shin-1さんの日記

○注連縄作り

 家の中にお年寄りがいると、「やれ今日は縁起がよい日だ」とか「悪い日だ」とか難癖をつけて、様々な仕事の腰を折るのです。一昨日は大安でした。日がいいようなので親父は近所の農家から貰った藁をそぐって、正月の注連飾りを作る準備をしてくれました。ここまではよくできた親父なのですが、あと1週間と迫った正月までの日めぐりを見て、今朝早くから「今日は先勝だから日がいいので注連縄飾りを作ったらどうか」とやんやの注文です。私にも都合があって、作りかけている年賀状を今日中には終わらせないといけないと、予算を組んでいましたが、結局は親父の言いなりになって午前中注連縄作りをやりました。

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(私が作った注連縄飾り)

 親父の隠居の居間にゴザを敷き、ストーブを入れたその前で注連縄作りを行いました。今時はどの家庭でも注連縄はホームセンターなどで買ったものを使っているようで、わが家のように手づくりする家庭もめっきり減ったようです。「ホームセンターで買い求める注連縄飾りは縁起の良い日など選んで作らないのにと多少いぶかしく思いながらも、1時間ほどでおたまじゃくし10個、隠居玄関用1個、本宅玄関用1本、神棚用海老1個の計13個を作りました。

 作っている途中、帰省した従兄弟がやって来て、色々な話をしながら作りました。彼は学校を卒業すると直ぐに名古屋の自動車メーカーに就職し、あと2年で定年だそうです。釣りが趣味で遠くは沖縄久米島方面まで出かけるマニアで、これまでに70キロのキハダマグロや150キロのカジキを釣ったようで、私の注連縄作りを懐かしそうに写真に収めながら、マグロやカジキを釣った自慢の写真をカメラに内蔵した写真を見せてくれました。

 私の年末恒例の3つの仕事もこれで二つまで目鼻がつき、あとは注連縄飾り用のウラジロを裏山へ採りに行き飾り付けをすることと家のサッシ窓拭きだけとなりました。本当はウラジロ採りも窓拭き作業も今日辺りからやりたかったのですが、牛の峰周辺の山々に白い雪が積もったのが見えるほど寒波が押し寄せているので、今日はストーブを焚いて書斎の片付けでもしようかと思っています。

 親父が言うように、「暑い夏には冬がいいと思い、冬は寒いので夏がいいと思う」のです。暑さや寒さは歳をとると苦手で身体に堪えるようなのですが、親子ともども何とかこの冬も元気で乗り切りたいものです。それにしても今年の冬は寒いです。わが家から一歩出て山を見ると真っ白に雪化粧していました。海も大荒れで、猟師さんは当分漁に出れないのではないかと思われます。


  「縁起よい 吉日選び 注連飾り 私の代で これも終りか」

  「売っている 注連縄飾り いつ作る 小理屈いって 父に反抗」

  「教わりし 注連縄作り 息子には 伝わらずして 私で終り」

  「俺作る 注連縄飾り いい腕と 自分を褒める 一の大馬鹿」

 

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○高速道路を使って温泉とは・・・・

 昨晩は長男の住んでいるマンションで長女家族も加わって、クリスマスパーティをするというので誘われ、妻と二人で夕方出かけました。長男夫婦や長女夫婦には二人ずつ子どもがいて、私たちも孫の顔を見るのが楽しみなのです。長女の子どもたちは幼稚園も小学校も24日から冬休みになっていて、嬉しそうでした。建築関係の設計をしている長男はただ今のところ、土日もないほど忙しく働いていて、昨日も帰れずじまいでした。

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 妻ははパーティに行くにあたって何か差し入れをしてやりたいと思い、前もってお寿司屋さんにお寿司の盛り合わせを注文していたようでした。お寿司を取りに行ったついでに私たち夫婦も腹ごしらえをすることになりました。妻は、「おじいちゃんやおばあちゃんはお邪魔虫、お寿司を届けたら早々に退散しお風呂にでも行こう」というのです。「なるほど読みが深いと納得し、孫たちと少しの間遊んでやり、マンションを出ました。

