shin-1さんの日記

○旧暦の暦に納得

 年末のこの時期になって、年輪塾の清水塾頭から塾生宛にメールが届きました。「年末年始は日本列島が大荒れの天気です。十分ご注意を」というものです。清水塾頭は今でこそ珍しくなくなりましたが、当時は珍しい初期の頃の気象予報士の資格を持っているのです。ゆえに私たち常識人とは少し違った考えや行動をするのですが、それは私が単に常識人だと思っているだけで、清水塾頭から見れば私たちの方がはるかに非常識人なのです。彼は折に触れ旧暦について薀蓄を語ります。現在日本は新暦を使っていますが、こと農業や漁業などに関しては未だに旧暦の方がはるかに説明のつくことが多いようです。ちなみに清水塾頭は年賀状は旧暦で出すそうです。これについては常識か非常識か意見が分かれるところです。

 浅学な私には旧暦のことなど余り分かりませんが、それでも潮の満ち引きで漁を7年間もやった元漁師の景観から、一般の人よりは清水塾頭の話が理解でき納得できるのです。

 机の上に高島易断所本部編纂「平成23年暮らしのこよみ」というのが置いています。愛媛新聞社が読者のために届けてくれたわずか32ページの薄っぺらいものですが、折に触れ中を読んでみると、知らないことが一杯書かれていました。運勢などは信じないたちなので読む気もありませんが、1ページ目の辛卯平成23年の略歴だけは頭に入れておきたいと思いました。

 24節気によると、小寒は1月6日、大寒1月20日、立春2月4日、雨水2月19日、啓蟄3月6日、春分3月21日、清明4月5日、穀雨4月20日、立夏5月6日、小満5月21日、芒種6月6日、夏至6月22日、小暑7月7日、大暑7月23日、立秋8月8日、処暑8月23日、白露9月8日、秋分9月23日、寒露10月9日、霜降10月24日、立冬11月8日、小雪1月23日、大雪12月7日、冬至12月22日と書かれています。

 雑節にも節分2月3日、八十八夜5月2日、入梅6月11日、半夏生7月2日、二百十日9月1日とありました。雑節の節分や入梅、二百十日は馴染みの深い季節言葉なので24節気かと思っていました。

 さて明日から始まる来年の旧正月は暦によると2月3日節分と重なります。伊予路に春を呼ぶと言われる椿祭りは旧暦の2月7日ですから来年は今年より早い2月9日から3日間行われます。

 私の誕生日は10月3日ですが、その欄に若松進一誕生日なんては書かれていませんが、「一粒万倍日」と書かれています。一粒の種が万倍に増える日とされ、古来から事始に用いられ、特に商売始め、開店などに吉とされています。反面増えて多くなる意味から、人から物を借りたり借金するのには不向きの日だそうです。

 清水塾頭の予言メールの通り、この数日地元で「おねあがり」という言葉ががるように、次から次へと寒波が押し寄せ、大荒れの天気となりました。この分だと今日だけしかない年末も、明日から始まる年始も大荒れのようです。まあ仕事もない年末年始のこの時期なので、のんびりゆっくりストーブやコタツを友として過ごしたいと思っています。


  「旧暦や 尺貫法は 今もなお 暮らしの中に しっかり生きて」

  「菜園を 耕すように なり思う 旧暦暦 いちいち納得」

  「わが家でも 息子の代に 旧暦は 言葉通じず 忘れ去られる」

  「旧正月 来年早く 来るゆえに 寒さも早い 納得しつつ」 

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shin-1さんの日記

○自分の過去は作り直すことができるか

 今年も色々なことがありましたが、一年365日の日輪を加えながら一つの年輪を刻もうとしています。自分のこの一年、そしてこれまで生きてきた66年の人生を振り返ると、過去となった日々が懐かしく思い出されるのです。私はどちらかというとポジティブな人間ですから貸しボート人生、つまり余り過去を振り向かず生きていこうと思い、辛かったり苦労したことなど余り考えずに生きてきました。そんな私を見て妻は、「あなたは楽天的だから」と言いますが、私にだって試練は一杯あったのです。でもそれを嘆いたところで自分を助けてくれる人は殆どいないし、自分が惨めになるだけなのです。

