shin-1さんの日記

○試験運転

 いつも使っているパソコンのキーボードに不具合が生じて、中々自分の思うようにパソコンが動かなくなってしまいました。最初は変換ができなくなる障害でしたが、最近はUとMの文字がキーボードをたたいても動かなくなり、打ち込んだはずのUやMが表示されず。「ま」という字は「あ」だけ、「ゆ」という字はYというローマ字だけが表記されるのです。前にもこんなトラブルがありメーカーに問い合わせたり遠隔操作で修理を試みましたが一向に改善せず、イライラは日毎に募るばかりとなりました。このパソコンはもう保証期間が過ぎているので、直すのにはかなりの日数と費用がかかるようで、そのことも対応を渋った要因なのです。

 しかしこのままでは原稿か気にも支障が出ることから、思い切って修理に出すことにしました。その間代替え用のパソコンを用意しなければならなくなりました。ちょうど良いものが見つかりましたが、これまたわが家のインターネット回線に接続して使えるようにするにはそれ相応の専門的知識と技術が必要であり、またプリンターやスキャナーを使えるようにもしなければなりません。結局公民館の赤石さんに依頼して接続換えを試みました。

 赤石さんは気軽に応じてくれ年明け早々の忙しさの中で色々と対応してくれましたが、最後は赤石さんの友人でパソコンに堪能な専門家の方の助言を携帯で聞きながら修正を続け、やっとのことでブログ書きとメール受発信、それにプリンターが使えるようになりました。

 私はその間何もすることができず、ただ腕を組んで赤石さんの後ろから遠目で作業を見守るしかできませんでした。日ごろは大口をたたいて偉そうなことを言っている私ですが、手も足も出ないとは歯がゆいものです。一応セットを完了して赤石さんは引き揚げましたが、はたして上手くアクセスできてブログやメールが使えるだろうかと不安でなりません。普通は二本のブログ記事ですが、今日は夕方から試験運転のつもりでこの記事を書いていますが、キーボードの具合は抜群で、これなら間違いや変換ミスも少なく済みそうで、ホッとしているところです。

 さて修理に出すパソコンはどのくらいの日数を経て生まれ変わるのでしょうか。こんなこともあろうかと貯金箱貯金をしていましたが、どの程度の出費が必要なのか想像もつきません。まあこんなこともあるだろうと腹をくくり、パソコンの修理を決断したいと思います。


  「腕を組み 作業する人 後ろから 見てることしか できない私」

  「難解な パソコン修理 する仲間 尊敬します できない私」

  「できること できないことを 割り切って 人に頼みし できない私」

  「嬉しいね 助っ人なりし 人がいる いつも迷惑 できない私」

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shin-1さんの日記

○水仙泥簿

 昨日は妻の実家のお墓参りに出かけました。八幡浜までは高速道路を使う方法と長浜~大洲経由の方法、それに夕焼けこやけラインを長浜~保内を通るコースがありますが、昨日は下灘のお墓にお参りした都合もあって、海岸沿いの道を走ることにしました。

道端には既に春を呼ぶ花としてすっかりお馴染みとなった水仙が咲いていて、芳しく馥郁とした香りを漂わせていました。ふと道端を見ると車が一台何か怪しげな行動をしているのです。どこかのおばちゃん5人が道端の水仙の花を切っているのです。一輪ならまだしも一束なのです。私は車を路側帯に止めて走ってそのおばちゃんたちに近づき、「その花は町民が丹精をこめて育てているので取らないように」と、諭しました。

 「なんじゃあ、このおじさんはいきなり」と、不意を突かれたおばさんたちは私の言葉におののき、それまでの笑顔が一瞬にして曇りました。笑顔の可愛いらしい私好みのおばさんは、「すみません」と平謝りに頭を下げましたが、私が嫌いなタイプのように見えるおばちゃんはふてくされたような顔をして、「これは野生の花かと思って」と言い訳をしました。私は立ちすくんだおばちゃんたちに双海町の花いっぱい運動について話をし、理解を求めましたが、残念ながら詫びられても切った花は元に戻すことは出来ないのです。

ふとこのおばちゃんたちはここで取った花は一体何処へどんな気持ちで飾るのだろうと思いました。多分あの量ですから5人が分けて持ち帰るのでしょうが、この花を野生の花と思って飾ればそれはもう立派なインテリアです。でも盗んだ花となると同じ花でも「×××・・・・」でしょう。

 おばちゃんたちのいうように多分悪気があった訳ではないのでしょうが、水仙を切り取った包丁を見るとこれはもう明らかに計画的な犯行としか思えないのです。手に持った包丁をコートの下に隠すように車に積み込んで、行く当てのない切られた水仙をばつが悪そうにトランクに入れて持ち帰る5人のおばさんたちは今頃、走る車の中でどんな会話をしているのだろうと思いながら見送りました。「意地悪な叔父さんに見つかってしまって今日は最悪だ」と嘯くのか、「悪いことをしてしまった」と後悔するのか、はたまた「あのおじさんから聞いた水仙祭りに今週末はシーサイド公園へみんなで出かけよう」と相談するのか、異論の分かれるところです。

