shin-1さんの日記

○福井県越前市からのお客様

 日本海に面した福井県越前市から、はるばるわが双海町へ行政職員と公民館職員の皆さんが8名、視察研修にやって来られました。越前といえばカニや水仙が有名ですが、私も福井県へ何度か講演にお邪魔していて、そのご縁もあることからわが町を選ばれたのではないかと思うのです。

 前日の昨日からえひめ入りしているので、本当は交流をしたかったのですが、あいにく日曜日に広島へ講演に出ていたし、公民館に関係や造詣の深い仲間が全員私とともに国立大洲青少年交流の家で開かれていた地域教育実践交流会に参加していたため、前日は佐礼谷の地域自治を勉強に行かれたとの事でした。

 今日は朝9時にシーサイド公園で待ち合わせをして、いきなり9人乗りのマイクロに私も同乗させてもらい人間牧場を目指しました。私は昨日広島から船に乗って帰る途中、小走りに走っていて右足に軽い肉離れのような痛みを感じていたので、山道を歩くのが少し辛いため軽四トラックで行こうと思っていましたが、説明もあるのでご一緒しました。
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(人間牧場水平線の家ウッドデッキにて)

 今日の人間牧場は、昨日までの黄砂は北東の季節風が強く吹き、殆どなくなくなりかなり遠望が効くようになっていて、周防山口や遠くは広島の島々が見えていました。水平線の家で暫くの間話し合いをしたあと、ロケ風呂やかまど小屋を見学して、途中にある下灘駅もついでに見学しました。下灘駅は老人クラブの人たちが植えたコスモスや野菊が満開で、芳しい匂い賀して、訪れる人の目を楽しませていました。

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(日本で一番海に近かった下灘駅にて)

 公民館の職員もいることから、折角だからと何の前触れもなく翠小学校の見学をさせてもらいました。今時珍しい木造校舎やほたるを中心としたグリーンツーリズムについても少しだけ触れてもらいました。最後はわが家の海の資料館「海舟館」や私設公民館煙会所」なども見学していただき、シーサイド公園でお別れをしました。2時間の予定が3時間になり多少ご迷惑をかけかえる時間が遅れましたが、何とか無事に帰って欲しいと祈りました。

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(わが家隠居の前で)

 追伸

 同行した顔見知りの公民館主事さんたちから越前蕎麦をたくさんお土産にいただきました。早速妻と二人でご相伴にあずかりましたが、とても美味しい蕎麦でした。自分たちだけで食べるのは勿体ないと、出張した西土佐からわざわざお米を運んでくれた友人の小番頭さんに、ほんのちょっとだけお裾分けしてあげました。

  「少しだけ 縁ある私 訪ね来る はるばる遠き 越前の友」

  「あっちこち 僅か時間を 連れ回す 視察研修 車に乗りて」

  「肉離れ した足少し 痛いけど 人間牧場 歩いて案内」

  「お礼にと 貰った越前 蕎麦食べる 勿体ないと 少し裾分け」

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○広島県青少年育成県民運動推進大会に招かれて

 昨日の瀬戸内海は黄砂が降って視界が悪いものの穏やかで、小春日和の海は冬に向かう季節とは思えないほどでした。前日大洲青少年交流の家で行われた地域教育実践交流集会からの帰りが遅かったため、またその熱気や余韻が残っていたため、多少の疲れと眠気を感じながら、松山観光港からフェリーに乗って広島の宇品に着くまでの2時間余り、船内でぐっすり寝込んでの移動となりました。本当は高速船で行く予定だったのですが、広島での講演の組み立てを考える暇がなかったので、船の中で構想を練ろうと思っていたのに、結果的には何の手立ても出来ず広島入りしてしまいました。

 宇品から紙屋町経由広島駅行きの路面電車に乗って、紙屋町の一つ手前にある本通という停留所で降りました。本通りは日曜日とあって人通りも多く、さて電話で出張先へかかった電話で言われたとおり歩こうと歩き始めた矢先、青少年育成広島県民会議の常務理事の嶋末さんから、タイムリーにも携帯が入りました。目と鼻の先に会場となっている広島県民文化センターの看板と建物が見える人混みの中から初対面とは思えぬ笑顔で手を振りながら彼女は現れました。偉い肩書きとはえらい違いの容姿と身の軽さにびっくりしながら会場内に入り、控え室の楽屋へ案内され名刺交換しました。

