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○福岡県築上町で大楠の樹を見て感動しました。(その3)

 一年中日本全国を旅している私にとって、行く先々で出会う人や食べ物、さらには天然記念物・郷土芸能・景観などのお国自慢に出会うことも楽しみの一つです。最近は幾分かインターネットにも慣れ、気分転換のつもりでヤフーやグーグルの検索機能を使って、訪ね尋ねる先々のことを調べたりできるようになって、違った旅の楽しみもできるのです。

 築上町を検索していて目についたのは大楠の木でした。日本でも5本の指に入るという大楠の木に出会いたいと密かに思っていました。築城公民館に到着すると、職員の皆さんは100人を超える京極地区の大会の準備で朝から忙しく働いていました。事務所の丸いストーブの前に陣取りお茶をいただきながら手持ち無沙汰にしていると、女性の館長さんが「腰の具合が心配ですが、よかったら大楠を見に行かれますか?」と声をかけてくれました。これ幸いとばかりに係長さんの運転する車に乗って大楠を見に出かけました。

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 築上町は瀬戸内海に面した海沿いを一辺として英彦山近くを頂点とする二等辺三角形のような奥行きの深い2万人余りの町です。大楠は公民館から20分ほど走った本庄という場所にありました。途中町が買い上げ近く修復工事が行われるという、石炭で財をなした古くて立派なお屋敷の前を通りました。

 大楠は一度火災で焼けたそうで半分は枯れて空洞になっていましたが、故事来歴を書いた立て札には樹高23メートル、根周り22メートル、樹齢1900年と書いていました。西暦に匹敵するほど楠の寿命はあるのだろうかと、失礼ながら多少懐疑な気持ちで見上げましたが、根元をぐるりと歩き根元を見たり見上げたりしましたが、まさに神宿る日本を代表する大木で、身震いするような錯覚を覚えました。

 先週は島根県雲南市吉田町でたたら高殿の横で天を突くように立っていた桂の木も見ていて、相次いだ樹木のパワーに圧倒されてしまいました。 

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 その後瀬戸内海に面した椎田の浜を見学に行きました。CCZ(コースタルコミュニティゾーン)事業で整備した海水浴場はとても立派で、切り石を敷き詰めて造った傾斜護岸は私の町の人工海浜よりもグレードが高いようでしたが、残念ながら養浜手入れが今一で、せっかく入れた砂が沖合へ流失して砂浜がやせているようでした。背後にある綱敷天満宮の神社の松林が映えて、いい景観でした。駐車場も広く、夏になると大勢の海水浴客で賑わうことでしょう。

 世はまさに受験シーズンです。天満宮の梅の花は残念ながら見学することはできませんでした。寒さのために神社境内の出店も人通りがなく閉まったままでしたが、多くの受験生がお参り祈願して春を待ちわびることでしょう。

 私たちの町の前に広がるのも瀬戸内海、この町の前に広がるのも同じ瀬戸内海です。関門海峡を越えたまるでポケットのような瀬戸内海なので、沖合に山口県を見たり愛媛県を見ることはことはできませんでしたが、海で結ばれた不思議なご縁を感じました。


  「瀬戸内海 同じ海でも あっちこち 見る場所違い 違った海に」

  「長閑なり 海の彼方に 島影も 見えず水平 線だけ一本」

  「大楠の 木を見上げつつ 幾千年 年輪刻んだ 多さ驚く」

  「木のパワー 欲しいと願い そっと樹の 肌に触りて 腰にいただく」

 

 

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○腰に優しい船旅を選んで九州へ行ってよかった(その2)

 関西汽船に勤める盟友浜田さんの忠告を受けて、ぎっくり腰の養生のため今回の九州福岡行きの講演旅行は松山~小倉フェリー便を選びました。浜田さんのいきな計らいで行きは1023、帰りは1023と覚えやすい予約番号を取っていただきました。本当は特1か特2くらいにすればいいのでしょうが、貧乏暮しが板についている私は、船などの乗り物やホテルなどはいつも最下位ランクをキープするのです。安いというのが一番ですが、最下位ランクに乗り合わせるどちらかといえば庶民派の人は話題も豊富で、何かにつけてすごく社会勉強になるのです。往路で隣に乗り合わせた若い夫婦は、最初から最後までいちゃつきまくって、抱き合いながら毛布の中で怪しい仕草をしていて気になって仕方がありませんでした。

