shin-1さんの日記

○今の子どもは忙しい

 最近の子どもたちは、私たちが野山を駆け巡って友だちと自由奔放に過ごした子ども時代とはまったく違い、ある意味不自由な暮らしを強いられているようです。小さいころから行きたくないのに親の都合や願望で、塾や習い事に通わされ、子どものスケジュール表はいつもびっしりなのです。自由なはずの夏・冬・春休みですら、健全育成の名のもと野外活動にそれぞれの青少年団体が子どもたちを奪い合い、多い時には夏休みに4つもキャンプに参加する子どもさえいるのです。

 私はアンケート調査を余り信用しない方ですが、それでもアンケート調査の数字はある程度の方向を示していれることも事実なのです。

 親を対象に実施したあるアンケート結果によると、子どもを持つ現代の親は子どもころ78.5%が習い事を経験しているそうです。習い事の内容としては、①ピアノ・電子オルガン36.7%、②習字・書道31.9%、③水泳・スイミング26.7%、④ソロバン13.5%、⑤英語・英会話13.0%のようです。


 子どもに習い事を習わせたいと考える親は83.3%もあって、習わせたいものも、①ピアノ・電子オルガン、②習字・書道、③水泳・スイミング、⑤英語・英会話の順になっていますが、親の習ったソロバンに代わって④に子どもに選ばせるが入っているようです。

 親に、あなたは子供のころに習ったことがその後の人生に役に立ちましたか?と尋ねると、殆ど役に立っていないと、どちらかというと役に立っていないと答えた人が多いようで、習い事は学習塾のような成果はなく、むしろ自分の生きていくためのの感性を磨くのにやくだっているのではないでしょうか。


 私もこのアンケート結果には同感で、私自身の日々の暮らしでも、楽器を弾いたり聞いたり、文字を書いたり英語を話したり、泳いだりはしないのです。今頃になって「もしもピアノが弾けたなら」「もしももっと字が上手に書けたら」「もしも泳ぐのが得意だったら」「もしもソロバン計算ができたら」「もしも英語が話せたら」などと思いを巡らせると、子ども時代にそんな習い事の環境に恵まれなかったことを悔いるのです。と同時に今の子どもたちは恵まれていると思う反面、自分の遊ぶ時間や自由時間が削られて可哀そうだと同情もするのです。

 残念なことに子どもを育てる今の親たちは、子どもの頃せっかく習ったこれらのことを生かしていないという事実です。せっかく高い金を出して買ったピアノも応接間の飾り物として埃を被っていたりしたのでは全く意味がないのです。かくいう娘も嫁ぐ時、マンションが狭い、隣近所に迷惑がかかるという理由から、わが家の応接間で埃を被っているおです。綿も悪ふざけで年に何回かピアノを弾いたりしますが、自分の子どもたちの誕生日に母親がハッピーバーズデーの曲を弾いてやれたら、どんなに素敵な母親だと感じることでしょうか。

  「あれこれと 習い事して 忙しい 今の子どもは 可哀そうだな」

  「習い事 してない私 あれこれも できず一生 終ってしまう」

  「アンケート 調査結果が 物語る 生かして生きる ようにしないと」

  「役立たぬ ことを習うも 意味がある 潜在能力 いつか役立つ」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○初春水仙祭りに思う

 8日~9日に渡り、2日間にわたって行われた初春水仙祭りも、私のちょっとした怪我などの話題を添えて無事終りました。屋外イベントにとって天気ほど重要な意味を持っているものはありません。特に今年のように例年にない寒波の襲来が激しい冬の季節は、寒さに弱いお年寄りはまず来ないし、オーソドックスな花がテーマなので、例年より長い冬休み最中であっても、子どもたちには縁遠いようです。それでも正月休みがやっと明け、春を待ちわびる人も沢山いて、会場となったシーサイド公園イベント広場は久しぶりに活況を呈していました。

shin-1さんの日記

 私が15年前に始めた水仙祭りは、どうしたらお客さんが来てくれるか、どうしたらお客さんが特産品センターの中へ入って品物を買ってくれるかが主要なテーマでした。ゆえにイベントホールを千本もの水仙を山取りしてきて青竹やハンギリなどで刈谷崎省吾ばりに私がディスプレーして、お客の体と視線を室内に呼び込んでいました。当時は鮮魚店もじゃこ天の店も今のような姿でなく、日曜市のお店もなかったのです。屋外のイベント広場には、東洋殖産からタダでいただいた植木鉢に一年中をかけて育てた水仙の鉢植えが、まるでお花畑のように白い木枠で囲われて並び、もうこれでもかと言わんばかり演出していました。

 イベントを30年以上にわたって手掛けてきた、いわばセミプロのような私ですが、水仙祭りも時代の流れの中で、変えてはならないものと変えなければならないものとを整理していく時期に来ているようにも思えるのです。その重要な役割を担っているのは、企画する段階での第三セクターと市役所の存在です。イベントには「何のために」「何を」といった5W1Hが必要ですが、主催する人が誰なのか、誰がシグナルを出しているのかが見えづらくなっているようです。例えば今回私の不注意で私がちょっとした怪我をしました。私だからよかったようなものの、もし不特定多数の参加者が事故に巻き込まれていたらどうだろうとも思いました。要はと責任の取り方も含めた危機管理能力があるかどうかが試されているのです。

shin-1さんの日記
shin-1さんの日記
shin-1さんの日記
(UFOじゃこ天とは面白い)

 

このまま何の反省や見直しもしなかったら、このイベントはこれ以上の発展は望めないのです。客足が以前より減ったことも気になります。それをエミフルや高速道路無料化実験事業のせいにして諦めている人たちが第三セクターにも市役所にも蔓延しているようにも思えるのです。いつの時代もマイナス的要因はつきものです。それを打ち払う企画力は問題意識を持った危機感と学習からしか生まれないのです。

 新しい芽も幾つか感じられました。入口付近で米湊さんや松本さんたちが売っていた、B級グルメのようなUFOじゃこ天は、前日地元新聞で紹介されたこともあって、かなりの売れ行きだったようです。公共媒体のマスコミをタイムリーに使ったこの作戦は、かつて私が使った手法なのですが、デジタル時代になってもこうした情報発信手法は確かな手応えとして、今後も大いに活用してほしいと願っています。

shin-1さんの日記
(愛媛新聞地方欄に載ったUFOじゃこ天)

  「幾つもの イベント仕掛け 思うこと 鍵は必ず 内にあるもの」

  「責任を 誰が取るのか 危機管理 試されました しっかり議論」

  「アイデアや 情報発信 撒き餌する お陰で売れた UFOじゃこ天」

  「水仙が 忘れ去られる オットット おばちゃんたちの 苦労大事に」 

[ この記事をシェアする ]