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○九州大分へ・その②(大分市西公民館夕焼けこやけのまちづくり)

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 海の上を国道が走っている大時化の豊後水道をフェリーで渡りました。時折雪のちらつく厳しい冬の海でも、カモメたちは波間に揺れ戯むれ遊んでいました。佐田岬の灯台が遠ざかると佐賀関の高いお化け煙突がだんだん大きくなり、寝る暇もない僅か70分の短い時間で佐賀関の港へ到着しました。

 港には社教主事さんが出迎に来てくれていました。豊後大野市で開催された大分県公民館大会で顔合わせをしていたので、四方山話をしながら雪の舞う国道197号を大分市内に向けて1時間余り走ると西公民館到着です。玄関から2階に上ると全職員が手を休めて丁寧にも事務所から出て出迎えてくれました。職員教育が徹底しているのでしょうが、気持ちがいいものです。

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 二階和室に設えた講師控え室へ通され、打ち合わせをしながら昼食をいただきました。ロビーでは「夕焼けこやけのまちづくり」のキャンペーンのための絵画展と写真展が行われていました。表彰を受けに来た子どもや親に気軽に声を掛けながら談笑したり、会場で流すDVDの準備、マイクテストをしながら私の出番である13時50分を待ちました。西公民館は素晴らしい建物で、2階のホールも広く沢山の椅子が並べられていました。時折雪のちらつく寒い日曜日なので果たして満席になるのだろうか?と内心思いましたが、取り越し苦労だったようで、開会式には満席で慌てて追加の椅子を用意しているようでした。

 私の持ち時間は僅か1時間弱なので、DVD映写の時間を割くことをためらいましたが、既に豊後大野市でこのDVDを見ている館長さんや主事さんの勧めもあって、思い切って映写をすることにしました。話は早口、しかもインスピレーションな思いつきで、レジメも用意せず喋り続けました。あっという間に持ち時間は終わってしまいました。でも会場の雰囲や反応もすこぶるいい感じました。本当は講演後の発表会に参加してショートなコメントをする予定でしたが、フェリーがドック入りし臨時ダイヤで運行していて、午後7時の便しかないため、無理を言ってキャンセルしてもらい、用意していただいたタクシーで高速道路を走り佐賀関の船着場へ送ってもらいました。

 三崎半島の帰りの道は再び猛吹雪でした。幾つもあるトンネルの出口や入り口、橋を通る度にアイスバーンのきしむ音が不気味に聞こえ、往路で体験した危険を回避しました。

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 ゴゼ峠のトンネルを越えて瀬戸内に出ると、風は強く高波のしぶきがもろに車に降り注ぎ、まるで塩水のシャワーの中を走るようでした。その度にウォッシャー液でフロントガラスの塩水をワイパーで洗い流し、やっとの思いで8時半ごろわが家へ辿り着きました。

 心配して時折入る妻からの携帯電話を無視して走り続けたため、玄関に迎えに出た妻もホッとした様子でした。昨年10月島根県隠岐の島西ノ島町へ行った時は台風接近、今月7日~8日島根県雲南市吉田町へ行った時は2メートルを越す大雪、そして今回は異常寒波によるアイスバーンと、私を旅に送り出して留守を守る妻にとっては心配の種がいつも付きまとって、気が気ではなかったようでした。明日から始まる来月には岡山や高知、広島など近場ながら県外出張も目白押し、当分は妻に心配をかけることでしょう。


  「大分も 夕やけこやけの まちづくり 感心しつつ メッセージ届けに」

  「絵画展 真っ赤な夕焼け 子ども画く いいねいいねと いいつつ見入る」

  「夕焼けの 様な穏やか まちづくり 目指す姿に エールを送る」

  「携帯に 妻から電話 何度でも 心配他所に 無視して走る」

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○九州大分へ・その①(アイスバーンの恐怖)