 片方には剃り込みを入れた一見やくざ風の兄ちゃんがビールを買い込み隣の布団の上でグイグイやっていました。車とともに乗船したので、明くる日の朝は酒気帯びではと心配するほどでしたが、隣の私にやたらと話しかけ、腰の具合が悪いのを心配してくれながら、「珍しいカバンじゃが中を見せてくれ」とか、「九州へ何をしに行くのか」とか、まあ賑やかな話に花が咲きました。

 酒に酔ったお兄ちゃんをしり目に、せんべいのような布団の上に横たわりウトウトしていると、お兄ちゃんは自分の毛布まで私の体にかけてくれました。嬉しいことでした。船は明けやらぬ午前5時に小倉港に着きましたが、急ぐ旅でもないので7時まで船内休憩し、酒を飲んでぐっすり寝込んでいたお兄ちゃんを起こし、別れを告げて下船しました。

 本当なら体力づくりのつもりで歩く船着き場から小倉駅までは、カバンもあるのでワンメーターながら運転手さんに断りを入れてタクシーに乗りました。小倉駅周辺は何度来ても通過するところなのですが、駅周辺はすっかり綺麗になって、動く歩道が長く続くなど大都会な並みの街なのです。何年か前駅に張られた観光ポスターを見て小倉城に行ったことなどを懐かしく思い出しました。

 小倉駅から日豊本線、中津川行きの各駅停車に乗り込みました。行く先は築城と書いて「ついき」と読むのです。築上町の築城ですからついつい「ちくじょう」と読んでしまい、小倉から12駅目の「ついき」「ついき」と口ずさみながら車窓を眺めていました。

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 小さな「ついき」という駅に降りると、駅舎の反対側のプラットホームの傍に大きな看板が立っていました。インターネットで築上町を調べた時に乗っていた大楠の木をライトアップした写真看板で、その根元ででコンサートをしている風景でした。

 駅舎の待合室には10人ほどが駅の用意した石油ストーブを囲んで雑談に講じていました。午前8時30分になるのを待って築城の公民館へ電話をかけ、早速係長さんが軽四箱バンで迎えに来ていただきましたが、私の出番は午後からなのに、何でこんなに朝早く来たのだろうと、大いに推察しながら、腰の具合を心配して図書室の隅にストーブを入れてもらい、のんびり過ごさせてもらいました。


  「夜行船 眠り起きたら 九州路 腰の痛みに 寒さが染みる」

  「似合ってる 俺にゃやっぱり 二等室 傍でやくざの 兄ちゃんイビキ」

  「語呂合わせ 行きも帰りも 23 予約番号 予言どおりに」

  「二等室 安い金額 更値引き 他人事ながら 赤字心配」


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○今夜から福岡県へ出張します(その1)

 島根県雲南市から帰ったばかりだというのに、性懲りもなく今夜から福岡県築上町へ出張します。明日は一日中福岡県で講演なので、帰りは21日の午前中になる予定です。私も腰の具合が今一なので気をつけますが今日から大寒とか、一年中で一番寒い時期なので、皆さんも風邪を引かぬようくれぐれも気をつけてください。

                                               人間牧場主 若松進一拝

○船内の風呂

 小倉~松山間は関西汽船が大型フェリーを運航しています。松山観光港を出発するのは午後9時55分とかなり遅い深夜便なので、自宅で食事を済ませ8時少し前に自宅を出発しました。海岸線の道を伊予市街~松前町~松山空港~三津浜~高浜と順調に走り9時前に到着しました。濱田さんから小倉航路を利用する人のために無料駐車場が用意されているという話を聞き、濱田さんから駐車場の場所を知らせるFAXまでいただき難なく駐車場へ駐車しましたが、駐車場が旅客ターミナルからかなり遠い位置にあるため、両手に少し重さを感じる木になるカバンや小道具類を入れたエコバックを提げての移動は、腰に負担がかかりかなりきつく冷や汗が出ました。


