shin-1さんの日記

○いろはカルタ(その3)

 ゑ 縁の下の力持ち

 ひ 瓢箪から駒

 も 門前の小僧習わぬ経を読む

 せ 背に腹はかえられぬ

 す すきこそ物の上手なれ

 ん

 いろはカルタ全ての言葉を思い出してみましたが、いやはや驚きました。子どもの頃の遊びとは思えぬ凄い言葉の数々です。私たちはいろはカルタで覚えた数々の言葉を、暮らしの中でしっかりと使っていたのです。子どもの頃のことゆえ意味さえも分からず、聞いても明確な教えは誰からも教わりませんでした。

 子どもの頃から謎で今もその謎が解かれていない文字に「え」と「ゑ」の違いがあります。まして「ゑ」という文字を使うことは皆無なので、正しく書けるかどうかさえも自信がないのです。またいろは51文字の最後にくる「ん」という文字の言葉はあったのかどうかも浅学な私には記憶がないのですから、いろはカルタは私にとって遊びだったのでしょうか。


 いろはカルタに書かれていた言葉を調べたくなりました。

(これから岡山へ出張するので、この続きは明日にします)


 昨日は岡山出張から帰る途中松山駅で下車して、仲間内の集会に参加しました。したがって集会が終わり自宅へ帰ったのは11時を回っていました。家に帰って書斎のストーブをつけてブログを書くのも面倒と思い、風呂に入って寝てしまいました。

 今朝起きてブログの続きを書いていないことに気がつきましたが、こんなこともあるだろうと諦めて、この日のブログ記事はこれで終りにします。

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shin-1さんの日記

○いろはカルタ(その2)

 よ 葦のずいから天井のぞく

 た 立て板に水

 れ 良薬は口に苦し

 そ 惣領の甚六

 つ 月夜に釜をぬく

 ね 猫に小判

 な 泣きっ面に蜂

 ら 楽あれば苦あり

 む 無理が通れば道理が引っ込む

 う ?から出た誠

 い 犬も歩けば棒にあたる

 の 喉元過ぎれば暑さ忘れる

 お 鬼に金棒

 く 臭い物には蓋をする

 や 安物買いの銭失い

 ま 負けるが勝ち

 け 芸は身を助ける

 ふ 武士は喰わねど高楊枝

 こ 転ばぬ先の杖

 え えてに帆を上げ

 て 出る杭は打たれる


 あ 頭かくして尻かくさず

 さ 猿も木から落ちる

 き 聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥

 ゆ 油断大敵

 め 目の上のたんこぶ

 み 身から出た錆

 し 知らぬが仏

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shin-1さんの日記

○いろはカルタ(その1)

 私たちが子どもの頃のお正月の遊びといえば、男の子は凧揚げやコマ回し、女の子は羽根つきや双六遊びと決まっていました。今のように車も殆どないため、松山などの商店街へ連れて行ってもらうことも殆どなかったし、テレビもないので、子どもたちはそれなりの遊びを考え出し、群れて遊んでいました。

 遊びの中にいろはカルタというのがありました。意味も分からないのに、「犬も歩けば棒にあたる」と読み手が読めば、「はーい」と声を張り上げその絵を探して数を取り合いました。塾もなく文字や数はいろはカルタで自然に覚えたように思うのです。

 昨日長男の嫁が孫を二人連れ、来年の保育園への入園説明会にやって来たついでにわが家に立ち寄ったのです。夕食を食べるというので妻は久しぶりにすき焼きを作りました。夕食の準備が出来るまで、何年か前に買ったアンパンマンカルタを取り出して遊んでいました。私たちの世代とはえらい違いに多少驚きながら側で見ていましたが、ふといろはカルタが懐かしくなり、思い出してみました。


