shin-1さんの日記

○旧暦の暦に納得

 年末のこの時期になって、年輪塾の清水塾頭から塾生宛にメールが届きました。「年末年始は日本列島が大荒れの天気です。十分ご注意を」というものです。清水塾頭は今でこそ珍しくなくなりましたが、当時は珍しい初期の頃の気象予報士の資格を持っているのです。ゆえに私たち常識人とは少し違った考えや行動をするのですが、それは私が単に常識人だと思っているだけで、清水塾頭から見れば私たちの方がはるかに非常識人なのです。彼は折に触れ旧暦について薀蓄を語ります。現在日本は新暦を使っていますが、こと農業や漁業などに関しては未だに旧暦の方がはるかに説明のつくことが多いようです。ちなみに清水塾頭は年賀状は旧暦で出すそうです。これについては常識か非常識か意見が分かれるところです。

 浅学な私には旧暦のことなど余り分かりませんが、それでも潮の満ち引きで漁を7年間もやった元漁師の景観から、一般の人よりは清水塾頭の話が理解でき納得できるのです。

 机の上に高島易断所本部編纂「平成23年暮らしのこよみ」というのが置いています。愛媛新聞社が読者のために届けてくれたわずか32ページの薄っぺらいものですが、折に触れ中を読んでみると、知らないことが一杯書かれていました。運勢などは信じないたちなので読む気もありませんが、1ページ目の辛卯平成23年の略歴だけは頭に入れておきたいと思いました。

 24節気によると、小寒は1月6日、大寒1月20日、立春2月4日、雨水2月19日、啓蟄3月6日、春分3月21日、清明4月5日、穀雨4月20日、立夏5月6日、小満5月21日、芒種6月6日、夏至6月22日、小暑7月7日、大暑7月23日、立秋8月8日、処暑8月23日、白露9月8日、秋分9月23日、寒露10月9日、霜降10月24日、立冬11月8日、小雪1月23日、大雪12月7日、冬至12月22日と書かれています。

 雑節にも節分2月3日、八十八夜5月2日、入梅6月11日、半夏生7月2日、二百十日9月1日とありました。雑節の節分や入梅、二百十日は馴染みの深い季節言葉なので24節気かと思っていました。

 さて明日から始まる来年の旧正月は暦によると2月3日節分と重なります。伊予路に春を呼ぶと言われる椿祭りは旧暦の2月7日ですから来年は今年より早い2月9日から3日間行われます。

 私の誕生日は10月3日ですが、その欄に若松進一誕生日なんては書かれていませんが、「一粒万倍日」と書かれています。一粒の種が万倍に増える日とされ、古来から事始に用いられ、特に商売始め、開店などに吉とされています。反面増えて多くなる意味から、人から物を借りたり借金するのには不向きの日だそうです。

 清水塾頭の予言メールの通り、この数日地元で「おねあがり」という言葉ががるように、次から次へと寒波が押し寄せ、大荒れの天気となりました。この分だと今日だけしかない年末も、明日から始まる年始も大荒れのようです。まあ仕事もない年末年始のこの時期なので、のんびりゆっくりストーブやコタツを友として過ごしたいと思っています。


  「旧暦や 尺貫法は 今もなお 暮らしの中に しっかり生きて」

  「菜園を 耕すように なり思う 旧暦暦 いちいち納得」

  「わが家でも 息子の代に 旧暦は 言葉通じず 忘れ去られる」

  「旧正月 来年早く 来るゆえに 寒さも早い 納得しつつ」 

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shin-1さんの日記

○自分の過去は作り直すことができるか

 今年も色々なことがありましたが、一年365日の日輪を加えながら一つの年輪を刻もうとしています。自分のこの一年、そしてこれまで生きてきた66年の人生を振り返ると、過去となった日々が懐かしく思い出されるのです。私はどちらかというとポジティブな人間ですから貸しボート人生、つまり余り過去を振り向かず生きていこうと思い、辛かったり苦労したことなど余り考えずに生きてきました。そんな私を見て妻は、「あなたは楽天的だから」と言いますが、私にだって試練は一杯あったのです。でもそれを嘆いたところで自分を助けてくれる人は殆どいないし、自分が惨めになるだけなのです。

 近頃ふと思うのですが、自分の過去は歩んだ道なので変えようがないと思っていたのに、「過去は作り直すことができる」と思い始めたのです。多分誰もが「そんなことはない」と反論するでしょうが、例えば夕日をテーマにしたまちづくりなど、私自身が半信半疑だったのですから、誰もが信じてくれないのは当たり前なのです。次々と襲い来る不安におののきながらも、また大きな反対のうねりに飲まれながらも、一生懸命努力してきました。結果的には何とか突破口を見出し一定の成果を収めることができました。ある意味ラッキーエンドでしたが、それは今の自分がある意味それなりの生き方をしているからそう思えるのです。

 人間は幾つかのスライドのようなコマを持っています。過去を振り返る時、幸せなスライドのコマがリセットされると、過去は幸せなドラマになるのです。人間の記憶とはそれ程いい加減なものですから、自分の過去というドラマは幾らでも作り直すことができるのです。

 私にとって思い出したくない過去の中に、宇和島水産高校の実習船で珊瑚海までマグロを追った遠洋航海があります。この時期になって海が大時化になった時ふと思い出すのは、正月過ぎの1月14日、マグロを腹いっぱい抱えた実習船愛媛丸は伊豆半島沖で、思わぬ低気圧の洗礼を受け、1時間に1ノットという速さで船を風上に立てるのがやっとの状態でした。船長の「船が沈没して死ぬかも知れない」という言葉に、若干18歳の私たちはパニックになりました。

 船は幸運にも低気圧の中から脱出し、二日後幸運にも水平線の彼方に富士山を見ることができたのです。今はその恐怖など忘れていい思い出として記憶に残っています。これは紛れもなく私自身が、過去をポジティブドラマに作り直すことができたからなのです。

 そう思えばいい加減ゆえの過去をどんどん自分流に作り直して生きた方が得策だと思うのです。ただし絶対できないこともあるのです。例えば大学へ行きたかったのに私は、親父がガンで倒れ帰郷しなければなりませんでした。これは紛れもない事実ですから大学を卒業したなどと?のドラマを作ることはできません。よく政治家が「○○大学留学」などと?を言い、学歴詐称で世間の批判を浴びて折角つかんだ当選を辞任に追い込まれたりするのです。

 過去と正しく向き合う、そして事実は事実として受け止め、いい生き方のよすがにしたいと、今日が最後で終わる2010年の大晦日の朝思いました。


  「三六五 日輪刻み 終わろうと している今年 いい年だった」

  「また一つ 年輪刻む 重さかな 目出度正月 目出度くもなし」

  「過去などは 変えれないもの 思ってた いやいや違う 変えれるはずだ」

  「明日からと 言わず今日から 始めよう さすれば結果 もっと成果が」

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