○12月14日と言えば?
「12月14日と言って思い出すものはな~んだ」と聞かれると、一瞬「えっ」と思うに違いありません。「誰かの誕生日?」だとか言う人もいますが、私などは人間が古いのか賞味期限が切れているのか、「赤穂浪士の討ち入りの日」をいの一番に思い出すのです。そして「時は元禄14年12月14日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、一打ち二打ち・・・・・・・」と、三波春夫が歌った歌を思い出すのですから相当古い人間なのです。
子どもの頃には映画館で忠臣蔵の映画を、大きくなってからはテレビで同じく忠臣蔵の番組をどれ程見てきたことでしょう。義士といわれる大石内蔵助以下四十七士の活躍の場面に、胸躍らせ涙した数は数え切れないのです。忠臣蔵にゆかりのある日本全国の各地では今日、この寒空の下で連綿と続く恒例行事を催していて、その様子がテレビで朝から紹介されていました。
子どもの頃「大石内蔵助」という字や「大石主税」という字が読めなくて、友だちが「ないぞうのすけ」や「しゅぜい」と読んで大笑いしたことも懐かしい思い出のようです。ちなみに主君である浅野内匠頭長矩や仇となった吉良上野介義央の名前も子どもの頃は読めませんでした。
仇討ちなど昔の話には不明な点が多く、その後歌舞伎や芝居になると随分脚色されて美談化され、当時は幕藩体制の中での出来事ゆえに、何が真実か分からない部分も多くあるようです。
日本人はこれ程文明の世の中になっても、頭にちょんまげを結い腰に刀を差して歩くころの時代劇が好きで、12月14日になると決まったように時代劇ドラマが再現されるのです。役所広司さんの主演で佐藤浩市さんたちが「最後の忠臣蔵」という映画に出演いるようです。
妻に「この映画を見に行こう」と誘ったら多分、「私は別の映画を見たいので、一人でどうぞ」というに決まっているのでいいませんが、もうそろそろ日本人の頭から「12月14日=忠臣蔵」という記憶が消えても良さそうだと思うのですが、やはり日本人は判官びいきなのでしょうか。
ちなみに元禄14年は1703年なので今から307年前、14日は旧暦ですから新暦だと1月30日の出来事のようです。
「12月 14日と言えば 何の日か? 聞かれて赤穂 私は古い」
「この頃に なると何故だか 忠臣蔵 300年も 前の出来事」
「テレビにて 大河ドラマの 始まりは 忠臣蔵を 見たと記憶し」
「いつの世も 人の心の あり様で 歴史は動く しみじみ思う」