 私たちは日々の暮らしを様々な情報を得ながら暮らしています。その際たるものは天気予報で、殆ど毎日テレビに映し出される明日の天気予報を見て、「外出は傘を持っていった方がいい」とか、「寒いからコートを着て行こう」とか決めて行動するのです。何日か後にイベントを企画していたり、少し長めの旅行などをする時は週間天気予報などを参考に、一喜一憂したことも数えればきりがないほどなのです。

 昨日私は講演の依頼を受けて大分へ行くことになりました。九州大分へ渡るのにはいつも利用する三崎~佐賀関の九四フェリーを利用する場合、双海~(国道387号夕やけこやけライン)~保内町~(国道197号潮風メロディライン)~三崎を、何の疑いもなくマイカーで走るのですが、昨日はこの冬一番の寒波が日本列島へ押し寄せ、その影響で特に潮風メロディーラインは雪と凍結の心配がありました。

 松山と八幡浜日土で二居住間移動生活をしている盟友清水さんの助言を得て、転ばぬ先の杖のような気持ちで四WDの軽四トラックを利用することにしました。わが家は瀬戸内海に面して雪が降らなし積もらない地域なので、普通であれば2時間もあれば行ける距離を見越して9時30分の便なので、妻は朝7時に家を出ればいいといいました。でも私はトラックや積雪のことを考えて30分早めに家を出ました。実はこれが後の余裕と大正解に繋がったのです。

 瀬戸内側を走る時は雪など何処吹く風でスイスイ走り、頭の中で清水さんの助言がとり越し苦労だと正直思いました。ところが三崎半島を縦断するゴゼ峠を抜けると風景は一変しました。宇和海側の山が白く雪化粧しているのです。伊方町の町を過ぎ伊方原発付近から道に雪が見え始め、それは朝の寒さで殆どがアイスバーになっているのです。急いで車のギアーについている四WDのボタンを押してチェンジしました。スリップして動かなくなり路側帯で右往左往している車を尻目に、私の車は雪をつかんでロースピードながら順調に走りました。

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 やがて三崎町に入った下り坂で、ちょっと気を許してブレーキをかけたところ、車はまるでスキーのように坂道を滑り始めました。「危ない」と思わず言葉を発するほど横滑りするのです。路側帯には動かなくなった車が何台か止まっていましたが、ぶつかりそうにならながら間一髪すり抜けて道の真ん中で真横になって止まりました。性根を入れて車を立て直し、エンジンブレーキを基本にしながら、何とか三崎のフェリー乗り場に1時間前に辿り着き、ホッと胸をなでました。


 フェリー乗り場の待合所で清水さんにお礼の電話を入れました。また清水さんから当日の現地天気ガイドに指名してもらった浅野先生や前夜フォーラムで出会った友人塩崎さんにも連絡しました。塩崎さんは前夜猛吹雪の中を潮風メロディーラインを通って帰ったそうですが、凍った道を私と同じように滑らせて側溝に車を落とし、通行人の協力で車を引き上げたものの、車を置いて深夜に自宅へ帰ったと説明していました。私も塩崎さんの二の舞をするほどでした。

  「トラックで 走るが無難 助言聞き 正解でした 恐る恐るも」

  「あっ危ない 思った瞬間 横滑り アイスバーンの 恐怖未だに」

  「雪道を 甘く見てると 大怪我を 拳拳服膺 肝に銘じる」

  「トンネルを 越えるとそこは 雪国で 道の白きを 踏み分け進む」


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○旅先の天気が気になる朝のひと時

 気象予報士の資格を持っている友人の清水和繁さんから数日前、私の携帯にメールが入りました。「今度の土日頃にこの冬最大の寒波がやって来る」というものでした。清水さんの予言は正しいデーターに基づくものだけに納得しつつも、「土曜日はえひめ地域づくり研究会議の年次フォーラム、日曜日は海を渡って大分へ行く予定があるので大変だ」と内心ドキドキしながら寒波が来るであろう昨日を迎えました。

