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○千本桜の森づくりプロジェクト(その②)

 昨日12月20日付けの愛媛新聞に下のような新聞記事が載りました。

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 今年の8月、私の知っている人から一本の電話がかかってきました。「先日仲間と3月末で廃校になった下灘中学校を訪ねました。残念ながら母校の運動場には草が生えていました」というのです。話を要約すると「母校が荒れるのは心が痛む。地元に住むお前たちがもっとしっかりして、草が生えないようにしろ」と言わんばかりでした。そんなことを言われても、私に責任はないし困るのですが、そのことが私の心を痛めたのも事実です。統合し新しくできた双海中学校にお願いし、草を引いていただきましたが、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが推進しているえひめ千本桜の森づくりプロジェクト事業を活用して桜を植えることを思いつきました。

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 早速市教育委員会と学校の校長先生にお願いして、紆余曲折をへながら2月19日に植えることになりました。当日は中学生や先生、小学生や先生、それに市役所職員や公民館職員が総勢40人も参加して大掛かりな食事イベントとなりました。その模様が当日愛媛新聞の菊池記者の取材を受けた上の記事なのです。

 当日は天気もよく、40本の桜の苗木は2時間弱で植え終わりましたが、フロンティアグループ会員の佐賀山さんに書いてもらった標柱を立てて記念撮影し、校長先生の話や私の話で植樹を終わりました。

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 私たちはその後、残った10本あまりの苗木を夕やけこやけラインに植樹をすべく移動して、閏住地区の国道とJR予讃線の間の斜面に植え込みました。来年の春先にはさらに50本の織女をする計画で、双海地区100本の桜が10年後には花見ができることを夢見ているのです。

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  「嬉しいね 心ある人 集まって 桜植えつつ 未来を語る」

  「この桜 僕が植えたと 恋人に 言ってくれるか 十年後には」

  「木を植えた その晩雨が 好都合 天も味方し 幸先よくて」

  「植えぬ木は 育つはずない そう思い 一本一本 丁寧植える」

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○始まったえひめ千本桜の森づくりプロジェクト(その1)

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループでは、高齢化や過疎化でふるさと意識が薄れつつある地域に、もう一度活気を取り戻して欲しいとの願いから、「えひめ千本桜の森づくりプロジェクト事業」を立ち上げました。会員20人足らずのボランティアグループながら、桜の苗木を100本単位で10ヵ所に無償で配るという少し見栄を張ったこの事業は、えひめ地域政策研究センターが実施するアシスト事業の支援もいただき、順調にスタートする気配でしたが、新聞発表が大いに遅れて、やっと昨日の新聞発表で本格的な事業開始となりました。そうはいいつつ今年の目標である3ヶ所の実施予定地は私の口コミで既に決まっていて、苗木を植える時期が秋から春へ変更になっただけなのです。

 そもそもこの事業は今年のグループの総会を今治の河上さん宅で開いた折、「近頃県内の地域が元気がない」「高齢者が増えて農地が荒れている」「私たちにできることは何か」などを夜を徹して話し合いました。会員から「桜の苗木を配って地域の人に植えてもらい、桜の森づくりを通して地域が元気になれば」「桜は成長が早く10年後には桜の名所ができる」などとやる気満々の話が議決され、代表の私と大野事務局長に企画一任されました。その後4月に世界遺産を巡る旅シリーズで平安遷都1300年の奈良路を旅した時原案を示し、内容やスケジュールを確認しあいました。またセンターのアシスト事業応募も了解されたのです。

 21世紀えひめニューフロンティアグループはこれまでに昭和56年結成以来、無人島キャンプや丸木舟製作など様々な事業を展開し、社会への揺さぶりをかけてきました。会員の年齢的なものを考えると、私がやっている人間牧場以外では、今回の千本桜の森づくりプロジェクトはどうやらグループ最後の事業になりそうなのです。会員の中には大工さんも造園業、農業、公務員などもいて、多士済々です。今回の事業には造園業の河上さんに指導や苗の手配などを頼んでいるのですが、うまく行くかどうか多少の不安もあります。