 い 犬も歩けば棒にあたる

 ろ 論より証拠

 は 針の穴から天井のぞく

 に 憎まれっ子世にはばかる

 ほ 骨折り損ののくたびれ儲け

 へ 下手の長談義

 と 年寄りの冷水

 ち 塵もつもれば山となる

 り 律義者の子沢山

 ぬ 盗人の昼寝

 る 瑠璃も玻璃も照らせば光る

 お 老いては子にしたがえ

 わ 割れ鍋にとじ蓋

 か かせぎに追いつく貧乏なし

 

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shin-1さんの日記

○漬物をつける

 寒い北風が吹く頃になりました。この頃になると畑の大根を引き、水洗いして物干し場に大根を干し、何日かしてしなやかになった頃を見計らい漬物を漬けるのです。これは日本列島の風物といえるもので、取り入れたとうきびやタマネギが軒先に吊るされた姿はどこかふるさとの匂いがするのです。

 わが家でも先週第一回目の沢庵漬け込みを行い、既に美味しいたくあんが食卓を賑わしています。市販の沢庵は見た目にも鮮やかな黄色い色をしていますが、わが家の沢庵は農協で買った漬物用の糠なので見た目は大根そのままのため綺麗ではありませんが、塩分もそこそこ控えているため安心して食べれるのです。

若松進一ブログ
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 昨日は懇意にしているギノー味噌の田中社長と本社で出会いました。そして土曜日に行われる人間牧場での餅つきやかまどご飯を食べる集いに漬物は欠かせないと思い、ギノー味噌が販売している麹漬け用の小袋をいただいてきました。昨年いただいたものとは少し違っていましたが、帰りにニンジンとキューリを仙波青果で買い求め、早速今朝から台所で、料理用計量器を持ち出して、大根やカブ、それにニンジンとキューリを細く切って麹漬けの素をこれも計量器で計ってタッパーに漬け込みました。

人間牧場での食事は余程のことがない限りご飯と味噌汁、それに漬物と味噌汁にしています。このシンプルな料理は日本古来の料理であり、質素倹約な料理でもあるのです。

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(キューリの漬物)

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(大根とニンジンの漬物)

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(カブの漬物)

 普通は漬け込んだタッパを冷蔵庫に入れて漬かるのを待ちますが、寒い季節になったので常温の台所に置いて漬かるのを待つのです。本当は一夜漬けですから明日がいいのかも知れませんが、明日は私が岡山に出張していないため、今日の漬け込みとなりました。

 私は漬物が大好きです。塩分の摂り過ぎのこともありますが、発酵食品といわれる漬物には健康効能がそれを上回っていると考えれば、漬物は肉などよりはるかにいい食品なのです。島根県に行けばお茶請けに漬物が出たり、居酒屋で漬物を肴に酒を飲む人もいて驚いたことがありますが、美味しい漬物を食べながら湯気の出た白いご飯と味噌汁を食べるのは、やはり日本人の日本人たるゆえんだと思うのです。漬物が漬かる土曜日が楽しみです。


  「厨房に 立つこともない 私だが 妻の居ぬ間に 漬物作る」

  「湯気の出る 白いご飯に 味噌汁と 漬物食べる これで幸せ」

  「一夜漬け 勉強だったら 困るけど 漬物美味い どんな味する」

  「社長から 貰った自慢 麹漬け 素を振りかけ 一丁あがり」

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shin-1さんの日記

○この歳になってもメガネなしで針に糸を通せた

 昨日の夜、妻が針仕事をするため裁縫用具を持ち出しました。やがて老眼というメガネをかけて針に糸を通し始めましたが中々通りませんでした。こんな場合は針に糸を通す裏技が出来る小さな小道具があるのですが、昨晩は裁縫用具箱にしまったはずのそれも見つからず、結局いつもの通り「お父さん針に糸を通して」とねだられました。

 私は「見せてみろ」と、いつもの通り歯針に糸を通し始めました。最初は勘が鈍って通りにくかったのですが、そのうち馴れて3本全ての針に木綿の糸を通し終えました。自分で出来ないことをやってくれた私に妻は、「まあお父さん凄いのね。ありがとう」とお礼を言ってくれました。

