shin-1さんの日記

○今夜から福岡県へ出張します(その1)

 島根県雲南市から帰ったばかりだというのに、性懲りもなく今夜から福岡県築上町へ出張します。明日は一日中福岡県で講演なので、帰りは21日の午前中になる予定です。私も腰の具合が今一なので気をつけますが今日から大寒とか、一年中で一番寒い時期なので、皆さんも風邪を引かぬようくれぐれも気をつけてください。

                                               人間牧場主 若松進一拝

○船内の風呂

 小倉~松山間は関西汽船が大型フェリーを運航しています。松山観光港を出発するのは午後9時55分とかなり遅い深夜便なので、自宅で食事を済ませ8時少し前に自宅を出発しました。海岸線の道を伊予市街~松前町~松山空港~三津浜~高浜と順調に走り9時前に到着しました。濱田さんから小倉航路を利用する人のために無料駐車場が用意されているという話を聞き、濱田さんから駐車場の場所を知らせるFAXまでいただき難なく駐車場へ駐車しましたが、駐車場が旅客ターミナルからかなり遠い位置にあるため、両手に少し重さを感じる木になるカバンや小道具類を入れたエコバックを提げての移動は、腰に負担がかかりかなりきつく冷や汗が出ました。


 予約番号で切符を買い求め乗船予定の30分前まで、頭上に置かれた2台のテレビを同時に見ながら過ごしていましたが、広島から最後のスーパージェットが到着し、顔見知りの人が降りて声をかけたり帰られたりしました。ターミナルの館内放送で乗船を促されましたが、エスカレーターを使うのですが、乗り場までの二階の通路は長く、これまた腰に堪えました。

 二等の大部屋に入り荷物を置くと、早速洗面道具とタオルを持って船内の風呂場に出かけました。そんなに大きな風呂場ではありませんが、フェリーの船内で風呂に入れるなんてとてもリッチなことなのです。船には私のような旅客だけの人もいれば車と一緒に乗り込む人もいます。私は一番風呂でした。そのうち4~5人入ってきましたが、いずれも常連客のように手馴れた様子でした。


 腰に違和感や少し痛みを持っているため、ゆっくりと温めるように入浴しましたが、入浴後は売店で少しの時間を過ごし部屋に引き上げ、大型トラックやトレーラが船内に入る度に地響きのようなものを感じながら出航を待ちました。余り早くに寝ると夜中に目を覚ますと寝れないので、隣に偶然席を得た人と雑談をしたり本を読んだりして過ごしました。

 この航路は九州へ行く時何度か利用していますが、船も大きく航路帯が瀬戸内海なので揺れも少なく、朝5時に小倉につく早さを除けばとてもいい船旅だと満足し、次の乗船はいつころになるだろうと思いながら、隣の兄ちゃんの話し相手になりました。


  「動く船 乗って風呂まで 楽しめる 次も乗ろうと 心に決める」

  「湯船湯が トラック乗る度 傾いて 身体漂う 右に左に」

  「二等には 二等の顔が 乗ってくる 俺も二等の 客筋自負す」

  「ゆっくりと 身体湯船に 沈ませて 腰を温め 湯治専念」

  

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○ぎっくり腰になりました

 私は一年に二度か三度、ぎっくり腰を患う癖があります。そのため教えてもらった腰痛体操などをして予防に備えているのですが、今度もいかんともし難く2~3日前からぎっくり痛になってしまいました。今回の原因の思い当たる節は何といっても、12月19日に人間牧場で餅つきをした折、8臼もの餅つきの手臼を一人でやったこと、1月8日・9日の水仙祭りで7臼の餅つきの手臼をやったことが考えられるのです。手臼は中腰でするので、餅つきが終わったころ腰に違和感を覚えるのですが、みんなに「手臼が上手だ」と褒められるものですから、ついついその気になっていい恰好をしてしまったのです。

