shin-1さんの日記

○わが家のテレビもデジタル放送に変わりました

 テレビ画面の上や下に日常字幕スーパーが流れ、地上アナログ放送が今年の7月から地上デジタルに変わる旨の予告放送がされています。わが家でも昨年10年以上にわたって慣れ親しんだ地アナテレビが故障したのを機に、46インチもの大きな地デジ対応テレビに買い換えましたが、私の地域では山に囲まれた谷あいにあるため、長年テレビ強調アンテナを組合を設立して設置しているため、強調アンテナの地アナ対応工事が行われないと地デジテレビを購入しても見えれないのです。

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 最近その工事も無事終り、それぞれの家庭では既に地デジへの切り替えが始まっていると聞きました。早速わが家でもテレビを購入時にお願いした業者さんに、妻が切り替え作業をお願いしたようです。先日外出先から帰ってみると、何やら画面の映像が今までと違って鮮明になったような感じがしました。今は移行期間なので地アナも地デジも両方視聴できますが、地デジの画面は格段で、昨日は地デジで始めて大相撲千秋楽の模様を観戦しました。ごひいきの白鵬が史上3人目の5連覇を達成し、この日横綱白鵬に3人目の子どもが誕生するという喜ばしい話題をわがことのように喜びました。

 相撲界も野球賭博など一連の騒動がやっと治まり、稀勢の里や琴奨菊といった若い日本人力士が大関への足がかりをつかんでおり、国際化が進む大相撲にあって、やはり日本人力士の活躍は胸躍る感じがするのです。それにしても白鵬は謙虚さと強さを併せ持った素晴らしい横綱だと思います。暴行問題で引退を余儀なくされた朝青龍の荒々しい強さには及びませんが、土俵外でその行動が度々物議を醸した朝青龍と比べれば、伝統を重んじる大相撲の横綱としての気品溢れる態度は、立派というほかないのです。モンゴルからやって来て大横綱になった白鵬と朝青龍を比べながら、二人の何が違うのかを考えた時、やはり子どもの時代のしつけではないかと思いました。

 戦後の貧しい時代に育った私が言うのはおこがましいのですが、物の貧しさはハングリーとなって強い心を育てます。外国人力士の殆どは馴れない異郷の地に引き返すことすら出来ない不退転の決意でやって来ています。朝青龍はハングリーをバネに地位や名誉、物という豊かさを手に入れました。それは朝青龍の努力の賜物と誰もが認めるのです。しかし相撲にとって最も大切なのは相撲道といわれる奥の深い道なのです。一礼をして土曜に上がり、一礼をして相手と戦い、勝っても負けても相手に一礼をし、土俵に一礼をして館内を後にする姿はまさにフェアープレーの世界のように思うのです。山口県出身の豊真将という力士がいます。誰も言いませんが私は彼がその一礼の見本ではないかと思いながら見ています。名力士寺尾を師匠に持つ彼の一挙手は、やはり師匠の道の教えをしっかりと受け継いでいるからだと思いました。朝青龍の師匠は朝潮・若松部屋・高砂部屋ですが、白鵬の師匠宮城野親方の指導に加え、モンゴル相撲の頂点を極めた父親の教育こそ、白鵬の人間像を作り上げた根底のような気がするのです。人間は物の豊かさだけで一人前ではないのです。


  「デジタルに なればアナログ 懐かしく 時代の節目 両方満喫」

  「デジタルで 相撲放送 観戦す 白鵬強く 稀勢の里たち 活躍予感」

  「相撲道 奥が深いと いう人の 育ちの中に 親の生き方」

  「またひとつ 懐かしきこと 思うよな アナログテレビ 過去に押しやる」



 

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shin-1さんの日記

○情報化時代

 情報化という言葉をよく耳にするし、私自身も言葉にしてよく使います。ネット辞書で情報化の意味を調べると、「物や資本などに変わって知識や情報に価値が置かれ、情報の生産・収集・伝達・処理を中心にして社会・経済が発展していく社会。情報社会ともいう」と記されています。この意味どおり私のような田舎に細々と暮らしている者さえも、言葉の意味が分からなければかつては書棚から分厚い広辞苑を取り出し、ぎっしり詰まった文字を虫眼鏡で見ながら検索していたのに、ヤフーやグーグルから検索する手法を知っているだけで、広辞苑など開かなくても簡単にありとあらゆるジャンルのことが調べられるし、時にはニュースや天気予報、乗り物の時刻表や運賃、買い物まで出来るのですから、もう便利という他はありません。

 勿論その端末であるパソコンも最近は安く出回り、使い方を一度覚えるとまるで魔法の道具のように自分の頭脳として働いてくれるのです。しかしこの魔法の道具もウイルスに汚染されたり、好ましくない情報がはびこり、使い方を間違うととんでもない犯罪の温床にもなってしまうので、しっかりとガードを固めて使うことが求められて炒るのです。

 時代に乗り遅れたようなリタイアした初老の私にとって、情報化社会は便利さと不便さが混在して中々ついてい行けません。インターネット二節毒している端末のパソコンは、機械的道具なので故障もするし、電話回線で結ばれているため混線もします。その都度解決方法が分からない、つまり基本を学ばなくていいとこ取りをして使っているため、危機対応ができなくて深い悩みに陥ったり、時には故障して高い代償を払わなければならないのです。

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 一昨日私の元へ島根県に住む友人松島女史から2本のメールが相次いで届きました。ひとつは先日島根県雲南市へ講演に出かけた折、その模様が島根日日新聞に掲載されたスクラップ記事が添付で送られてきました。もうひとつのメールには当日取材に来ていたケーブルテレビのニュースが、⇒雲南夢ネット⇒掛合局⇒番組アーカイブ(1/18放送分)と検索すると、映像ニュースがタイムリーに見えるのです。

 私の素敵な顔と美声が2分間程度流れているのを見て、情報化はここまで進んでいるのかと驚きました。私にとってパソコンでDVDや動く映像を見ることはそんなに多くはないだけに、これからも少し勉強して新しい分野に挑戦したいと思いました。

  「新聞と テレビニュースが メールにて 送られ感心 しつつ見入りて」

  「近頃は インターネットで 何につけ 検索しつつ 事を運びぬ」

  「知らぬ間に いつの間にやら 情報化 波の間にまで 漂う羽目に」

  「祈りより 先にパソコン する私 今朝も書斎で ブログ一本」

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