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 大ホールでは既に表彰や発表など開会式のリハーサルが行われていて、とりあえず昼時なのでセンター内のレストランの予約席に案内され日替わり定食をいただくことになりました。私の出番は14時20分から80分なので、食事も久しぶりにゆっくり食べ、ドリンクサービスで注文した食後の冷たいトマトジュースをいただきながら、外の形式や道行く人の姿を眺めて時を過ごしました。

 楽屋に戻ると1時から始まる開会式に出席する来賓の方々が次々見えられ、慌しく名刺交換をさせてもらいました。県議会の副議長さんや、県警本部長さんなど、また県民会議の会長さんや役員さんなど、滅多に出会えない豪華な顔ぶれに無位無官で値打ちのない私は多少戸惑いました。

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 そのうち来賓がいなくなり一人となった控え室に、旧友の旧作木村の安藤周治さんが顔を出してくれました。彼とはもう20年を超えた付き合いですがすっかりご無沙汰していて、積もる思い出話や最近の地域づくりについて意見を交えました。彼は私より若いし私と多少違った切り口で全国を回っているので、随分深い話をしてくれましたが、地域づくりの現場に私たちを引き継ぐようなリーダーが不在だと嘆いていました。多少同感しつつも私の周りにいる仲間たちのことを思い出しながら、自分の後に続く人たちが多く入ることを幸せに感じました。安藤さんも県民会議の役員だそうでした。

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 やがて少し早く進行している時間を告げられステージに案内され私の講演は始まり、音響の素晴らしさに酔いながら90分近く楽しい話を喋り続けました。私の武器はスライドショーなど利用せず、ホワイトボード一つです。ふとケーシー高峰という医学芸人を思い出し、よく似ている自分に気付きました。

 講演後先を急ぐ私のために差し回しのタクシーで宇品港まで送ってもらい16時30分発の高速船に余裕を持って間に合い、黄砂で染まった夕日を右手に見ながら航海し、19時前に自宅へ帰ってきました。この一週間は高知や県内移動でかなりハードスケジュールでしたが、右足の軽い肉離れもあって、少し休養が必要だと実感しつつ、今週も忙しくなりそうな予感です。

 

  「久方に 出会う旧友 切り口の 違った話 頷きながら」

  「値打ちない 無位無官俺 気が引ける 偉いお方と 名刺交換」

  「黄砂振る 小春の海を 行き戻る あっという間の 日帰り講演」

  「ステージで ホワイトボード 図解する ケーシー高峰 似ている苦笑」

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○ファシリテーターとして②

 さてワークショップのファシリテーターとして私が使った手法は、6班に分けたグループの一番若い方にリンゴをそれぞれ1個渡し、さし当りグループの進行役になってもらいました。そして「10万円でできる青少年のための夢の使い方」をテーマに、ひとり1分以内で自分の夢をリンゴを回して述べること、いつ何処で何をと要領よく述べること、いい夢には商品を、グランプリと準グランプリはみんなの拍手で決めてバラの酢を差し上げる、などを手短に要領よく説明してスタートしました。

 この方法は予想以上に参加者が夢中になって、各グループでは面白いアイディアが次から次へ出始めました。グループで一番若い進行役にグループの中で一番面白かったアイディアを独断と偏見で決めさせ発表してもらいました。みんなにその中で一番いいアイディアだと思うものに一回だけ拍手をしてもらい、比較的拍手の多かったのを二つ選びました。ただし自分の半のものには拍手が出来ないように説明していたので、皆さん沈着冷静に選んだ結果、「無人島へ子どもたちを連れて行く」が準グランプリ、「チューリップの球根を10万円で買い子どもたちと植えて花が咲く頃チューリップ祭りをする」というアイデアがグランプリを獲得しました。