 予約番号で切符を買い求め乗船予定の30分前まで、頭上に置かれた2台のテレビを同時に見ながら過ごしていましたが、広島から最後のスーパージェットが到着し、顔見知りの人が降りて声をかけたり帰られたりしました。ターミナルの館内放送で乗船を促されましたが、エスカレーターを使うのですが、乗り場までの二階の通路は長く、これまた腰に堪えました。

 二等の大部屋に入り荷物を置くと、早速洗面道具とタオルを持って船内の風呂場に出かけました。そんなに大きな風呂場ではありませんが、フェリーの船内で風呂に入れるなんてとてもリッチなことなのです。船には私のような旅客だけの人もいれば車と一緒に乗り込む人もいます。私は一番風呂でした。そのうち4~5人入ってきましたが、いずれも常連客のように手馴れた様子でした。


 腰に違和感や少し痛みを持っているため、ゆっくりと温めるように入浴しましたが、入浴後は売店で少しの時間を過ごし部屋に引き上げ、大型トラックやトレーラが船内に入る度に地響きのようなものを感じながら出航を待ちました。余り早くに寝ると夜中に目を覚ますと寝れないので、隣に偶然席を得た人と雑談をしたり本を読んだりして過ごしました。

 この航路は九州へ行く時何度か利用していますが、船も大きく航路帯が瀬戸内海なので揺れも少なく、朝5時に小倉につく早さを除けばとてもいい船旅だと満足し、次の乗船はいつころになるだろうと思いながら、隣の兄ちゃんの話し相手になりました。


  「動く船 乗って風呂まで 楽しめる 次も乗ろうと 心に決める」

  「湯船湯が トラック乗る度 傾いて 身体漂う 右に左に」

  「二等には 二等の顔が 乗ってくる 俺も二等の 客筋自負す」

  「ゆっくりと 身体湯船に 沈ませて 腰を温め 湯治専念」

  

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○ぎっくり腰になりました

 私は一年に二度か三度、ぎっくり腰を患う癖があります。そのため教えてもらった腰痛体操などをして予防に備えているのですが、今度もいかんともし難く2~3日前からぎっくり痛になってしまいました。今回の原因の思い当たる節は何といっても、12月19日に人間牧場で餅つきをした折、8臼もの餅つきの手臼を一人でやったこと、1月8日・9日の水仙祭りで7臼の餅つきの手臼をやったことが考えられるのです。手臼は中腰でするので、餅つきが終わったころ腰に違和感を覚えるのですが、みんなに「手臼が上手だ」と褒められるものですから、ついついその気になっていい恰好をしてしまったのです。

 腰が重いと感じながら腰痛体操などでごまかしていましたが、先日島根県へ600キロもの旅をした折、400キロ余りの運転をしたために余計重くなって、ついには動かなくなってきました。今夕から福岡県築上町へ講演に出かけなければならない予定が入っているので、何とか早く治したいと思い、昨日と今日伊予市本郡にある松本整体院へ治療に出かけました。これまでぎっくり腰になると決まってここで治療を受け、回復してきたので今回も淡い期待を抱いて出かけました。昨日は軽め今日は少し強い治療をしてもらい、昼間は居間の炬燵に寝転んで休養を取ったお陰で少し楽になったようです。

 腰が悪いと座っても腰かけても次の動作に移るのが大変で、まるで年寄りみたいに周りの何かにつかまり、ヨイショと掛け声をかけなければなりません。妻は気遣ってストーブの灯油入れも、灯油を伊予市まで買いに行くことも全てしてくれました。「今度の出張は木のカバンは重いから別のカバンにしたら」と言うのですが、「私から木のカバンを取ったら何にも残らない」と意地を張っていますが、正直木のカバンは腰に負担がかかるようで心配です。