 二日前から最高気温が8度どまりと低く推移しているものの、嵐の前の静けさというべきか比較的穏やかでした。昨日はその前触れなのか、総会フォーラムへ参加するため乗った車の中でカーラジオを聞いていると、午前中に徳島道が雪のため通行止めと放送されていました。総会フォーラムに参加した主に南余の人たちも口々に、「今日はひょっとしたら雪になるので、帰りは海岸線の双海を通って帰らなければならない」というのです。

 私も早めに交流会と称する呑み会を切り上げ、少な目の交通量を意識しながら午後7時過ぎにわが家へ帰って来ました。今日の朝大分へ出かける準備を整え早めに風呂に入って、久しぶりに帰った警察官の息子と談笑しながらテレビを見ていましたが、早々に切り上げて午後10時過ぎ床に就きました。布団の中で今日の天気を占いながら、「もし船が欠航したらどうしよう」、「もし佐田岬半島に雪が積もったらどうしよう」と思いました。

 気象予報士の清水さんからは、前回広島から帰って宇和島へ向かう際、「伊予~宇和間が雪のため通行止め」という最新データーをメールでもらい、早めの行動をしたお陰でピンチをチャンスに変えることが出来たのです。清水さんからは今回も佐田三崎半島に住む友人浅野さんの電話番号まで携帯電話に入力してもらい、昨日出会った塩崎さんにも様子を聞くかも知れないと耳打ちしていました。


 今日は間もなく家を出ます。雪が積もることを想定して、少々運転はしにくいのですが私の強い味方の四WDの軽四トラックで行こうかと思っています。大時化ながら豊後水道は季節風のため船は走るものと思われます。運の悪いことに九四フェリーはドック入り臨時ダイヤのために減便運行のようです。旅の出る度に台風や雪の洗礼を受ける荒れた天気に一喜一憂しながら、今日も気合を入れて旅立とうとしている私です。

  「二~三日 前から天気 大荒れと 気象予報士 メールをくれる」

  「旅先の 天気気になる 朝向かえ まだ明やらぬ 外を眺めつ」

  「軽四で 出かけるべきか 迷う朝 風はピューピュー 音立て強く」

  「さあ今日も 元気を出して 頑張ろう 言いつ内心 ハラハラしつつ」

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○明日という日は必ずやって来る


 待とうが待つまいが

 短かろうが長かろうが

 明日という日は必ずやって来る

 朝ふと目が覚めると

 寝ている間に明日が今日になり

 明日という日は必ずやって来る

 目覚まし時計の賑やかな音に気がつき

 ふと我に帰るとそこはもう別の日となり

 明日という日は必ずやって来る

 明日はこうしようと目論んで

 明日を思い通りにしようと思いながら

 明日という日は必ずやって来る

 

 毎日毎日繰る返すように決まってやってくる明日を

 どれ程夢見て来たことか

 明日という日は必ずやって来た

 次の日も次の日も

 その又次もまたまたその次の日も

 明日という日は必ずやって来る

 生きてれば明日が来るが

 死んでもずっとずっと

 明日という日は必ずやって来る


  「寝ていると 必ず明日が やって来る 寝ないで明日 来るのだろうか?」

  「考えも せずに明日が やって来る 気がつきゃ明日 今日に変わって」

  「寝る前に 明日はこんな ことしよう 思って寝るが 起きる時さえ」

  「歳取りて やっと思った 時間起き 出来るようなる 何年かかった」  

 

 

 

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○真新しい双海中学校を訪問

 昨日の昼過ぎ家の近くの双海中学校へ出かけました。不覚にも水曜日と木曜日を間違え勘違いして、評議員会を欠席したお詫びのつもりで、校長先生にお詫びがしたかったのです。双海中学校は昨年4月に、下灘中学校と町内統合して、まだ一年が経たない学校です。耐震基準に満たなかったため、本校舎は取り壊され新しい校舎を建築中で、職員室は運動場の隅に建てられたプレハブでしたが、既にそのプレハブも取り壊され、周景は整備中ながら、職員室も教室も新しい校舎に移転して、真新しい木の香りのする教室で授業が行われていました。

