shin-1さんの日記

○雲上人の値打ちを高める地上人

 先週の土曜日、私はある人に頼まれて選挙に出るであろうある人の演説集会に参加しました。もうこの歳になると集票能力は皆無な私ゆえに、誰も相手にしないだろうと思いきや、あの手この手で選挙に出るであろう人の側近から声がかかるのです。その都度中立の言い訳をしたり、日程が積んでいて参加できなかったりの理由を言って集会を逃れてきましたが、私に出席を依頼してきた人とは長い付き合いで多少の義理があるので、心許しあえる友人数人に声を掛けて誘い合い出かけました。私のようなものが前日に声を掛けたにもかかわらず、この日は10人近くが義理にもせよ参加してくれ、有難いことだと思いました。

 演説集会は普通偉いと思しき人が次々と登壇して、選挙に出る人に対し美辞麗句を並べるのですが、この日はそんな人がいるのかいないのか、普通の若者やおじさん、おばさんたちが次々に登壇し、むしろ選挙に出る人に自分の考えを述べるような集会でした。中には流暢な人もいましたが、その殆どはまあ私よりも口下手で朴訥な語り口だし、中には原稿を書いて棒読み、司会の方も素人で逆にとても爽やかな感じがしました。

 会場はほぼ満員で私のお願いした人も10人近くそこそこに陣取って、笑顔で手を振って会釈をしてくれました。驚いたことに会場に集まった人の中には顔見知りの方が何人もいて、「若松さん、あなたも・・・」と声を掛けてくれましたが、私は別に運動員でもないので、ゆっくりとみんなの話を聞かせてもらいました。

 何人かの登壇者の最後は「自称後期高齢者」というおばあさんです。私はこのおばあさんの話を聞いて、「この人は只者ではないな」と思いました。腰をかがめながらゆっくりと客席からステージに上る姿を見て、「大丈夫かな」と私も含めて民さんが思ったに違いないのです。でもこのおばあさんの話術はピカイチで、まあ弁舌巧みに会場の雰囲気を一辺に和ませました。聞けば私の友人のおばさんだそうで、若い頃学校の先生をしていたというのです。私はこのおばあさんに惚れました。一度お会いしてお話が聞きたいと思いました。

 この日の集会では思わぬ心地よい感動をいただきました。選挙に出るであろう人は正直私たちの世界から見れば、雲上人のような人です。しかしその人のために壇上に上がった人はどちらかというと地上人です。でもこの地上人が雲上人の価値を高めるのですから不思議な話です。私も雲上人とはこれまで、挨拶を交わしたこともありません。でもこの雲上人を支援する私に参加を依頼した人は雲上人ながら立派な方で、その方がお墨付きをする雲上人の価値を高めているのです。


 気がつけば地上人の私でさえ、多くの仲間が私の価値を高めてくれているのです。そのことにあらためて気付かせてくれた、後期高齢者のおばあさんの話はこれからも折に触れ、戒めとして思い出したいと思いました。

 間もなく愛媛県は選挙一色秋の陣となります。県知事選挙、県都松山市長選挙がダブルで行われますが、選挙というものは候補者を選ぶことは勿論ながら、候補者を支援する人の人格という付き合いを通して選ぶものだとしみじみ思いました。地方公務員を35年間もしていると、「公務員だから」という言い訳で選挙に関わらなくても済んでいましたが、無位無官になるとそんな言い訳も使えず、「あちらを立てればこちらが立たず」で右往左往しているこのごろです。


  「選挙戦 あれやこれやと 誘い来る あちら立てれば こちらが立たず」

  「集票の 能力もなし 無位無官 おだてに乗れば 赤恥かくな」

  「選挙とは 無縁過ごして 来たものの この歳なりて 誘い幾つも」

  「選挙出りゃ 離婚と妻が 口癖に 言うものだから ついつい無縁」

 

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○元収入役藤岡利郎さんの死を悼む

 旧暦の立冬は冬の訪れを意味しますが、秋から冬へと季節が移ることを肌で感じさせるように、昨日のわが町は大荒れの天気で、台風にも似たこの冬一番ともいえる天地を揺るがすような大風が吹き荒れました。その風の中を92歳の親父は止めるのも聞かず自転車をこいで、7キロも離れた下灘の診療所へ診察に行ったのです。診療所の先生や看護婦さんはお余事の無謀とも思える行動に一応に驚いたようで、「この雨風の中をよく来た」と褒めてくれたそうですが、裏を返せば92歳の親父を病院まで車で連れて行かなかった、66歳のどら息子である私の不徳の致すところだと、深く深く反省した次第です。