 近頃ふと思うのですが、自分の過去は歩んだ道なので変えようがないと思っていたのに、「過去は作り直すことができる」と思い始めたのです。多分誰もが「そんなことはない」と反論するでしょうが、例えば夕日をテーマにしたまちづくりなど、私自身が半信半疑だったのですから、誰もが信じてくれないのは当たり前なのです。次々と襲い来る不安におののきながらも、また大きな反対のうねりに飲まれながらも、一生懸命努力してきました。結果的には何とか突破口を見出し一定の成果を収めることができました。ある意味ラッキーエンドでしたが、それは今の自分がある意味それなりの生き方をしているからそう思えるのです。

 人間は幾つかのスライドのようなコマを持っています。過去を振り返る時、幸せなスライドのコマがリセットされると、過去は幸せなドラマになるのです。人間の記憶とはそれ程いい加減なものですから、自分の過去というドラマは幾らでも作り直すことができるのです。

 私にとって思い出したくない過去の中に、宇和島水産高校の実習船で珊瑚海までマグロを追った遠洋航海があります。この時期になって海が大時化になった時ふと思い出すのは、正月過ぎの1月14日、マグロを腹いっぱい抱えた実習船愛媛丸は伊豆半島沖で、思わぬ低気圧の洗礼を受け、1時間に1ノットという速さで船を風上に立てるのがやっとの状態でした。船長の「船が沈没して死ぬかも知れない」という言葉に、若干18歳の私たちはパニックになりました。

 船は幸運にも低気圧の中から脱出し、二日後幸運にも水平線の彼方に富士山を見ることができたのです。今はその恐怖など忘れていい思い出として記憶に残っています。これは紛れもなく私自身が、過去をポジティブドラマに作り直すことができたからなのです。

 そう思えばいい加減ゆえの過去をどんどん自分流に作り直して生きた方が得策だと思うのです。ただし絶対できないこともあるのです。例えば大学へ行きたかったのに私は、親父がガンで倒れ帰郷しなければなりませんでした。これは紛れもない事実ですから大学を卒業したなどと?のドラマを作ることはできません。よく政治家が「○○大学留学」などと?を言い、学歴詐称で世間の批判を浴びて折角つかんだ当選を辞任に追い込まれたりするのです。

 過去と正しく向き合う、そして事実は事実として受け止め、いい生き方のよすがにしたいと、今日が最後で終わる2010年の大晦日の朝思いました。


  「三六五 日輪刻み 終わろうと している今年 いい年だった」

  「また一つ 年輪刻む 重さかな 目出度正月 目出度くもなし」

  「過去などは 変えれないもの 思ってた いやいや違う 変えれるはずだ」

  「明日からと 言わず今日から 始めよう さすれば結果 もっと成果が」

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shin-1さんの日記

○奈津さんの帰省

 昨日の昼過ぎ一本の電話がかかってきました。「奈津です」と電話の向こうで名乗る女性は堀川奈津さんでした。私の記憶の中で「なつ」と名乗る女性は2人います。一人は双海地域事務所に勤める夏芽さんで、教育長時代に一緒の職場で仕事をし、一緒に海外派遣でニュージーランドやオーストラリアへ旅をした女性です。

 堀川奈津さんは町内満野浜出身で、高知大学在学中に知り合いインターンシップで入った奈半利町のまちづくりがらみで深いご縁をいただきました。卒論の時も、大学院へ進学する時も、就職する時も何かと相談話を聞いたものです。