 実はこのワークショップにはスポンサーをつけていたのです。私の名刺の裏に「裏が味噌」と印刷したものを使っていますが、これはコマーシャル名刺なのです。そのスポンサーは「裏が味噌」のギノー味噌」なのです。前もってギノー味噌の田中社長さんに訳を言って参加者全員に400グラムの麦味噌とドレッシング40本を、青少年交流の家宛「若松進一気付」で送ってもらっていたのです。交流の家では私が荷物のことを説明していなかったため、食堂とちょっとした荷物の受け取りで戸惑ったそうですが、これもギノー味噌を意識させるちょっとしたアイディアだったのです。参加者の皆さんを巻き込んだ40分間のワークショップは、ギノー味噌一色でしたが、誰も文句を言わず、むしろ商品や参加賞を貰って大喜び、私の作戦は見事成功し、ファシリテーターとしての役目も無事終えました。


 今回の成功の裏にはギノー味噌の田中社長さんの絶大な協力があって実現しました。私たちは二言目には「金がない」と言いますが、「金がなかったら知恵を出せ」「知恵がなかったら汗を出せ」「あせもでなけりゃ辞表出せ」といつも言っているように、どうしたら上手くいくか知恵を出せば方法はいくらでもあるのです。

 ギノー味噌の田中社長からいただいた味噌は、全県下、全国から集まった人たちに持って帰ってもらい、近々に味噌汁として食卓に上り、ワークショップの話をしながらギノー味噌が話題になることでしょう。失礼しました。そうそう今日は広島へ出張するため、夜遅くまで交流会や二次会に10時過ぎまで付き合い、自宅へ戻って風呂に入り寝たのは12時過ぎでした。それでもいつものように午前4時に目が覚め、2本のブログをいつものように書いて、いざ広島へ出発です。読者の皆さん今日もご機嫌よう。


  「味噌会社 社長はやはり 太っ腹 お陰で恩を 少し返して」

  「裏が味噌 これが欲しいと 次々に お陰で名刺 売り切れました」

  「俺役目 ファシリテーター 言うそうな 何のことなし 普通変わらず」

  「行く所 よくあるものと 妻感心 亭主元気で 留守がよいのか」

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○困った、しまった島倉千代子①

 「若松さん、あんたしかおらん」と、時々褒め殺しや持ち上げの言葉に騙されて、色々な役目を言いつけられることがあります。ましてや仕事のような日々が忙しくて、集会の実行委員会や運営委員会に欠席しようものなら、このときとばかり欠席裁判にあって、あれこれと役割に組み込まれるのです。

 今年で3回目を数え、国立大洲青少年交流の家で開かれている地域教育実践交流会のプログラムにも、老骨ながら「歓迎ワークショップ」(ファシリテーター:若松進一)と、私の名前が開催要項の日程表に印刷されているのです。明らかに欠席裁判なのですが、欠席したことの後ろめたさもあって、断わる勇気も理由もなく事後承認となってしまいました。

 はてさて、ワークショップとはいかなるものか、ファシリテーターとはどんな役割なのか、日本人の私には余り本当の意味が分かっていないのです。こんな時頼りになるのはやはりパソコンです。お気に入りから入って電子辞書で調べるとウィキぺディアが出てきます。この項目には、「若松進一」という項目の解説さえ出ている優れものなので、直ぐに見つかりました。

 ワークショップとは「学びや想像・問題解決やトレーニングの手法」、「参加者が自発的に作業や発言を行える、環境が整った場において、ファシリテーターと呼ばれる進行役を中心に、参加者全員が体験するものとして、運営される形態」と説明されていました。「うーん、よう分からん」と思いつつ、その集会を明くる日に控えた前日、その役割の重さに少々気が重くなってた矢先、郵便局へ郵便物を出しに行った郵便局の窓口で、「訳ありリンゴ」のサンプルとして展示しているリンゴを見て突然ひらめいたのです。


 「そうだこのリンゴを使おう」と思い、副局長さんに「このリンゴのサンプルを6個下さい」と頼みました。わが家では毎年「訳ありリンゴ」を10箱近く買い求めている上得意なお客さんとあって、「どうぞ使ってください」と6個のイミテーションリンゴいただき持ち帰りました。さあどうする、色々思案した挙句、参加者全員200人にインタビューで、「リンゴを見て何を思い出しますか」と質問してやろうと思いました。リンゴといえば「ニュートンの引力発見

