○オウムになった親父
サリン事件で世の中を震撼させたオウム真理教のオウムではありません。人間の言葉を真似して喋る鳥のオウムです。私が偉いと思う動物には水族館で芸をするアシカやイルカ、シャチ、昔から大道芸やサーカスでショーを演じているサルや犬などがいますが、調教師から訓練を受けた動物たちはそれぞれ入場料を払った人間様にそれ相応の芸を楽しませているのです。それらの動物と同じようにオウムは学習の出来る動物で、覚えさせれば人間様と日常会話ができるのですから、やはりダントツで偉い動物だと思うのです。
松山五行歌会12月歌会の結果が主宰する見山あつこさんから送られてきました。出席歌、欠席歌の順に紹介と選評が書き添えられています。私も駄作なら締め切り間際にメールで欠席歌を送らせてもらいました。
「おはよう」と
声かけ親父顔を見る
同じ「おはよう」二度も言う
まるでオウムだ
俺もああなる
選評には「☆毎日繰り返される息子と父親の朝の光景。「おはよう」を二度も言う父に老いを感じている作者。だが、自分もそのうち歩く道。不安に感じながらも、どこか達観しているようにも思える作者です。」と書かれていました。撰者の選評は作った私の心をまるでレントゲン写真でも見ているように見透かしているのです。
今朝も朝起きて着替えをする間もなく、一人暮らしの親父の安否を確かめるために隠居へ行きました。最近は寒くなって巣籠もりしているようにも見えるのですが、どうしてどうして食事が終わるとすぐに散歩に出かけたり、昨日は7キロ先の下灘診療所へ自転車に乗って診察のまで出掛けるほどの、92歳とは思えぬ元気さですが、さすがに耳は遠くなり、毎日見ているテレビの時代劇などはボリュームいっぱいに上げて1メートル以内で見ているのです。
毎朝のあいさつは「おはよう」ですが、最近は「おはよう」と言う私の言葉で私の存在に気付き、私は顔を見合わせて同じ「おはよう」を二度繰り返すのです。すべからく会話はこのようにまるでオウムのように二度言って成立するのです。最初はまどろこしく思っていましたが、今ではすっかりオウム会話にも慣れてきましたが、これからも私と親父のオウム会話は続くことでしょう。
親父ほどではありませんが、最近私も少し耳が遠くなったような気がします。時々やって来る孫たちの見ているテレビの音が意外と低く聞こえにくいのでボリュームをワンランクアップするのですが、孫たちはすぐにボリュームを下げてしまうのです。私も老いはもうそこまで来ているようです。
「おはようと 言えばおはよう 返り来る まるでオウムと 話しているよう」
「何となく 聞こえにくいと 思いだす 年のせいかも 知れないなどと」
「行く道と 親父行動 注視する 納得しつつ ああはならぬと」
「この歳に なっても親父 越えられぬ 自分自身に 多少落胆」