 今年の3月目出度く大学院を卒業して東京の農文協に就職したことは知っていましたが、その後音信が途絶えていました。聞けば年末年始の休みで帰省したというのです。久しぶりなのでこれからお会いしたいと言われました。15時35分いよ上灘駅着の列車で来ると言うのでトラックで迎えに行きました。出発間際になって松山へ行かねばならない火急の用事が出来て、暖房の効いた車の中で道すがら伊予市まで走りながら懐かしい話やその後の消息について話をしました。聞けば農文協で営業を担当して全国を旅しているようです。農文協の営業といえば、まるで越中富山の薬売りのように、単車で全国を行脚しながら諸世紀を売り歩く商売です。


 以前と同じく細身ながら、すっかり逞しくなった奈津ちゃんの話は、いつもの事ながらとても楽しそうでした。旅先で仕入れた農業の実情は巾が広く、本を読んで知り得た知識は奥の深さを感じました。JR駅前の町家駐車場に車を止めて30分ばかり話をして分かれましたが、来月早々に北海道へ渡り、酷寒の網走や美幌付近で営業活動をするそうです。

 私も一昨年2月22日に北海道美幌へ行きましたが、それは寒くて流氷の上に立ち自然の猛威に驚いたものでした。酷寒の北海道はさすがに単車でなくレンタカーだそうですが、大変な仕事のようでした。


 早速美幌の知人を紹介してあげることや、一冊本を買うことを口約束して分かれました。昨晩は伊予市で家族と落ち合い夕食をするそうでしたが、束の間の団欒を楽しみにしていました。

 帰ってからサンプルにいただいた季刊本を食事をしながら、またテレビを見ながら、さらには奈津さんのことを思い出しながら読みました。学校跡地の利用と宮本常一特集は興味のあるテーマなので、書斎にこもって夜遅くまで読みふけりました。ここにも逞しく生きている若い女性がいること思いついつい嬉しくなりました。

  「奈津ですと 懐かしき声 電話にて 聞けば帰省で 同じ町内」

  「列車から 降りてく女性 逞しく なりて堂々 夢を語りぬ」

  「来月は 網走あたり うろちょろと 営業活動 するというけど・・・」

  「季刊本 買うと約束 行きがかり 少し勉強 したいと思う」

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shin-1さんの日記

○来年のカレンダー

 家の至る所につるしてあるどのカレンダーも残すところが少なくなくなってきました。特に日めぐりカレンダーは、破いた紙片だけがやたらと目に付いて見苦しいのですが、これも毎日破っては新しい日を迎える日めぐりの定めでしょうか。 

 昨日は夕食事が終わってから妻と二人でカレンダーの釣るし替えをしました。もう後戻りできない古い2010年版のカレンダーを感慨深げに外し、居間、台所、書斎、座敷の順に気に入ったものを飾って行くのです。

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 今年も色々な所から色々なカレンダーをいただきました。その中から妻が選んだ一押しは長野県南牧村から届いたものです。新書尾の豊かな自然がリアルに再現されて、忙しくて旅にも行けないのに旅好きな妻が毎年一押しで選ぶカレンダーです。カレンダーも毎年使っている馴染みのものがいいようでこれから一年間、何度か講演に出かけ、何度かわが町を訪ねてもらい、さらには毎年ブロッコリーやレタスなど日本一と自慢する野菜類がどっさり届く南牧村のことや南牧村の人を思い出しながら見つめることになりそうです。

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 台所には高知県馬路村の木下さんが届けてくれたカレンダーです。上手いのか下手糞なのか分からない芸術的なタッチで描いている「上昇気流」という言葉は、来年一年私の目標にしたい言葉で、心を言い表しているようです。このカレンダーには私のWritinng Calendarから、一ヵ月分まとめて私の予定を書き写すのです。それは私のためではなく妻の予定と重なるのです。「この日は○○へ講演に行く」と書けば、出発の準備や帰る時間、夕食の有無、何日も続くと私の体調管理などが妻の頭の中へインプットされるという仕組みです。馬路村は今年も台所で大活躍しそうです。

