shin-1さんの日記

○4つの貯蓄

 無人島に子どもを連れて行った若い頃、無人とのキャンプで、ひょうたん型由利島共和国の大統領として子どもたちに朝な夕な、心に残る話をしてやりたいとない智恵を絞りました。その中に子どもの感想作文によく出てくる4つの貯蓄の話があります。私はこれを四つ葉のクローバーに例え務めて分かりやすく話してやりました。

 先日そのキャンプに子どものころ参加したという青年に会いました。彼はすっかり逞しい青年に成長していましたが、「若松さん、あなたが無人島で話された4つの貯蓄のことは今でもよく覚えています。会社の入社試験の作文にそのことを書いたのですが、お陰様で合格して今の会社に入社しました。子どもが大きくなったら4つの貯蓄の話をしてやりたいと思います」と、嬉しい話をしてくれました。

 まず一つ目は金銭の貯蓄です。世の中を生きて行くのにはお金は大切なものです。お金は足すか引くかの単純なものと思わなければなりません。お金は働いて儲けるもので、お金で自分の欲しいものを買うことができるのです。楽をして設けるお金は得てしてろくなことはなく身につかないものです。例えば10万円儲けても11万円使ったら1万円の赤字になります。でも5万円儲けて4万円使ったら1万円の黒字です。なんでもないこの理屈が意外と分からない人が多いようです。1億円売り上げても2千万円の赤字を出す会社もあれば、1千万円売り上げて百万円黒字を出す会社もあるのです。経営とは金銭の貯蓄を基本原則にしなければ持続はできず、社員の雇用も信用も失ってしまうのです。

 二つ目は健康の貯蓄です。命あっての物だね、健康は何よりも勝る宝物です。身体の健康もさることながら、最近は世相を反映して心の病にかかる人が多くなっています。この10年日本の年間自殺者は3万人を越えているそうで、心の闇の深さを感じます。健康は一朝一夕で保てるものではありません。心と体のバランスも大事だし、快食・快眠・運動など日々の積み重ねが大事だといわれており、健康も貯蓄しなければならないのです。

 少なくとも昨年一年は何とか気力・知力をダウンすることなく過ごせたのもやはり精進の賜物と、今年も健康の貯蓄を心に刻んだところです。


 三つ目は人間関係の貯蓄です。「人生は人間関係に始まって人間関係に終わる」といわれるように、親子や夫婦など家族の人間関係でも難しいし、ましてや他人はもっと難しいものです。私は幸せなことに良好な間関係の中で日々を暮らすことができています。その貯蓄は老い先短い自分の人生の大きな宝物といえるでしょう。

 人間関係身近なほど利害関係が微妙に絡み、一旦こじれると裁判沙汰や殺人にまで発展することだってあるのですから、余程注意をしなければなりません。若い時は一人の方が煩わしい人間関係に振り回されることもなくいいのでしょうが、歳をとって一人で暮らす寂しさは、やはり人間は一人では生きて行くことができないことを物語っているのです。


 四つ目は感動の貯蓄です。「感動は感動という作用によってのみ点火される」というように、感動する心を持たないと伝わりません。私はこれまで様々な感度の場面に出くわし、共感の涙を流したり歓喜を味わってきました。ゆえに感動を人に伝えることができるのです。

 人の悲しみを悲しみと思い、人の喜ぶ姿を見て喜びとするような感動人間になりたいといつも思っています。

 職場の人間関係こそなくなりましたが、家族・近所・グループ・地域・先輩・後輩などとの人間関係の貯蓄をこれからも大切に生きて行きたいと思っています。

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shin-1さんの日記

○氏神様に初詣

 歩いて10分足らずのところに氏神様である天一稲荷神社があります。正月なので午前9時頃妻を誘い二人で初詣に行きました。鳥居をくぐり急な石段を登り、境内へ進むと何人かの顔見知りの人に出会い、立ち話をしながら「おめでとうございます。今年の正月は寒いですね」と、新年のあいさつを交わしました。木々の隙間から見える伊予灘は、白馬のような大きい波が海岸に向かって幾重にも押し寄せ、灯台のある港の防波堤を容赦なく越えていました。

若松進一ブログ
(氏神様への初詣)

 神社は私が宮総代や区長をしていた4年前に平成の大改修事業が行われ、拝殿、社殿、本殿や屋根尾おすっかり立派になっています。拝殿にかかっていた藁の注連縄も最近銅版製に変えられ厳かな感じがしました。社殿ではお賽銭を入れ、鈴を鳴らし二礼二拍手一拝し敬虔な祈りを捧げました。私は神社やお寺で妻のように、「宝くじが当たりますよう」などと、おねだり型のお祈りはしません。だってこれまでも一度だってこうした願いを神様は叶えてくれたことがないからです。健康すらお祈りしても大怪我したり入院したりするのですから、神様はあ余り信じないようにしているのです。

 神頼みとは所詮そんなものなのです。私は神様に頼むのはむしろ自分に言い聞かせることだと思っています。ゆえに自分の能力の程度を知っているので、あまり高望みをしないようにしています。私がいつも神様に向かって祈るのは家族がとにかく健康であることだけです。お金がなくても健康で働けば何とかなるし、家族が健康ならば家中が明るくなるのです。

 最近寄る年波のせいだけではないと思うのですが、回りには病気持ちの人が沢山いて、病院へ通ったり薬を腹が太るほど飲んでいる人をよく見かけます。また出会うと病気で人生を悲観的に生きている人をよく見かけます。そういう人に限って、健康を他力本願的に捕らえて何もしないのです。健康はあなた任せで勝ち得るものではけっしてないのです。

 年末年始にかけて異常とも思える寒波に見舞われました。中国地方山陰鳥取では1メートルもの積雪で国道に車が千台も20キロにわたって渋滞し、自衛隊までが出動する騒ぎとなり、大山スキー場では表層傾で4人が亡くなり、暗くて悲しいまくあけとなりました。

 こんな寒い日は戸外へ出るのも勇気がいりますが、それでも身体を動かさなければ身体がなまってしまいます。防寒のため厚着をし思い切って外に出て坂道を歩くと、身体がポカポカして気持ちがよくなり、何か元気が回復したようで、年末年始の美食にヘキヘキしていた食欲も回復しました。今年も「幸せは皆身にあり」と思い、ポジティブに生きて行きたいと思っています。

  「初詣 賽銭値切る 祈るゆえ 神も承知と 願い叶わず」

  「幸せは 皆身にありて 神様の せいにするなと 言ってやりたい」

  「寒いから 余計戸外へ 出る勇気 身体ポカポカ お腹すっきり」

  「まず健康 それだけあれば 生きられる 少欲多施の 諺どおり」

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