 桜100本の森を10ヵ所作るという遠大な構想が10年後果たして実現しているかどうか、多少疑問もありますが、願わくば地域の人の努力によって桜100本の公園が立派にできて、地域の人たちが花見を楽しむ「平成の花咲じいさん」になったら望外の喜びです。


  「平成の 花咲爺さん なるように 最後の奉公 智恵と汗出す」

  「百本の 桜十ヵ所 十年後 夢見ワクワク 始まりました」

  「百本の ソメイヨシノを 手配する いつもながらの ドタバタ劇で」

  「潔く 咲いて散りゆく 桜かな あやかりたいが 上手く行かない」



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○合併の周辺で(その②)

 一昨日に続いて愛媛新聞の一面総合の左隅に、「記者が歩く」という企画記事「合併の周辺で」双海町の様子が紹介されています。「住民が甘え捨てんと」というタイトルは、末尾に締めで紹介されている富岡喜久子の言葉から引用されているようです。

 ~前略~そこにシーサイド取締役の富岡喜久子さん(80)が現れた。伊予市・中山町・双海町合併協議会の委員を務めていた一人。冷たい風が吹く屋外で話した。

 「行政が何とかしてたんは町のときまで。合併したら抱えるものが多いんじゃから、どっか抜けてくるのは当たり前。『あれが悪い』『これが悪い』ではいかん。もらうもんもろて、払うもん払わなかったらもたんでしょう?住民が甘えを捨てんと」。諭すような口調にただうなずくしかなかった。~後略~

 考えさせられる言葉ですが、合併後6年近くの行政サービスを肌で感じている地域住民のわだかまりを説得できないのも正味なところです。

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 行政は合併以来参画と協働を住民に訴えています。しかし限界集落や準限界集落を数多く抱える過疎と高齢化と少子化の波に翻弄され続け、将来への不安を肌で感じているている住民に地域自立を声高に訴えても、最早自立するだけの余力はないものと思わなければならないようです。

 市役所支所の職員もそんな実情を察してか、これからの地域のあり方を探るため、集落へ出向いて対話集会を開いていると聞きました。かつて私が公民館主事時代移動公民館と称し自治公民館を回って意見を求めた手法とまったく同じなのです。時代は変わってもそうした職員と住民の歩み寄りがある限り、いい地域づくりのアイディアは生まれるのです。

 本当の行政サービスとは補助金や助成金を住民に上げることではなく、職員が住民の暮らしと生産の現場に出向いて汗と智恵を出すことであることを、私たちは知らなければならないのです。若い職員が集落めぐりをし始めている話を聞いて、私は胸が熱くなりました。

 私ももう一分張り、若い職員の支援者となって地域づくりのお手伝いをしたいと思っています。

 今朝は「新聞を見た。読んだ」という電話がひっきりなしにかかってきました。勿論この新聞記事もですが、8面地方版に出た、下灘中学校跡地への桜の植栽記事の反響です。「お前はいい事をしてくれている」「わしらも負けられん」という励ましの言葉でした。

 

  「久方に 二日続けて 新聞に 双海が載った 昔日思う」

  「甘えたら いかんというが 合併後 余りの落差 不平不満に」

  「職員が 集落回り していると 風の便りに 久々嬉し」

  「もう少し 人のお役に 立ちたいと 心新たに 思い巡らす」 

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○合併の周辺で(その①)

 12月18日土曜日のえひめ新聞1面(総合)、「記者が歩く」という企画記事欄に私たちの町双海町のことがルポされました。この記事は平成の大合併による市町村再編成のその後を、記者の視点で書いているものです。シリーズもので今回の記事はNo⑨ですが、今回は合併によって平等や平準化されようとしている児童クラブの現状について切り込んでいます。

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 双海町下灘地区ではいち早く県下に先駆けて児童クラブを立ち上げました。過疎の地区、しかも第一次産業しかない地区では、両親が農業や漁業をやっているため、学校が終わっ子どもたちが自宅へ帰っても、留守だし近所に遊び相手の子どもがいないのです。子どもを安心と安全な環境の中で守るには、夕方まで子どもたちを預かってくれる場所が欲しい・必要という観点から、児童クラブをコミュニティセンター内に、先進的に作りました。