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 私の書斎には今年も二つのカレンダーを掛けました。一つは従兄弟の木材会社から届いたものです。目標的言葉が墨字で「雲流水」と書かれているものです。雲の流れも水の流れも行き方知れず、自然体で行き世との教えでしょうが、めくると一月の教えは「大きな夢も日々の積み重ねなくしては成就しない」と書いています。その通りだと思いながら、表紙を捲り、既に正月からといわず今日から、小さな実践を積み重ねて行こうと心を新たにしました。

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 書斎の壁にもう一つ、論語日めくりカレンダーを掲げました。これは一昨年佐賀県多久市であった地域づくり団体交流全国大会に行った折、買い求めたものを使っていましたが、先日一緒に行った年輪塾の浜田さんから新しいものをいただいたのです。このカレンダーは毎日捲り、それが一ヵ月後また同じように出てくる仕組みになっています。論語を31日間12ヶ月復唱して一年間で覚えるよう工夫がされています。残念ながら一昨年から置かれている古い日めぐりに書かれている論語を全て空暗記することはできませんでしたが、「多久市の子どもやスズメは論語を語る」と言われる通り、今年こそ論語を31句覚えたいと思っています。

 これ以外のいただいたカレンダーは人間牧場や煙会所、隠居に吊るして利用したいと思っています。

  「ご苦労さん 労をねぎらい 外したる 日めぐり残り 少なくなりて」

  「新しい 年を迎える 準備する カレンダー掛け 思いを新た」

  「いただいた 人を思うや カレンダー 恥じぬ生き方 しようと思う」

  「明後日 新しい年 始まりぬ 残り二日も 有終の美に」

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○ウラジロ採り

 昨日の天気は異常としか言いようのないような大風でした。地元の漁師さんの言葉に「おねあがり」という言葉があります。天気が悪いままさらに悪くなることを言うのですが、双海町の漁師さんはここのところの「おねあがり」の天気で24日以来漁にも出られず、このまま正月を迎えることになりそうです。漁師さんの胸算用では正月前に何日か出漁して、正月売り場と言われる年末に少し儲けて正月を迎えるはずだったのでしょうが、少し当てが外れたようです。

 今日は午前中で孫たちが迎えの車に乗って帰っていったため、久しぶりに家の手伝いをしました。灯油をストーブやお風呂のボイラータンクに入れたり、仕事に言った妻から頼まれていたことをこまごまやりました。また裏山に注連縄飾り用のウラジロを取りに行きました。裏山も昨日の大時化でぬかるんでいて、桧林の中の急な山道は注意をして登らないと転げそうで、用心しながら裏白を探しました。

 私たちが子どものころ、ウラジロ取りは子どもの役目となっていました。正月が近づくと子どもたちは2~3人が連れ立って、自分たちだけが知っている林に出かけ、葉っぱの綺麗なウラジロを見つけて採集したものでした。我が家は漁家だったため船玉様に備え縁起を担ぐため、上等なウラジロが親父から要求されました。葉っぱの痛んだいい加減なウラジロでは納得されず、もう一度とりに行くよう叱られたことも何度かあったようです。

 そうした子どものころの習慣が本能となって、今では自分だけの秘密の場所を確保しているのです。今日もその場所に行き、ものの10分ほどで予定していた50枚ほどの綺麗なウラジロを確保することができました。私は神仏に余り深く傾注する方ではありませんが、正月のお飾りやお盆の仏事、それに毎月21日のお大師様の日などはわが家の伝統的行事として大切に守っています。それは先祖を敬うことであり、神仏に件子にkら背rことを感謝することでもあるのです。

 このささやかな祈りの習慣を次の世代に伝えることこそ日本人としての務めなのでしょうが、残念ながらその道筋は立っていません。長男家族が3月にはわが家へ帰り一緒に住む予定なので、そのこともしっかりと頭において教育を品けれればならないと思っています。わが家も何かにつけて、そろそろ政権交代の時期かも知れないようです。

