shin-1さんの日記

○噂話で再びガンにされた私

 「あんた○○知ってるかい」「私も人から聞いた話だけど、人に言われんよ」「言わんから教えて」と、まあ田舎は犬も食わない他愛のない噂話や立ち話が面白半分に飛び交います。もう10年も前の出来事ですが、健康診断で胆のうにポリープが見つかり、摘出手術のため一週間入院をした時の出来事です。胆のうが癒着していたこともあってその後の回復が遅れ、68キロあった体重は瞬く間に13キロも痩せて55キロに減ってしまったのです。大きく膨らんでいたゴムフーセンの空気が選ったように頬は痩せこけて顔は青白く、いかにも病気上がりといった感じでした。

 久しぶりにシーサイド公園の砂浜で病気前のように掃除をしていると、顔見知りの口の軽いおばさんが、「若松さん病気じゃったそうですが如何ですか?」と声を掛けてくれました。間髪を入れずそのおばさんは、「あんたガンじゃそうなが、どこのガンじゃったんぞな?」とドキリとするような質問を投げかけられました。「本人を前にどこのガンとはよくぞ聞いてくれました」と相槌を打ち、「誰から聞いたん」と尋ねると、「実は私も○○さんから噂を聞いただけですが、地元ではもっぱらの評判ですよ」と打ち明けてくれました。それにしても「あんたガンじゃとなあ」とは辛らつな質問です。


 昨日所用でシーサイド公園を歩いていると、偶然にも口の軽いあのおばさんに出会いました。私と10年前に交わした会話などすっかり忘れ、「若松さん体の調子は如何ですかと」と同じように声を掛けてくれましたが、別れ際、「ガンは転移して再発するかも知れませんので注意して下さい。あんたは双海町にとってなくてはならない人ですから」と言いながら立ち去りました。「なくてはならない人」と持ち上げてはいただきましたが、このおばさんは私がガンの摘出手術をしたと今で信じきっているのです。多分このおばさんはどこかで近いうち、いや直ぐそこで、「若松さんに会ったが顔色も良くて、ガンも一休みのようでしたよ」「ガンは恐ろしい病気じゃきん、再発しないように注意して下さいと言って分かれました」と言うに違いないのです。


 噂話の好きなおばさんに、噂話でガンにされた私は、二ヶ月に一回胆のう摘出手術を受けた県立中央病院へ健康診断に行っています。あれから10年が経ちましたが、再び同じおばさんにガンの宣告をされてしまいました。あのおばさんの頭には「若松の進ちゃんはガン」という情報がインプットされているのです。10年前「ところでどこのガン」とおばさんに質問され、シャクに触ったので「近眼(きんガン)」とジョークを言って中笑いし、「真っ直ぐ死んでも胃がん(いがん)で死ぬ」と言って大笑いをしました。笑いは「病は気から」の諺の通り健康にとって欠かせない妙薬のようです。


  「この私 噂話の 餌となる ガンにされては 笑う笑えぬ」

  「あのおばさん 今頃どこかで 立ち話 顔色いいが ガンは危ない」

  「はや10年 元気回復 顔色も たんのうしたと ジョーク飛び出す」

  「そろそろと お迎え順が 来る予定 おばさん当てが 外れ落胆」


  

 

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○人間の第三の枝

 私はこれまで、大小の旅をして日本列島のいろいろな場所を訪ねて歩きましたが、行く先々で数百年から千年にも及ぶ長い時代の風雪を生き抜いてきた、とてつもなく大きな巨木と呼ばれる杉や楠、欅、桂、松などの樹木に巡り合ってきました。巨木を目の当たりにする度に、その生命力の強さに深い感動を覚えると同時に、百獣の王といいながら高々百年しか生きることしか出来ない人間の短い寿命のはかなさをしみじみ思うのです。


 私が巨木と対峙して自分の目で見えるのは木々の容姿のみですが、足元の下つまり地中では網の目を張り巡らすように無数の大根・小根・細根が伸び、地上の樹木が生きて行くために必要な養分や水分を、調節しながら吸い続けているのです。かつて私は300鉢もの盆栽を育てた経験があるので、木の癖と同じように地中にも根に癖があることを知っているのですが、樹勢が強い木は必ず根も元気なようなのです。