 地域の親は大助かりで、仕事が終わると指導員を配置して指導してくれているコミュニティーセンターへ迎えに行き、子どもを連れて夕闇迫る道を家路へと急ぐ風景は何ともほほえましいものでした。

 ところが6年前に伊予市と合併し6年が経過すると、旧伊予市にも旧中山町、旧双海町上灘地区にも下灘学童クラブに似たクラブができると、それらの参加者が利用料金を払っているのに、下灘だけを特別扱いできないといういう理由から、利用料金を取るよう市役所から指導があるというのです。

 これまでは誰でも行けた児童クラブが、お金を払っていない子どもは行けなくなりそうなのです。利用者負担の原則と公共施設利用の原則の狭間でちょっとした熱い議論が交わされていますが、市の公平の原則と、合併時に市民が聞いていた「公共サービスは高い方に、公共料金は安い方にあわせる」という口約束の矛盾が浮かび上がっているのです。大人の問題ならまだしも、子どもを巻き込んだ問題だけに、せめて先進的に取り組んで成果を上げてきたものくらいは、何を勘弁しても残して欲しいという理論も成り立つのです。


 一事が万事中央に合わせられるという住民の諦めと、上位下達や平準を理由とする行政の前に軍配はお上に上がるのでしょうが、果てさてお金を払っていない子どもは門前払いという仕打ちに、子どもは果たして何処へ行けばいいのでしょうか。どちらの言い分も理解できるだけに、ここは一休さんか遠山の金さんの智恵やお裁きをしてもらわなければならないかも・・・・。

  「旧町が 智恵を凝らした やり方も 平等名の基 次第に消えて」

  「新聞が 問題提起 したことを どんな解決 するのかはてな?」

  「高い方 合わせる不満 あれやこれ これでは血圧 までもが上がる」

  「金のない 子どもは来るな 門前で 色分けされる これも悲しい」


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○年輪塾年末の集い(その③)

 餅をついている間に空いたかまどでご飯と味噌汁を作りました。私がお餅にかかっていたため、かまど焚きの役目は濱田さん、味噌汁などの準備は今回も晴美さんが担当しました。お米はわが妻が1升ずつ洗って3升持たせてくれましたし、味噌汁に入れるネギも刻んでタッパに入れて持ってきたものの、肝心の煮干やワカメは用意してくれていたのに忘れてしまい、稲葉さんが自然薯でとろろを造るために持ってきていただしの素を使わせてもらい、また大河内さんが持ってきていた大根や田処から届いた美味い豆腐も具に加え、調理師晴美さんの味付けで、美味しい味噌汁となりました。濱田さんも多少火加減を誤っておこげを作りましたが、ご飯も3升ふっくらと炊き上がりました。

 やはりかまどのご飯と味噌汁は美味いです。ご飯も味噌汁も葉釜や鍋の底が見えるほど美味しい美味しといいながら完食してくれました。それにしてもフロンティアからいただいている50人分の食器のお陰で何の造作もなく30人の大食事会は大賑わいとなりました。田処から届いた豆腐やコンニャク、秘伝の田楽味噌、稲葉さんの自然薯とろろ汁も加わってシンプルながら飛び切り上等な日本食パーティとなりました。いつもはすっかり美食に慣れている私たちですが、人の心の温かさや素材の持つ本当の美味しさに気付かされました。

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(ミニ落伍ライブは満員爆笑の大盛況でした)


 食事が終わるとそこら辺を片付け、私のミニ落伍ライブをやりました。本当は出囃子を交えて本格的にやりたかったのですが、1歳の子どもから70歳を越えた人までまちまちな年齢層の集まりなので、この日の演目は「裏が味噌」という名刺の話をさせてもらいましたが、短い時間ながらかなり盛り上がって予想以上の大爆笑となりました。ちなみに今年も今回もギノー味噌の田中社長さんのご好意で参加者に麦味噌とひしお味噌がお土産にいただきましたが、皆さん大喜びでした。