 腰が重いと感じながら腰痛体操などでごまかしていましたが、先日島根県へ600キロもの旅をした折、400キロ余りの運転をしたために余計重くなって、ついには動かなくなってきました。今夕から福岡県築上町へ講演に出かけなければならない予定が入っているので、何とか早く治したいと思い、昨日と今日伊予市本郡にある松本整体院へ治療に出かけました。これまでぎっくり腰になると決まってここで治療を受け、回復してきたので今回も淡い期待を抱いて出かけました。昨日は軽め今日は少し強い治療をしてもらい、昼間は居間の炬燵に寝転んで休養を取ったお陰で少し楽になったようです。

 腰が悪いと座っても腰かけても次の動作に移るのが大変で、まるで年寄りみたいに周りの何かにつかまり、ヨイショと掛け声をかけなければなりません。妻は気遣ってストーブの灯油入れも、灯油を伊予市まで買いに行くことも全てしてくれました。「今度の出張は木のカバンは重いから別のカバンにしたら」と言うのですが、「私から木のカバンを取ったら何にも残らない」と意地を張っていますが、正直木のカバンは腰に負担がかかるようで心配です。

 本当は今夕広島に出て一泊し、広島で研修会の打ち合わせをして新幹線で小倉入りを計画していましたが、広島の相手に電話を入れて、訳を言ってキャンセルしてもらいました。そして関西汽船の浜田さんに連絡を取り、寝ていても旅ができる松山~小倉航路に切り替え予約を取りました。この便は午後9時55分松山観光港発で、小倉港に早朝5時に到着し、列車を乗り継げば十分間に合うことが分かりました。したがって帰りの便も小倉から新幹線より小倉~松山航路を考えています。

 「もうそんなに自分で思っているほど若くないのだから、余り無理をしないように」と妻に諭され、自分でも気力と体力のズレを感じながら、明日は一日中ブログを書けないので、明日の分までと何も知ることがない休養時間を利用して、思いつくままに明日のノルマまでこなしているところです。

 今日はどういう訳かよく電話がかかってきます。携帯電話はその都度手元にあって、失礼ながら寝たままで対応できるのですが、家の電話は子機を使ったり予定表をある場所へ移動したり大変です。何とかこれ以上悪くならないことを祈っています。


  「癖なのか 歳のせいだか 分からない ぎっくり腰で 一日悶々」

  「整体で 涙出るほど 揉みほぐし 幾分回復 出張大変」

  「重いから 木になるカバン 止めたらと 妻は諭すが 俺は止めぬと」

  「友人に 頼んで船の 予約する 寝たまま旅が 出来る妙案」

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○動物の寿命

 ある雑誌に東京工業大学本川達雄教授の「動物の寿命ーゾウの時間・ネズミの時間」という、興味ある話が紹介されていました。色々な動物の寿命を心周期(心臓が一回ドキッと打つ時間)で割ると、15億という数字が出てくるそうです。哺乳類の心臓は一生のうちに15億回打つらしく、その数字で逆算すると動物それぞれの寿命が算出されるのです。

 ・ハツカネズミ(心臓が1回打つのに0.1秒、15億回打つのに2~3年)

 ・インドゾウ(心臓が1回打つのに3秒、15億回打つのに70年)

 さて私たち人間の心臓が15億回打つのに何年かかるかというと26.3年だそうです。「えっそんなに短いの?」と目を疑いました。だって昔ならいざ知らず現代日本人は、世界一の長寿といわれ男女とも平均寿命は80歳を超えているのです。

 私たちの先祖をはるかに遡った縄文人の寿命は僅か31歳だったようです。15歳から16歳で子どもを作り、ある程度子育てをして次に世代にバトンタッチしていたようです。なぜ日本人の寿命が延びたのか、それは人間が人いう道具を手に入れ煮炊きや保温ができるようになったことに始まり、農耕や家畜によって安定した食料供給ができるようになったことや、水を確保して安全な都市環境の中で暮らせるようになったこと、医療技術が進歩したり入れ歯が開発されたことなどなど、延命条件が整ったためだと思うのです。

 だとしたら私を含めた人間は、もうとうに寿命を通り越して何十年もおまけの人生を生きていることになるのです。「もっと長生きがしたい」、これは殆どの人間が持つ願望でしょうが、26.3年しか生きないはずの私が66歳まで生きているのですから、これからおまけの人生をどう生きるか、自分自身の生活設計をしっかりとして、気楽に楽しく、加えて次の世代のために役立って生きることが大事だと思うのです。

