shin-1さんの日記

○合併の周辺で(その②)

 一昨日に続いて愛媛新聞の一面総合の左隅に、「記者が歩く」という企画記事「合併の周辺で」双海町の様子が紹介されています。「住民が甘え捨てんと」というタイトルは、末尾に締めで紹介されている富岡喜久子の言葉から引用されているようです。

 ~前略~そこにシーサイド取締役の富岡喜久子さん(80)が現れた。伊予市・中山町・双海町合併協議会の委員を務めていた一人。冷たい風が吹く屋外で話した。

 「行政が何とかしてたんは町のときまで。合併したら抱えるものが多いんじゃから、どっか抜けてくるのは当たり前。『あれが悪い』『これが悪い』ではいかん。もらうもんもろて、払うもん払わなかったらもたんでしょう?住民が甘えを捨てんと」。諭すような口調にただうなずくしかなかった。~後略~

 考えさせられる言葉ですが、合併後6年近くの行政サービスを肌で感じている地域住民のわだかまりを説得できないのも正味なところです。

若松進一ブログ

 行政は合併以来参画と協働を住民に訴えています。しかし限界集落や準限界集落を数多く抱える過疎と高齢化と少子化の波に翻弄され続け、将来への不安を肌で感じているている住民に地域自立を声高に訴えても、最早自立するだけの余力はないものと思わなければならないようです。

 市役所支所の職員もそんな実情を察してか、これからの地域のあり方を探るため、集落へ出向いて対話集会を開いていると聞きました。かつて私が公民館主事時代移動公民館と称し自治公民館を回って意見を求めた手法とまったく同じなのです。時代は変わってもそうした職員と住民の歩み寄りがある限り、いい地域づくりのアイディアは生まれるのです。

 本当の行政サービスとは補助金や助成金を住民に上げることではなく、職員が住民の暮らしと生産の現場に出向いて汗と智恵を出すことであることを、私たちは知らなければならないのです。若い職員が集落めぐりをし始めている話を聞いて、私は胸が熱くなりました。

 私ももう一分張り、若い職員の支援者となって地域づくりのお手伝いをしたいと思っています。

 今朝は「新聞を見た。読んだ」という電話がひっきりなしにかかってきました。勿論この新聞記事もですが、8面地方版に出た、下灘中学校跡地への桜の植栽記事の反響です。「お前はいい事をしてくれている」「わしらも負けられん」という励ましの言葉でした。

 

  「久方に 二日続けて 新聞に 双海が載った 昔日思う」

  「甘えたら いかんというが 合併後 余りの落差 不平不満に」

  「職員が 集落回り していると 風の便りに 久々嬉し」

  「もう少し 人のお役に 立ちたいと 心新たに 思い巡らす」 

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shin-1さんの日記

○合併の周辺で(その①)

 12月18日土曜日のえひめ新聞1面(総合)、「記者が歩く」という企画記事欄に私たちの町双海町のことがルポされました。この記事は平成の大合併による市町村再編成のその後を、記者の視点で書いているものです。シリーズもので今回の記事はNo⑨ですが、今回は合併によって平等や平準化されようとしている児童クラブの現状について切り込んでいます。

若松進一ブログ

 双海町下灘地区ではいち早く県下に先駆けて児童クラブを立ち上げました。過疎の地区、しかも第一次産業しかない地区では、両親が農業や漁業をやっているため、学校が終わっ子どもたちが自宅へ帰っても、留守だし近所に遊び相手の子どもがいないのです。子どもを安心と安全な環境の中で守るには、夕方まで子どもたちを預かってくれる場所が欲しい・必要という観点から、児童クラブをコミュニティセンター内に、先進的に作りました。

 地域の親は大助かりで、仕事が終わると指導員を配置して指導してくれているコミュニティーセンターへ迎えに行き、子どもを連れて夕闇迫る道を家路へと急ぐ風景は何ともほほえましいものでした。

 ところが6年前に伊予市と合併し6年が経過すると、旧伊予市にも旧中山町、旧双海町上灘地区にも下灘学童クラブに似たクラブができると、それらの参加者が利用料金を払っているのに、下灘だけを特別扱いできないといういう理由から、利用料金を取るよう市役所から指導があるというのです。

 これまでは誰でも行けた児童クラブが、お金を払っていない子どもは行けなくなりそうなのです。利用者負担の原則と公共施設利用の原則の狭間でちょっとした熱い議論が交わされていますが、市の公平の原則と、合併時に市民が聞いていた「公共サービスは高い方に、公共料金は安い方にあわせる」という口約束の矛盾が浮かび上がっているのです。大人の問題ならまだしも、子どもを巻き込んだ問題だけに、せめて先進的に取り組んで成果を上げてきたものくらいは、何を勘弁しても残して欲しいという理論も成り立つのです。


 一事が万事中央に合わせられるという住民の諦めと、上位下達や平準を理由とする行政の前に軍配はお上に上がるのでしょうが、果てさてお金を払っていない子どもは門前払いという仕打ちに、子どもは果たして何処へ行けばいいのでしょうか。どちらの言い分も理解できるだけに、ここは一休さんか遠山の金さんの智恵やお裁きをしてもらわなければならないかも・・・・。

  「旧町が 智恵を凝らした やり方も 平等名の基 次第に消えて」

  「新聞が 問題提起 したことを どんな解決 するのかはてな?」

  「高い方 合わせる不満 あれやこれ これでは血圧 までもが上がる」

  「金のない 子どもは来るな 門前で 色分けされる これも悲しい」


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