 さて樹木の容姿を見て根の様子はある程度連想は出来ても、樹木の年輪の様子や木が生きていくためにどのようなメカニズムのドラマが繰り広げられているのかは、ネイチャーレクリエーションで聴診器で木の中を流れる水の音を聴いた不思議な感動以外、浅学な私には推測の域すら脱することが出来ず、到底知るよしもないのです。巨木を見ながらふと、自分の体には3つの枝振りがあるのではないかと思うのです。

 一つ目の枝ぶりは体本体です。人間の体は胴体と手足、それに首で繋がった頭で構成されています。容姿や顔が男前だとか美人だとか、あるいは足が長いとか短いとか言っていますが、五体揃っていれば十分なのです。二つめの枝ぶりである体の中身は、足の先から手の先まで張り巡らされた血管や神経が臓器によって動かされ、何処に何があってどんな働きをしているのか知らなくても生きて動き続けているのです。


 さてもうひとつの三つめの枝ぶり、それは脳の枝ぶりです。私たちは過去と現在に生き、未来に生きるのですが、過去というこれまでどんな生き方をして生きたのか、今どんな思いで生きているのか、これまで歩んだ人生が脳の枝ぶりと一致していることを知らねばならないのです。そして最も大切なことは、これから未来に向かってどんな生き方をしようとしているのかが問われようとしているのです。

 私たち人間は周りの環境によって生かされていることは紛れもない事実です。ゆえに自分の思ったように生きられないとついつい、自分の過ちの原因を周りの環境のせいにして、嘆いてしまうのです。自分の人生が上手く行かないと嘆く前に、自分の脳の枝ぶりを直すことや成長させることを考えなければなりません。つまり脳の枝ぶりをよくするためには、毎日三度の食事をするように、脳にも栄養を与えなければならないのです。

 脳の栄養とは何か、それは情報です。人間はネガティブな情報を入れるとネガティブな行動が生まれ、ポジティブな譲歩を入れるとポジティブな行動が生まれるように出来ているのです。私も遅ればせながらそのことに気付き、努力しているお陰で以前よりましな枝ぶりの人間に成長しているのです。老木ゆえ若木のような生長は望むべきもありませんが、それでも剪定や植え替え、施肥、水、土、空気によって枯れ早かれ枝を落としながら幾分か若返っているのです。


  「枝ぶりと 根ぶりに加え 第三の 脳の枝ぶり 肥料情報」

  「第三の 枝ぶり良くば 人生も ポジティブなれる わきまえ生きる」

  「今日もまた 脳に情報 肥料やる 少しだけだが ちょっとは進化」

  「さあ俺も 生きるからには しっかりと 残り少ない 人生だから」

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○下灘の水仙畑NHKテレビで放映

 昨日の夕方テレビを見ていたら、NHKのローカルニュースで下灘の水仙畑が紹介されていました。既に亡くなっている金山泰盛さんというおじいいさんが存命中に、みかん畑を伐採した跡地に夫婦で水仙の球根を植え込み、その跡を継いだ長男の洋一さんが立派に守っているのです。

 私と泰盛じいさんは始めのころ絶妙な名コンビぶりで、私が新聞やテレビなどに顔が利くことをいいことに、花の季節になると必ずといっていいほどマスコミに取り上げてもらいました。また車道もない急峻な地形の山坂道は滑りやすいので、片側に鉄筋棒を打ち込みタフロープで手すりのようなものまで、毎年作りに行きました。

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 泰盛じいさんは研究熱心で、水仙で有名な越前海岸から水仙の球根を取り寄せたり、水仙の出荷用に段ボール箱を作ったり、また当時は駐車場もないことから、地元に迷惑をかけないようにとかなり腐心をしていました。それでも毎年少しずつお互いが智恵を出し合い、コタツの中で泰盛さんと他愛のない水仙談義を楽しくしたものでした。今ではこの下灘水仙畑も愛媛県かではすっかり風物詩になって、厳寒のこの時期になると決まったように、マスコミが紹介してくれるのですから嬉しい限りです。この時期になると蛸壺漁で漁獲したタコをお礼にと、律儀にも届けてくれた泰盛さんの顔が懐かしく思い出されるのです。