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(音合わせのリハーサル中のつなぎでハーモニカを吹きました)

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(すっかりお馴染みとなった年輪塾楽団)

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(歌詞用に桜の木で亀本さんがイーグルを製作してきました)

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(次回の年輪塾移動塾は田処で行うためのメンバー紹介です)


 落伍会の後の締めは西田さんの歌唱指導、バックの演奏は近藤さんのバイオリン、清水さんのギター、青木さんのオカリナと上等な演奏家たちです。準備の幕間は私がハーモニカでお茶を濁しました。「野に咲く花のように」と、「二宮金次郎」の歌は年輪塾お馴染みのテーマソングなのでみんな大声で歌いました。歌詞掲示板も亀本さんが手づくりで作ってくれましたが、人間牧場も皆さんのご好意で色々な道具類が増えて週のに頭を抱えそうです。

 この日はラミネート加工した会員証の交付や、念願の人間牧場年輪塾の看板も出来て、いい一年締めくくりの集いとなりました。

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(出来上がった人間牧場年輪塾の立派な看板)

  「年輪を 重ねるごとき 集会は 今度も盛況 心晴れ晴れ」

  「ミニ落伍 一歳子ども キョトンする 俺もまだまだ  修行足りぬな」

  「バイオリン ギターオカリナ ハーモニカ 芸人揃い 声がこだます」

  「かまど飯 味噌汁だけの シンプルな 食事だけれど 美味い美味いと」

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○年輪塾持ちつき大会(その②)

 去年も同じような時期の12月19日に餅つき大会をやって楽しかったので、今年も一年間の感謝を込めてみんなでやろうということになり、今年も一日違いの18日に持ちつきたい会をしました。早速大洲市田処の亀本さんからもち米が、西予市野村町山奥組の井上さんからキビや粟など雑穀類の提供が相次ぎ、早速小番頭の松本さんと二人で餡子や餅つきの準備に取り掛かり、皆さんの協力もあって最終的には30人を超える参加となりました。それにしても日本人は餅つきが大好きだと感心しました。

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 昨日は餅を8臼もつくので、わが家からアルミの2段式蒸籠も持って行き、大河内さんからいただいている木の蒸篭とダブルでフル創業でした。かまどの火の番をしながら西土佐からもらった臼や杵で、玄関先の庭で持ちつきは子どもも混じって楽し賑やかでした。餅の中には昨年教えてもらって大好評だった今治大西町の大河内さん直伝のみかんをつき込むみかん餅や、田処の亀本のおばあちゃんから届いたヨモギ餅も入り、井上さんから提供のあったキビや粟を加えるとまるで五色餅のようでした。濱田さんが丹精込めて炊き上げたという餡子も田処の女性陣の手馴れたモミ手の協力であっという間に丸い餅に変身し、美味しくつまみ食いでいただきました。

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 今年も昨年と同じく手臼を担当した私は、8つ全ての手臼を腰に負担がかかる中腰でしたため、「塾長上手い上手い」と褒められた言葉を真に受けて腰を痛めてしまいました。今日は桜の苗木の植樹で作業が待っているのにこの体たらくです。

 餅は水平線の家の板間に広げたビニールシートの上に所狭しと並べられ、青木さんからいただいて保存していたパックに5色の餅を入れ、皆さんに持ち帰えってもらうことにしました。


  「餅つきに 三十人もが 集まって ワイワイガヤと 賑やか笑顔」

  「それぞれが 役割分担 手を入れて 丸いお餅に 見事変身」

  「ヨモギ餅 キビや粟等 みかん餅 まるで五色だ 粉つけほおばる」

  「お上手と 手臼 褒められ その気なる お陰で腰が これは大変」 

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○年輪塾運営委員会(その①)