 本当は今夕広島に出て一泊し、広島で研修会の打ち合わせをして新幹線で小倉入りを計画していましたが、広島の相手に電話を入れて、訳を言ってキャンセルしてもらいました。そして関西汽船の浜田さんに連絡を取り、寝ていても旅ができる松山~小倉航路に切り替え予約を取りました。この便は午後9時55分松山観光港発で、小倉港に早朝5時に到着し、列車を乗り継げば十分間に合うことが分かりました。したがって帰りの便も小倉から新幹線より小倉~松山航路を考えています。

 「もうそんなに自分で思っているほど若くないのだから、余り無理をしないように」と妻に諭され、自分でも気力と体力のズレを感じながら、明日は一日中ブログを書けないので、明日の分までと何も知ることがない休養時間を利用して、思いつくままに明日のノルマまでこなしているところです。

 今日はどういう訳かよく電話がかかってきます。携帯電話はその都度手元にあって、失礼ながら寝たままで対応できるのですが、家の電話は子機を使ったり予定表をある場所へ移動したり大変です。何とかこれ以上悪くならないことを祈っています。


  「癖なのか 歳のせいだか 分からない ぎっくり腰で 一日悶々」

  「整体で 涙出るほど 揉みほぐし 幾分回復 出張大変」

  「重いから 木になるカバン 止めたらと 妻は諭すが 俺は止めぬと」

  「友人に 頼んで船の 予約する 寝たまま旅が 出来る妙案」

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○動物の寿命

 ある雑誌に東京工業大学本川達雄教授の「動物の寿命ーゾウの時間・ネズミの時間」という、興味ある話が紹介されていました。色々な動物の寿命を心周期(心臓が一回ドキッと打つ時間)で割ると、15億という数字が出てくるそうです。哺乳類の心臓は一生のうちに15億回打つらしく、その数字で逆算すると動物それぞれの寿命が算出されるのです。

 ・ハツカネズミ(心臓が1回打つのに0.1秒、15億回打つのに2~3年)

 ・インドゾウ(心臓が1回打つのに3秒、15億回打つのに70年)

 さて私たち人間の心臓が15億回打つのに何年かかるかというと26.3年だそうです。「えっそんなに短いの?」と目を疑いました。だって昔ならいざ知らず現代日本人は、世界一の長寿といわれ男女とも平均寿命は80歳を超えているのです。

 私たちの先祖をはるかに遡った縄文人の寿命は僅か31歳だったようです。15歳から16歳で子どもを作り、ある程度子育てをして次に世代にバトンタッチしていたようです。なぜ日本人の寿命が延びたのか、それは人間が人いう道具を手に入れ煮炊きや保温ができるようになったことに始まり、農耕や家畜によって安定した食料供給ができるようになったことや、水を確保して安全な都市環境の中で暮らせるようになったこと、医療技術が進歩したり入れ歯が開発されたことなどなど、延命条件が整ったためだと思うのです。

 だとしたら私を含めた人間は、もうとうに寿命を通り越して何十年もおまけの人生を生きていることになるのです。「もっと長生きがしたい」、これは殆どの人間が持つ願望でしょうが、26.3年しか生きないはずの私が66歳まで生きているのですから、これからおまけの人生をどう生きるか、自分自身の生活設計をしっかりとして、気楽に楽しく、加えて次の世代のために役立って生きることが大事だと思うのです。

 人間の寿命は心拍数で20億回÷1分当たりの心拍数50=75年、この計算通りだと私の余命は75年ー66歳(私の現在の年齢=9年、「うーん、こりゃあ大変だ」、うかうかできない。心のブレーキを緩めてやりたいと思っていることを早くしなければ死んでしまう。

 そうだ、溜めたお金(そんなにはないが幾分かは)も有意義に使わねば。子どもたちのためにも何かしてやりたい。そんなことを考えながら今日の朝を迎えました。

  「縄文人 僅か31年 生きただけ 俺は長生き し過ぎたのかも」

  「あと9年 余命計算 成り立って ブレーキ緩め 急げや急げ」

  「ゾウよりも 長生きしたい 心周期 少し延ばそう 息殺しみる・・・」

  「今朝もまた 生きて起きれて 動き出す 不思議といえば 不思議なことよ」

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○菅谷たたらを訪ねる

 先日講演のため島根県雲南市吉田町を訪ねました。2メートル近くの大雪の中でも逞しく生きる人たちに出会い、自分の心の有り様をもっと強く持たねばと、心新たにさせられました。