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 泰盛さんはお酒が好きで、酒を飲むと陽気になって色々な話をしてくれました。一番忘れられない言葉は「水仙」という文字についてでした。「水仙は分解すると水・人・山と書く。その字の通り水仙は北向きの水気の多い土地を好むようだ。わしは水仙人になる」などとおどけて見せました。

 この時期水仙を見に来るお客さんが絶えませんが、時々ハプニングもありました。ある時役場に勤める私の所へ松山~電話がかかってきました。「急な坂道で転んだ。どうしてくれる」と憤慨の電話です。役場の職員もこんな電話が入ると馴れたもので、殆どの苦情電話は私に回されるのです。

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 電話に出た私も最初は平謝りが多かったのですが、時にはしつこいおばちゃんの食い下がりに心頭に来て、「水仙を見に来てくれと頼んだ訳でもないのに、転げたから保障しろとは何事か」と開き直りました。「あんたは役場職員のくせに横着だ。町長に代われ。あんたを辞めさせてやる」などと息巻かれました。居合わせ電話を変わった町長も私を援護して最後tなったこともしばしばでした。

 今もその急な坂道は、地元町会議員さんの熱心な請願でコンクリート舗装こそしたものの、相変わらず車は入らずのままです。でも車一辺倒の便利な世の中で、こんな不便さもまた一興です。急な山坂を登って振り向いた眼下に伊予灘の真っ青な海や豊田漁港、それに純白の水仙が風に揺れて、芳しくも清楚な姿を見せてくれるのですから、この上ない幸せです。

  「山坂を 登り振り向く 眼下には 伊予灘の海 港が見ゆる」

  「この頃に なると水仙 風物詩 テレビ新聞 タダで宣伝」

  「親の跡 継いだ息子が テレビにて 水仙語る 嬉しい話」

  「車では 行けない故に 意味がある こんな不便も 必要ですよ」

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○大寒の水

 冬の寒さが一番身体に堪える大寒の季節になると、朝顔を洗うのさえ水を使うのが億劫になります。でも主婦である妻は毎日朝・昼・晩と三食の炊事や後片付け、それに洗濯と、まあ水を使うことの多いこと、食器洗い機やハンドクリームが普及して昔のように手が荒れなくなったといいながら、それでも家族のためにマニュキアなどもせずせっせと働いてくれるのです。

 こんな日は早めに風呂を沸かしてと、勤めをしている妻のために最近は殊勝にも風呂を洗いガスボイラーのスイッチを入れてお湯を張る程度のお手伝いをしていますが、それとてもテレビに見入って忘れ、お湯をオーバーフローする事だってあるのです。一時が万事こんなことですが、妻は私をののしることもなく、笑顔で笑って毎日二人、多少のいさかいや喧嘩を私が一方的にするものの、まあ穏やかな老後を迎えているのです。


 1月20日から立春までを大寒というのでしょうが、、大寒に入り最近水が美味しいと感じています。冷蔵庫に入れなくても、蛇口から直接コップに汲み取って飲む水は最高で、外国のように水道水が飲めないことを思うと、日本に生まれて良かったとしみじみ思うのです。わが家ではこの頃を選んでお餅をつき、大寒の水に漬け込む習慣があります。昔は旧正月の餅つきは一族が集まり、大家族のために一俵以上の餅やかき餅を一日かけて賑やかについたものでした。


 つきあがった餅は2~3日すると大きな焼き物の瓶に入れられ、寒の水に漬け込まれ焼いたり煮たりしながら冬場の食料として沢山食べました。当時は粟やタカキビ、トウキビなどの雑穀餅が主で、白いもち米の餅などはそんなにありませんでしたが、母や祖母が火鉢の上で焼いてくれるかき餅やあられと共に子どもたちのささやかな楽しみでもありました。


