shin-1さんの日記

○六字の生活

 昨晩疲れて早く寝たために、その分常日頃より30分も早く目が覚めてしまいました。同じ布団に寝ている妻は12時近くまで起きて台所で何やらゴソゴソやっていました。察するに今日の夕方妻の友達たちがやって来てたこ焼き忘年会をやるというので、その準備や掃除をしていたのでしょう。多分妻はまだ1時間半も布団の中で寝ているのです。妻とは夫婦を40年近くもやっているのに、私は遅寝早起き、妻は遅寝遅起きなので、毎日の事ながらすれ違いの日々を暮らしているのです。

 毎朝の日課であるブログを一本書き終わったところで、メールを開けると島根県の友人Mさんからメールが届いていました。Mさんから頼まれて来春早々講演に行く予定が組まれていて、そのレジメをメールで送信するよう頼まれていたのですが、肝心のメールアドレスを聞き忘れ、電話をしても連絡が取れず、「急ぐ」といっていたのにと悶々の夕方でした。仕方ないのでこれまで一年間の受信メールを呼び出しながら今年の1月頃に届いたメールを見つけ資料を送りました。

若松進一ブログ

 Mさんのメールには、「先日旅した尾道市瀬戸田耕三寺の境内で見つけた一枚の看板の写真が添付されていました。以前はメールで送られてきた写真を取り込む技術もなかったのですが、今はこうして転載が出来るようになりました。

 六字の生活と書かれた南無阿弥陀佛の教えです。①南(何)の不足を言うな、②無かし(昔)を忘れず報謝せよ、③阿す(明日)と言わず今日精出せ、④弥名(皆)を讃えてたしなめ、⑤陀れ(誰)にでも愛語を使え、⑥佛に抱かれ安気に暮らせと書いているのです。

 なるほどなるほどと感心しながら、早起きは三文の得ならぬ六字の徳を教わりました。私は少しでも立派な人間になろうと頭では思って毎日生きていますが、まだまだ修行が足りぬのか、この六字の教えを読んでハッとすることばかりでした。「六字の教えを守り今日一日をニコニコ暮らせ」と諭していますが、はてさて中々こんなには生きれないのです。それでもこの教えを守って少し前へ、もう一歩前へ、さらに前へ進みたいと思いました。

 一年中で最も夜の時間が長い冬至の頃となりました。今日もまた短い昼と永い夜を足せば24時間の一日をニコニコしながら生きて行きたいものです。


  「早起きは 三文ならぬ 六字徳 学びて今日を ニコニコ生きる」

  「六字読み 中々こうは 生きれぬと 言葉打ち消す これでは駄目だ」

  「世の中は 便利になった そのうちに 人間さえも 伝送するかも」

  「文字秘めた 南無阿弥陀佛 いう教え 納得しつつ お経を唱え」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ささやかな夢の缶詰

 平成17年3月31をもって35年間務めた役所を退職してから、早いもので6年目を迎えています。役所に勤めていたころは1年に2回あって楽しみだった夏と冬のボーナス支給日も、毎月1回の給料日もなくなり、替わって1年に6回の年金支給日が新たに加わりました。何やかにやと天引きされて減る一方の年金暮らしは、わが家の大蔵大臣として財布を預かる妻としては予想以上に不安なようで、このままだとどうなるのだろうと思っているようです。

 そんな老後の少し湿りがちな暮らしに少しでも笑顔を取り入れたいと、夫婦で相談して始めたことがあります。それはわが家では「夢の缶詰」と呼んでいる貯金箱作戦なのです。菅総理の今年の冬のボーナスが500万円と聞いて驚いたり羨ましがったりしても、菅総理からはそのはした金さえ分けてもらえないのですから、菅総理ならぬ缶詰総理などと夫婦二人で駄洒落をいいながら、毎年1年間少しだけ勘弁したはした金をせっせと缶詰型の貯金箱に入れているのです。

若松進一ブログ
(開封されたわが家の「夢の缶詰」

 そして年末の20日前後に夫婦2人でこの缶詰の蓋を缶切りで開けるのです。昨日その作業を食事が終わり方付けが一段落したのを見計らって、「お父さん楽しみだね」と言う妻が缶切りを用意して切り始めました。こんなささやかな夢の缶詰でもドキドキするもので、缶を開けて逆さまにすると、中から大小様々なコインやお札が音を立てて出てきました。妻は「わあ凄い」と感嘆の声です。「あのお札はあの時俺が入れたものだ」何て想像しながらお札のしわを伸ばし、コインは1円、5円、10円、50円、100円、500円と種類別に積み重ねて行きました。

 妻は小さな電卓とソロバンまで準備する周到さで、「500円が○○枚で○○円」などと計算していましたが、「はい今年のボーナスは締めて○○円」と大きな声で発表しました。勘弁して貯めたお金なので決して多い金額ではありませんが、私も妻も心から満足し「これで正月が越せる」などと大見栄を切りました。こんなはした金で正月が越せる訳はないのですが、それでも夢の缶詰はささやかな夢を与えてくれているのです。「今度松山に行ったついでに100円ショップで夢の缶詰用の貯金箱を買ってきてね」と妻に頼まれました。


 一方私は夢の缶詰とは別に、郵便局で貰った郵便ポスト型の底穴開封式貯金箱を使っています。これは私のささやかな夢のために使うものです。パソコンやデジカメなどの故障の度に、開けて使っています。この貯金箱のお金で最初のデジカメも買いましたし、パソコンを購入する時も用立てました。この貯金箱はまだ開封せずに越年して、夢をどんどん膨らませようと思っています。他愛のない夢の缶詰やポスト貯金箱に夢を託す私たち夫婦はやはり勿体ないが分かる振るい人間なのでしょうか?。

  「菅総理 ならぬ私は 缶総理 夢の缶詰 年末開封」

  「正月が 越せると妻は 大見栄を 年金暮らし 何処か侘しく」

  「昔から 塵も積もれば 山となる いろはカルタで 習ったとおり」

  「来年は どんな缶詰 しようかな? 100円ショップ 買いに行こうか」


[ この記事をシェアする ]