  「ウラジロを 採りに林へ 分け入りぬ 今はすっかり 本能なりて」

  「この風習 息子や孫に 伝えたい 思いどおりに 伝えられるか」

  「宗教心 なければ感謝 する心 育たぬものと 心構えよ」

  「年末が 来れば必ず やることと 心に決めて 今年も自然」

 

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shin-1さんの日記

○孫と段ボールアートに挑戦

 昨日の夕方から吹き出した風は雨を伴って天地を揺るがすようでした。時々遠くで雷もなって、「ああこれが北国で言う雪お越しの雷か」と思ったりしました。午前中に裏山の杉の木が立ち枯れしてひっくり返りそうになっていたのを、親父と二人でコードを長く伸ばし、電動チェンソーで伐採する作業をしましたが、天気の変わらない間によくぞやったとホッとしているところです。

 私と親父が着の伐採作業をしている間、泊まりに着ている孫たちは「子どもは風の子」とばかりにそこら辺を走り回り、二年生になっている孫朋樹はわが家の庭に作っている鉄棒にぶら下がり逆上がりの練習をしていました。2年前にはできていた逆上がりが少し太り気味になったせいか、尻が重くてこのところできていませんでしたが、昨日の挑戦でこつをつかんだのかやっと出来るようになったと大はしゃぎでした。

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 午後は「こんな寒い日はストーブでもつけて室内で過ごすのが一番」とばかりに、孫三人と段ボールアートに挑戦しました。年末ゆえお歳暮に貰った箱類が沢山あって、材料には事欠かず好きな段ボール箱をそれぞれが持ち寄り、リクエストに沿ってミニチュアの家を作り始めました。段ボールアートといっても小学校二年生の孫朋樹を除けば、三歳の孫二人はただ見ているだけなのですが、2時間ばかりかけてカッターとガムテープで3つの作品を作り上げました。その間孫たちはテレビを見たり、怪獣ごっこをしたり、まあ賑やかに過ごしていました。

 3つの作品にマジックインクでペンティングするのは明日にして、とりあえず作業を終え、片付ける頃に突風が吹き始めました。部屋の散らかした段ボール類を片付けて、朋樹と二人で畑の隅にある焼却場へ持っていく頃には雷を伴った大粒の雨が降り出しました。

 急いで家に入ると孫二人が大きな声で泣いているのです。何事かとなだめましたが、どうやら二人だけになったところで、雷鳴とともに一瞬電気が消えたようです。驚いた孫たちは恐れおののき怖くなって泣いたようでした。

雷の音で子どもが泣くのは、「地震・雷・火事・親父」といわれた昔と同じでしょうが、大粒の涙を出して泣き叫ぶ孫たちの姿を見て、失礼ながらいい光景だと思い、二人の孫を抱きしめてやりました。

 孫たちはみかんが大好きで、この日のために買っておいたお菓子とともに食べながら、ゲームをしたりして過ごしましたが余程怖かったのか、「今晩は誰と寝る」と聞けば「おばあちゃん」、「今晩は誰と風呂に入る」と聞けば「おばあちゃん」、「誰が好き」と聞けば「おばあちゃん」で、おじいちゃんたる私の株は下がる一方です。昨日の夕食はたこ焼きパーティーでした。三歳になった孫二人は「お刺身」が大好きで、愛南町の加幡さんからお歳暮に貰ったでっかいカンパチを料理して食べさせました。納得の夕食でした。

 二泊三日のわが家での過ごす冬休みも今日でお終いで、午後にはそれぞれ迎えが来てお帰りになります。ホッとすると同時に少し寂しい感じもしますが、大晦日には再び長男夫婦家族が最後の帰省で帰ってくる予定で、賑やかな年末年始は当分続くようですが、仕事は年末年始で休みでも、身の回りの世話が忙しい妻の気苦労は当分続くことでしょう。