 何故親父を病院へ連れてゆけなかったのか、言い訳になりますがそれは昨日、役場に勤めていた頃の先輩で、時には机を並べて上司として仕事をした元収入役の藤岡利郎さんが亡くなり、午前中葬儀が伊予市内の農協会館であったため、どうしても外せなかったのです。

 私が66歳になったのですから、役場に勤めていたころ上司だった人たちはそれ相応の年齢になっている人も多く、昨年の年末にはお世話になった元町長丸山勇三さんも帰らぬ人となってしまいました。昨日の葬儀にはかつての先輩上司や友人などがたくさん集まっていましたが、時の流れとは言いながらまた一人お見送りしなければならないことは寂しいものなのです。

 昨日88歳の天寿を全うした藤岡利郎さんは復員後役場に入られ、総務課長や最後は収入役をされた立派な方です。私が駆け出しの頃教育委員会で学校教育課長をされていました。私は社会教育だったので直接の上司ではありませんでしたが、達筆なため再々筆文字を書いてもらいました。当時の役場では珍しい大学卒の博学で、一緒に研修旅行に出かけた時は必ず旅行記を書かれ、コピーして一部をいただいたものです。多分書棚のどこかに埋没しているはずだと、訃報を聞いてから探しましたが残念ながら見つかりませんでした。

 喪主挨拶をされた義理の息子さんの話を聞けば、7月に見つかったすい臓ガンが全身に転移して闘病生活をしていたようで、先日行われたOB会も欠席していたようです。


 藤岡利郎さんの死を悼むように昨日は大荒れの天気で、葬儀に参列するため通った海岸国道には、強い北西の季節風による大波が打ち上げ、まるで塩水で車を洗車しているように沢山塩水を被りました。葬儀が終り自宅へ戻りましたが、降りしきる雨の中で洗車をして塩分を流し車庫に収めました。

 昨日の葬儀会場で昨年12月19日に亡くなった元町長丸山勇三さんの奥さん史子さんにお会いしました。短い時間でしたが、時の流れの速さと思い出を立ち話しました。ある和尚さんの話を思い出しました。「人は二度死ぬ」そうです。元町長丸山さんも元収入役藤岡さんも一度は死んでもう地球上にはいないのです。もう一度の死は人の記憶から消える時だそうです。ゆえに1年・3年・7年・15年と法要をしその人の記憶を蘇らせるのだそうです。法要には参加できませんが、せめて草葉の陰からお二人の思い出を時々思い出してあげたいと思いました。


  「訃報聞く 天も寂しさ 紛らして 波風強く 大荒れ荒れて」

  「旅行記を 達筆書いて いただいた しまい込んだか 探せど見えず」

  「早一年 早いもんだと 立ち話 町長奥さん 少しやつれて」

  「在りし日を 思い出しつつ 遺影見る こぶとり爺さん 一緒演じた」  


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○何気なく読む本の中に知識や知恵が詰まっている

 公民館や病院などの待合室・ロビーなどには無造作に色々な雑誌やパンフレットが置かれています。特に順番を待っている時間などは手持ち無沙汰なので何気なく手の取りパラパラとめくり読みするのです。

 昨日は金融広報委員会の仕事で今治市近見公民館へ行きました。民生委員会のついでに講演するのか、講演のついでに民生委員会をするのか分かりませんが、13時30分からの予定だったので13時に公民館に到着しました。事務所で民生委員会からの呼び込みを待っていました。ところが会議が延びたのか予定の時間になっても声がかからないのです。公民館の職員さんとしていた雑談も途切れたので、入り口に無造作に置いているニューモラルというモラロジー研究所発行のポケットサイズ本を手にしました。ご自由にどうぞということはいただけるものと勘違いして、僅か25ページの本を二冊読み始めました。

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 やがて呼び込みがあって2階のホールへ案内され、10数人のこじんまりした講演会は始まりました。僅か1時間の話なので気張らず、開会が遅れた分を後に伸ばさせてもらいゆっくりとお話させてもらいました。帰るとその何人かから嬉しいメールが届いて、よかったと胸を撫で下ろしました。