 祖母から昔、「寒九の水」という話を聞いたような記憶があります。寒に入って9日目の水は薬になるからと、一升瓶に入れて保存していたのです。冷蔵庫もなかった昔のことだし、水のことゆえ腐りはしないかと心配しましたが、祖母の言うのには、この時期の水は雑菌や混ざり物が少ないので腐りにくいのだそうでした。今年は1月29日がその日なので、試しに「寒九の水」を汲み、飲んでみようと思っています。妻はそんなことを知ってか知らずでか手を赤くして、せっせと大寒の水で漬け込んだ水餅の水を2日に1回替えているようです。「お餅が焼けましたよ~」と台所から妻の呼ぶ声です。早速今朝は美味しい焼き餅を醤油と黄な粉にまぶして食べます。

  「大寒の 歯ぐき染み入る 水を飲む 何より馳走 喉を通りて」

  「大寒の 水に漬けたる 水変える 妻の手の甲 真っ赤になりて」

  「大寒の 水は薬と 逝きし祖母 言っていたこと 思い出しつつ」

  「蛇口水 飲める幸せ この国に 生まれたゆえの 幸せ感ず」

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○わが家のテレビもデジタル放送に変わりました

 テレビ画面の上や下に日常字幕スーパーが流れ、地上アナログ放送が今年の7月から地上デジタルに変わる旨の予告放送がされています。わが家でも昨年10年以上にわたって慣れ親しんだ地アナテレビが故障したのを機に、46インチもの大きな地デジ対応テレビに買い換えましたが、私の地域では山に囲まれた谷あいにあるため、長年テレビ強調アンテナを組合を設立して設置しているため、強調アンテナの地アナ対応工事が行われないと地デジテレビを購入しても見えれないのです。

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 最近その工事も無事終り、それぞれの家庭では既に地デジへの切り替えが始まっていると聞きました。早速わが家でもテレビを購入時にお願いした業者さんに、妻が切り替え作業をお願いしたようです。先日外出先から帰ってみると、何やら画面の映像が今までと違って鮮明になったような感じがしました。今は移行期間なので地アナも地デジも両方視聴できますが、地デジの画面は格段で、昨日は地デジで始めて大相撲千秋楽の模様を観戦しました。ごひいきの白鵬が史上3人目の5連覇を達成し、この日横綱白鵬に3人目の子どもが誕生するという喜ばしい話題をわがことのように喜びました。

 相撲界も野球賭博など一連の騒動がやっと治まり、稀勢の里や琴奨菊といった若い日本人力士が大関への足がかりをつかんでおり、国際化が進む大相撲にあって、やはり日本人力士の活躍は胸躍る感じがするのです。それにしても白鵬は謙虚さと強さを併せ持った素晴らしい横綱だと思います。暴行問題で引退を余儀なくされた朝青龍の荒々しい強さには及びませんが、土俵外でその行動が度々物議を醸した朝青龍と比べれば、伝統を重んじる大相撲の横綱としての気品溢れる態度は、立派というほかないのです。モンゴルからやって来て大横綱になった白鵬と朝青龍を比べながら、二人の何が違うのかを考えた時、やはり子どもの時代のしつけではないかと思いました。

 戦後の貧しい時代に育った私が言うのはおこがましいのですが、物の貧しさはハングリーとなって強い心を育てます。外国人力士の殆どは馴れない異郷の地に引き返すことすら出来ない不退転の決意でやって来ています。朝青龍はハングリーをバネに地位や名誉、物という豊かさを手に入れました。それは朝青龍の努力の賜物と誰もが認めるのです。しかし相撲にとって最も大切なのは相撲道といわれる奥の深い道なのです。一礼をして土曜に上がり、一礼をして相手と戦い、勝っても負けても相手に一礼をし、土俵に一礼をして館内を後にする姿はまさにフェアープレーの世界のように思うのです。山口県出身の豊真将という力士がいます。誰も言いませんが私は彼がその一礼の見本ではないかと思いながら見ています。名力士寺尾を師匠に持つ彼の一挙手は、やはり師匠の道の教えをしっかりと受け継いでいるからだと思いました。朝青龍の師匠は朝潮・若松部屋・高砂部屋ですが、白鵬の師匠宮城野親方の指導に加え、モンゴル相撲の頂点を極めた父親の教育こそ、白鵬の人間像を作り上げた根底のような気がするのです。人間は物の豊かさだけで一人前ではないのです。