 私はこれまでメガネをかけたことがありません。この歳になってメガネが必要でないということは余程眼がいいのでしょう。時々「目がいい」と褒められると、「顔が悪いが目だけはいい」と駄洒落を言って人を笑わせていますが、若いころからメガネのお世話になっている妻を見ても、メガネが必要な日々の暮らしは不便だし、メガネにお金をかけずに済むことは有難いことなのです。

 仕事で小さい数字を見ることもなくなったので、多分私はこれからも多少我慢をしてでも一生メガネをかけまいと心に誓い、目をぐるぐる回す目の運動をしたり、時には遠いところを見たりして視力の落ちるのを予防しているのです。

 この40年間同じ物を食べ、同じ暮らしをしているように見える妻がメガネが必要で、私がメガネが要らないのは一体どういうことでしょう。妻は家事全般や育児を引き受け、これまで肩が凝るほど働きに働いてきました。故の視力衰えだとしたら、私はそんなこまごまとしたことをしなかったという理論が成り立つのです。妻は「子どもの頃勉強のし過ぎ」だと茶化しますが、勉強を余りしなかった私ですからその指摘は当たっているのかも知れません。しかし友人が言うように、「パソコンを始めてから旧に視力が衰えた」ということが正しければ、四六時中パソコンに向かい合っている私も、視力が衰えて当然なのですが、今のところそんな気配はないようです。


 結局行き着くところ目の良し悪しは遺伝ではないかと思える節があるようです。私の母は80歳で亡くなりましたが、亡くなるまでメガネをかけずに新聞を読んでいました。親父は必要に応じてメガネをかけますが普通の暮らしはメガネをかけていません。私の友だち家族は親子全員がメガネの世話になっているので、遺伝論はある程度当たっているのかも知れません。

 昔は村の商店街に眼鏡屋さんがありました。歳をとったおじさんが目に何やらレンズのような筒をつけて、メガネや時計を修理している姿をよく見かけました。「眼鏡屋だのに何故メガネをかけるのだろう」と不思議に思ったこともありました。中学生の時一度仮性近視になりかけて、水産高校の入試を諦めざるを得ないような時期もありましたが、視力検査のマークを全て暗証し事なきを得た苦い経験がふと蘇りました。


  「冗談で 顔は悪いが 目はいいと 話せるほどに メガネ要らない」

  「母親も 死ぬまでメガネ かけなんだ 私も同じ 道を歩むか」

  「この歳で 張り穴糸を 通します メガネに投資 同じ言葉も」

  「0と6 8と9など 数字だけ 判読し辛い 注意してます」 

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shin-1さんの日記

○12月14日と言えば?

 「12月14日と言って思い出すものはな~んだ」と聞かれると、一瞬「えっ」と思うに違いありません。「誰かの誕生日?」だとか言う人もいますが、私などは人間が古いのか賞味期限が切れているのか、「赤穂浪士の討ち入りの日」をいの一番に思い出すのです。そして「時は元禄14年12月14日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、一打ち二打ち・・・・・・・」と、三波春夫が歌った歌を思い出すのですから相当古い人間なのです。

 子どもの頃には映画館で忠臣蔵の映画を、大きくなってからはテレビで同じく忠臣蔵の番組をどれ程見てきたことでしょう。義士といわれる大石内蔵助以下四十七士の活躍の場面に、胸躍らせ涙した数は数え切れないのです。忠臣蔵にゆかりのある日本全国の各地では今日、この寒空の下で連綿と続く恒例行事を催していて、その様子がテレビで朝から紹介されていました。

 子どもの頃「大石内蔵助」という字や「大石主税」という字が読めなくて、友だちが「ないぞうのすけ」や「しゅぜい」と読んで大笑いしたことも懐かしい思い出のようです。ちなみに主君である浅野内匠頭長矩や仇となった吉良上野介義央の名前も子どもの頃は読めませんでした。


 仇討ちなど昔の話には不明な点が多く、その後歌舞伎や芝居になると随分脚色されて美談化され、当時は幕藩体制の中での出来事ゆえに、何が真実か分からない部分も多くあるようです。