 三年前人間牧場水平線の家で始まった年輪塾は、一期目は民俗学者宮本常一をテーマに様々な取り組みを行い、私たちの心に大きな道しるべをいただきました。そして二期目の今年度からは二宮尊徳をテーマとして一期目にも増した充実ぶりで学習が続いているのです。今年の特徴は清水塾頭が尊徳翁夜話233話を全て解説して毎週一話ずつ塾生にインターネットで配信し、塾生はそのテキストを元に自主学習をしながら、時々行われる集合塾で輪読しているのです。最初は馴れない学習形態に戸惑う人もいましたが、最近ではすっかりその学習にも馴れ、最初目指していた私塾の携帯に近づきつつあることは何よりも嬉しいことなのです。

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昨日は今年度に入り9ヶ月が過ぎたことから、塾長・塾頭・大番頭・小番頭・塾生1号に加え数人が集まり、今後の塾のあり方を話し合うため、人間牧場に集まって久しぶりに合宿研修を行いました。それぞれが飲み物と食べ物を持ち寄る寄り合い酒の集会を主宰するため私は、明くる日の餅つきなどの道具をトラックに積み込み、4時過ぎに家を出ました。西の端には冬至頃の夕日が夕やけこやけラインの向こうに静かに沈もうとしていました。

 前日から寒波が押し寄せ、寒さを心配しながら山道を登り、薄暗くなりつつある人間牧場で一人忙しげに準備に取り掛かりました。まずストーブに火を入れ、一晩で焚くであろう薪をキャリーに入れて持ち込みました。また春・夏・秋と開店休業だった囲炉裏の蓋を開け、五徳を二つ並べて、倉庫から取り出した炭を置き、ストーブで起こした火を入れました。菊炭といわれるクヌギの炭は勿体ない気もしましたが、最高の贅沢とばかりに沢山使いました。

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(口ほどにもなく早々にダウンし鍋の向こうで雑魚寝する濱田さんと新山さん)

 やがて三々五々皆さんが集まり、高知県四万十市から和田修三さん、国立大洲青少年交流の家の新山所長さん、それに親友稲葉さんも加わり、賑やかな酒盛りが始まりました。酒を飲めないのは私だけとあっていささか気が引けましたが、松本さんの用意した鍋を突きながら、これまでの反省、これからの計画検討、塾のあり方から自分たちの今後の生き方まで、夜の更けるのも忘れて話し込みました。電波時計の電池が切れて時々時間を錯覚したりしながら濱田さんは12時、新山所長さんは1時、私や清水さん松本さんは2時、和田さんや稲葉さんは4時まで、うだらうだらと半紙をしていたようです。

 私は2階の塾長室で寝ましたが、囲炉裏とストーブで熱した室温は二階へ上がるので、寒さなどに悩まされることもなく朝まで快適な眠りでした。でもさすがに酒を飲んだ面々のいびきは時には雷が落ちたように、時には痛んだ掃除機のように激しく、安眠妨害を繰り返していたようです。

 濱田さんや稲葉さんは早朝散歩に出かけ、松本さんが昨日の鍋の残りを利用して味噌鍋うどんを作ってくれました。清水さんから貰ったみかんを食べて朝フルげな物もやりました。朝食後みんなで急いで掃除を行い持ちつきの準備に取り掛かりました。トラックの荷台からモロブタや三日前に妻が洗米してくれていたもち米を降ろしたり、またかまどに火を入れ蒸籠をかけてもち米を蒸し始めました。子どもたちや大人がやって来るのは10時頃ですが、それまでにもち米が蒸籠で蒸せていなければならないのです。

 忙しくそれぞれが思い思いの仕事をしてくれたお陰でどうやら9時には準備が整い、大洲市田処の強力な助っ人が現れ、ビニールシートを敷いた板間は賑やかな笑い声が聞こえ始めました。


  「久方に 心許せる 人たちと 寄り合い酒の 鍋を囲みつ」

  「飲むほどに 酔うほど話 太くなる 素面の私 聞き役徹す」

  「掃除機の 傷んだ音と 同じよう 安眠妨害 告訴も辞さず」

  「ストーブと 囲炉裏で寒さ 案ずより 暖かでした 二階の寝部屋」

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いろはカルタの意味(その2)