  「デジタルに なればアナログ 懐かしく 時代の節目 両方満喫」

  「デジタルで 相撲放送 観戦す 白鵬強く 稀勢の里たち 活躍予感」

  「相撲道 奥が深いと いう人の 育ちの中に 親の生き方」

  「またひとつ 懐かしきこと 思うよな アナログテレビ 過去に押しやる」



 

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○情報化時代

 情報化という言葉をよく耳にするし、私自身も言葉にしてよく使います。ネット辞書で情報化の意味を調べると、「物や資本などに変わって知識や情報に価値が置かれ、情報の生産・収集・伝達・処理を中心にして社会・経済が発展していく社会。情報社会ともいう」と記されています。この意味どおり私のような田舎に細々と暮らしている者さえも、言葉の意味が分からなければかつては書棚から分厚い広辞苑を取り出し、ぎっしり詰まった文字を虫眼鏡で見ながら検索していたのに、ヤフーやグーグルから検索する手法を知っているだけで、広辞苑など開かなくても簡単にありとあらゆるジャンルのことが調べられるし、時にはニュースや天気予報、乗り物の時刻表や運賃、買い物まで出来るのですから、もう便利という他はありません。

 勿論その端末であるパソコンも最近は安く出回り、使い方を一度覚えるとまるで魔法の道具のように自分の頭脳として働いてくれるのです。しかしこの魔法の道具もウイルスに汚染されたり、好ましくない情報がはびこり、使い方を間違うととんでもない犯罪の温床にもなってしまうので、しっかりとガードを固めて使うことが求められて炒るのです。

 時代に乗り遅れたようなリタイアした初老の私にとって、情報化社会は便利さと不便さが混在して中々ついてい行けません。インターネット二節毒している端末のパソコンは、機械的道具なので故障もするし、電話回線で結ばれているため混線もします。その都度解決方法が分からない、つまり基本を学ばなくていいとこ取りをして使っているため、危機対応ができなくて深い悩みに陥ったり、時には故障して高い代償を払わなければならないのです。

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 一昨日私の元へ島根県に住む友人松島女史から2本のメールが相次いで届きました。ひとつは先日島根県雲南市へ講演に出かけた折、その模様が島根日日新聞に掲載されたスクラップ記事が添付で送られてきました。もうひとつのメールには当日取材に来ていたケーブルテレビのニュースが、⇒雲南夢ネット⇒掛合局⇒番組アーカイブ(1/18放送分)と検索すると、映像ニュースがタイムリーに見えるのです。

 私の素敵な顔と美声が2分間程度流れているのを見て、情報化はここまで進んでいるのかと驚きました。私にとってパソコンでDVDや動く映像を見ることはそんなに多くはないだけに、これからも少し勉強して新しい分野に挑戦したいと思いました。

  「新聞と テレビニュースが メールにて 送られ感心 しつつ見入りて」

  「近頃は インターネットで 何につけ 検索しつつ 事を運びぬ」

  「知らぬ間に いつの間にやら 情報化 波の間にまで 漂う羽目に」

  「祈りより 先にパソコン する私 今朝も書斎で ブログ一本」

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○子ども体験塾

 昨日は幾分寒さも和らいで、腰の具合も少し快方に向かっていることもあって、シーサイド公園で行われ予定の子ども体験塾へ、実行委員長としてボランティア活動に出かけました。9時30分からの開会というのに気の早い35人の子どもたちは、頭に三角巾を巻きエプロン掛けで集まっていました。いつもながらのことですがボランティアスタッフの多さや、受け入れを快諾してくれる漁協女性部の皆さんにはただただ感謝するばかりです。