 家に帰ってカバンの中を整理しようとしてカバンの蓋を開けてみると先ほどのニューモラルという雑誌が2冊出てきました。その中に、来年私が主宰する年輪塾に講師として招聘する予定の中桐万里子さんのことが出ていてびっくりしました。

ニューモラル494号のP16に 「思いをめぐらす」というタイトルの記事でした。

 江戸末期に活躍し、多くの荒村を復興させた二宮尊徳(1787~1856)の言葉に、「遠きをはかる者は富み、近きをはかるものは貧す」があります。尊徳から数えて7代目の子孫にあたる中桐万里子さん(親子をつなぐ学びのスペースリレイト代表・教育学博士)は次のように語っています。

 何気ない日常のひとコマは、それをどう理解し、体験できるかによってまったく味わいが違ってきます。目先のこと、目に見える近くのことだけにとらわれてしまうと、どんどん忙しくなり、なぜだかどんどん手ごたえや希望を失い、そして貧しくなってしまう。他方で、ちょっと立ち止まって、目には見えないこと、遠くのことにまなざしや想いを馳せ、そこから生まれるうっかりすると見過ごしてしまいそうな小さな感動や喜びに敏感であることで、人は希望を見出し、豊かになることができる。それが「遠きをはかる者は富み、近きをはかるものは貧す」ということです。~後略~


 なるほどと納得しながら、その本を捲りましたが、裏表紙にモラロジー教育では3つの心を育てますと、書いてありました。「感謝の心」「思いやりの心」「自立の心」だそうで、この言葉にも感心しました。

 ①感謝の心

 大自然の恵み、また家庭や国の恩恵などに対する感謝の心は、自分の命はもちろん、あらゆる命を大切に                  する尊厳性をはぐくみます。そして恩返しをしたり社会や世界に貢献していく勇気を育てます。

 ②思いやりの心

 相手の立場に立って考えることのできる思いやりの心は、人の喜びや悲しみ、痛みへの共感性をはぐくみます。そして自分を反省したり、相手を許す謙虚さや周囲に奉仕する深いやさしさを育てます。

 ③自立の心

 夢や志に向かって、主体性を持って生きようとする自立の心は、家庭人、社会人、また国民としての責任感や使命感をはぐくみます。そして地域や国際社会に目を向けていくたくましさを育てます。

 昨日は講演の時間が遅れただけで、ふとしたことからいい教えに出会いました。


  「時間待ち 短いながら いい教え 学んだものと 反面教師」

  「ある雑誌 私のことが 書かれてた 時々メール 同じ体験」

  「四十円 裏隅ちょこり 書いていた 二冊で八十 円も儲けた」

  「知識得て 少しだけれど 利口なる これを使って 知恵に生かそう」


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○機関紙「風おこし」に松本小番頭の文章が・・・

 先日えひめ地域づくり研究会議が発行している風おこしというタブロイド版の新聞風の機関紙が送られてきました。年2回発行している風おこしも今回で28号を積み重ねていますが、愛媛地域づくり研究会議が発足した時私が、「風おこしの誓い」なる結成の思いを文章に書き、そこから機関紙の名前が引用されているのですから、研究会議の代表を降りた今も愛読者の一人として、送られてくる機関紙を心待ちにしているのです。

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 今回の28号の4面に私が塾長を務める年輪塾について、小番頭の松本宏さんが「二宮尊徳から学ぶもの」「~進化する年輪塾」と題して3枚の写真を添えて投稿しています。年輪塾には塾長である私の他に、塾頭の清水さん、大番頭の米湊さん、塾生第1号の浜田さん、それに今回投稿記事を書いてくれた小番頭の松本さんの5人で運営をしていますが、塾長の私を除けば、彼らはいずれもつわもの揃いで、様々な能力を持っています。


 私が常々彼らに言っていることは、人を導くためには、①書くこと、②喋ること、③実践するという3つのことが出来なければならないことです。清水塾頭は年輪塾2期目のテーマが二宮尊徳なので、一念発起して二宮尊徳翁夜話を解読し、塾生に200を超える読み物テキストとしてネットで配信し続けているのです。これはもう凄いことで、ひょっとしたら彼が一番二宮尊徳から学んでいるのではないかと思うのです。彼はその一話一話を塾生に解説できるような話術を訓練中で、もう佳境に入っているようです。