 私は大仕事として残っている家の外の窓拭き作業は、どうやらこの大風と寒波を理由に越年しそうな雲行きのようです。


  「ゴロゴロと 鳴る雷の 音聞いて 孫は大泣き なだめに躍起」

  「ストーブの 前に陣取り 段ボール アート挑戦 見事出来栄え」

  「夏異常 冬も異常な この一年 わが家平穏 続いて欲しい」

  「孫たちと 過ごす時間の 有難さ たまに来るから 感動するかも」

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shin-1さんの日記

○もし私がパソコンができなかったら

 殆どブログ用にと思って使っている現在のデジタルカメラは3台目で、私の誕生日に子どもたちがお金を出し合って買ってくれたものです。年末も仕事が急がしくて大晦日ぎりぎりにしか帰れない長男から「年末の大掃除も手伝えなくてごめんね」と電話が入り、そのついでに「カメラの調子はどう」と聞いてくれました。その折、「お父さんのデジタルカメラは動画も撮れるんだからもっと使いこなせるようにならないと」と注文をつけられました。

 確かに私が使っているパソコンもカメラも多機能なのに使い方は初歩的で、使い方の工夫がまったくできていないのです。これでは幾ら高いお金を払って多機能な物を買ったところで、豚に真珠、宝の持ち腐れのようです。私はパソコンなどのデジタルについては学校では習っていない世代なので、何も学習しないと何もできず、入ってくる情報も限られて情報に疎い人間になって一生を終わるのです。


 先日同級生数人と出会う機会がありました。ある同級生Aさんは私のブログに毎日アクセスして読んでくれている人で、「進ちゃん毎日ブログをよく書くね」と、呆れ顔で褒めてくれました。一緒にいた同級生Bさんが、「ブログって何?」と唐突に言うのです。私のブログを読んでいるAさんが、「あんたブログも知らないのか?」と呆れ顔をして言いました。Bさんは「俺はパソコンが苦手で、あんなものはいいと思わん」と切り出しました。


 Aさんは「そんなこと言っていると、情報音痴になってしまう」と呆れ顔でした。Bさんは「パソコンやブログを知らなくても生きて行ける」と一歩も引きませんでした。確かにBさんの言うようにパソコンやブログを知らなくても生きていけることは事実です。でもむちによって生ずる不幸は知ることによって避けられるのですから、パソコンやブログを知っていて損をすることは決してないのです。


 Bさんが追い討ちをかけるように、「俺はパソコンをやらないからパソコンがらみの犯罪に巻き込まれることはない」と胸を張りました。ウーン一利あるなあとも思いました。まあ犬も食わないパソコン談義でしたが、Bさんは私のブログを読むこともないし、私とGメールでの交信もできないのですから、出会う機会は同級会くらいなものにしかならないのです。幸いなことに私にはメル友が沢山いて幸せです。

  「それは何? メール・ブログを 知らぬ友 今時こんな 人もいますよ」

  「知らぬとて 生きて行けます 胸を張る まして犯罪 会うこともなし」

  「そんな暇 あったらもっと 別のこと するとブログを 否定する友」

  「もし俺が パソコンできない ゾッとする これから先も 進化を目指す」

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shin-1さんの日記

○今年も731本のブログ記事を書きました

 56・60・62・60・63・62・60・63・60・62・58・65、これは一体何の数字でしょう。実はこの一年間私が「shin-1さんの日記・人間牧場」に書いた記事の月別本数なのです。合計すると今年4日間に書く予定の8本の記事を残して731本にもなるのです。一ヶ月平均60,9本ですから、この一年ほぼ毎日2本の記事を書いた計算になるのです。この本数には自分自身でもビックリしていますが、書き始めて5年間、やっと自分が5年前に立てた「ブログを毎日朝夕2本ずつ書く」という目標が達成され習慣化したことを実感できるようになりました。

 私は目標を立てること、それを実践すること、それを習慣化することが成功を生む3つの秘訣だと思っています。ささやかな目標でも実践と習慣化がなければ成就しません。ゆえに目標はできるだけ実践と習慣が可能なものを考えなければなりません。思っても出来ない総理大臣になることや、宝くじが一億円あたればいいという他力本願的な目標を幾ら掲げても無理なものは無理なのです。


