取っておきたい 気持になりて」

  「ツーリズム 横文字好きな 日本人 何のことない 普段の活動」

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○光のページェント

 今年の寒さは誰もが認める筋金入りの厳しさです。小寒から大寒に向かう季節とは言いながら、室内温度も朝起きて直ぐには7~8度ですから、西国四国の気候温暖な瀬戸内海地域にしては相当寒く感じられ、朝寝坊の妻は私がストーブに火を入れ、部屋が暖まるまで布団にくるまっているようです。こんなに寒いと外へ出るのもおっくうで、炬燵とストーブの番をしたくなるものですが、親父も私もピューピューと電線を鳴らす北西の季節風の吹く中でも、体を動かそうと散歩に出たり、時には畑や庭の草削りをして、年末年始休みでなまった体を動かしているのです。

 寒い日に体を動かすと体内温度が上がり、体がポカポカしてきます。体が温まって室内に入るとストーブなどは不必要で、南に面した書斎には冬としては珍しく太陽の光がいっぱいに差し込みました。わが家の裏はすぐ杉山で、30年生くらいの杉の木が立て込んで、特に冬などは一日中太陽を見ることができない影の部分に家が建っていますが、年末に立ち枯れの杉の木を持ち主の了解を得て3本ばかり切り倒しました。体力的に強くないおじゃ痔と私には多少難儀な作業でしたが、電動チェンソーで伐採整理したお陰で、木々の間から光が差し込むようになったのです。

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 嬉しい冬の太陽の恵みです。それは太陽の神のような神々しさで、まるで光のページェントのようでもありました。木々の間を抜けたこぼれ日なのに部屋中が明るくなり、太陽の存在の有難さを冬ゆえ思う存分実感しました。長かった私の正月休みも昨日でやっと終りました。今年の冬休みはダイガラで顔を怪我するアクシデントや、愛用のパソコンが修理に旅立ち、目標だったブログ記事のプリントアウトも結局できず終いとなりました。でもお陰で読書や締め切りの近づいていた原稿も全て書き終え、すっきりした気持ちで今日からいよいよ本格的に始動します。


 今日は午前中愛大農学部学生で中山町出身の武智さんと松本さんと事務所で待ち合わせ、厳寒の人間牧場案内です。午後は県公連の専門委員会があって会議があり、夜は19時30分から中山町の成人大学で講演の予定と、忙しい一日となりそうです。明日から雪深い参院島根へ入りますが、途中まで迎えに来てもらう雪道が心配です。なるようにしかならない日々ですが、努力してなるようにしたいとスキルをアップして目覚め始動ました。


  「静寂な 杉の木立の 隙間から 差し込む光 神々しくて」

  「北風と 太陽イソップ 物語 やはり太陽 冬ゆえ嬉し」

  「老いの身を 惜しむが如く 生きている 親父の背中 見習うように」

  「さあ始動 冬の休みに おさらばし 今日から仕事 スキルをアップ」

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○今こそ報徳訓

 私が塾長を務める年輪塾のネットで、清水塾頭からメールが配信され、私が数日前「shin-1さんの日記」という自身のブログに書いた「道」について、報徳訓を添付していると書き込みがありました。普通だとすぐに添付資料が開いて読めるのですが、パソコン故障で修理中のため代替パソコンでは開かず、結局手持ちの二宮尊徳関係の本を開けての学習と相成りました。

 報徳訓はこれまでにも何度か読んでいて、その思想の奥の深さは北海道佐呂間漁業協同組合の報徳訓実践経営の話を通じて知っているので、すぐに理解できました。

  報徳訓

 父母の根本は天地の令命にあり

 身体の根本は父母の生育にあり

 子孫の相続は夫婦の丹精にあり

 父母の富貴は祖先の勤攻にあり

 吾身の富貴は父母の積善にあり

 子孫の富貴は自己の勤労にあり

 身体の長養は衣食住の三つにあり

 衣食住の三つは田畑山林にあり

 田畑山林は人民の勤耕にあり

 今年の衣食は昨年の産業にあり

 来年の衣食は今年の艱難にあり

 年年歳歳報徳を忘るべからず

 報徳訓は状態の因果関係を述べていて、積善の必要性を説くとても奥が深いものです。身体は自分自身のものでありながら父母が生育してくれたからこそ今があるのだと、父母に感謝して生きなければならないのです。私には父母がいます。父母にもそれぞれ父母がいて、10代遡っただけでも1024人の先祖がいなければ自分の存在はないのです。その尊い命もさることながら、自分をいつくしみ育ててくれた親を粗末にすることは人道にもとる行為なのです。ましてや子孫の相続が夫婦の丹精にあるのだとすると、夫婦が助け合って子どもを育てることも当然のことなのです。