 その点今回の小番頭松本さんの文章もしっかりしていて、えひめ地域政策研究センターへ3年間、研究員として出向し武者修行で腕を磨いただけの価値があるのです。彼はその間培った県内外に張り巡らせた人間と情報とネットワークを持っており、いつかはその花が開くものと期待しているのです。気象予報士として別の顔を持つ清水さんにしても、市役所職員としてまちづくりに関わる松本さんにしても、話せることは山ほどあり、それらを元に90分の話術や話芸に腕を磨いて欲しいと願っています。

 人様に読んでもらえるような文章を書くことは難しく、人様を納得させるように喋ることはもっと難しく、ましてや文章と喋りが融合した話芸はかなり奥が深いものです。かくいう私もこの歳になってもまだまだ書くことも喋ることも道半ばなのです。でも松本さんのこの文章のように一目を意識する場所に自分の文章をさらけ出す機会を作らなければ、前へは進まないものです。これからも一歩前へ、さらに前へ、そしてもっと前へ進んでゆくことを望んでいます。

  「送られし 機関紙記事を 読みながら 同僚腕を 上げた喜ぶ」

  「人の目に 晒して批評 してもらう 更なる上を 目指して修行」

  「書くことも ましてや喋る ことさえも この歳なりて 未だ修行身」

  「早書きと 中身充実 日々修行 ブログは俺の 修行道場」 

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○車修理工場の30周年記念事業に招かれて講演②

 私もこれまで長い間人の前で話す機会がありましたが、車修理工場の30周年などに招かれて話したことはないので、多少困惑しつつ会場となっている神社の境内にある集会所へ皆さんと一緒に出かけました。会場は稲井さんの自宅からは車でものの5分ほどの場所にありました。

 近くに車を止め、神社の鳥居をくぐると正面に神社の拝殿が見えてきました。私はカバンから財布を取り出し、縁起を担いで「十分ご縁がありますように」と15円を賽銭箱に投げ入れ二礼二拍手一拝をして敬虔な祈りを捧げました。講演会は午後2時からなので暫くの間控え室で来賓として列席していた県会議員さんや市会議員さんと雑談を交わしました。

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 やがて「そろそろお時間なので」と係りの人に促されて集会室へ入りました。主催者である稲井さんから事前に「何人ぐらい集めれるか開いてみないと分からない」と言われていました。勿論自分の30周年間に培った信用という武器を持って集める自信はあったのでしょうが、信用を試されるだけに、「心配の余り昨晩は余り眠れませんでした」とご夫婦揃って真情を吐露するほど心配していたようです。「一人は困る、二人も困る、三人集まれば上出来」という私の事前話を聞いていく分気が楽にはなったようでしたが、それでも「果たして人が来てくれるだろうか?、開会の挨拶は上手くできるだろうか?」と悩みのタネは尽きなかったようでした。

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 さあ講演開始時間の2時にいざ蓋を開けてみると、会場は100人を越える参加者で席は満席でした。県会議員さんの短めなお祝辞に続いて稲井さんが挨拶に立ちました。100人の参加者は稲井さんの人となりや日ごろの信用で勝ち得た人たちばかりなので、朴訥と語る挨拶に皆が大きな拍手を送りました。

 さあ大変です。集まった100人以上の人に、私が稲井さんと私に声を掛けてくれた稲葉さんに、恥を欠かさないよう話さなければならないのです。ある意味責任重大です。身震いはしませんでしたが、それでも身の引き締まる思いで時間一杯約110分も熱弁を振るいました。ワンフロアーの演題に伝わった反応はもう最高で、笑顔と笑い声が絶え間なくビンビン返ってきました。勿論お昼寝の時間帯ながら寝る人は一人もなく、楽しい講演会は無事終わりました。

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 家路に帰る人たちから、「今日はいいお話が聞けました」とねぎらいの言葉を何人かからかけられ、会場を後にして再び稲井さんの自宅に戻り懇談をしました。その後東広島市内の料理屋さんに出かけ小宴を兼ねた夕食会に招かれました。秋の風情を演出するような料理の数々に舌鼓を打ちながら懇談交流、7時半ごろ広島を後にして再びしまなみ海道を走って10時30分ごろ自宅へ帰って来ました。