 人から見れば何でもないし、「ブログを毎日2本も書く暇があったらもっと別のことを考え別のことをした方がよいのでは?」と、他愛のない無意味な目標に呆れてしまうのでしょうが、これはひょっとしたら日本中のブロガーが達成し得ない記録かも知れないと、一人ほくそ笑むのです。

 内容はどうであれとにかく「毎日2本のブログを書く」という目標はやってみると案外難しいような気もするのです。そのために毎日朝4時に起床します。そして朝1時間前日あったことや思ったり感じたことを書きます。いわば前日の回顧録といったところでしょうか。夕方は11時頃からその日あったことや思ったり感じたことを書きます。これはその日の総括録とでもいうのでしょう。この歳になるとその日は覚えていても前日のことは中々思い出せないものです。ましてや一週間前の出来事や一ヶ月前の思いなどは記憶の彼方に消え失せているのです。ゆえに他愛のないことでもその日や明くる日だとリアルな記事になるのです。

 私はこれまで、様々な目標を立ててその目標を手に入れるために努力してきました。「双海の夕日を日本一にしたい」と思ったから、「毎日朝3時間シーサイド公園の掃除を12年間する」という目標を実践習慣化してやり遂げることができたのです。また「毎日3枚のハガキを書く」という目標も25年経た今でも続けている習慣化なのです。人間は他愛のない夢を見るものです。また人間は心のどこかに楽をして成功したいと思う甘えの構造もあるものです。「これくらい」とか、「今日くらい」とか思って甘えると次から次へ甘えの心が芽生えてくるのです。

 冒頭の数字の中で56は今月の数字なので60を越える予定ですが、中に58と言う2月の数字があります。これは2月の日数が28日だったためと判明しましたが、この1年指折り数えればきりがないほど県外出張をしてる私なので、その折は多少無理をして、少し朝早く起きて2本の項目を起こして出かけます。そして帰ると少し無理をして帰ってから訂正記事を入れるような形で書き加えて目標を達成するのです。

 最近は旅先のホテルでもインターネットができるようになっている所もあるようで、東横インなどは私的に便利なためによく利用するのです。


 さて、今年もこんなど田舎に暮らしている私ですが、ささやかながら「凡事徹底」、「平凡を非凡に」することができました。10年連続200安打のイチロー選手には叶いませんが、私もこの5年間の凡事徹底でかなりの自信がついたので、とりあえず来年も毎日2本の努力をしよと思っています。見果てぬ夢である「10年間連続」は日々の精進の結果であることを肝に銘じ、ささやかな自分の夢に向かってひたすら走り続けたいと思っています。

 私に国土交通省がつけてくれた「真似しない、真似できないアイディアで地域力をつくり上げるカリスマ」という観光カリスマ百選名称に恥じぬようにしたいものです。

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shin-1さんの日記

○孫万歳

 学校も幼稚園も冬休みに入りました。クリスマスに続いて間もなくお正月もやって来て、孫たちにとっては楽しいお休みが続くようです。冬休みになったので、親離れさせようと娘の子ども2人と、息子の子ども1人を2日間私が預かることになりました。

 今日は所用でっ松山へ行った帰りに娘の家と息子の家に立ち寄り3人を預かりました。一番年上の孫朋樹は小学校2年生なので、さすがに二人の面倒をよく見てくれるし、道すがらの途中にマクドナルドがあることを知っていて、「おじいちゃん小腹が空いた」と子どもらしからぬ言葉でマクドナルドへ立ち寄って欲しいと頼むのです。郊外のマクドナルドはドライブスルー形式のお店で、最初車で横付けした何年か前は買い方も分からず右往左往していましたが、今は孫のお陰でスムースにハッピーセット、チーズバーガーにポテト、それにシェイクなどと注文できるようになりました。

 孫たちはハンバーガーやドリンクもさることながらハッピーセットについた玩具がお目当てのようで、少々高くつきますが、孫たちに悪い顔もできないので、財布の紐を緩めて買い求め、暖かい店内でワイワイガヤガヤ言いながら食べました。