 
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 私の開会のあいさつの後、赤石さんのオリエンテーションでたこ焼き、じゃこ天、UFOじゃこ天、鯛めしの4班に別れてローテーションが組まれ、子どもたちは順番に色々な作業に挑戦していました。今回始めて体験するのはUFOじゃこ天です。水仙まつりでは新聞に載ったこともあってかなり人気で、子どもの関心も高かったようでした。餃子の皮に指で水をつけじゃこ天のすり身とシラスやチーズなどをトッピングして餃子の皮を重ねて油で揚げるだけなのですが、これが何とも美味しくて、私も子どもたちに混じって体験しましたが楽しいものでした。

 子どもたちはそれぞれのコーナーで作ったものを試食できるとあって大はしゃぎでした。ラブじゃこ天、たこ焼き、UFOじゃこ天、鯛めしのおにぎりはもう最高な味だったようで、お土産までいただきました。

 シーサイド公園も私が造った17年前の頃とはすっかり様変わりして、高速道路無料化の影響もあって右肩下がりのようにも感じますが、漁協女性部と鮮魚店の活気は相も変わらずで、いつも行く度に色々なものをいただいて帰るのです。昨日は美味しいにぎり寿司をいただいたので、自宅の菜園で育てているカブとチンゲンサイ、それに小松菜をお礼に差し上げ大層喜ばれました。


 子どもたちへのふるさと教育は大切です。一年をかけて町内各地を訪れ、色々な人の温もりの中でふるさとの姿をすらず知らずの内に体得すると、子どもたちの心は穏やかに育つのです。子ども体験塾に参加している子どもたちは出会うと必ず言葉を交わしあいさつもでき、この町に生きている実感を見て取れるのです。子どもたちにとって、優しさや思いやり、協力することの大切さはこの時期にしか育たない大切な宝物なのです。


  「エプロンと 三角巾で 武装した 子どもの笑顔 何処かほのぼの」

  「進ちゃんと 愛称で呼ぶ 子どもたち 私も愛称 心を込めて」

  「たこ焼きや UFOじゃこ天 鯛めしも 満腹笑顔 賑やかでした」

  「女性部の 協力ありて 子どもたち 優しい心 すくすく育つ」

 

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○満月の関門海峡を通る(その5)

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館長さんと係長さんに行橋駅まで送ってもらい、九州の山並みに沈む真冬大寒の夕日に見送られながら日豊本線で小倉へ向かいました。

 築上町への行き帰り、久しぶりに福岡県小倉駅へ立ち寄りました。新幹線と在来線が入り混じっているため、地方都市とはいいながら駅周辺は都市計画に基づいた整備が進んでいて、動く歩道やコンベンションホールなど、目を見張るような施設が沢山あるのです。しかし行政のこうした箱物への先行投資も少し的がはずれ、人の入りやテナント入居率の低迷など、苦戦を強いられてしているようにも見えました。

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 小倉駅の北口を出て長い階上の動く歩道を通り地上に降りると、約1キロほど歩いただけで松山行きの船着場があります。少し早いとは思いましたが寒い時期ゆえ、また陽もとっぷり暮れて何することもないので、両手に少し重めの荷物を抱え徒歩でフェリー乗り場に到着しました。乗り場駐車場では乗船するであろうトラックやトレーラーが、係員の赤い懐中電灯棒の指示に従って誘導されていましたが、私が乗るであろうフェリーは既に着岸して大きな船体を横たえていました。プレハブのような待合室にお客はまだ誰も姿を見せていませんでした。

 そのうち時間が経つに連れてトラックの運転手さんが何人か、乗船手続きのため待合室に出入りするようになり、また乗用車と一緒に乗船する人たちも集まり始めました。それでも平日木曜日とあって乗客の数は数えるほどまばらでした。出航55分前の午後9時に乗船を許され船に乗り込みました。

 予約に基づいて買い求めたチケットには110ー6とプリントされ赤鉛筆で丸印がされていました。私の部屋は2等110語室、ベッド番号が6なのです。ベッドといってもシーツをつけた下敷きの毛布と上に着る毛布が一枚、それの枕が一個だけの簡単なものなのです。