 まだ正式な受け渡しはされていない工事中なのですが、間もなく巣立つ今年度卒業予定の生徒たちに少しでも新しい校舎で授業をしてもらおうとの配慮で、また既に始まっている受験への供えもあって慌しい中での移転作業が年明け早々行われたようです。

 校長室へ案内され、木の香りのする真新しい部屋で校長先生と色々なお話をしました。アポも取らずに出かけたために、お詫びをして資料を貰い早々に引き上げようと思いましたが、運よく校長先生の案内で新しい校舎を見学することが出来ました。

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 「耐震」を意識した設計のため、私たち素人には理解できない筋交いが幾つも入って、それがやたらと目に付くのも今風なのかと納得しながら、安全第一で設計施工された総事業費4億円余りの校舎の一部始終を見させてもらいました。デジカメを持参して写真を撮りましたが、3月末の落成なのでブログでの公表は控えたいと自粛し、パソコンの内臓ソフトにしまい込んでおこうと心に決めました。

 真新しい壁の掲示板にお洒落な絵と文字の掲示がありました。誰が書いたのかも分からぬものでしたが、感心しながらデジカメに収めました。これならブログで紹介してもいいだろうと、思った次第です。


 わが家から双海中学校まで裏道を通ればほんの5分ほどで学校へ着きます。毎日中学生の剣道やバレーの練習声、校内放送、楽器の音などが遠く近くに聞こえ、子どもたちの気をいただいて暮らしていますが、学校を訪ね子どもたちの授業風景を見るとじかに気が伝わって、心がしゃんとしたような気持ちになりました。

 統合準備、統合と生徒も先生も慌しい日程や環境に翻弄された一年でしたが、これでやっと落ち着いて勉強が出来る安全な環境が整いました。いい子どもたちが育ってくれるよう祈りながら、校長先生の見送りを受け学校を後にしました。


  「間違えて 欠席お詫び するために 学校訪問 ばつが悪くて」

  「新校舎 入りて生徒ら 授業受く 冬の光が 優し窓越し」

  「耐震の 筋交いばかり 目に付いて 安全納得 したのはしたが」

  「冬耐えて 春の来るのを 待つ子らに 本物春は もう少し先」

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○昨日という日はもう来ない

 当たり前のことだが昨日という日はもう来ない

 毎日毎日今日が昨日になって

 昨日の積み重ねが自分の年齢になってゆく

 昨日を思い出してみる

 朝起きて寝るまで色々なことをして色々な人に出会った

 前の日と同じ24時間なのに同じようでも違うのだ

 一昨日を思い出してみる

 中々思い出せない

 明後日に至っては大まかおぼろげにしか覚えていないのだ

 せめて昨日だけでも記録しようと始めたブログ

 時には今日も加わり毎日昨日を書いてきた

 昨日がもう60冊を越えた


 時々思いつきアーカイブの中から検索し

 「ああこんなことがあったなあ」と懐かしく読みながら

 もう来ない昨日だった日々を思い出す


 昨日という日はもう来ないのだから

 しっかり生きてしっかり記録しようと思うが

 昨日を記録することは中々疲れるものだ

 私が記録したもののみが私の記憶となる

 記録しないものは正確な記憶とはならない

 「そんなことをして何になる」と思うが当面毎日続けている


 これが私の意志なのだとかたくなに信じ

 思いつくままに昨日を今日記録する

 昨日という日はもう来ないのだから・・・


  「当たり前 昨日という日は もう来ない 積み重ねつつ 66年」

  「昨日なら おぼろげながら 思い出す その前なると 思い出せない」

  「せめて昨日 だけでも記録 しておこう 思い始めた ブログ60冊」

  「もう一度 反芻しながら 昨日書く 他愛ないこと 毎日続け」

 