 運転をしてくれた高岡さんや同行してくれた稲葉さんに感謝の講演小旅行でしたが、稲井さんご夫妻や稲井さんの自動車修理工場が、30周年を新たな出発点として、今後益々発展することを祈っています。稲井さんご夫妻の「プロジェクトX」ともとれる勇気ある30周年記念事業は無事終わりました。60歳にして挑んだ未知なるものへの挑戦は、稲井さんの今後の人生にとって、大きな自信になったことは間違いないようです。稲井さんご夫妻に大きな拍手と大きな万歳を送ります。


  「新しい 発想で生きる 演題で 110分も 熱弁ふるう」

  「ご夫妻の プロジェクトX 大成功 一歩踏み出す 勇気乾杯」

  「いい人に 巡り合ったと 思いつつ 縁の不思議を 反芻しつつ」

  「三十年 終りではなく 始まりと 思えば今日は 意義ある日だな」

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○運転手と道案内人付きの贅沢な講演小旅行①

 私の友人で、車ハウス砥部という自動車修理工場を営む稲葉さんから2ヶ月程前に電話があって、「先日伊予市青色申告会で聞いたあなたの講演を、広島県でしていただくことは可能でしょうか?」と相談がありました。「私は刑務所以外呼ばれたら何処へでも行く」と常日頃冗談を言っている人間なので、稲葉さんが私の畑を借り受けて農作業をしている、親しい友人ということもあって,喜んで相談に応じました。

 広島県の講演の相先は、稲葉さんの古い友人で、稲葉さんと同じくボディショップ高屋という自動車修理工場を営む稲井誠さんのお店が30周年を迎えるので、その記念に講演会をやりたいというのです。

 私も多い年には年間100日以上も全国へ講演に出かけていますが、自動車修理工場の30周年記念事業に講演をするという奇抜なアイデアに、面白そうだとは思いましたが、相手のことを思うと内心不安を覚えました。それでも稲葉さんの口車と熱心な助言もあってこの話はトントン拍子に進み、稲井さん夫婦は先月、わざわざ私の自宅まで事前の挨拶や打ち合わせに来られ、昨日の日を迎えることになったのです。

 昨日の朝私は稲葉さんの指示されるまま、7時過ぎに自宅を出ました。昨日は前日までの上天気がまったく?のような雨模様の一日となりましたが、友人と高知まで日帰り旅を計画していた妻に車を乗っ取られたため、仕方なく軽四トラックでの出発となりました。

 早朝だったので稲葉さんのお店には20分近くも前に到着し、携帯で連絡を取り合い間もなく稲葉さんと同行する高岡さんが相次いで見えられました。聞けば稲葉さんの友人高岡さんが運転のため同行してくれるそうで、まるで大名、まるで水戸黄門のような講演小旅行に、私自身恐縮してしまいました。車は松山インター~小松ジャンクション~今治~しまなみ海道~山陽道~広島高屋ジャンクション~高屋インターと2時間半の道程を、楽しいおしゃべりをしながら進みました。沿線の紅葉も少しずつ進んで、ウルシやハゼモミジが色鮮やかに秋の雨に濡れていました。稲葉さんの記憶を頼りに間違いなく稲井さんの自宅へほぼ時間通り到着しました。

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 稲井さんとは先月打ち合わせのためわが家へ来られ顔見知りでしたので、臆目もなく自宅へ上がり込み歓待を受けました。そのうちタカキベーカリーに勤める、稲井さん・稲葉さんの共通の友人である小林さんご夫妻も見えられ、奥さんや娘さん、それに小太りの猫一匹も加わり楽しい昼食懇談となりました。稲井さんの自宅は洋風な木造の吹き抜け風で薪ストーブが焚かれていました。家の裏山はドングリや山栗も落ちる雑木林で、前には小川が流れ牧歌的な雰囲気でした。稲井さんの案内で雨に濡れた穏やかな秋の風情をみんなで散策したりしながら、講演の始まる時間間際まで、束の間を楽しみました。


  「自家用車 妻に奪われ 軽四の トラック出発 秋雨の朝」

  「運転手 案内人まで 同行の 贅沢講演 小旅行行く」

  「一度しか 会わぬ人だが 何となく 古い友人 感じながらも」

  「庭先に はじけ飛び散る ドングリに 秋の風情を 見つけ散策」

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○人間牧場訪問記②

 二日前、私のメールに兵庫県洲本市五色町の商工会職員さんからメールが入りました。「視察研修を計画していて、双海町に立ち寄るので、時間が空いていれば是非逢いたい」というのです。私のその日のスケジュールは午前も午後も夜も詰まっていて、午後1時から3時までなら何とか都合がつくかも知れないと返信しました。