な 泣きっ面に鉢(悪いことが怒っている時さらに別の災難が降りかかる)

ら 楽あれば苦あり(楽しい思いの後には苦しいことが起きるもの)

む 無理が通れば道理が引っ込む(筋の通らない無理がまかり通れば正しいことが行われなくなる)

う ?から出たまこと(始めは?だったことが次第に本当のことになってしまう)

ゐ 芋の煮えたのもご存じない(芋が煮えたかどうかも判断できない甘やかされて育った世間知らず)

の 喉元過ぎれば暑さ忘れる(熱いものでも飲み込んでしまえば暑さを忘れてしまう)

お 鬼に金棒(もともと強い者がさらに強くなること)

く 臭い物には蓋(都合の悪いことや悪事を外部に漏れないように隠そうとする)

や 安物買いの銭失い(安いということだけで買ったものは品質が悪く結局損をする)

ま 負けるが勝ち(つまらない争いをせず相手に価値を譲ること)

け 芸は身を助ける(何か一つ優れた芸を見につけていれば生活に困った時の助になる)

ふ 文はやりたし書く手は持たず(恋文を書きたくても文字が書けず相手に気持ちを伝えられず思い悩む)

こ 転ばぬ先の杖((転ばぬよう前もって杖を用意することで災難から逃れる)

え 得手に帆を上げる(得意なことで好機に恵まれたら迷わず行動する)

て 出る杭は打たれる(人より一歩前へ出れば批判にさらされる)

あ 頭隠して尻隠さず(隠したつもりでも肝心なところを隠しきれていない)

さ 猿も木から落ちる8木登り得意な猿でもたまに落ちることもある)

き 聞くは一字の恥聞かぬは一生の恥(恥ずかしくて聞きにくい聞かなかったら一生後悔する)

ゆ 油断大敵(気の緩みは失敗の原因になるので最大の敵)

め 目の上のたんこぶ(自分よりも実力や地位が上で何かと目障りで邪魔なもの)

み 身から出たさび(自分が犯してしまった過ちがもとで自分が苦しむ)

し 知らぬが仏(事実を知らなければ仏のように穏やかで平然としていられる)

ゑ 縁は異なもの味なもの(男女の関係はどんな縁で結ばれるか分からず不思議なもの)

ひ 貧乏暇なし(生活に追われて時間の余裕がまったくないこと)

も 門前の小僧習わぬ経を読む(お寺のそばに住む子どもは自然とお経が読めるようになる9

せ 背に腹は変えられぬ(大事なことのためには多少の犠牲も仕方がない)

す 好きこそものの上手なれ(好きになったら下手のものも上達する)

ん 

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○いろはカルタの意味(その1)

い 犬も歩けば棒にあたる(何か行動を起こすと意外な幸運にめぐり合う)

ろ 論より証拠(あれこれ議論よりを証拠を示すのが一番)

は 花より団子(ハナミより食べる方がよい)

に 憎まれっ子世にはばかる(人に嫌われるような子に限って世間では幅を利かせる)

ほ 骨折り損のくたびれ儲け(苦労努力が報われず無駄になって疲れだけが残る)

へ 下手の長談義(下手な人ほど前口上や議論が長い)

と 年寄りの冷水(「老人が歳を考えずに無茶なことをしたり無理に元気ぶる)

ち ちりも積もれ山となる(ほんのわずかな物でも沢山積もれば大きな物になる)

り 律義者の子沢山(真面目で義理堅い律義者は家庭に尽くすので自然と子どもの数が多い)

ぬ 盗人の昼寝(泥棒は夜中に仕事をするので昼寝る、このことから何事もそれ相応の理由がある)

る 瑠璃も玻璃照らせば光る(瑠璃は宝石、玻璃はガラス、光を当てれば違うものでも同じように輝く)

を 老いては子に従う(歳をとったらすべて子に任せ従うのがよい)

わ 割れ鍋にとじぶた(割れた鍋に修理したふた、似た者同士の方が釣り合いが取れてうまくいく)