 

 

 

 

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○五行歌一月歌会

 毎月一回送り、送られてくる歌会の様子が、今月も主宰する見山あつこさんから届きました。いつもながら美しいペン字で女性らしい気配りの添え書きにワクワクしています。今月の出席歌一席はむる子さんの次の歌でした。

  樹齢を重ねた柊の葉は

  棘がなくなり丸くなる

  それでも

  花は馥郁として香る

  そんな人に私もなりたい

 ちなみに欠席歌の一席は吉岡健児さんの次の歌でした

  折れさうな心に

  よく効く薬は

  飲んではいけません

  耳を澄ませて

  聞くのです

 ちなみに私の歌は堂々の四席で次の歌です。

  暑い時には冬がいい

  寒い時には夏がいい

  春秋だけが丁度いい

  金があったらそんなとこ

  探して暮らしをしてみたい

 講評では「☆本音トークが作者の持ち味。加齢もあって暑さ寒さが体にこたえるようになった世代には共感の一首。夏は北国で、冬は南国等と考えていたら「フーテンの寅さん」を思い出しました。さあ、理想の暮らしを実現するために「宝くじ」を買いましょうか。」と添え書きがありました。まるで私の心を読んでいるようでした。

 五行歌を始めて半年余り、少しだけ明かり、でもいっぱい暗闇です。これからも修行したいものです。

  「半年が 過ぎたが未だ 体たらく 才能なきを 悟り諦め」

  「五行歌も やればやるほど 奥深く 明かりも見えず 暗闇ばかり」

  「一席の 歌なるほどと 納得す 四席これも まあまあ納得」

  「さて次は 思い浮かばぬ 浅智恵を 練り練り一句 駄作が出来た」 


 

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○一日違いの大間違い

 「今日は午前中コープえひめの理事会、午後は松山で打ち合わせ会、夜は双海中学校の学校評議委員会と忙しい一日になるな」と、自分に言い聞かせて午前午後の集会をこなし、夕方はやめの夕食を済ませて、午後6時40分に自宅を出て近くの中学校へ行きました。双海中学校は校舎建築真っ最中で、新校舎に移転したばかりの新しい室内での会議を楽しみにしていました。

 いつもは歩いて行くのですが、寒い時期なので軽四トラックを運転し、駐車場に車を止めて道の向こうの正門に行きましたが、何故か人の気配がないのです。出来て間もない正門のインターホンを使いましたがこれも応答なしでした。お菓子いいと思いながら開会予定の午後7時になっても門が開かないのは、会場が違っているか、日時が違っているかどちらかだと思い、薄明かりの街灯を頼りに通知文を封筒から取り出して見たところ、目を疑いました。


 私が木曜日と思っていたのは水曜日だったのです。私の木曜日の日の予定表に書き込んだ「双海中学校評議委員会(19時~」は一日違いの大間違いに始めて気がつき、私の早とちりで昨日の集会を無断欠席したことになるのです。家に帰って妻にそのことを話すと、明日にでも学校へお詫びしないと」というので、早速夜のことゆえ校長先生の連絡先も分からないので、中嶋教頭先生の自宅へお詫びの電話を入れました。前日だったら多分西予市での地域づくりグランプリ審査会の後、人に会う約束をキャンセルしてでも参加したのにと、自責の念に駆られました。

 この歳になっても老眼鏡の世話にならないほど目はいいと自認していながら、「水」と「木」の字を見間違えた愚かさを恥じました。そういえば最近、ブログのコメント欄に半角文字を入れる際、「6」と「5」と「8」と「9」、「1」と「7」、の数字がよく見ないと判別できにくく、入力ミスがたまにあってエラーが出るのです。勿論私の思い違いなのでしょうが、10.5ポイント以下の数字は虫眼鏡で確認したりしながら、間違わないよう入力しているのです。この歳になると数字を扱うことが少なくなり、間違う機会はそんなに多くはありませんが、それでも気をつけたいと思いました。