リンゴ」「白雪姫の毒入りリンゴ、「ウイリアム・テルの弓矢のリンゴ」「リンゴの歌」「青森のリンゴ」などを思い出しますが、そのリンゴの思い出し方でグループ分けをしたらワークショップが出来るかも知れないと最初は思いました。しかしこれでは人数がバラバラになるので、ホイッスルゲームで6人にしてジャンケンで順番をつけてもらい6班に分ければ平等だと思いました。

 さあそれからどうしようと、凡人の私はない知恵を絞りましたが、中々出てこないのです。相談する相手もなく、ついには別の仕事に悩殺されてすっかり忘れてしまって当日の朝を迎えました。妻と朝食をしながら、「お前に10万円やるといったらお前は何に使う?」と唐突に質問しました。「えっお父さん、私に10万円くれるの?」と妻の顔に色気がさしてきました。「違う違う、これはワークショップの進め方の参考だ」と打ち消し、妻の意見を求めましたが、妻からは明確なアイディアは残念ながら出てきませんでした。

 さてあなただったらどんなアイディアが出てくるでしょう。続きは「shin-1さんの日記」をお読みください。


  「この歳に なると横文字 意味不明 ネット検索 余計分からぬ」

  「研修会 大事な役を 任された 能力なくて どうにでもなれ」

  「実物と 見まがうほどの リンゴ持ち 勇み乗り込む 青年の家」

  「昨年も 一昨年も 今年また 三年続く 出番仕切りて」 

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shin-1さんの日記

○「うまい」「うまい」「うまい」「うまい」の連呼

 先日松山五行歌会の代表を務めている見山あつこさんから、今月もウグイス色の封筒定期便が送られてきました。文化人でもない私が友人で先輩の玉井さんに誘われて五行歌を作るようになって7ヶ月が過ぎました。最初の内は恥をかくまいと少し暇があったら、自分の気付きを歌にしてパソコンに打ち込んでいましたが、丁度活動期とも重なって歌を作るのを忘れ、時々見山さんから「締め切り迫る」の優しいメールが届き、その度に深く反省しながら即興で作って、歌会にも出席せず欠席句としてお茶を濁しているのです。

 そんな不義理な私ですが、月に一度来る見山あつこさんからの便りはとても楽しみなおです。それは私のような駄作のそしりを免れない欠席出題句にまで丁寧な選評に加え、心温まる私信を添えてくれるのです。(今朝見山さんからの封筒を取り出したら何と中から一枚の写真が出てきました。高島屋での作品展を見たときの写真を送っていただいていたのです。すっかり見落としてしまっていました。大変失礼をしてしまいました。)

 さて私の先月の句は次の通りでした。

 秋刀魚がうまい

 栗がうまい

 新米がうまい

 あれもこれもうまい

 人肥ゆる秋だもの

 選評には「☆美味しい秋が溢れた歌。「うまい」の連呼で作者の喜びが伝わります。五行目の『だもの』の女性の口調も効果的、食べる喜びを素直に表現していて、全員納得の作品です。」と書かれていました。そして嬉しいことに朱色で欠席句「第三位」と標記していました。

 ちなみに出席句第一位は見山敦子さんの次の句でした。

 祭りがくると

 思い知る

 何十年住んでも

 ここは

 第二のふるさと

 ちなみに欠席句第一位はつく志さんの次の句でした。

 孫娘が毎日

 メールを呉れる

 約束1

 婆ちゃん

 百まで頑張るわ


  「いかんなあ もっと修行を しなければ 人の秀作 納得しつつ」

  「今月も 締め切り二日 前送る しかも欠席 すまんことです」

  「主宰者は 一位常連 俺などは くずかご行きだ 天地開いて」

  「丁寧に 選評添えて 導くも 浅学ゆえに 上達もせず」


 