 日本人はこれ程文明の世の中になっても、頭にちょんまげを結い腰に刀を差して歩くころの時代劇が好きで、12月14日になると決まったように時代劇ドラマが再現されるのです。役所広司さんの主演で佐藤浩市さんたちが「最後の忠臣蔵」という映画に出演いるようです。

 妻に「この映画を見に行こう」と誘ったら多分、「私は別の映画を見たいので、一人でどうぞ」というに決まっているのでいいませんが、もうそろそろ日本人の頭から「12月14日=忠臣蔵」という記憶が消えても良さそうだと思うのですが、やはり日本人は判官びいきなのでしょうか。

 ちなみに元禄14年は1703年なので今から307年前、14日は旧暦ですから新暦だと1月30日の出来事のようです。


  「12月 14日と言えば 何の日か? 聞かれて赤穂 私は古い」

  「この頃に なると何故だか 忠臣蔵 300年も 前の出来事」

  「テレビにて 大河ドラマの 始まりは 忠臣蔵を 見たと記憶し」

  「いつの世も 人の心の あり様で 歴史は動く しみじみ思う」

 

 

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shin-1さんの日記

○来年も忙しい予感

 師走に入ると年賀状書きや身の回りの大掃除など、いつもやらない一年に一度の大仕事があるような気がして、何となく慌しく感じます。毎年使っている商工会発行のWriting Calendarをいただきに昨日地元商工会へ行きましたが、私の分はどうやら予定していなかったようで後ろず去りで寂しく帰って来ました。来年のスケジュール表がまだ届かないので、来年の予定はパソコンに入力して、依頼があるその度にパソコンを開かなければならず右往左往の有様です。

 昨日も1月の予定で手間取り、あちらこちらにご迷惑をかけてしまいました。近頃は携帯電話でスケジュール管理をしている人もいるようですが、私はもう長年のアナログな癖が染み付いていて、A版で細長なスケジュール表を30年以上にわたって使っているのです。

 一年に何度かスケジュールをダブって入れてしまったり、時には自分でどうにもならない、つまりみんなの総意で日程が決まり、私一人が折れれば日程が決まることもあります。その場合は相手に理由を言って中止や変更を余儀なくされ、相当迷惑をかけてしまうのです。

 私の場合スケジュール管理を自分で行うには余りにも忙しく、これが限界のような月もありますが、加齢と共にその忙しさも解消されるだろうと鷹を食っているものの、退職して6年目だというのに一向に減る気配がないようです。さて来年早々1月の予定はかなり埋まって、師走の今から来年も忙しくなる予感がしていますが、四国に住んでいると何とも思わずスケジュールを立てるのですが、中国山地に分け入るとこれが雪道に変わるため、えらい難儀をする事だってあるのです。

 今年のスケジュール表を見ると、えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を降りたので会議類が少し減りましたが、講演などは相変わらず忙しかったし、県外へも数多く足を運びました。予定表に書き込まれていない人間牧場での作業や、視察も今年は多い年だったように思います。特に土日は殆ど詰まっていて、日曜祭日が休みの妻とは相変わらずすれ違いの多い一年でした。

 娘が復職したのでこれからは孫たちとの楽しいいひと時も楽しみになってきました。イケメンならぬ、イクメンならぬ、イクジイになりそうな気配です。

 

  「来年の 予定早くも あれこれと 予定書き込む スケジュール表なく」

  「来年も 忙しいぞと 覚悟する お座敷かかる 間が花だ」

  「講師料 雀の涙 程かない 内情先に 吐露して話す」

  「来年は 計画的に 休養日 取りたいものと 頭めぐらす」

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○今日は2本も原稿を書きました

 最近原稿依頼が数本あって、今日は雨模様でもあり朝から原稿書きをしています。私には時々400時詰め原稿用紙20枚や多い時は40枚などの依頼もありますが、殆どがエッセー風のものが多いようです。今日は2千字つまり400字詰め原稿用紙5枚を2本書き上げましたが、筆の進みがいい時はこんなものだと、今日は少しルンルン気分になっているのです。