 変換ミスのよくある原稿も、漢字の一字間違いで大失態をした事だって何度かかります。墓と暮、右と左、裕と佑、風と凪、壊と懐、似たような文字なのですが意味は全然違っていて、使い方を間違えれば笑い話では済まされないのです。

 会議に出かけたはずの夫が直ぐに帰ってきた姿を見て、「あなたもおっちょこちょいで早とちりね」と、意気消沈した私を見て妻は笑っていました。

  「水と木 見間違えゆえ 大失態 一日遅れの 会にノコノコ」

  「この歳に なっても未だ おっよこちょい 妻に笑われ 学校笑う」

  「水と木 それにつけても よく似てる 一日違い 前後するゆえ」

  「すみません 間違えました 電話入れ 一件落着 次はすまいと」 

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○自慢の食を競い合う西予再発見地域づくりグランプリ

 私は仕事柄色々な地域づくりにかかわり、色々な役割を仰せつかっています。昨年から愛媛県西予市が「地域づくりグランプリ」という事業を立ち上げた時も審査員を依頼され、快諾したため早い時期から応募要項の作成などに知る限りのアドバイスをしてきました。そして昨年はイベントや伝統文化、郷土芸能など地域から応募のあった37件の中から、イベント部門では土居家観月会、伝統行事部門では御田植え祭りが、書類審査、審査委員会の議を経てそれぞれグランプリに輝き、昨年の3月18日表彰をしたのです。審査員の中で一番高齢なこともあって、審査いい胃腸に推挙され、表彰式では講評を発表させてもらいました。

 さて今年も昨年に引き続き、今年は「自慢の食を競い合う」をスローガンに、地域づくりグランプリ事業は継続し、私たち審査員も素人ながら食のプロを一名加え、昨年同様応募要項を作成して募集をかけたところ、料理部門39件、加工部門13件もの多数の応募があり、11月22日に第一回の審査委員会で書類審査が行われ、料理部門5件、加工部門5件、スウィーツ枠4件を選び、第一次予選通過に通知しました。

 前回同様今回も私が審査委員長になりましたが、食のプロが一人加わったためハイレベルな審査体制が出来、図らずも委員長としての重責を務めることが出来たようです。

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 昨日は施設の整った三瓶町福祉センターを会場に13時から16時30分まで、加工部門、スウィーツ部門のプレゼンテーションや試食を元に点数をつけ、また料理部門は調理室で目に見える形で直接料理して、プレゼンテーションや試食をして、無記名投票で審査しました。今回は市民審査員として地元各界の市民代表審査員も5人加わり、参加参画の公開審査となったのです。

 見た目や郷土の特徴などは比較的審査が出来やすいものの、食味はずぶの素人で、幾つも試食を重ねると味がボケてしまい、口を水でゆすいで審査をしたものの、残念ながら多少自信のない審査におわってしまいました。それでも皆さんの集計結果を見ると、それなりに見誤らない方向で点数をつけていました。別室でパソコンによる集計をして、高得点の順番にグランプリと準グランプリ、審査員特別賞を決めて市長さんによる表彰式が行われました。

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(1月28日付けの愛媛新聞記事)

 西予市も海抜ゼロメートルの海沿いの町から、高知県境に接する大野ヶ原までの町が合併してから早くも7年目を迎えています。市長さんはじめ市民の協働と参画の努力によって、地域づくりも順調に推移しているようです。この2年間審査を通して西予市といささかなりのかかわりを持ちましたが、西予市の地域資源の豊かさや魅力を肌を通して存分に感じることが出来ました。また情報発信能力も高まって、一歩先んじた地域づくりが行われているようです。