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 二宮金次郎が育った時代と世の中は大きく変わり、衣食住の三つは田畑山林だけではなくなりましたが、田畑山林を職場や仕事に置き換えれば、勤耕は一生懸命働くことですから、報徳訓が示すものは全て人が生きるための不変不易な「道」なのです。

 報徳訓は残念ながら敗戦や自由主義、時代の変化の中で忘れ去られ、伝承することができていませんが、混沌とした現代社会の中で右往左往する日本人に、とりわけ時代を担う子どもたちを育てる任を負わなければならない親たちが、心得て欲しい教えのようです。


  「報徳訓 今読みかえしても 陳腐せず 教え導く 説得ありて」

  「自らが 報徳訓を 学びつつ 人を導く 人にならねば」

  「雨の日も 風吹きすさぶ 今日さえも 校庭立ちて 金次郎像」

  「古くても 解釈すれば 新しい 道説き示す 報徳思想」

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○わが家のどんど焼き

 正月松の内も過ぎ、昨日は鏡開きの日でした。割れるとか切るという言葉を忌み嫌う日本の古い風習にのっとり、神棚に供えた丸い重ね餅を鏡に見立てて、鏡開きと表現するのは日本人のよきファジー文化だと納得しながら神棚のお三方毎下げ、玄関先や仏壇、水神様、便所、風呂場、車など、神が宿りそうな場所を選んで飾っていたお飾りを集めて、畑の隅に持って行きました。

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 親父も母屋に比べると狭い隠居ながら、私が同じように飾ってあげていたお飾りや三方を集めて持ち寄り、親子二人でどんど焼きを始めました。わが家ではどんど焼きとは言わず、「お飾りはやし」と呼んでいますが、これまではずっと1月15日を吉日と選んでやっていましたが、国民のの祝日である成人の日が変更したため、大安や先勝などの吉日を選んでやっているのです。

 集めたしめ縄を小さく積み上げ火を付けました。昨日は真冬としては珍しく無風の好天に恵まれ、空気が乾燥していることもあって瞬く間に火は燃え広がりました。この災や煙に当たると一年間無病息災で暮らせるという言い伝えがあって、親父も私も炎や煙を体全体にこすりつけました。やがて炎が佳境に入ったころ、鏡餅をこれまた炎であぶり初めをしました。12月30日についたお餅は約10日間ですっかり固くなり、ところどころにひび割れしていました。

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 こうしてわが家のささやあなどんど焼き行事は無事終了しました。家に持ち帰った鏡餅は程よい大きさに切り分けて餅とり粉を洗い落し、他の水餅と一緒にポリバケツの中に漬け込みました。2~3日するとこの餅が水分を吸収して柔らかくなり、焼いて食べるのです。

 わが家では妻も私もお餅が大好きで、正月以来ずっと毎朝、パン焼き用のオーブントースターで餅を焼き、醤油や黄粉をまぶして食べたり、時には雑煮にして美味しく食べています。正月にやって来た孫たちもお餅は大好きで、土産に沢山持って帰ったようです。

 どんど焼きをしていつも気がつくのですが、しめ縄飾りは火をつけて焼いて灰になっても縄のままで残っているのです。しめ縄は縁起を担いで7本・5本・3本とわらをない込みます。七五三を別な呼び名「でしめ」と読むのもうなずける話です。二本のより込んだわらがたとえ灰になっても一本の縄のまま存在するのは夫婦の見本だといわれています。最近は離婚率も高く、この言い伝えも当てにならないようですが、せめてわが家だけでも神様にまつわる言い伝え通り、しめ縄にあやかりあの世までも深い絆を持ち続けたいと思いました。

  「今年また 親子二人で どんど焼き 炎と煙 無病息災」

  「焼けてなお 灰になっても しめ飾り よられたままで 夫婦の絆」

  「風習を 今に伝える どんど焼き いつまで続く 息子の代は?」

  「お下がりの 餅を小切りし 水漬ける 二、三日すりゃ 美味しい水餅」

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