(これから広島へ出張するので、続きは帰ってから書きます)

 その後メールで返信があり、視察先の内子町から少し早めに引き返し午後1時過ぎには立ち寄るので何とか時間を」と書き込みがありました。私はかつて若い頃洲本市と合併する前の五色町へ講演に行ったことがあるので、次のスケジュールを調整して出会うことにしました。

 午前中のお客さんの接客中、彼らから「ただ今伊予インターを降りたので向かっています」と連絡があり、午後1時過ぎに彼らはシーサイド公園へやって来ました。

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 彼らの出迎えに駐車場へ行ってびっくりしました。たった6人の人数なのにバスは中型です。「このバスで人間牧場へ行くのは無理だ」と断わりましたが、どうしてもと懇願され地元の9人乗りタクシーをチャーターするよう手配し、タクシーが来るまで暫くの間恋人岬の石席で観光と所業のあり方についてレクチャーしました。

 やがてタクシーに乗り込み先ほど先約客を案内した山道を走りました。幸いなことのこの日の運転手さんは高岡社長さんだったので、時間が押していることもあって、あの狭い山道を人間牧場玄関先まで乗り入れてもらい、ひやひやながら事なきを得ました。

 商工会青年部の皆さんにとって人間牧場の発想や施設群はとても興味をもたれたようで、矢継ぎ早の質問に答えながら束の間の時間を楽しみました。その後下灘駅、翠小学校、わが私設公民館煙会所を見学し無事4時過ぎに夕暮れ迫るシーサイド公園に送り届けました。彼らの目的はこの日の夕だったのですが、私は大幅に遅れた後約のお客さんを連れて三度人間牧場へ向かいました。

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 この日彼らは私への手土産として淡路島特産のタマネギを段ボールに1箱持ってきてくれました。わが家私設公民館煙会所の軒先に釣っているインテリア風なわが家のタマネギを見て彼らはどう思ったことでしょう。わが家ではその夜妻がカツオのたたきに添えていただいた淡路島特産のタマネギをスライスして食卓に出してくれていました。美味しいタマネギを食べながら彼らのことを思い出しました。

 この日は人間牧場へ3回も往復するなどまあ忙しい一日でしたが、来客それぞれが運んでくれた異文化ギャップを感じながら、充実したいい一日を過ごさせてもらいました。水は必ず高いところから低いところを目指して流れますが、人は必ず文化度の低いところから高いところを目指して動くものです。私やこの町文化度は高いとは思いませんが、せめてこれからも町や自分の文化度を少しでも高めるよう努力したいものです。


  「水何故か 高きに発し 低い方 人低い方より 高きを目指す」

  「五色町 聞いて昔が 蘇る お世話になった 恩を返そう」

  「ああ今日も 人のご縁を いただいて 幸せでした 明日もありなん」

  「双海町 かつて訪ねし 人の子が 年月過ぎて やって来るとか」 

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○人間牧場訪問記①

 戦実日本銀行松山支店で行われた研修会の席上で、愛媛県金融広報委員会の会長を兼務している支店長さんに、「いつか人間牧場へ遊びに来ませんか」とお誘いの言葉をかけていました。日本銀行の支店長さんといえばそうそう私たちの誘いなどに耳を傾けたり来られることはないだろうと思っていました。

 ところが先日、支店長さんから「11月6日の土曜日なら何とか都合がつきそうなので、お邪魔してもいいですか」と電話連絡がありました。支店長さんが来るのならと担当者の女性もお誘いしましたが、残念ながら子どもさんのクラブ活動などがあったようで、列車で来るか車で来るかも二転三転し、結局車で来ることになりました。お約束の10時にシーサイド公園で待ち合わせをしていたら、時間通りぴったり10分前にに支店長さんは到着されました。

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 さて、人間牧場だけでも芸がないと思い、まず翠小学校を案内しました。昨日はあいにく休日で学校はお休みなので、運動場の中にだけ入らせてもらい、校舎の正面玄関で写真を撮っただけの本のさわりだけでしたが、金融教育に欠かせない二宮金次郎の銅像があったりして、ご案内出来てよかったと思います。