 昨日はこの冬一番の寒さで、松山でも小雪がちらついていました。私たちがよく利用する星ヶ丘温泉も寒さの成果温泉は大入りでした。久しぶりの温泉なので出る時間を打ち合わせ、ゆっくりと温泉を楽しみました。星ヶ丘温泉は少し熱めの湯と少しぬるぬる感のある湯質が肌に合うのか、施設は古い温泉ながら気に入って時々利用するのです。温泉では風呂友とでも言うべき知り人かいて、世間話に花が咲きました。

 温泉で温まった後は夕食喪済ませているので、高速道路を走って帰ろうという相談になりました。温泉に入った後高速道路を使うとは何とも贅沢です。8時に星ヶ丘温泉を出て姑息道路を走ったお陰で自宅へ帰ったのは何と8時25分でした。妻は「まあ便利ねえ」と驚いた様子で、「これからも高速道路を使って温泉へ行きたい」と満足した様子でした。酒も飲まず、賭け事もやらず、真面目一方の亭主に変身した「優等生亭主」なので「風呂ぐらいは安いもの」とばかりに二人で納得した夜でした。


  「高速を 使って温泉 贅沢だ 酒も飲まない 故の楽しみ」

  「風呂友と 世間話に 花咲かせ すっかりご隠居 気分になりて」

  「サウナ風呂 水風呂後は ミスト入り 真冬というに 大汗かきて」

  「温泉は 何か分からぬ 癒しあり 夜もぐっすり 疲れて眠る」

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○今年も年賀状はパソコン対応

 今日は小雪ちらつくあいにくの天候で、外での仕事ができないことをよいことに、朝から書斎にこもって年賀状の印刷に追われています。先日松山の岡田印刷さんにメールで持ち込んだ、年賀状の印刷が校正を経て出来上がり、昨日宅配便で送られて来たので、その宛名を印字するのです。筆王というソフトを使って昨年打ち込んでいた住所氏名のデーターを呼び出し、亡くなった人の名前を消したり、新たにいただいた名刺を繰って追加したりと、少しだけ頭を使いましたが、住所氏名を印字するための修正がこれまた暇がかかる作業でした。

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(今年も年賀状600枚を仕上げました)

 数日前プリンターのインクカートリッジに不具合が生じ、どうしてもプリントアウトできなくなったため、友人の赤石さんに診てもらって、どうにかプリンターは動くようになりましたが、今もそのことが不安で、せめて年賀状の宛名プリントだけでも上手くできたらと願っています。

 私の元へは昨年も約1000枚の年賀状が舞い込みました。私が出した600枚をはるかに越える数字なので、400人の方には失礼ながら不義理をしているので、大意のないことをこの場を借りてお詫び申し上げます。

 在職中は届いた年賀状をチェックをして、遅ればせながらでも1月10日までには出していない全ての人に年賀状を出していましたが、今は退職をして自由な時間があるはずなのにやっていません。本当は一枚一枚昨年の年賀状を読み返して宛名や住所の調整をすればよいのでしょうが、それさえも年齢のせいにしてやらないのです。退職前に「仕事を辞めたら自由時間がたっぷりあるだろうから、その時は一枚一枚手書きで・・・」なんて思っていたことも、また「仕事柄の付き合いも役所を退職すれば終わるだろうからもっとコンパクトに少ない数にしよう」とか思ったことも、結局は元の木阿弥になってしまっているようです。

 今日はプリンターの調子もよく、私の名簿調整作業も順調だったので、ずっと重荷に感じていた年賀状作りも終りそうでホッと一息です。年末に私がやることと言えば年賀状書き、注連縄作り、家の窓拭きくらいですが、それでも私の年末3大行事の一つだけでも片付き、少し肩の荷が降りた感じがしています。

 やっと終わったと思い休憩をしていると、妻が「私の分もお願い」と手帳を持ってきました。年賀状もなくなりもう終りと思っていたのに、これから妻の分を入力しなければならなくなりました。妻は早速郵便局へ年賀状を買いに走ったようです。まあ肥後世話になっている妻の言うことも聞いておかねば・・・・。