 わが家に到着した頃には陽はとっぷりくれて冬の寒い北風が吹き荒れていました。年輪塾の濱田さんと5時頃という約束で待ち合わせしていて、気にながらの帰宅となりましたが、濱田さんは私の家の車庫で待っていてくれました。孫に免じてお許し下さい。

 妻はあいにく外出中でしたが、孫たちは子ども部屋から玩具の籠を取り出して、手駒を回して遊んでいました。

泣いたり笑ったり、まあ賑やかなことです。私の堪忍袋の紐が切れそうなほどでした。


若松進一ブログ
若松進一ブログ
 
でも何だかんだと言いながら孫はいいものです。いつもは夫婦二人や年老いた親父と暮らしていていて、会話も湿りがちですが、孫が来ると家中に甲高い声が響き渡り、これこそ活性化なのです。来年の三月末には息子家族が度居する予定なので、今から練習のつもりで望みたいと思っています。

 今日の夜はカレーでした。バーモンドカレー甘口は私の好みではありませんが、それでも孫と一緒に「美味しい美味しい」といいながら食べました。今日はマクドナルドのハンバーガーに甘口のカレーで、胃の調子がどこか変になっています。今晩はこれから風呂に一緒に入り、一緒に寝る予定です。小便をひらないか今から心配ですね。


  「冬休み 孫が三人 やって来た 波長の違う 音に疲れる」

  「会いたいが 会えば会ったで 気疲れし たった半日 グロッキー気味」

  「爺ちゃんは 怪獣なって 僕ライダー 育爺役も 楽ではないな」

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○公友会報第23号への投稿

 一年に一度の勉強会と一年に一冊の機関紙への投稿、そして年会費2千円の振込み以外何の制約もない、公民館OBで作っている愛媛県公友会の会員になって23年になります。今年は当たり年で勉強会は私の人間牧場を会場として、7月4日に開かれました。志を強く持っているものの会員の加齢による体力の衰えはいかんともし難く、徐々に寂しさが募る会のようです。でも若い人たちも会員に加わり、そろそろ脱皮の頃かなあとも思いました。

 さて、機関紙への投稿ですが、今年で23号となりました。私も何回か投稿を休んでいるようですが、それなりに消息や思いを原稿に書て投稿してきました。今回も「私設公民館『煙会所』から『人間牧場』へ」というタイトルで少し大目の原稿を下記の通り書いているようです。

 盟友古野セキエさんは「人間牧場に佇んで」というタイトルで、勉強会の模様をルポしてくれています。また私似のすぐ後ろにこれまた盟友の菊地邦求さんが「新聞投稿を続けて43年」と題して投稿していたり、渡邊正一事務局長さんが「平成22年度夏の勉強会が開催される」と題して当日の様子を書いていただきました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
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 人は必ず歳をとり一度は死ぬものです。私も冥土の旅の一里塚をただ今ひたすら歩いていますが、「記録しないものは記憶されない」のですから、機会を得て自分の思いを書き綴って行きたいと思っています。

 昨日のことさえ覚えていず、忘れてしまうような年頃になりました。ただ今唯一の記憶装置は、パソコンに向かって毎日書き綴っているこのブログしかないのです。パソコンは正直で、書いたことをそのまま記憶してくれていて、思い出そうとすれば一定のルールで検索する術さえ覚えていれば、即座に思い出させてくれるのです。パソコンは嫌いだとその無機質ぶりの悪口を言う人もいますが、私にとっては大事な大事な記憶装置なのです。


  「こんなこと 書いたかどうか さえ忘れ 機関紙読んで 赤面少々」

  「酒を飲み 風呂敷広げし 友たちも 何だかんだと いいつつ生きて」

  「俺はまだ 元気ですよと 主張する 年に一度の 投稿記事で」

  「パソコンを 記憶装置に 使ってる ゆえに記憶は 呼び出し可能」 

 

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