 私は早速別途メーキングをして身辺を整理し、船内の風呂に向かいました。前日の往路便でもその日の復路便でも私が一番風呂で、汗をかくほどゆっくり入浴し旅の疲れを癒しました。風呂を出て売店や食堂のあるエントランスへ行くと、早くもあちこちで酒盛りが始まっていました。消灯が11時なので1時間半余りの束の間を皆楽しんでいるようでした。

 船内放送で関門海峡大橋通過は出航後20分過ぎと知らされました。寒さが身に染みるこの時期なので、そんな船内放送などで動こうとする物好きな人は誰もいませんでした。私は長い通路を通って船尾に出ました。この日は満月で、冬としては風もない穏やかな暗い海に船の航跡が見え、船の航路を示す灯台ブイの赤や青の点滅灯が鈍く光っていました。門司の灯りに続いて下関の明かりが見えてきました。門司は3年前、下関は昨年訪ねているので、特に下関は下関タワーや唐戸市場、赤間神宮辺りを頭に描きながら大橋通過を待ちました。

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 やがて雲間に見え隠れする月とともに本州と九州を結ぶ関門海峡大橋が姿を現しました。多分この海の下には何年か前歩いて渡った関門トンネルもあるのだろうと想像しながらゆっくりと通り過ぎる端を眺めました。月明かりの大橋はとても美しいものでした。先日島根へ行く時渡ったしまなみ海道の10の橋といい、来月4日に渡る予定の瀬戸大橋といい、日本の海峡や島伝いに架かる橋は美しいと思いました。

 船は関門海峡を通って瀬戸内海に入り、やがてスピードを上げながら目的地である松山を目指して満月の海を走り、私は部屋のベッドに横たわり、浅い眠りにつきました。 

  「行き帰り 小倉の駅を 見て歩く 随分立派 リトル東京」

  「橋通る 橋見上げるも それぞれに 趣きありて 感傷ふける」

  「満月と 大橋コラボ 見る機会 滅多にないと コート襟立て」

  「海人が ゆえに暗海 ただ一人 眺めて今日を 振り返りつつ」

  

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○京築地区公民館研修会に招かれて(その4)

 昨年の10月26日、大分県豊後大野市で開かれた大分県公民館大会記念講演以来2ヶ月ぶりに海峡を越えて九州へ渡り、今度は福岡県築上町で開かれた京築地区公民館研修会に行きました。日豊本線沿いに広がる京築地区周辺は私にとってある意味空白地帯で、訪ねたことも講演に行ったことも殆どない地域なので、多少ワクワクしていました。もう20年も前、ひょうたん型由利島共和国で開催した無人島キャンプで、瓶の中にメッセージを入れて子どもたちが海に流した漂流物が、築上町近くの行橋市の海岸に流れ着き、地図でその周辺を調べたことがある程度の知識なのです。

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 今回のテーマは「公民館として子どもたちの豊かな育ちのために」でしたので、子育てや青少年の健全育成について、集まった100人を越える参加者の前で熱弁をふるいました。私への講演依頼は地域づくりや女性問題など多岐にわたっていますが、中でも公民館活動や青少年の健全育成など生涯学習に関することは、私の最も得意とする分野なのです。

 本来なら講演の前あった2団体の発表を会場で聞きたかったのですが、腰の具合が今一で、講演に全体力を注がなければならないとの思いから、開会式や発表会をキャンセルし、暖かいストーブの横で暖を取りながら過ごしたため、講演中は腰の痛みも和らいで、何とか役目を果たすことが出来ました。

 
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 この日の講演演題は「子どもたちの豊かな育ちのために」でした。過去認識・現状認識・未来認識という3つの時代認識、子ども・学校・地域の問題という領域に隠された3つの問題認識を踏まえながら、10項目の家庭の変化について話しました。

 ①子どもの数が減った

 ②子どもの毎日が忙しくなった

 ③子どもの家庭的役割がなくなった

 ④子どもの遊びが変わった

 ⑤子どもの家庭的感動がなくなった

 ⑥子ども部屋が出来た

 ⑦物と金が豊かになった

 ⑧仏壇・神棚教育が消えた

 ⑨父親の存在が弱くなった

 ⑩家庭の最大の影響力がテレビになった

 