  「一年に 一度年末 大仕事 年賀状書き 加えて二つ」

  「千枚も 来るのに四百 数減らし 六百枚で お茶を濁して」

  「退職を したら時間が あるはずと 六年経っても 時間は足りぬ」

  「便利だが 無機質年賀 どこか変 思いつ同じ 過ち犯す」

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○旧友新田優子さんから届いたクリスマスカード

 子どものころ、「明治は遠くなりにけり」なんて言葉を聞いて育った私ですが、いつの間にか平成生まれの子どもたちが沢山増えて、その人たちから言わせると、「昭和は遠くなりにけり」の感じがする今日このごろです。それでも終戦間近な昭和19年に生まれた私にとって、物のない時代とはいえ子どものころは復興や発展の足音が聞こえる、いい時代に少年や青年時代を過ごせて幸せだったようにも思えるのです。

 私たちの少年時代は田舎ゆえまだ旧正月の風習も残っていました。そんな時代でしたから、正月やお祭り、お節句などの賑やかさに比べ、クリスマスなんて行事は殆ど馴染みのないものだったように思うのです。

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 昨日はクリスマスイブでした。私の住んでいる田舎でさえ色とりどりのイルミネーションが飾られ、しかも個人の家さえも電飾を施しているのを見かけるようになり、無宗教ぶりな日本人の姿を肌で感じる今日この頃です。

 そんな昨日の昼ころ、郵便局員さんが一通の手紙を届けてくれました。真っ赤な封筒なので「えっ、何だろう?」と思い裏を見ると、神戸市須磨区に住む懐かしい旧友新田優子さんからでした。封を切ると中から綺麗なクリスマスカードが出てきました。添えた手紙には「毎日ブログを楽しく読ませていただいています」と書かれていました。そして「えひめ千本桜の森づくりプロジェクトに、神戸にいる私に協力することがありましたらお知らせ下さい」「16年前の地震の時には、全国の方々から温かい支援をいただき感謝しております」と書かれていました。

 新田優子さんとは、21世紀えひめニューフロンティアループ結成当時に知り合い、無人島へ行ったり丸木舟で瀬戸内海航海をしたり活動を一緒にした間柄なのです。その後嫁いで神戸に住んでいますが、あの頃は若かったフロンティアの仲間も禿や白髪が目立ち、定年を迎えるなどそれなりの年齢を迎えているのです。

 新田優子さんは当時幼稚園の保母をしていました。笑顔が素敵で知的な容姿はグループではマドンナ的存在で、みんなの憧れでもありました。あれから年月を重ねていて、失礼ですがどんなおばさんになっているのか、一度会って顔が見たくなりました。

 私は若いころから青年団活動やまちづくり活動に明け暮れ、多くの人にめぐり合い活動を共にしてきましたが、もう一度出会って旧交を温めたい人は何人もいますが、新田優子さんもその一人なのです。

 新田優子さんから届いたクリスマスカードを見ながら、私の近況をブログで読んでもらっている嬉しさと恥ずかしさが交錯しました。毎日人から見れば取るに足らないことを、いい加減に書いているに過ぎないからです。毎日千人近くの人が読んでくれているのだから、もっとましなことを書けばいいのでしょうが、浅学菲才な私には幾ら頑張っても書けないものは書けないと、自分自身で納得して書いているのです。

 今日は日本列島全体がまるで冷蔵庫の中に入っているような寒い日になり、西国四国も季節風が吹き荒れ初雪が舞っています。でも新田優子さんから届いたクリスマスカードを見ながら優子さんのことを思い出し、温かい気持ちになっています。


  「クリスマス カード届いて 世の中にゃ こんな俺でも 届ける人が」

  「初雪が ちらほら落ちる 寒い日に カード届いて 心ポカポカ」 

  「懐かしき 人の顔々 蘇る 若い時代に タイムスリップ」

  「あの頃は 俺も彼女も 若かった 私は爺 彼女熟年」 




 

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○「裏が味噌」のCM名刺リニュアール

 「裏が味噌」という奇抜なアイデアで人気を博した私のCM名刺も、たった1年で1000枚も作った名刺が瞬く間になくなり、今回ギノー味噌の田中社長のご好意と清水塾頭のアドバイスでリニュアールすることになり、準備や作業を進めていましたがこのほど村上太さんのお骨折りで出来上がりました。

 最初は味噌シリーズで「手前味噌」なんてことを考えて試作しましたが、スポンサーでありパトロンでもある田中社長のご意見を取り入れ、売り込み商品を差し替えるだけのリニュアールとなったのです。