 講演に行くと知人や友人に出会ったり、その土地の美味しい食べ物や温泉などに浸かり、違った楽しみを味わうことができますが、もう一つの楽しみはその土地の歴史や文化に触れることです。多分それらは私の異文化ギャップとなって、私の基層深くに蓄積され様々な場面で生かされているのです。

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 私はこれまで島根県や鳥取県の殆どの町や村を歩いていますが、今回は若松進一島根事務所を自認する旧友松島俊枝さんの案内でした。ゆえに私のかゆいところを心得ていて、雪深い菅谷たたらを見学に連れて行ってくれました。菅谷たたらは何年か前に時間がないためちょい寄り程度でしたので、ボイス付きの説明に興味森々でした。

 菅谷たたら山内には、かつてたたら製鉄が創業されていた高殿と呼ばれる施設が唯一残されていてます。吉田町でたたら製鉄が始まったのは鎌倉時代だといわれていますが、この時代から中世までは「野だたら」といわれる移動式の製鉄法が行われていました。

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 近世に入り吉田町でも高殿を構えて操業が行われるようになると、村内のあちこちで盛んにたらら製鉄が行われ、企業たたらとして隆盛を極めるようになりました。私が訪ねた菅谷高殿は1751年から170年間の長きにわたって操業が続けられ、大正10年にその火が消えましたが、鉄山経営の事務所的役割を果たした元小屋や、たたらの塊を粉砕する大銅場など、山内には当時のたたらに関する施設群が現存していて、世界で唯一の鉄の歴史村を垣間見ることができました。たたら製鉄に従事した人たちの住んでいいた山内や金屋子化粧の池、鐡泉丸、村下、村下坂などのいわれを高殿の静まり返った中で興味深く聞きました。

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 高殿の近くに樹齢200年と伝えられる桂の木が立っていました。神木らしくしめ飾りがかけられ、根元に小さな祠が祭られていました。私はまだその木の四季を見ていませんが、春の花はまるで溶鉱炉の炎のようだといわれています。春の芽吹きや秋の紅葉も見事ならしく、今度は是非にも炎のようだと形容される頃に訪ねたいと思いました。

 鉄は日本人の歴史にとって大きな役割を果たしています。工業的な鉄の生産が始まったのは近世になってからであり、そのルーツを辿ると多分大陸との交易の道が見えてくるのでしょうが、雪深いこの地に日本の鉄の歴史のルーツがあることを、わたしたちはもっと、次の世代に伝えなければならないようです。


  「雪深い 菅谷たたらの 山内に 足を踏み入れ 歴史ゾクゾク」

  「春四月 桂の花の 咲くころに 炎と燃える 花を見たいと」

  「高殿の そこここ見える 人の知恵 感心しつつ 話聞き入る」

  「日本の 各地に残る 地汗跡 基層に深く 刻みてあとに」

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○イサバの調理

 昨日の昼ころ、漁師をしている親類の伯父さんから電話が入り、今年は時化が続いて年末以来一度しか漁に出ていない話を聞きました。私もかつて若いころ7年間漁師をしていたので、冬の時化が続くと漁にも出られず、財布の中身が心配な話は、他人事ではないと思いました。伯父さんは80歳を超えてもなお元気で息子と一緒に船に乗っていますが、そろそろ船を降りる年齢になったと寂しい心情を吐露していました。

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 そのたった一度だけ漁に出て漁獲した、イサバという鱶の一種である魚を船の水槽に生かしているので、取りに来いというので午後3時に系四トラックで取りに行きました。漁師は気が早いので行くと既にイサバは〆られて発泡スチロールのトロ箱に入れられていました。鱶やサメ類は生命力が強く、〆て尻尾を切り落とし、首を切っているのも関わらずトロ箱の中で動き回って暴れていました。