 文章を書くためには読まなければなりません。私は小説などの長い文章を書いた本を読むのが歳をとったせいか苦手で、もっぱら「100話」とか「20の言葉」のような、短文を集めて一冊の本にしているのをよく読むのです。一話が完結していて、前に呼んだことを覚えていなくても済むからです。まあこの傾向は加齢と共に益々進むことでしょう。


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 昨日私の友人である長野県木曽郡木曽町開田に住む大目富美雄さんから「私のスクラップック」という一冊の本が贈られてきました。本というよりは報告書といった方がぴったりするのですが、まま中を開けてみるとこれでもかといわんばかりに書いた新聞記事や、自分に関係のある新聞記事のスクラップが100ページを越えてコピーされていました。一つ一つの記事をまだ細かく読んではいませんが、随所に彼らしいほのぼのとした記事が載っていました。

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 パラパラと捲るとその中の78ページに、私に関する記事も載っていました。平成19年9月1日の市民タイムス」という田舎の新聞の記事でした。

 ~前略~大目さんは、六月に高知県安芸郡馬路村で開かれた「全国まちづくり人交流会」に出席した際、講師として出席した若松進一さん=愛媛県伊予郡双海町=が持ち歩いていたスギ製のケースに注目した。「こんなケースがあれば木曽の林業や観光をPRできる」と考え、全国的に有名な木曽ヒノキを使ったケースを持とうと考えた。~後略~なんて記事が紹介されていました。


 自分が記事を書くことも、自分が新聞や雑誌に載る事も一つの表現です。中には「目立ちたがり屋」などとやっかむ人もいますが、人生は目だってなんぼだと思い、馬耳東風と聞き流せばいいのです。

 木曽にも広島にも私のような輝いて生きる人がいるものです。大目さんに大きな拍手を送りましょう。

  「原稿は 口で言うより 難しい 記録に残る 難儀さありて」

  「書ける日は スイスイ原稿 書けるのに 筆の進まぬ 日には最悪」

  「友人の スクラップ集 届きたる ペラペラ捲り 私を発見」

  「世の中にゃ 小まめな人が いるものだ 集め集めて 小さな本に」

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○私の今年の10大ニュース

 いつもの事ながら今年も年賀状のシーズンがやって来ました。今年こそ早く取り組もうと毎年思いつつ、ついつい雑事に追われて今年も残念ながら、まだ宛名書きどころか印刷さえも出来上がっていないのです。この負い目の大きな原因は何といっても自分の字のまずさから来るハガキに対するコンプレックスなのです。そのことを少しでも解消しようと始めた市に三枚ハガキを書くことは25年以上も毎日やっているのに、こと年賀状についてはこの体たらくで、自分の努力のなさをしみじみ悔やむのです。

 そうはいっても妻はもう既に私のために600枚もの年賀状を家計をやりくりして、購入してくれているので出さないわけには行かないのです。退職を機に1000枚を超えて舞い込む年賀ハガキを一度整理をして500枚にまで減しましたが、いつの間にかまた増え続けて、毎年のことながら頭を悩ませているのです。

 昨日仕事の合間を見計らって、印刷に出す文面を考えました。私の場合毎年「青春の履歴書」と題して、この1年間に起った私の10大ニュースを書いていますが、受け取った私の友人からは概ね好評ながら、中には「虫眼鏡がないと読めない」と苦言を呈する人もいて、そろそろリニュアールすべきだろうと密かに考えていますが、今年も相変わらずマンネリズムなハガキになってしまいました。