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 名刺が印刷されて贈られてきたので一昨日、松山へ行く幸便もあったので早速ギノー味噌の本社へ届けに行きました。事前にアポイントを取っていたので田中社長と面談することができました。田中社長はいつもながら前向きな方で、面談には必ずメモ帳を持参して、ちょっとしたアイデアでも見逃すまいと、メモを取る姿はさすがです。名刺と請求書を渡して出ようとすると、「若松さんお約束のDVDプレーヤーをどうぞ」と、まだ封を切っていないプレーヤーを座卓の前に置きました。そういえば前回社員さん二人を交えた作戦会議に社長さんが持参して見せてくれたものと同じようなものなので、あの時メモをしていた約束を思い出しました。

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 べってりー内臓で2時間30分は持つというDVDプレーヤーは優れもので、どこでもDVDを見ることができるのです。社長さんは商談に使っているようですが、私もこれを町づくりに生かそうととっさに思いました。あの時見せてもらったアイパットもお金を貯めて買い求め、電光掲示板と同じように、メカに弱い田舎の人たちをあっと言わせてやりたいような心境になりました。

 何はともあれ次から次へ進化し続けている情報化道具類には目を見張るものがありますが、もうこれが限界と思いつつ、新しいものが好きな私ゆえ、このDVDプレーヤを使って、いい仕事をしたいと思っているこのごろです。


  「裏が味噌 CM名刺を 全国へ 配って話題 好評でした」

  「千枚の 名刺が既に 底をつき リニュアール名刺 再び配る」

  「DVD プレーヤーを いただきぬ 今度は何を リアルに仕組む」

  「また進化 遅いけれども 少しずつ 社会の波に 流されないで」

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○「サンタが空から降りてくる」と餅つき手臼

 「若松さん今日はお暇?、カレーができたので食べに来ませんか」と、お昼ころシーサイド公園のじゃこ天のお店から電話が入りました。妻も留守でそろそろ昼ご飯でもと思っていた矢先だったので、お昼ご飯の先にある魂胆は分かっていましたが、まあいいかと行くことにしました。

 昨日は「サンタが空から降りて来る」というクリスマス恒例のイベントが予定されていたためと、天気が良いため沢山の人で賑わっていました。じゃこ天のお店の横になる加工場では、賄い食として造ったカレーを既に何人かの従業員の女性が食べていました。私も請われるままにその輪の中に入りカレーをいただきました。

 野菜具沢山のカレーも白いご飯も味は一流で、立ち食いするのが勿体ないくらいの美味しさでした。カレーを食べながらいつもの通り、午後1時から予定されている「ダイガラ餅つき」の打ち合わせをしました。見れば書こう場の隅では既にボイラーの蒸気が五段蒸籠の上まで吹き上がり、外の広場にはダイガラも用意されて準備はすっかり万端のようでした。ダイガラ餅つきのため市役所支所の職員が沢山集まっていて、お馴染みの松本さんや米湊さん、大森さんも店頭で、愛媛大学農学部の学生さんと共に新商品の「UFじゃこ天」を実演販売していました。この「UFOじゃこ天」は先日松山のイベントで好評を博したと松本さんから聞いていたもののようでした。

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 やがて午後1時になると場内放送がされて、「ダイガラ餅つき」はスタートしました。サンタが空から降りて来る」というイベントに参加するために早めにやって来た親子連れが周囲を取り囲み珍しそうに見つめる中、大森さんが足踏み、松本さんが小づき、私が手臼を担当することになりました。私は少しでもイベントを盛り上げようと、観光協会の法被を着て作業を始めました。私と松本さんは4、5日前にも人間牧場で、8臼もの餅つきをやっていて、まだ腕や腰にその後遺症とも思える疲労感が残っていましたが、それでも一生懸命作業をしました。餅は白餅、粟、タカキビ、ヨモギ2の合計5臼です。

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 子どもも参加するイベントなので、手臼は余計時間がかかり、手も熱くなりましたし腰にも負担がかかりましたが、ギャラリーの音頭も加わって約一時間ほどで持ちつきイベントは終了しました。私は妻と約束し、催促の携帯電話のバイブレーションがズボンのポケットでなるのを無視していたので、片づけをみなさんに頼み、お餅をいただいて早々に引き上げました。