 寒くても仕方がないと思いながら、妻の割烹着を着て早速裏の屋外炊事場で調理を始めました。かなり広いまな板なのに、有に1メートルもあるイサバはまな板をはみ出し、頭を落とし出刃包丁で悪戦苦闘しながら三枚におろしました。頭も内臓もヒレも骨も皮もビニール袋に入れて生ごみ箱へ処分しましたが、皮との間の赤味を帯びた身は透き通るような桜色で、とても美味しそうな感じがしました。


 早速魚が大好きという友人二人に小切りにしてお裾分けをすることにしました。グロテスクな斑点模様のある鱶ながら、1週間も船の水槽で活かしていたため身は引き締まり、刺身にして食べましたが、見た目以上の美味しさでした。冬のこのころになるとスーパーなどに出回る物は別として、地物の魚を食べる機会が極端に少なくなります。特に刺身にする魚などは中々手に入らないのです。お陰で昨日はご馳走のような食卓でした。

 イサバの身は今晩は湯ざらしと天婦羅にして食べる予定です。湯ざらしはミガラシをつけて食べると絶品だし、天婦羅も熱々をおろし大根を入れた天つゆで食べると食が進みます。最近はミツバチの井上師匠から譲ってもらったモチムギを入れた、麦ご飯がわが家の定番となって、素食ながら田舎の暮らしを楽しんでいます。冬の寒さに会った野菜もしっかりと味わっています。

  「鱶なのに イサバと名前 ついている これが絶品 ゲテモノ食いだ」

  「上等な 魚は銭が 高いだけ 料理一つで ほらこの通り」

  「今晩は 湯ざらし加え 天婦羅で 冬の食卓 彩添えて」

  「幼ころ いやだ麦飯 思ったが 今は美食と 思って食べる」

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○淀んだ空気と止まった水

 この4~5日、超一級の寒波がやって来て、まるで日本列島全体が冷蔵庫の中に入ったような寒さです。各地で積雪し西国四国愛媛でも高速道路が度々通行止めになるなど混乱が続いているし、少し標高の高い地域では水道が凍ったり破裂するなど、生活にも支障をきたしているようです。このような寒さでも昔は囲炉裏や火鉢で暖をとっていたのかと思うと、昔のつつましやかな暮らしに比べ衣食住全てにおいてなんて贅沢な時代だろうと、何気ない幸せに感謝をするのです。

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(35年ぶりに氷が張ったメダカ飼育のための水ガメ)

 家の入り口に置いているメダカ飼育のための壺の水の表面が今年は3日続きで凍りました。この地に家を建てて移り住んでから35年が経ちましたが、氷がこのように厚く張ったのは初めてだと妻と話しました。わが家の隅には裏山から清水が湧き出し流れていますが、同じ水なのに動いている水は何故凍らないのでしょう。凡人の私には「動いているから凍らない」くらいしか考えが浮かびませんが、動きのある水でも滝の水はしぶきがツララになって凍るのですから一概には言えないとも思いました。

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(流水が凍った散歩途中の路面)

 最近わが町でも農地が荒れ、空き家が目立つようになってきました。農地は3年もほおって置くと完全に荒れ地になってカズラや雑草が生い茂り、中へ入ることすらできないようになります。新聞で読んだ話ですが、原発爆発事故で多くの犠牲を出し人々を震撼させたソビエト・チェルノブイリは、その後密林のように樹木が生い茂っているそうです。したたかなソビエト人はこれを観光資源に生かそうと目論んでいるそうですが、人間の破壊した自然や環境破壊も、自然治癒力によって元に戻ろうとしているようです。

 一方「空き家は3年」といわれるように、人が住まなくなると家の中の空気が淀み、3年で座が抜けるそうです。私たちは毎日家に出入りし家の中で暮らすだけで家の中の空気を知らず知らずのうちに攪拌し、ゆえに家の中の空気は淀むことなく流れるのです。

 遠く人里離れ、かつては人が住んでいた廃村になった集落を訪ねると、屋根が傾いて今にも倒壊しそうな家をよく見かけます。かつてはこの家にも明かりがともり、子どもの笑い声が聞こえていたであろうことを思うと胸が痛くなるのです。