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shin-1さんの日記

○内子から大洲へ

 昨日は隣町の内子幼稚園へ人権教育講演会に出かけました。幼稚園のPTAにお話を頼まれたのですが、人権教育は得意ではないので、80分の話をどのように組み立てようか悩んだような顔をして壇上に立ちました。見れば一番後ろの席に顔見知りのさっき会ったばかりの80歳に近い友人のお母さんが同年代の人を誘ってデンと腰を下ろしているではありませんか。この方は元校長先生の奥さんです。息子さんは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの事務局長を務めている元県庁職員なのです。

 時々内子町へ来る時はご機嫌伺いに立ち寄るのですが、元校長先生も耳は少し遠くなったものの元気でお過ごしのようで安心しました。それにしても30分の間に友人を誘って私の講演を聞きに来てくれるなんて、凄い人だと感心しました。最初はその人の姿を見て「やばい」と思いましたが、直ぐに参加者の一員として意識しないようになって、スムーズに話を終えることが出来ました。

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 内子幼稚園は昔ここにあった内子公民館跡地に内子自治センターと共に建て替えられ、1ヶ月前に引越ししたばかりという木造の立派な施設でした。園長の高松さんは聞けば既に務めていた郵便局を退職されているご主人が、かつて双海郵便局に勤めていて顔見知りだし、内子町の立山に住む友人亀田慶孝さんの近所だそうで、世の中の狭さと縁の深さを感じました。

 またPTA会長さんは子どもが5人いる優れた人で、初対面で出会うなり「若松さんの書かれた記事を切り抜いて持っています」と突然言われました。聞けば私がコープえひめの雑誌に連載していた記事のようで、拙文ゆえに赤面してしまいました。

 昨日は午後、今日始まる第3回地域教育交流集会の準備があるので、道の駅からりで、妻に頼まれた内子町特産の富有柿を買い求め国立大洲青少年交流の家へ向かいました。無料区間でもあるので内子インターから大洲インターまで高速道路を使い、高規格道路を経て北只まで走りました。交流の家の道沿いにはカエデの目の冷めるような紅葉を見ることができ、しばし車を止めて見とれていました。

 青少年の家職員の児玉さんさんとは青年団時代からの友人で、食堂で味噌ラーメンをいただきながら積もる話に花を咲かせました。やがて外出先から帰ってきた新山所長さんや準備のためにやって来た堺雅子先生や小笠原さんたちと全体会場や分散会場設営のために2時間余りお手伝いをさせてもらいました。本当は今日と明日の二日間なのですが、私は明日どうしても外せない用事で広島へ行かなくてはならず、世話人の一人として責任を取るべく今日の準備手伝いとなったのです。さあ今日も元気に仲間と共に大洲入りして頑張ります。


  「得意なら 張り切り話す 人権も 不得意ゆえに 謙虚に話す」

  「へーそうか 会う人毎に 深い縁 世の中不思議 糸で繋がる」

  「北只の 高台黄砂 煙るとは まるで春先 気象異変か」

  「道沿いの カエデ紅葉 車止め 見とれていると クラクション鳴る」

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○再び高知県芸西村へ

 高知県の中心高知市から南国市などを通って安芸市に通じる国道56号線沿いに芸西村という小さな村があります。村といっても私の町より少し人口が少ない4千百人ほどの村です。南は太平洋に面していて、昔は松林の綺麗な琴ヶ浜から見える夕日は格別だったと、心ある住民は今も自慢をするのですが、残念ながら松林は殆ど素方を消し、村民会館大ホールのの緞帳が往時を偲ばせているようです。

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 実は2年前の11月21日にも、まったく同じイキイキ会に招かれているのですが、昨年は新型インフルエンザの影響で年に一度の高恒例となっている研修会も、昨年は止む無く中止としたそうです。ところが二年ぶりの研修会を企画する話の中で、性懲りもなく一昨年に続いて私にオファーがかかり、連続して2回も記念講演をすることになったのです。いくら田舎のおばちゃんが物覚えが悪くても、私の名前と顔ははっきり覚えているのです。

 しかし私が前回どんな話をしたか、内容までは覚えていやあしないと、鷹を食ってノコノコ出かけて行きました。

集会は午後6時から始まりました。芸西村のウーマンパワーは素晴らしく、副町長さんも女性、村議会議長さんも女性なのです。失礼な話こんな小さな村でよくもまあこれ程の人が集まると感心するほど椅子が用意されていました。5時半過ぎからボツボツ席が埋まり始め、6時の開会時にはほぼ満席状態でした。