私はこれまでにもこのような光景を何度も見てきました。そして注意を促してきました。その都度謝られたり時には口喧嘩までして不愉快なこともありましたが、「花盗人は盗人にあらず」はもう遠い昔の出来事です。今は「花盗人は最低な盗人」だと思うのです。

 そんないきさつの後、保内町の伊予銀行で妻が預金を引き出したいというので立ち寄りました。銀行の入り口には保内町商工会がありました。講演に来た時立ち寄ったはずですが毎回講演は夜間のためすっかり場所を忘れていました。妻が銀行へ入っている間に商工会へ立ち寄りました。馴染みの事務局長さんや指導員さんに会うより、焼き物干支をいただいたこともある安藤さんの笑顔に会いたかったのが本心(笑い)ですが、皆さん優しい笑顔で対応していただき、指導員さんの案内で妻までお茶の接待をしていただきました。実は銀行で引き出したお金は蒲鉾屋を営む商工会長さんが偶然にも若松さんという方で、前回講演会でお会いして以来中元やお歳暮に使わせてもらっていて、その支払いのためだったのです。事務局長ご夫妻とカナダ旅行が一緒だったことや

 局長さんの奥さんが若松蒲鉾に勤めていることもこれまた不思議な話です。まああれやこれや世の中は面白いですね。

  「水仙を 盗む人あり 注意する 包丁容易 計画犯行」

  「一年を かけて咲きたる 水仙を いとも容易く 持ち去るなんて」

  「今頃は 車の中で 『糞親父』 なんて悪口 言ってるだろうな」

  「水仙を 取るは推薦 出来ません なんて戯言 一笑付され」

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shin-1さんの日記

○1月4日は墓参り

 大晦日に百八つのお寺の除夜の鐘を聞き、終わって間もなく神社へお参りに行く神仏混合のいい加減さを感じながら、これも日本人の今流にいえばファジーなんだと納得していますが、正月三が日が終わった1月4日は、私たちの地方ではまるで喪が開けたように、親類縁者のお墓参りをするのです。お墓にお供えするものは、小みかんと小さく切った餅と干し柿、それに手向ける線香です。それぞれ一式をお盆に盛り車に積み込みました。親父は既に自転車で朝早くお参りを済ませているようでした。

 朝食を済ませて準備をし、毎年のことなので自分の家のお墓を起点に、どの墓地から行くかを決めて順番にお墓めぐりです。最近は私の親類も高齢化したため海を見下ろすずっと上の方にあったお墓を、少しでもお参りが楽に出来るようにと海沿いに移転したため、特に昨日のような雨模様で足元が濡れてすべるような日は随分大助かりでした。まず自分の家のお墓に行きました。信心深い親父は往復1キロ程度のお墓に、一週間に一度のペースでお参りをして、お墓の拭き掃除をしたりシキビを入れ替えてくれているので、随分綺麗でした。

若松進一ブログ
(裏山に朝日を拝むわが家の墓地)

 妻がお寺で角桶で水を汲んで持参し、シキビの花活けに水を足したり、湯の実の水を入れ替えました。私は選考にライターで二人分の火を点け、妻の分を渡してそれぞれが線香立てに立て手を合わせ、先祖の供養と家族の安全を祈りました。

機能はひっきりなしにお墓参りする顔見知りの人がお墓周辺を行き来していたため、挨拶や近況立ち話に花が咲きまるで墓地外交のようでした。

 境内にある一昨年末に亡くなり丁度一年の新仏である叔父のお墓、姉の家のお墓、存命中何かとお世話になった新仏である丸山元町長さんのお墓にお参りをしました。この日は官公庁の仕事始めの日で、役場裏の駐車場に車を止めてお墓参りをしたため、顔見知りの市役所の職員に何人かお会いしてあいさつをしましたが、中には合併をしてからこの6年間、こんな小さな田舎町だというのに一度も出会ったこともない人もいて、その人の行動の狭さか、私の行動の範囲が限定的なものなのか分かりませんが、すっかり驚いてしまいました。

 墓地は3ヶ所巡って10数件の家のお墓参りをした後、折角思いついたお墓参りなので、足を延ばして妻の実家のお墓がある八幡浜まで行きました。八幡浜湾を見下ろす大宝寺の裏墓地から見える風景は、妻と結婚して40年近く毎年見ていますが、何処か郷愁をかき立てる見飽きぬ風景です。折りしも12時の時を告げる「みかんの花咲く丘」のミュージックサイレンが鳴って、妻はこの街で過ごした昔を懐かしそうに思い出していたようです。やはり住み慣れた街はいいもののようです。

お墓参りが一段落したので、大洲メッセで買い物を済ませ、オズの湯を楽しもうという相談が二人でまとまりました。これもサンデー毎日のなせる楽しみです。

このところ外食昼食をする時は、二人が別々のメニューを注文し、二人で半分分けしながら二つの食事を楽しむようにしています。これも長年二人で生きてきた智恵でしょうか。機能はお墓参りに名を借りた犬も食わない夫婦水入らずのドライブになったようです。


「正月を 過ぎて二人で 墓参り ついで温泉 楽しむ余裕」

「いつの日か このお墓入る 日が来ると 冗談言いつ 線香たむけ」

「人間の 命はかなき ものにして 町長と叔父 逝き早一年」

「この街で 生まれ育った 言う妻と 歌を聴きつつ 縁の不思議を」

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