 私たちの人間の生き方も、学びをおろそかにしたり運動をしないで美酒美食に明け暮れると、淀んだ空気や止まった水のように心身が退化するのです。かくいう私も進化を目指して日々精進しているつもりですが、昨日あたりから腰の具合がおかしくなり、これから整体院に行って体の調整をしてもらおうと思っています。気力と体力をバランスよく維持することは加齢とともに益々難しくなってくることでしょう。

  「同じ水 凍る凍らない 不思議だな 人も同じで 動きなくんば」

  「人住まぬ 家の倒壊 見るにつけ 往時を偲び 胸が痛みて」

  「氷張る 下にメダカの 泳ぐ見る 何を考え 生きているのか」

  「歳とると 吹く風寒さ 身に堪え 春の来るのが 待ち遠しくて」

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○「裏が味噌」の名刺と電光掲示板が話題になりました

 山陰地方に暮らしている人たちにとって、山陽の反対語に聞こえる山陰という言葉への抵抗感はずっと持ち続けている違和感のようです。それでも2メートルを超す雪景色が、トンネル一つを超えただけで一変し、時折雲の切れ間から見える太陽の光を見ると、やっぱり山陰・山陽の表現は当たっているようにも思えるのです。

 所用や近況報告のために、走る車の中から通話した友人清水さんの話によると、1月15日の愛媛はとても寒い朝を迎えていたようで、「松山から高速に乗ったが、伊予~宇和間は雪のため通行止め」とのことでした。私の逆算によると午後1時に広島県世羅町に到着すれば、伊予まで2時間半、伊予から宇和島まで1時間半で、ぎりぎり午後5時からの南生会新春賀詞交歓会に間に合う算段でした。伊予インターまでは順調に走れても、そこから先の高速道路が通行止めとなると、国道56号線の交通量も増えて混雑し、伊予から私の町を走る夕やけこやけライン378号線を八幡浜経由で宇和まで走っても、2時間はかかるのでまずいと思いました。

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 トイレ休憩や一服休憩も一切せず、少しスピードを上げて伊予インターまで帰って来ました。多分ダメだろうと思い、伊予インターに到着すると、運よく通行止めは先ほど解除となっていました。こんなラッキーなことがあるでしょうか。結果的には予定より1時間も早く宇和島に到着し、道の駅に立ち寄りギノー味噌が作ったドレッシングの商品を5本買い求めることができました。偶然にも市役所商工観光課の谷本さんに出会い、会場となったJAえひめ南へ向かいました。30分前の余裕時間を控室で関係者と雑談しながら過ごしましたが、ギノー味噌の駐在員の方がドレッシングの商品サンプルを、田中社長さんから頼まれたといって控室まで持ってきてくれました。

 南生会はJAえひめ南と商取引のある業者さんの集まりのようで、中には知人や友人もいて、名刺交換も持参の名刺が恥をかくほどでした。

 私は「新しい発想で生きる」というタイトルで1時間弱話させてもらいました。その中で「裏が味噌」で話題になったPR用名刺の話をしました。名刺の裏が無字なのは勿体ないからそれをPR用に使うアイディア名刺です。触手を示してくれたのはギノー味噌の田中社長さんでした。田中社長さんは先の読める方で、私のこのアイディアを買ってくれ、名刺印刷代3万円に加え、麦味噌やドレッシングといった商品サンプルを惜しげもなく提供して、私をマネキンとして使ってくれているのです。私もその恩に報いるべく北は北海道から沖縄まで講演に行く先々で、ギノー味噌の宣伝をしまっくっているのです。私の名刺作戦や口コミ作戦がいかほどの効果があるのか正しいデーターはありません。でも昨年11月に行われた地域教育実践交流集会の参加者全員に麦味噌300グラムを提供してもらい、大きな反響を呼んだことなどを考えると、手前味噌ながら効果はあったものと確信するのです。

 講演が終わって始まった賀詞交歓会恒例の懇親会でも、携帯電光掲示板と裏が味噌の名刺は話題をさらい、私の周りには沢山の人が名刺を求めてやって来ました。慌てて車に予備として置いていた1箱を取りに戻り配りましたが、さりげない名刺交換もいい成果を上げることができました。