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 イキイキ会の会長である村議会議長さんの挨拶で始まり、村長さんが短めの祝辞を述べて会はスタートしました。お待ちかねは当日のメインイベントである振込み詐欺をテーマとした寸劇でした。前回も見ましたがまあ土佐弁丸出しでの熱演に会場は笑いの渦に包まれました。その後、午後からみんなが出て作ったという美味しい料理の試食パーティーです。お寿司やおでんなど高知ならではの皿鉢料理が所狭しと並んでいました。

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 一番人気は何といっても芸西村特産のナスを使ったタタキです。高知では普通カツオのタタキが有名ですが、ここのタタキはナスを素上げにしてその上に焼き鯖の身をほぐしたものを乗せ、タマネギやねぎをあしらってポン酢で食べるのですが、これがまた絶品であれほどあったものがあっという間になくなってしまいました。酒はなく甘党な饅頭や洋館アドも用意されていましたが、もう満腹でした。

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 芸西村で作られているというトルコキキョウやダリアの花が会場の至る所に飾られ、集まった人が少しお歳を召してさえいなければ結婚式の会場と見まがうほどでした。食事会は講演10分前に切り上げ、5分だけ早くスタートしたので、幾分助かりましたが、私の講演は1時間5分をきっちり守り、8時30分に終わりました。講演が終わると素敵な女性が壇上まで大きな大きな花束を運んで私に下さりました。もう大感激でした。

 直ぐに身支度して帰路に着きました。南国インターから伊予まで高速に乗って自宅へ帰ったのは11時近くになっていましたが、参加者の中にはすっかり顔見知りもいて、今度は人間牧場へ行くからと、固い約束をした顔顔が浮かぶのです。この日は高知へ出張していた馬路村の木下課長さんと芸西村の入り口で待ち合わせをして、山岡さんが作ったミツバチの巣箱を2個受領しました。これで来年の春の分鉢の準備は整ったのです。


  「アドリブな 即興人を 笑わせる 振り込め詐欺は 身近所で」

  「この村の 元気源 野菜かな ナスのたたきに 舌鼓打つ」

  「二度目だが 知り人多く 駆け寄りて 百年前の 旧知のように」

  「馬路村 頼んでおいた 巣箱持ち 指定の広場 友と出会いて」

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○お金持ちになりたいという願望

 わたしたち人間は多い少ないは別として、何らかの願望を持って生きています。それらの願望は生きてきた人生の裏返しであると時々思うのです。例えば不幸せな目にあった人は幸せになりたいと思うし、貧乏にあえいだ人はお金持ちになりたいと思うでしょう。またガンに侵され余命いくばくもない人は健康で長生きがしたいと思うに違いないのです。そしてその様々な願望は、時には幸せそうな人、お金持ちの人、健康で長生きをしている人を羨ましく思ったり嫉妬したりするのです。


 昔の人は一部を除いて殆どの人が貧乏でした。勿論わが家も親父や死んだ祖母の話によると大貧乏で、律義者の子沢山といわれるほどの家族を養うために、おしんという朝ドラにも匹敵する苦労をしたようです。でもいつかは幸せになりたいという願望を持って生きてきたお陰で、そして何よりも世の中が変わったお陰で、お金持ちにはなりませんでしたが子孫の私たちは、祖母の時代の人がうらやむほど幸せになれたのです。

 そんな幸せの中にありながら、私たち人間は何故か満ち足らず、相変わらず幸せの青い鳥を探しているし、お金だって毎日あくせくと働いて、「お金持ちになり」という願望のために、妻などは宝くじまで買って一攫千金を夢見ているのです。

 今の世の中は若い頃年金を掛けておけば多かれ少なかれ歳をとると年金をいただくよう福祉が充実しています。また子育てにおいても子ども手当などが支給され、もし食べれrなくなっても生活保護を受けれるなど、様々な手厚い保護が受けれるようになっています。