 翠小学校へ立ち寄ったついでに近くのピザ釜から煙が立ち登るのが見えたので、おそるおそる中へ入ってみると、皆さんが忙しそうにピザ焼きの準備をしていました。市会議員の岡田さんや中心として働いている西岡さんたちと、時ならぬ名刺交換となりました。加えて折角だからと急遽支店長さんはピザ焼き体験に挑戦させていただきました。短い時間ではありましたが生地こね、生地発酵、生地延ばし、トッピングなどを経てピザが焼きあがり、その合間を縫ってみかんジュース絞りまで体験し、熱々の美味しいピザを二人でほおばりました。

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 そうこうしていると、地域政策研究センターの職員が舞たうんの表紙を飾る絵を描くため、柳原あやこさんを連れてやって来ました。柳原さんとは10年ぶりの懐かしい再会ですが、偶然の出会いにお互い喜び合いました。ピザ釜を出てちょっとわが家へ立ち寄り、私設海の資料館海舟館と私設公民館煙会所を見学してもらいました。

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 昨日は小春日和で風もなく穏やかな天気で、戸外では汗ばむほどの陽気でした。人間牧場へ続く急な山坂を縫うように走る人間牧場までの道沿いにはツワブキや野菊など季節の花々が咲いて、色づき始めたみかんと共に秋を感じさせてくれました。

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 人間牧場では背もたれ椅子をウッドデッキに持ち出してのんびりと海や空を眺めながら過ごしたり、ロケ風呂から豊田漁港の風景などを楽しみながら過ごしましたが、ススキも満開、周囲の山々も少し紅葉が始まり、多少ガスで曇ってはいましたが遠望を楽しました。

 その後下灘駅に立ち寄り、シーサイド公園のレストラン夕浜館で夕日丼を食べ、3時間の短いコース見学会は終わりました。果たして日ごろは激務に追われている日銀支店長さんに、束の間の短い休日を楽しんでもらえたかどうか満足度は分かりませんが、昨日の天気に免じて許して欲しいと思いました。レストランで食事中に次の視察団体到着の知らせが入り午後1時、支店長さんとお別れをしました。

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○夕日の撮影会

 前日の夕方西条からの帰り道、高野川の海岸で撮影した夕日夕やけの写真が余りにも出来が悪かったため、昨夕も松山から夕方同じくらいの時間に帰ったこともあって、着替えもせずにスーツにネクタイという出で立ちで新しいカメラを書斎から持ち出して、夕日のメッカシーサイド公園に出かけて行きました。昨日のダルマの夕日のような写真を撮りたいと思っているのか、アマチュアのカメラマンが何人も思い思いの場所にカメラを三脚セットして撮影をしていました。その殆どの人のカメラはまるで竹筒のような長い望遠レンズで、しかもハイメカなデジタルカメラのようで、私の簡易カメラみたいな安物を持っている人は殆ど見当たりませんでした。私も金ができたらあんなカメラをとふと思いましたが、金ができたらもっと別のことをするだろうと納得しながら撮影モードに入りました。

 近頃はカメラがデジタルになってフイルム交換やフイルム代を気にせず写せるのはいいのですが、その中からデジタル記録として残す作業をしなければならないので、私は適当に時間を置いて何コマか撮影しました。昨日は日が落ち始めるとさすがに冷気が身体に堪え寒くなり、防寒コートを持っていないため、ダルマの夕日にならないことを予測して早々に引き上げてきました。

 でも昨日の夕日もダルマ状態にはならなかったものの、秋の澄んだ空気のせいでしょうか、雲ひとつない絶好の夕日をカメラに収めることが出来ました。また息子や娘たちが誕生日のプレゼントとして買ってくれた、新しいカメラを初めて使ったため、多少不安だったものの、昨日よりは随分ましな写真が撮れていたようです。

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 それにしても、同じ夕日を同じカメラで同じような場所から撮影しても、随分その雰囲気は違うものだとしみじみ思いました。と同時に私のようなカメラ技術が下手糞な者でも、カメラさえよければある程度はカバーできるものだと、納得しながらパソコンに取り込んだ写真の中から上の7枚をブログに取り込みました。

 私のカメラはもっと画素数が高いのですが、ブログに取り込むには画素数を落とさないと取り込めないため、あらかじめ画素数を落としてセットし撮影しているので、プリントアウトすると画像が荒れるのです。まあ芸術品を作るのが目的ではなく、リアルを表現するだけなので、納得しているのです。