 少し早めに会場を後にして、宇和から高速道路を走って帰郷しましたが、大洲では吹雪となりました。昨日の新聞によると私が通った後で再び高速道路は積雪のため通行止めになったようで、ハラハラドキドキしながらも男時な1日を過ごせた幸せを感じました。早速朝起きてギノー味噌の田中社長に交歓会の様子を電話で報告しておきました。 

 冬の大雪や台風、集中豪雨など、私の行く先々で起こる転変地変の頻度が次第に多くなっていることを実感しながら、今回も幸運に助けられながらまるで綱渡りのような旅となりました。


  「幸運は 日ごろ行い 良いからと 一人納得 胸撫でおろす」

  「裏が味噌 アイデア名刺 今回も 話題さらいて 技あり効果」

  「酒飲まず 酒席努める ウーロン茶 酔ったふりして 酔わぬ話を」

  「声かけて くれた社長の 顔立てて 裏が味噌なる 宣伝名刺」

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○子どもと学校と地域

 島根県雲南市吉田町学校支援促進研修会に講演を頼まれ出かけましたが、普通はレジメなど用意しない私がどういう風の吹きまわしか、レジメを代替パソコンを使いメール便で送っていたのです。そのことをすっかり忘れていて、研修会の事前打ち合わせの時担当の松島さんからその資料を手渡され、「しまった」と思いました。1日目の話と2日目の話の相手たる参加者が同じかどうか聞き忘れていたのです。参加者は別の人と聞いて少し安心しましたが、それでも教育委員会関係者は同じ話を2度も聞くのですから、多少変えなければ薄っぺらい軽薄な人間だと見破られてしまうため、少し方向転換をしてお話ししました。参加者用に印刷されたレジメには「1、変わる子どもと学校と地域」について問題点を列記していました。

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  ○子どもを巡る問題

  ①子どもの数が少なくなった

  ②子どもの毎日が忙しくなった

  ③子ども自身の自立的組織がなくなった

  ④子どもの遊びが変わった

  ⑤子どもの周りの様々な環境が変わった

  ⑥子どもの食生活が変わった

  ⑦子どもの言葉が変わった

  ⑧子どもの真の友だちがいなくなった

  ⑨子どもの失敗経験が少なくなった

  ⑩子どもが大人的で利口になった

  ○学校を巡る問題

  ①親がうるさくなった

  ②児童生徒数が少なくなった

  ③週休二日になり時間的余裕がなくなった

  ④学校が統廃合されつつある

  ⑤学校の門が閉ざされるようになった

  ⑥指導要領がよく変化する

  ⑦教職員の資質が問われ始めた

  ⑧情報化が進んでいる

  ⑨学校が経営評価されるようになった

  ⑩PTAの存在が危なくなりつつある

  ○地域を巡る問題

  ①合併によってふるさとが広くなった

  ②学校が地域の中心にならなくなりつつある

  ③過疎化・高齢化・少子化・産業不振が続いている

  ④親の価値観が多様化した

  ⑤地域のコミュニティが崩れ始めている

  ⑥情報化が速い速度で進んでいる

  ⑦人々の暮らしが豊かになった

  ⑧学習意欲が少なくなった

  ⑨地域の歴史文化の担い手が少なくなった

  ⑩人間力・教育力・地域力が少なくなった

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(講演する私)

 この30項目の分析説明だけでも優に2時間は欲しいテーマです。加えて2,ふるさと教育の必要性や、3,学校を核とした地域づくり、4,学校を核とした地域づくりの具体的事例(①学童クラブの事例、②子ども教室の事例、③21世紀えひめニューフロンティアグループ活動の事例、④翠小学校周辺のグリーンツーリズム活動事例、⑤人間牧場の活動事例)の説明に結局時間が足らなくなってしまいました。

  「どんなこと 話そう思い 思いつつ あっという間に 二時間終る」

  「学校を 巡る問題 多過ぎる がんじがらめな 子育て環境」

  「慣れぬこと するもんじゃない レジメ沿い 話するのは どうも苦手だ」

  「人様の 前で話すは 難しい いつまで経っても まだまだ未熟」


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