か 可愛い子には旅をさせよ(成長を願って試練を味あわせる)

よ 葦の髄から天井のぞく(細い葦の茎から天井を除くような狭い了見で判断する)

た 旅は道連れ世は情け(世渡りも互いを思いやって仲良くする)

れ 良薬は口に苦し(効き目のある薬は苦い、本人のためになる意見は厳しい)

そ 総領の甚六(長男は甘やかされて育つのでお人よしでおっとり者が多い世間知らず)

つ 月夜に釜ををぬく(明るい月夜の晩に大事仲間を盗まれることからひどく油断するたとえ)

ね 念には念を入れ(十分気をつけてもさらに気をつけて万全にする)


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○今年最後の講演旅行

 昨日は今年最後の講演旅行で岡山県倉敷市へ出かけました。そもそものきっかけは、今年の1月19日、岡山県公連の研修会が総社市山手公民館で開かれた時、ライフパーク倉敷の岡野さんと知り合い、そのことがご縁で今回の公民館管理職員等研修会に招かれることになったのです。

 昨日は四国の山々も初冠雪が見えるなど、寒い一日でした。伊予上灘駅を7時43分発の列車に乗り、松山で特急しおかぜに乗り換え、瀬戸大橋を渡って児島まで行きました。駅には岡野さんが迎えにきていただき、会場となるライフパーク倉敷に到着、女性職員の温かいお出迎えをいただきました。

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 昼食や懇談の後13時15分から90分、「公民館運営に求められるもの」(これからの公民館活動~地域づくりの拠点施設として~」をテー兄話をさせておらいあした。学校の校長先生や市役所OBが主体を占める公民館管理職員に対して、公民館のマネジメントスキルアップを分かり易く話したつもりですが、はてどんな受け止め方をされたのか知るよしもないのです。でも皆さん熱心に私の話を聞いていただきましたので、手応えは十分あったようです。昨日の私の話はドラッガーの経営哲学とでもいいたいような話をさせてもらいましたが、理解されたかどうかは多少疑問です。

 私が月刊公民館という雑誌の7月号に書いたように、・海や川が汚れて街が汚い、・学校が統廃合される、・限界集落が増えてきた、・青少年による犯罪が起きる、・青年団や婦人会がなくなる、・村祭りが消える、・農地が荒れる、・人間関係がギクシャクする、・自然が破壊される、・バスや列車が廃線になる、そんな社会の事象に気付きもせず、よしんば気がついても目と耳と口と鼻を塞ぎ、考えたり行動したりせず、海や川や街の汚染は生活環境課、限界集落やバス列車の廃線は総務課、農地のことは産業化の範疇だとそっぽを向き、青年団と婦人会がなくなるという公民館存亡に関わる問題でさえ、社会の流れだと言い訳をし、金がないから何も出来ないと言い訳をしているのです。

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 公民館は住民の命と暮らしを守り、住民の自治能力を育てるところです。その中心は館長であり、主事はその命を受けて仕事をするし、公民館運営審議会委員は館長の諮問を受けて答申をするのです。館長の役割はそのように重いのですが、相変わらず給料が安いとか、予算が少ないとか、職員の配置が悪いといった、外的要因のせいにしてやらないことをやれないといっている公民館が多いように思うのです。

 ライフパーク倉敷は市民学習センター、視聴覚センター、教育センター、科学センター、埋蔵文化財センターを併設する、文字通り総合的な生涯学習センターでした。

 帰りは岡野さんの配慮で、倉敷市街や水島コンビナート、瀬戸大橋が一望できる鷲羽山スカイライン経由で児島まで卓志で見送っていただきました。来年2月4日には再び区らしき女性まつり記念講演に出かける予定で、今から楽しみです。

  「公民館 管理する人 前にして 一席ぶつが 響くかどうか」

  「再雇用 された館長 やる気なら 地域変わると 熱弁ふるう」

  「金もなく 知恵も出なけりゃ 辞表出せ 辛らつ言葉 言わせてもらう」

  「迎え方 見送り方は 超一流 心に残る お出会いでした」

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