 しかし一方で介護保険を引かれたり、日ごろの生活だって電気代・ガス代・携帯電話代などなど、少し注意を怠ると、自分の口座から自動引き落としになっているため、引き落とす金が底をついたと銀行や郵便局から督促が来るのです。いわば暮らしに金がかかる時代のようです。

 じゃあ自分の人生において余命を生きて行くのにどれほどのお金があったらいいのか、試算したことがあります。その結果は「えっ、そんなにお金がいるの?」と疑うほどお金がいるようです。しかもその数字は病気や不慮の事故に遭わないということが前提ですから、将来の備えを考えると年金さえ当てにならない時代ですから不安に刈られ、できるだけ使わず質素倹約をして小銭を貯めるという生活を強いられ、頭のどこかに「お金持ちになりたい」という願望が頭を持ち上げるのです。でも宝くじも当たらないし思うようにお金持ちにはならないものだとしみじみ思うのです。年金以外収入の道を断たれた私たちは、もうお金持ちになることは決してありません。でもこうして三度三度の食事にありつけ、考えようによっては幸せな暮らしが出来るのですから良しとしましょうか。


  「貧乏を 経験したほど 金持ちに なりたい願望 強いというが」

  「もし金が あったらあれも これしたい ないゆえ思う だから生きれる」

  「ありそうに 見せる人ほど 借金も あったりするから 見栄え分からぬ」

  「祖母親父 貧乏経験 したゆえに 諺言って 私戒め」


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○悩み多い上司と部下

 昨日の夕方、家庭菜園で妻に頼まれ夕食のための野菜を収穫していたら、唐突に私の携帯電話が鳴り出しました。手には水と少しばかりの土がついていて、「ちょっと待って」とポケットに手を突っ込む間もなく、その電話は切れました。急いで家に戻り手を洗い着信履歴を呼び出して電話をかけ直しました。

 私の携帯電話は他の人のように秘密にしている訳ではなく、私のホームページでも公開しているので、かけようと思えば誰でもかけれるのですが、そんな人は講演依頼か余程の人以外はかけてこないのです。つまり私に電話がかかってきた人は知人なのです。

 電話の相手はかなり深刻そうな話をしていました。要約すると、「自分の部下が仕事を辞めたいと相談してきた」「管理職になってまだ日も浅く、自分のことで精一杯なのに、部下に辞められると自分の管理能力が問われる」「どうしていいか部下も私も悩んでいる」「二人がこれから行くので相談に乗って欲しい」というのです。

 私は仕事柄色々な人から色々な相談を受けますが、上司と部下の二人揃って助言をして欲しいという相談は初めてなので、とりあえず「上司のあなただけ来て欲しい」と話しました。私には彼らに助言をするほどの脳力はないし、ましてや何の責任もないのです。しかし断わることもできず上司の彼はわが家へやって来ました。

 わが家へやって来た彼は、今年の春待望の課長になったと喜び勇んでいた姿とは別人のような冷めた顔でした。煙会所の裸電球に照らされた顔を見ながら事の顛末を聞きましたが、管理職として自分の職責を大事にする余りに上ばかりを見て仕事をしていて、下を見ていなかったことをまず諭しました。

 課長のような中間管理職は上と下に目を配らなければなりません。ノルマも当然あってその成果は上司と部下の信頼関係で勝ち得るものなのです。聞けば「ノルマを達成できないのはお前の責任だ」と部下をののしったことが事の発端だったようですが、部下が「私の努力を分かってくれない」と反論しお互いがパニックになったようです。

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 私は先日ある公民館のロビーで貰ったニューモラルという雑誌に載っていた三人の石工の話を引用して、部下が仕事によって得られる喜びは次の3つがあると話しました。①自分の能力を発揮することが出来る(自己の成長を実感できる)、②他人や社会の役に立つことが出来る(社会に貢献している)、③報酬を得ることが出来る(生活のための十分な収入がある)、の3つです。そのためには上司と部下が夢や目標を共有しなければなりません。石工たる部下に石を積むことだけを強要し、石垣を造ってその上にお城を建てるという夢や目標を教えなかったら、働く喜びも役立ち感も将来への夢も、ましてや収入にも満足できないのです。