 帰りにパラグライダいに乗るためやって来ていた松上先生に久しぶりに出会って声を掛け、恋人岬から人工砂浜まで長い行列ができているのを見残し、後ろ髪引く思いでシーサイド公園を後にしました。

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  「餅つきの 手臼頼まれ ノコノコトと お礼にカレー 美味しくいただく」

  「楽しいね 仲間と餅つき ボランティア 腰に負担が やはり歳だね」

  「餅つきが どういう訳か イベントを 盛り上げてくれ 掛け声響く」

  「ダイガラで 餅をつくのは 珍しく いつの間にやら 人だかりして」 


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○今年最後の理事会

 昨日は私が学識理事を務めているコープえひめの月に一度の理事会の日でした。孫の希心が嘔吐下痢症になっていると息子から電話があったので、理事会に行く途中で息子の住むマンションに立ち寄りました。妻はうつるから立ち寄らないようにと言われましたが、見舞いを兼ねて顔を見に行きました。

 孫希心君も奏心君も二人とも症状は落ち着いていてすっかり元気を取り戻しているようでした。来週には孫たちも冬休みに入るので、迎えに行ってイクメンならぬイクジイ(育爺)をやりたいと思っています。

 さて昨日は今年最後のコープえひめの理事会は、時間の大半を一年を振り返り来年度のあり方を探るグループ討議でした。普通は聞き役だけの学識理事ですが、同席した理事長さんの求めに応じて私もショートなコメントを話しました。私が学識理事に就任して5年になります。その間時代は大きく変わり、変わろうとしています。多分5年後にはもっと変わっているのではないかと思われます。日々の暮らしに埋没していると虫の目になり過ぎて、鳥の目を見失うのです。理事会は鳥の目を意識しなければなりません。情報化や高齢化、男の主婦ならぬ主夫化、組合員の若返りなど、様々な問題が立ちはだかっています。

 地域理事さんの話に耳を傾けながら、私ももう少し学識理事としての役割を果たさなければならないと思い、横に座った理事長さんに私にできることを一言二言お話をしました。それは先日私の所にかかってきた電話で、「あなたがコープえひめの機関紙に書いておられた記事が、私たちのグループで話題になりました。私も若松さんの書かれたコラム記事を、切り抜いてコピーして皆さんに配りました」と唐突に言われました。「日ごろ目にする生協関係の人の話とはまったく違う視点や異文化を感じました」と言われ、その洞察に驚くとともに、学識理事になりながら今まで、何のお役にも立っていないと心苦しく思っていた私でしたが、多少救われた感じがしたのです。そして多少嬉しくなりました。

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 理事会が終了し、夕方から道後の茶波瑠というホテルで忘年会がありました。毎年使うホテルなのですが、二階の会場はダイニングキッチンを供え見違えるようにリニュアールされて多少驚きました。私たちのような古い人間には多少落ち着かない感じもしましたが、若い理事さんたちはお洒落な感覚に満足し、次々と出てくる料理を楽しんでいました。間違い探しゲームや抽選会で盛り上がり、私もご指名に甘えてゲームやハーモニカの即興でお茶を濁しました。私の忘年会もこれが最後です。酒は飲めなくても酔ったような気分で、横に素敵な女性が座ったものですから、ウーロン茶を3枚もお替りしてしまいました。楽しい夜でした。


  「三杯も お茶をお替わり 忘年会 女性にもてた 勘違いでした」

  「この五年 時代確実 変わってる 変わらないのは 俺の感覚」

  「電話にて あなたの記事を 切り抜いて しまっていると 嬉しい言葉」

  「お茶だけで 酔った勢い ハーモニカ ゲーム交えて ついつい本音」

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○一年中で夜が一番長い冬至

 「菜の花やつきは東に日は西に」とは春の言葉ですが、昨日は一年中で最も夜の長い冬至でしたが、「月西に傾く冬至陽は東」とでも詠みたくなるようなまん丸いお月様が、朝海の上にぽっかりと浮かんで見えました。そういえば前日は皆既月食とかで、天体ショーを期待していましたが、北海道の一部を除けば日本列島の殆どの地域では、残念ながらお月様を見ることができず、天文ファンをがっかりさせたようです。