 私の10大ニュース

1月31日  愛媛新聞シニアサイト「自悠くらぶ」に毎週一回、2年5ヶ月間執筆した連載が終了しました。

3月29日  昭和51年貯蓄推進員就任以来長年の活動が認められ栄えある金融担当大臣表彰を受けました。

4月10日  世界遺産を巡る旅シリーズで平安遷都1300年の奈良を旅しました。

5月 7日  裏山に設置した5番目の巣箱にミツバチが分蜂、今年も3.7升の蜂蜜を採集しました。

7月24日  年輪塾移動塾が清水塾頭のあらし山で開催されました。

8月 7日  高野川海岸を歩いて伊能忠敬の測量した日本地図を見に行きました。

8月21日  人間牧場で地域マネジメントスキル修得講座、年輪塾、子ども体験塾など今年も沢山の人が訪れ

        ました。

9月24日  25回目の下灘駅夕焼けプラットホームコンサートが開かれました。

12月10日  好評を博したスポンサーギノー味噌の「裏が味噌」CM名刺をリニュアールしました。

12月16日  今年最後の今年101回目の講演に岡山県倉敷市へでかけました。(予定)

 他人から見れば他愛のない私の10大ニュースですが、今年も私にとっては楽しい一年になりました。来年もいい一年であるよう、特に健康に気をつけ、9月12日に高齢者となった妻や家族と穏やかに過ごしたいと思っています。 

   「一年が あっという間に 終わりそう 師走恒例 年賀状書く」

   「他人から 見れば他愛の ないことを 10大ニュースと いって書き込む」

   「庶民ゆえ 今を記録か 出来ぬゆえ ゆえに毎日 日々の暮らしを」

   「書きながら 次第に縮む 人生を 感じながらも 来年こそは」                               

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○ふるさと体験塾「グリーンツーリズムに学ぼう」

 昨日はあいにく昼前に雨が降り出しましたが、双海町の子どもたちを集めたふるさと体験塾が行われました。子どもたちは翠小学校周辺にあるイチゴハウスでイチゴ狩りを行い、石窯香房みどりで豆腐作りやピザ作りなど楽しい体験をしました。イチゴ狩りもピザ作りもすっかり御馴染みとなりましたが、子どもたちにとっては豆腐作りなど初めての体験メニューも加わり、楽しい一日となりました。

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(豆腐作り体験)

 私は午前中竹切り作業があったので途中からの参加になりましたが、いつも参加してくれるボランティアスタッフは皆さん熱心で、頭が下がるのです。今は少子化で子どもの数が減っても、こうして地域ぐるみで小さいころからふるさとを体験させ、人間教育をすることはとても意義があると思うのです。

 子どもが小さいころ親は殆ど誰もが、自分の人生に子どもの一生をダブらせ、勉強のよくできる子どもに育ててやりたいと思い、塾へ通わせたりしながら学力の向上を第一に子どもを育てるのです。

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 しかし自分自身の大きくなった子どもを見れば、人間として大切なことはむしろ学力よりも心の優しい人に迷惑をかけない人間に育てることが大事だと思えるのです。私の子どもたちが育った時代には残念ながらこのようなふるさと体験塾のようなものがなかったため、私はわが子を私が主宰していた21世紀えひめニューフロンティアグループの主催する無人島キャンプなどに積極的に参加させましたが、学力こそ高くはなくいい一流会社に就職は出来なかったものの、人間として必要な優しさや人に迷惑をかけない子どもに育ったように思うのです。

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 昨日のふるさと体験塾に高校生や中学生がボランティアスタッフとして参加してくれました。彼や彼女たちはふるさと体験塾の卒業生なのですが、こうして世話になった人たちに少しでも恩返しをしようとする姿は冥利に尽きるのです。彼や彼女たちはこれから社会人になっても、その温かい心で社会の荒波に立ち向かい、自分の子どもたちの子育てにも生かしてくれるに違いないと、ついつい嬉しくなりました。

 今年もいい活動が出来ました。事務局やスタッフの皆さんに感謝したいと思います。

  「雨の中 豆腐作りや イチゴ狩り ピザまで焼いて 満腹満足」

  「高校生 中学生まで スタッフに 加わり嬉し 体験塾は」

  「進ちゃんと 普段言葉で 子どもから 呼ばれ嬉しく ピザをほおばる」

  「これだけの 人の温もり 集まって 子どもはみんな 素直に育つ」

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