shin-1さんの日記

○今こそ報徳訓

 私が塾長を務める年輪塾のネットで、清水塾頭からメールが配信され、私が数日前「shin-1さんの日記」という自身のブログに書いた「道」について、報徳訓を添付していると書き込みがありました。普通だとすぐに添付資料が開いて読めるのですが、パソコン故障で修理中のため代替パソコンでは開かず、結局手持ちの二宮尊徳関係の本を開けての学習と相成りました。

 報徳訓はこれまでにも何度か読んでいて、その思想の奥の深さは北海道佐呂間漁業協同組合の報徳訓実践経営の話を通じて知っているので、すぐに理解できました。

  報徳訓

 父母の根本は天地の令命にあり

 身体の根本は父母の生育にあり

 子孫の相続は夫婦の丹精にあり

 父母の富貴は祖先の勤攻にあり

 吾身の富貴は父母の積善にあり

 子孫の富貴は自己の勤労にあり

 身体の長養は衣食住の三つにあり

 衣食住の三つは田畑山林にあり

 田畑山林は人民の勤耕にあり

 今年の衣食は昨年の産業にあり

 来年の衣食は今年の艱難にあり

 年年歳歳報徳を忘るべからず

 報徳訓は状態の因果関係を述べていて、積善の必要性を説くとても奥が深いものです。身体は自分自身のものでありながら父母が生育してくれたからこそ今があるのだと、父母に感謝して生きなければならないのです。私には父母がいます。父母にもそれぞれ父母がいて、10代遡っただけでも1024人の先祖がいなければ自分の存在はないのです。その尊い命もさることながら、自分をいつくしみ育ててくれた親を粗末にすることは人道にもとる行為なのです。ましてや子孫の相続が夫婦の丹精にあるのだとすると、夫婦が助け合って子どもを育てることも当然のことなのです。

shin-1さんの日記

 二宮金次郎が育った時代と世の中は大きく変わり、衣食住の三つは田畑山林だけではなくなりましたが、田畑山林を職場や仕事に置き換えれば、勤耕は一生懸命働くことですから、報徳訓が示すものは全て人が生きるための不変不易な「道」なのです。

 報徳訓は残念ながら敗戦や自由主義、時代の変化の中で忘れ去られ、伝承することができていませんが、混沌とした現代社会の中で右往左往する日本人に、とりわけ時代を担う子どもたちを育てる任を負わなければならない親たちが、心得て欲しい教えのようです。


  「報徳訓 今読みかえしても 陳腐せず 教え導く 説得ありて」

  「自らが 報徳訓を 学びつつ 人を導く 人にならねば」

  「雨の日も 風吹きすさぶ 今日さえも 校庭立ちて 金次郎像」

  「古くても 解釈すれば 新しい 道説き示す 報徳思想」

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○わが家のどんど焼き

 正月松の内も過ぎ、昨日は鏡開きの日でした。割れるとか切るという言葉を忌み嫌う日本の古い風習にのっとり、神棚に供えた丸い重ね餅を鏡に見立てて、鏡開きと表現するのは日本人のよきファジー文化だと納得しながら神棚のお三方毎下げ、玄関先や仏壇、水神様、便所、風呂場、車など、神が宿りそうな場所を選んで飾っていたお飾りを集めて、畑の隅に持って行きました。

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 親父も母屋に比べると狭い隠居ながら、私が同じように飾ってあげていたお飾りや三方を集めて持ち寄り、親子二人でどんど焼きを始めました。わが家ではどんど焼きとは言わず、「お飾りはやし」と呼んでいますが、これまではずっと1月15日を吉日と選んでやっていましたが、国民のの祝日である成人の日が変更したため、大安や先勝などの吉日を選んでやっているのです。

 集めたしめ縄を小さく積み上げ火を付けました。昨日は真冬としては珍しく無風の好天に恵まれ、空気が乾燥していることもあって瞬く間に火は燃え広がりました。この災や煙に当たると一年間無病息災で暮らせるという言い伝えがあって、親父も私も炎や煙を体全体にこすりつけました。やがて炎が佳境に入ったころ、鏡餅をこれまた炎であぶり初めをしました。12月30日についたお餅は約10日間ですっかり固くなり、ところどころにひび割れしていました。

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 こうしてわが家のささやあなどんど焼き行事は無事終了しました。家に持ち帰った鏡餅は程よい大きさに切り分けて餅とり粉を洗い落し、他の水餅と一緒にポリバケツの中に漬け込みました。2~3日するとこの餅が水分を吸収して柔らかくなり、焼いて食べるのです。

 わが家では妻も私もお餅が大好きで、正月以来ずっと毎朝、パン焼き用のオーブントースターで餅を焼き、醤油や黄粉をまぶして食べたり、時には雑煮にして美味しく食べています。正月にやって来た孫たちもお餅は大好きで、土産に沢山持って帰ったようです。

 どんど焼きをしていつも気がつくのですが、しめ縄飾りは火をつけて焼いて灰になっても縄のままで残っているのです。しめ縄は縁起を担いで7本・5本・3本とわらをない込みます。七五三を別な呼び名「でしめ」と読むのもうなずける話です。二本のより込んだわらがたとえ灰になっても一本の縄のまま存在するのは夫婦の見本だといわれています。最近は離婚率も高く、この言い伝えも当てにならないようですが、せめてわが家だけでも神様にまつわる言い伝え通り、しめ縄にあやかりあの世までも深い絆を持ち続けたいと思いました。

  「今年また 親子二人で どんど焼き 炎と煙 無病息災」

  「焼けてなお 灰になっても しめ飾り よられたままで 夫婦の絆」

  「風習を 今に伝える どんど焼き いつまで続く 息子の代は?」

  「お下がりの 餅を小切りし 水漬ける 二、三日すりゃ 美味しい水餅」

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