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(あいにく皆既月食は見えなかった冬至の日の朝の美しいお月様)

 私のようにこの30年を超えて夕日に魅せられ、夕日のことを普通の人以上に知っていると自負する男ながら、月のことについてもっと知りたいと思っています。というのは私たちの住んでいる日本は、私の子どものころまで旧暦で色々な年中行事をやっていたし、わが家が漁家で月の影響を受ける満潮・干潮・大潮・小潮などが漁師の暮らしと切っても切れない重要な意味を持っていたからです。


 子どものころに、「潮は何故満ちたり引いたりするのだろう」と不思議に思ったものでした。さらに私が漁師をしていたころ、潮を的確によんで鯛獲りの名人と言われた親父から、「潮をよめないと漁はできぬ」と散々教えられ、潮見の上手かった親父を尊敬したりしましたが、その後潮と無縁の役場に勤めるようになってしまいましたが、子どものころからの疑問は何ら解決していないことに気付くのです。


 退職と同時に始めた家庭菜園での野菜作りや人間牧場農場での農作業なども、全て太陰暦を意識した方が上手く行くことについ最近納得しているのです。昨日は24節季のひとつ冬至でした。わが家でも旧暦の言い伝えどおり、冬至まで取って置いたカボチャを使って妻がカボチャスープを作ってくれていました。あいにく忘年会で夕食は食べて帰りましたが、カボチャスープだけは美味しくいただきました。

 昨日の夜は島根県雲南市吉田村の松島さんから送られてきた柚子をお風呂に浮かべ、冬至湯も楽しみました。昔から「冬至カボチャを食べ柚子湯に入ると風邪を引かない」と言われているので、これで今年の冬も元気で過ごせそうです。これまでは毎日、月の存在など意識もせずに暮らしていましたが、月の恩恵を感じながら日本の四季や農作業を見つめなおして見たいと思いました。

  「楽しみに していた皆既 月食も 雨にたたられ 見えずお終い」

  「西の空 見ればポッカリ 丸い月 今日は冬至か 夜が長いな~」

  「柚子湯入り 冬至カボチャの スープ飲む これでこの冬 風邪は引かぬぞ」

  「太陰の 暦暮らしに 生きている 先祖諺 納得しつつ」

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○六字の生活

 昨晩疲れて早く寝たために、その分常日頃より30分も早く目が覚めてしまいました。同じ布団に寝ている妻は12時近くまで起きて台所で何やらゴソゴソやっていました。察するに今日の夕方妻の友達たちがやって来てたこ焼き忘年会をやるというので、その準備や掃除をしていたのでしょう。多分妻はまだ1時間半も布団の中で寝ているのです。妻とは夫婦を40年近くもやっているのに、私は遅寝早起き、妻は遅寝遅起きなので、毎日の事ながらすれ違いの日々を暮らしているのです。

 毎朝の日課であるブログを一本書き終わったところで、メールを開けると島根県の友人Mさんからメールが届いていました。Mさんから頼まれて来春早々講演に行く予定が組まれていて、そのレジメをメールで送信するよう頼まれていたのですが、肝心のメールアドレスを聞き忘れ、電話をしても連絡が取れず、「急ぐ」といっていたのにと悶々の夕方でした。仕方ないのでこれまで一年間の受信メールを呼び出しながら今年の1月頃に届いたメールを見つけ資料を送りました。

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 Mさんのメールには、「先日旅した尾道市瀬戸田耕三寺の境内で見つけた一枚の看板の写真が添付されていました。以前はメールで送られてきた写真を取り込む技術もなかったのですが、今はこうして転載が出来るようになりました。

 六字の生活と書かれた南無阿弥陀佛の教えです。①南(何)の不足を言うな、②無かし(昔)を忘れず報謝せよ、③阿す(明日)と言わず今日精出せ、④弥名(皆)を讃えてたしなめ、⑤陀れ(誰)にでも愛語を使え、⑥佛に抱かれ安気に暮らせと書いているのです。