 栄えある賞に輝いた人も、ほんの僅差でグランプリを逸した人も、それぞれがよき思い出を作ったようです。昨日の模様は早速マスコミ各社が一斉に報道していて、テレビに写った私を見て、あるいは先進的な取り組みをしている姿を見て、その夜何本か私の元へ電話がかかり、メールが届いていました。


  「マスコミが 会場ウロウロ する事業 企画が良いと 新聞・テレビ」

  「会場は 料理番組 見てるよう みんな緊張 したよな顔で」

  「肝心の 味見が試食 なり下がる 腹が太りて 審査甘口」

  「挨拶や 表彰出番 用意され 委員長職 楽ではないな」

 

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○束の間に三瓶町須崎観音を訪ねました

 西宇和郡なのに八幡浜市と合併せず、物議を醸しながら東宇和郡と越境合併した三瓶町を訪ねました。三瓶へ行ったらあそことあそこは是非訪ねてみたいと空想しつつ、12時からの会合なので少し早めに出かけました。三瓶町は現在西予市になっていますが、私の町から行くには海岸国道378号を通り、三崎半島を突っ切って八幡浜を経由して小さな峠を越えるのが一番早道のようです。このルートだと八幡浜まで50分、八幡浜から20分そこそこで三瓶に着くのです。


 トイレ休憩をしようと立ち寄った海の駅潮彩館は水曜日のためあいにく休みのようでした。ここでは毎年豚のロデオが開かれたり、海の駅の屋外水槽にマンボウや亀を飼育していて、職員の方もよく知っているので少々がっかりしました。

 海の駅の町内案内看板を見ながら時間的制約もあるので、メダカの飼育場と須崎観音の相反する方向のどちらかを選んで見学しようと思いました。めだか飼育場は2度ほど訪れているので、須崎観音に決めました。朝立の新しいトンネルを越えて海沿いの集落を10分ばかり走ると、小さな須崎半島に着きました。

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 三瓶町へは弟の娘が嫁いでいたり、地域政策研究センターへ出向していた市役所職員の三好女史とのご縁で随分馴染みの町で何度か来たことがあるのですが、須崎観音は初めてなのです。国道から枝線の道に入り駐車場に車を止め、強風が吹いているためコートを着て歩くと、山際に33体もの小さな石造仏が等間隔に行儀よく並んで、突端の断崖絶壁にある観音様まで続いていました。

 途中道の上が何やら白苦く汚れていることに気がつきました。上空を見ると何十羽もの鷹が海から吹き上げる上昇気流を捕らえて飛んでいました。時折ガス爆発音が聞こえていたのは、周辺の段々畑の柑橘類を鷹が狙っているのを追い払うためのようでした。食害は困りますが、カラスならぬ鷹の一群をこれ程見たのは初めてなので、少しの間眺めていました。

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 展望台やトイレ施設も完備していて春の長閑な日差しの頃にもう一度訪ねたいと思いつつ、眼下や遠望を楽しみました。三瓶湾は天然の良港で奥が深く、黒潮が流れ込む海では養殖いかだが沢山並び、冬風が寒く吹き付けていました。観音様に手を合わせ早々に引き上げましたが、三瓶の魅力を再発見したような、何か得した気分になりました。

 同じ道を引き返す途中、何本か携帯電話が入りました。その都度狭い道なので空き地に車を止め、電話の対応をしましたが、移動する車の中で仕事の打ち合わせが出来るのですから、便利な世の中になったものだと納得しながら忙しくメモをしました。


  「訪ねたい 思いつきにて 訪ねたる 須崎観音 寒風の中立つ」

  「もがり笛 聞きつ岬の 細い道 コートの襟を 立てて進みぬ」

  「鷹たちは 上昇気流 拾いつつ 岬辺りを 低高飛びぬ」

  「三十三 道端並ぶ 石仏の 一つひとつに 慈悲の微笑み」 

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