shin-1さんの日記

○九州大分へ・その②(大分市西公民館夕焼けこやけのまちづくり)

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 海の上を国道が走っている大時化の豊後水道をフェリーで渡りました。時折雪のちらつく厳しい冬の海でも、カモメたちは波間に揺れ戯むれ遊んでいました。佐田岬の灯台が遠ざかると佐賀関の高いお化け煙突がだんだん大きくなり、寝る暇もない僅か70分の短い時間で佐賀関の港へ到着しました。

 港には社教主事さんが出迎に来てくれていました。豊後大野市で開催された大分県公民館大会で顔合わせをしていたので、四方山話をしながら雪の舞う国道197号を大分市内に向けて1時間余り走ると西公民館到着です。玄関から2階に上ると全職員が手を休めて丁寧にも事務所から出て出迎えてくれました。職員教育が徹底しているのでしょうが、気持ちがいいものです。

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 二階和室に設えた講師控え室へ通され、打ち合わせをしながら昼食をいただきました。ロビーでは「夕焼けこやけのまちづくり」のキャンペーンのための絵画展と写真展が行われていました。表彰を受けに来た子どもや親に気軽に声を掛けながら談笑したり、会場で流すDVDの準備、マイクテストをしながら私の出番である13時50分を待ちました。西公民館は素晴らしい建物で、2階のホールも広く沢山の椅子が並べられていました。時折雪のちらつく寒い日曜日なので果たして満席になるのだろうか?と内心思いましたが、取り越し苦労だったようで、開会式には満席で慌てて追加の椅子を用意しているようでした。

 私の持ち時間は僅か1時間弱なので、DVD映写の時間を割くことをためらいましたが、既に豊後大野市でこのDVDを見ている館長さんや主事さんの勧めもあって、思い切って映写をすることにしました。話は早口、しかもインスピレーションな思いつきで、レジメも用意せず喋り続けました。あっという間に持ち時間は終わってしまいました。でも会場の雰囲や反応もすこぶるいい感じました。本当は講演後の発表会に参加してショートなコメントをする予定でしたが、フェリーがドック入りし臨時ダイヤで運行していて、午後7時の便しかないため、無理を言ってキャンセルしてもらい、用意していただいたタクシーで高速道路を走り佐賀関の船着場へ送ってもらいました。

 三崎半島の帰りの道は再び猛吹雪でした。幾つもあるトンネルの出口や入り口、橋を通る度にアイスバーンのきしむ音が不気味に聞こえ、往路で体験した危険を回避しました。

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 ゴゼ峠のトンネルを越えて瀬戸内に出ると、風は強く高波のしぶきがもろに車に降り注ぎ、まるで塩水のシャワーの中を走るようでした。その度にウォッシャー液でフロントガラスの塩水をワイパーで洗い流し、やっとの思いで8時半ごろわが家へ辿り着きました。

 心配して時折入る妻からの携帯電話を無視して走り続けたため、玄関に迎えに出た妻もホッとした様子でした。昨年10月島根県隠岐の島西ノ島町へ行った時は台風接近、今月7日~8日島根県雲南市吉田町へ行った時は2メートルを越す大雪、そして今回は異常寒波によるアイスバーンと、私を旅に送り出して留守を守る妻にとっては心配の種がいつも付きまとって、気が気ではなかったようでした。明日から始まる来月には岡山や高知、広島など近場ながら県外出張も目白押し、当分は妻に心配をかけることでしょう。


  「大分も 夕やけこやけの まちづくり 感心しつつ メッセージ届けに」

  「絵画展 真っ赤な夕焼け 子ども画く いいねいいねと いいつつ見入る」

  「夕焼けの 様な穏やか まちづくり 目指す姿に エールを送る」

  「携帯に 妻から電話 何度でも 心配他所に 無視して走る」

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○九州大分へ・その①(アイスバーンの恐怖)

 私たちは日々の暮らしを様々な情報を得ながら暮らしています。その際たるものは天気予報で、殆ど毎日テレビに映し出される明日の天気予報を見て、「外出は傘を持っていった方がいい」とか、「寒いからコートを着て行こう」とか決めて行動するのです。何日か後にイベントを企画していたり、少し長めの旅行などをする時は週間天気予報などを参考に、一喜一憂したことも数えればきりがないほどなのです。

 昨日私は講演の依頼を受けて大分へ行くことになりました。九州大分へ渡るのにはいつも利用する三崎~佐賀関の九四フェリーを利用する場合、双海~(国道387号夕やけこやけライン)~保内町~(国道197号潮風メロディライン)~三崎を、何の疑いもなくマイカーで走るのですが、昨日はこの冬一番の寒波が日本列島へ押し寄せ、その影響で特に潮風メロディーラインは雪と凍結の心配がありました。

 松山と八幡浜日土で二居住間移動生活をしている盟友清水さんの助言を得て、転ばぬ先の杖のような気持ちで四WDの軽四トラックを利用することにしました。わが家は瀬戸内海に面して雪が降らなし積もらない地域なので、普通であれば2時間もあれば行ける距離を見越して9時30分の便なので、妻は朝7時に家を出ればいいといいました。でも私はトラックや積雪のことを考えて30分早めに家を出ました。実はこれが後の余裕と大正解に繋がったのです。

 瀬戸内側を走る時は雪など何処吹く風でスイスイ走り、頭の中で清水さんの助言がとり越し苦労だと正直思いました。ところが三崎半島を縦断するゴゼ峠を抜けると風景は一変しました。宇和海側の山が白く雪化粧しているのです。伊方町の町を過ぎ伊方原発付近から道に雪が見え始め、それは朝の寒さで殆どがアイスバーになっているのです。急いで車のギアーについている四WDのボタンを押してチェンジしました。スリップして動かなくなり路側帯で右往左往している車を尻目に、私の車は雪をつかんでロースピードながら順調に走りました。

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 やがて三崎町に入った下り坂で、ちょっと気を許してブレーキをかけたところ、車はまるでスキーのように坂道を滑り始めました。「危ない」と思わず言葉を発するほど横滑りするのです。路側帯には動かなくなった車が何台か止まっていましたが、ぶつかりそうにならながら間一髪すり抜けて道の真ん中で真横になって止まりました。性根を入れて車を立て直し、エンジンブレーキを基本にしながら、何とか三崎のフェリー乗り場に1時間前に辿り着き、ホッと胸をなでました。


 フェリー乗り場の待合所で清水さんにお礼の電話を入れました。また清水さんから当日の現地天気ガイドに指名してもらった浅野先生や前夜フォーラムで出会った友人塩崎さんにも連絡しました。塩崎さんは前夜猛吹雪の中を潮風メロディーラインを通って帰ったそうですが、凍った道を私と同じように滑らせて側溝に車を落とし、通行人の協力で車を引き上げたものの、車を置いて深夜に自宅へ帰ったと説明していました。私も塩崎さんの二の舞をするほどでした。

  「トラックで 走るが無難 助言聞き 正解でした 恐る恐るも」

  「あっ危ない 思った瞬間 横滑り アイスバーンの 恐怖未だに」

  「雪道を 甘く見てると 大怪我を 拳拳服膺 肝に銘じる」

  「トンネルを 越えるとそこは 雪国で 道の白きを 踏み分け進む」


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