 なるほどなるほどと感心しながら、早起きは三文の得ならぬ六字の徳を教わりました。私は少しでも立派な人間になろうと頭では思って毎日生きていますが、まだまだ修行が足りぬのか、この六字の教えを読んでハッとすることばかりでした。「六字の教えを守り今日一日をニコニコ暮らせ」と諭していますが、はてさて中々こんなには生きれないのです。それでもこの教えを守って少し前へ、もう一歩前へ、さらに前へ進みたいと思いました。

 一年中で最も夜の時間が長い冬至の頃となりました。今日もまた短い昼と永い夜を足せば24時間の一日をニコニコしながら生きて行きたいものです。


  「早起きは 三文ならぬ 六字徳 学びて今日を ニコニコ生きる」

  「六字読み 中々こうは 生きれぬと 言葉打ち消す これでは駄目だ」

  「世の中は 便利になった そのうちに 人間さえも 伝送するかも」

  「文字秘めた 南無阿弥陀佛 いう教え 納得しつつ お経を唱え」

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○ささやかな夢の缶詰

 平成17年3月31をもって35年間務めた役所を退職してから、早いもので6年目を迎えています。役所に勤めていたころは1年に2回あって楽しみだった夏と冬のボーナス支給日も、毎月1回の給料日もなくなり、替わって1年に6回の年金支給日が新たに加わりました。何やかにやと天引きされて減る一方の年金暮らしは、わが家の大蔵大臣として財布を預かる妻としては予想以上に不安なようで、このままだとどうなるのだろうと思っているようです。

 そんな老後の少し湿りがちな暮らしに少しでも笑顔を取り入れたいと、夫婦で相談して始めたことがあります。それはわが家では「夢の缶詰」と呼んでいる貯金箱作戦なのです。菅総理の今年の冬のボーナスが500万円と聞いて驚いたり羨ましがったりしても、菅総理からはそのはした金さえ分けてもらえないのですから、菅総理ならぬ缶詰総理などと夫婦二人で駄洒落をいいながら、毎年1年間少しだけ勘弁したはした金をせっせと缶詰型の貯金箱に入れているのです。

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(開封されたわが家の「夢の缶詰」

 そして年末の20日前後に夫婦2人でこの缶詰の蓋を缶切りで開けるのです。昨日その作業を食事が終わり方付けが一段落したのを見計らって、「お父さん楽しみだね」と言う妻が缶切りを用意して切り始めました。こんなささやかな夢の缶詰でもドキドキするもので、缶を開けて逆さまにすると、中から大小様々なコインやお札が音を立てて出てきました。妻は「わあ凄い」と感嘆の声です。「あのお札はあの時俺が入れたものだ」何て想像しながらお札のしわを伸ばし、コインは1円、5円、10円、50円、100円、500円と種類別に積み重ねて行きました。

 妻は小さな電卓とソロバンまで準備する周到さで、「500円が○○枚で○○円」などと計算していましたが、「はい今年のボーナスは締めて○○円」と大きな声で発表しました。勘弁して貯めたお金なので決して多い金額ではありませんが、私も妻も心から満足し「これで正月が越せる」などと大見栄を切りました。こんなはした金で正月が越せる訳はないのですが、それでも夢の缶詰はささやかな夢を与えてくれているのです。「今度松山に行ったついでに100円ショップで夢の缶詰用の貯金箱を買ってきてね」と妻に頼まれました。


 一方私は夢の缶詰とは別に、郵便局で貰った郵便ポスト型の底穴開封式貯金箱を使っています。これは私のささやかな夢のために使うものです。パソコンやデジカメなどの故障の度に、開けて使っています。この貯金箱のお金で最初のデジカメも買いましたし、パソコンを購入する時も用立てました。この貯金箱はまだ開封せずに越年して、夢をどんどん膨らませようと思っています。他愛のない夢の缶詰やポスト貯金箱に夢を託す私たち夫婦はやはり勿体ないが分かる振るい人間なのでしょうか?。

  「菅総理 ならぬ私は 缶総理 夢の缶詰 年末開封」

  「正月が 越せると妻は 大見栄を 年金暮らし 何処か侘しく」

  「昔から 塵も積もれば 山となる いろはカルタで 習ったとおり」

  「来年は どんな缶詰 しようかな? 100円ショップ 買いに行こうか」


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