 何はともあれ秋の、夕日本番の写真を記録しただけでもいい一日でした。日本一と自認する美しい双海の夕日を見たい方は、今が旬の夕日を是非見に来てください。

  「カメラ変え 二日続けて 夕日撮る 腕よりカメラ 勝りていい絵」

  「下に雲 残念ながら 見えなんだ ダルマの夕日 諦め帰る」

  「昨日はね ダルマ夕日が 撮れたのと デジカメボタン 再生自慢」

  「七枚の 写真を組んで 表現す ブログ発信 双海の夕日」

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○警察本部からの講演依頼

 何ヶ月か前、「こちら愛媛県警察本部少年課の○○ですが、若松さんですか」と、いきなり電話がかかってきました。警察から、しかも本部からの電話なので幾ら悪いことややましいことはしていないと思っても、「少年課」など聞こえず、「えっ、警察本部から私に何の用・・・・」と思って一瞬こわばりました。そして私のカンピューターはとっさに二つのことを思い出しました。一つは私自身が過去に振り込め詐欺未遂事件に出会ったこと、もう一つは自分の息子が警察官なので、要らぬ心配ですが「息子が何か・・・・」と思ったのです。

 何年か前、わが家に突如として一本の電話がかかってきました。「あなたの息子さんが交通事故に遭いました。つきましては示談に100万円が必要です。」「息子さんは放心状態で電話に出られません。」などと、振り込め詐欺特有の電話なのです。人のことだと冷静になれるのですが、いざ自分の息子となると多少胸の高鳴りを覚えましたが、「お金は今すぐには用意できない。」「貯金通帳も印鑑も妻が持っている。」「妻はあいにく留守なので連絡しても夕方になる。」なとど引き伸ばし、一応電話を切り伊予署へ事の始終を報告して、再び犯人からの電話を待ちました。相手が「これはやばい」と悟ったのか、その後電話は二度とかかってこず、振り込め詐欺は未遂事件に終わりました。

 要らぬ心配のもう一つは警察官をしている「息子がもしかして・・・」でした。最近は警察官の不祥事も全国では結構新聞やテレビ沙汰になっていて、息子を信じてはいるものの少し心が動揺したのはやはり、息子を思う優しい親心なのかも知れないのです。

 結局少年課の○○さんからの電話の用件は、「研修会で講師をして欲しい」という依頼でした。私はこれまでにも各所の警察署や刑務所など、ありとあらゆる場所で講演を経験していますが、今回は警察ボランティアの方々に愛媛県武道館で話して欲しいということでした。

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 愛媛県武道館は愛媛県知事さんが、威信をかけて造った施設だけに、それはもう国際大会にも耐えれる立派なもので、まるでお城のような雰囲気です。私も2~3度立ち寄ったことはありますが、武道館で講演をするのは初めてとあって多少緊張していました。多分そのせいでしょうか、折角その日の午前中に作った自分のための講演シナリオを、プリントアウトしたにもかかわらず、プリンターに置き忘れるという大失態を演じてしまいました。でも講演シナリオがなくっても1時間余りの講演ですから、難なく事なきを得て無事終わりました。それにしても講演シナリオを忘れるなんて、妻曰く、「あなたも歳だ」と・・・・・。自分でも「う~ん、やはり歳だな」と妻の指摘に納得し、二人で大笑いをしてしまいました。

 会場には顔見知りも多く、「これは困った。何まりは話せない」と思いましたが、いざ蓋を開けるとそんなことは忘れて、思いつくまま多少冗談交じりの話をさせてもらい、警察のお堅い講演ながら不見識にも、会場の皆さんを笑わせてしまいました。

 昨晩はどういう風の吹き回しか、滅多に電話してこない警察官の息子から電話がかかってきました。妻から私に電話を変わり、事の始終を話しましたが、警察官の息子はやはりガードが固く仕事のことは一切話さず、「元気で頑張っている。」「正月にはひょっとしたら帰れるかも知れない。」と短い会話を交わし、年末調整のための生命保険の払い込み証明書を送って欲しいという言葉を残し電話を切りました。「警察」で明け暮れた一日でした。

  「警察と 聞くと心に 胸騒ぎ 悪いことなど してないいうに」

  「何年か 前に体験 詐欺未遂 経験したこと 脳裏に浮かぶ」

  「もしかして 息子気遣う 親心 違う電話に ホッと胸なで」

  「偶然に 息子の方から 電話入る 懐かし声に 妻はにこやか」 

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