 その上において、教育=教育・共育・響育・協育・郷育の必要性について話しました。特に強調したかったのはふるさと教育と道の教育です。私はこれまで21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを主宰し、無人島に挑む少年の集いやふるさとを空から見る運動、丸木舟建造と瀬戸内海航海、竪穴式住居語り部の集い、大野ヶ原モゥーモゥー塾、ブーメランテーブル製作、10年で40回のフロンティア塾などなどを仲間とともに実践してきました。またふるさとを語れない子どもたちのために夕日や花やホタルをモチーフにしたまちづくりを実践してきました。これらは私設公民館煙会所や人間牧場という私的な施設と絡み合いながら連携し、今もふるさと教育と道の教育として成果を上げようとしています。

 パワーポイントやDVDを使ってそれらを熱を込めて話したつもりでしたが、僅か90分では少々心残りな結果となってしまったようです。でも集まった人たちは熱心に聴いていただき、よかったと思っています。


  「90分 思いのたけを 喋ったが デジタル時間 食って少々」

  「美しき 花を活けたる ステージで 負けず劣らず 熱弁ふるう」

  「90分 腰の痛みを 忘れてた これもひとつの 技術だろうか」

  「教育は 当て字使えば 色々と 意味も違って 説明便利」


 

 

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○パソコンに命再び

 日ごろ使っていたパソコンのキーボードに不具合が生じ、文字が変換できなかったり、スペースキーで文字変換が出来なかったりしたため、メーカーに電話すると保障期間が終わっているので、修理代約4万円の見積もりをされました。息子に相談すると「4万円を足して新しいの買い換えた方がいいのでは」と助言をしてくれましたが、「勿体ない」の意識が頭を持ち上げ、またかなりの量のデーターが入っている、いわば私の記憶装置なので、財布の中身と相談しながら思い切って「修理」を決断しました。

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 私が使っている機種はTOSHIBAのdynabookですが、メーカーから電話と代替として用意し使っているパソコンに電話とメールで指示や修理状況報告が入り、その都度指示に従って一喜一憂しながら千秋の思いでこの二週間待ちました。代替パソコンを友人の力を借りて用意したといいながら、使い慣れていないためとにかく何かと不便でした。日通航空が断衝材を入れた専用の段ボールを持って、パソコンを自宅まで採りに来てから丁度2週間が経った二日前の夕方、再び日通航空の方が同じ段ボールに入れて、修理の終わったパソコンを届けてくれました。

 修理代は代引きという約束だったので、あらかじめ支払い予定額提示の金額36752円を用意しました。私はこうした不測の事態に備えるため、郵便局からいただいている赤い郵便ポスト風の貯金箱に小銭を貯金しているのです。前回デジカメが壊れた時も、パソコンが故障して新しいのに買い換える時もこの貯金箱の下を開けてお金を取り出し使いました。今回も妻と二人で開封して集計すると6万円近くも入っていて、余るほどの金額に小躍りして喜びました。勿論妻は大蔵省の財布から出さなくても済んだため大喜びでした。

 荷物が届いた日はあいにく九州福岡へ出張する予定だったため、昨日帰宅して梱包を開けてパソコンを取り出しました。二週間ぶりに懐かしいパソコンとの再会です。電源コードを入れて通電し、インターネット用の回線を繋ぐと、パソコンは生き返ったように液晶画面にトップページが表示されました。嬉しくなり思いつくままに不具合だったキーボードを操作してみましたが、UもMもスペースキーもちゃんと作動しました。この2週間代役を見事に果たしてくれたNECのパソコンにご苦労様と言葉をかけて机の上から机の下の収納スペースに収納しました。さあこれから一分張り、パソコンに働いてもらいましょうか。


  「パソコンの 修理が終り 帰り来る 長い旅路を お疲れさまと」

  「修理代 代引き払う そのために 貯金箱開け 出費に当てる」

  「修理終え 私の頭脳 元通り 修復安心 飛躍を誓う」

  「10日余を 陰で支えた 代替品 役目終りて 収納場所に」

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