 私の話を聞いた彼は、「もう一度やってみる」と言って帰って行きました。今朝早く私のパソコンに短めのメールが入っていました。私もすぐさま「頑張れよ」と短めの返信をしておきました。部下の時代にはみんな課長になることに憧れますが、自分の働きのなさを棚に上げて、自分が輝けないのは課長の責任だと嘯きます。課長になれば上と下の間にまるでサンドイッチのように挟まれ、身動きが取れない自分を嘆きます。みんなそんな閉塞感に苛まれて仕事をしているのでしょうが、それでも1+1=2は当たり前、1+1=3にも4にもするには上下の信頼関係とスクラム以外にないのです。

  「何してる 聞けば三人 三様に 仕事語るも 夢を語れず」

  「管理職 見た目ほどには 楽じゃない サンドイッチに 頭悩ます」

  「1+1 答えは2だが やり方で 4にも5になる 信頼関係」

  「上司部下 お互い自分で 選べない ゆえに心を 許して励む」

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○深まり行く秋を楽しむ

 少し寒さが増して来たのを体感させるように、最近は妻の手料理メニューに体が温まるような鍋物が増えてきました。二日前は鱧の水炊きを美味しくいただきましたし、明くる日の昨日は昼の在宅だったため、鍋の残りにご飯を入れ卵でとじて鱧おじやを食べました。昨日の夜は少し風邪気味で食欲がないからと理由をつけてうどんすきでした。今わが家は冬野菜の走りで小松菜、春菊、白菜、チンゲンサイなどの軟弱野菜がたくさん採れるため、先日知らすtに来た淡路島洲本市五色町商工会青年部の方からいただいた特産のタマネギも使って作った具沢山のうどんすきは、ストーブを点けた食卓で食べたため、最後は大汗をかいて食べました。私はこれまでごった煮のような鍋物は好きではありませんでしたが、寒くなると何かと理由をつけて鍋物をするため、最近はすっかりなれた感じもするのです。

 寒くなると体を動かす機械が少なくなりの運動能力が鈍るので、できるだけ意図的に身体を動かしたり、朝晩裏山へ散歩に出かけます。家の裏に迫った裏山は少し急峻で少し強めの運動には格好のコースなので、自分の体調に合わせて降りたり上がったりしながら少し汗ばむ程度の運動量を確保しています。こうすることで一定量の運動量が確保でき、腹は減るしよく眠れるので、冬場の自己流多気力保持のためにこれからも、折に触れて散歩したいと思っています。

 この2~3日季節が秋から冬に変わっていることを予感させるように足繁く雨が降り、足元が濡れる場合は倉庫に置いているゴム長靴を履いて傘を差して出かけます。ゆえにやろうと思えば全天候、毎日でも散歩が出来る術を覚えました。

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 散歩コースの途中に大きな柿の木がありますが、3日前の大風で美しく色づいた柿の葉が吹き飛ばされて、道一面を紅葉が散らかっていました。私たちは紅葉の美しさを木々に求めますが、どうしてどうして足元に落ち散った葉っぱはこれまた風情があるのです。色とりどりの柿の葉の落ち葉は踏みつけて歩くのが気の毒なような自然が醸す芸術作品です。鳥の目で紅葉を楽しむのも一興、虫の目で紅葉を楽しむのもまた一興です。行く秋を惜しむように散り染めし落ち葉を踏みかさかさと音を楽しむのもこれまた一興です。冬はもうそこまで来ています。今の時期にしか味わえない季節の移ろいを、モズやカラスの鳴き声と共に聞きながら、今朝もそろそろ夜明けを迎えるので、散歩に出かけようと思っています。

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 追伸

 わが書斎の窓から見える裏庭の石に絡まったシノブの葉っぱが見ごろを迎えています。深山幽谷の風情を毎日窓越しに楽しんでいます。見ごろはこれから10日くらいでしょうか。わが家の名残の秋です。

  「冬野菜 どっさり入れて 鍋つつく 体ポカポカ 腹は満腹」

  「裏道に 風がいたずら した模様 柿の葉散らし 地上絵書いて」

  「今見ごろ 庭石絡む ノキシノブ 少し色づき 深山幽谷」

  「立冬の 暦が示す 冬来たり ストーブ出して そろそろ暖を」  

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