 人間の寿命は心拍数で20億回÷1分当たりの心拍数50=75年、この計算通りだと私の余命は75年ー66歳(私の現在の年齢=9年、「うーん、こりゃあ大変だ」、うかうかできない。心のブレーキを緩めてやりたいと思っていることを早くしなければ死んでしまう。

 そうだ、溜めたお金(そんなにはないが幾分かは)も有意義に使わねば。子どもたちのためにも何かしてやりたい。そんなことを考えながら今日の朝を迎えました。

  「縄文人 僅か31年 生きただけ 俺は長生き し過ぎたのかも」

  「あと9年 余命計算 成り立って ブレーキ緩め 急げや急げ」

  「ゾウよりも 長生きしたい 心周期 少し延ばそう 息殺しみる・・・」

  「今朝もまた 生きて起きれて 動き出す 不思議といえば 不思議なことよ」

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○菅谷たたらを訪ねる

 先日講演のため島根県雲南市吉田町を訪ねました。2メートル近くの大雪の中でも逞しく生きる人たちに出会い、自分の心の有り様をもっと強く持たねばと、心新たにさせられました。

 講演に行くと知人や友人に出会ったり、その土地の美味しい食べ物や温泉などに浸かり、違った楽しみを味わうことができますが、もう一つの楽しみはその土地の歴史や文化に触れることです。多分それらは私の異文化ギャップとなって、私の基層深くに蓄積され様々な場面で生かされているのです。

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 私はこれまで島根県や鳥取県の殆どの町や村を歩いていますが、今回は若松進一島根事務所を自認する旧友松島俊枝さんの案内でした。ゆえに私のかゆいところを心得ていて、雪深い菅谷たたらを見学に連れて行ってくれました。菅谷たたらは何年か前に時間がないためちょい寄り程度でしたので、ボイス付きの説明に興味森々でした。

 菅谷たたら山内には、かつてたたら製鉄が創業されていた高殿と呼ばれる施設が唯一残されていてます。吉田町でたたら製鉄が始まったのは鎌倉時代だといわれていますが、この時代から中世までは「野だたら」といわれる移動式の製鉄法が行われていました。

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 近世に入り吉田町でも高殿を構えて操業が行われるようになると、村内のあちこちで盛んにたらら製鉄が行われ、企業たたらとして隆盛を極めるようになりました。私が訪ねた菅谷高殿は1751年から170年間の長きにわたって操業が続けられ、大正10年にその火が消えましたが、鉄山経営の事務所的役割を果たした元小屋や、たたらの塊を粉砕する大銅場など、山内には当時のたたらに関する施設群が現存していて、世界で唯一の鉄の歴史村を垣間見ることができました。たたら製鉄に従事した人たちの住んでいいた山内や金屋子化粧の池、鐡泉丸、村下、村下坂などのいわれを高殿の静まり返った中で興味深く聞きました。

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 高殿の近くに樹齢200年と伝えられる桂の木が立っていました。神木らしくしめ飾りがかけられ、根元に小さな祠が祭られていました。私はまだその木の四季を見ていませんが、春の花はまるで溶鉱炉の炎のようだといわれています。春の芽吹きや秋の紅葉も見事ならしく、今度は是非にも炎のようだと形容される頃に訪ねたいと思いました。

 鉄は日本人の歴史にとって大きな役割を果たしています。工業的な鉄の生産が始まったのは近世になってからであり、そのルーツを辿ると多分大陸との交易の道が見えてくるのでしょうが、雪深いこの地に日本の鉄の歴史のルーツがあることを、わたしたちはもっと、次の世代に伝えなければならないようです。


  「雪深い 菅谷たたらの 山内に 足を踏み入れ 歴史ゾクゾク」

  「春四月 桂の花の 咲くころに 炎と燃える 花を見たいと」

  「高殿の そこここ見える 人の知恵 感心しつつ 話聞き入る」

  「日本の 各地に残る 地汗跡 基層に深く 刻みてあとに」

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