shin-1さんの日記

○2日間で800キロ

 さて「2日間で800キロ」とは何の数字でしょう。これは私がこの2日間で走ったマイカーの走行距離です。双海町の自宅~松山~今治~しまなみ海道~尾道~世羅~広島県三次市上田~平田観光農園~東広島西条~山陽自動車道~西福山~しまなみ海道~今治~松山~双海町自宅(宿泊休憩朝食)~砥部町~国道33号線~仁淀川町~佐川町~須崎市~高知自動車道~川之江~松山自動車道~伊予インター~双海町の自宅と、まあ走った走った、ただひたすら走り続けました。


 中国地方や四国地方の深まり行く秋の気配を感じながら走りましたが、もし私が車に乗れなかったらこんな小さくも大きな移動は出来ないだろうと、しみじみと車に乗れることの喜びを感じるのです。私が車の免許を取得したのは26歳の時でした。最初はモータバイクしか持っておらず、車は仕事で乗る公用車ていどでしたが、その後中古車に乗り若い頃は余り車に金をかけませんでした。新車に乗ったのはホンダでしたが、その車も免許を取った長男に奪われ、私はもっぱら軽四トラックでした。その後新車トヨタプラッツを1台10年間でブレーキ不具合が生じるまで乗り潰し、昨年新車トヨタカローラを購入し今日に至っていますが、免許取得以来40年間車に乗り続けています。


 私は退職後も相変わらず広域移動をするような日々に追われています。最近は北海道や沖縄、大阪より向こうへ行く時は公共交通機関を使いますが、中国四国それに九州方面は箸がかかっていることもあって車で移動します。車で移動をすると時間が効果的に使えるからです。公共交通機関だと行き帰りのつなぎの待ち時間が多く、結果的に一泊を余儀なくされてしまいます。車だと多少疲れますが夜走って自宅へ帰れるため明くる日の一日が丸々使えてとても便利なのです。普通だと山奥の広島三次市や愛媛県の裏側高知須崎市へ行くには一泊しなければなりませんが、高速道路のお陰で昨日などは早く帰ることが出来ました。

 さて私はあと何年車に乗れるのでしょうか。車に乗れなくなると自分の足と公共交通機関以外移動手段はないのです。当然人間牧場へも行けなくなるし、近くの松山だって汽車で行けば一日がかりになるはずです。

 隣のおじさんが高齢を理由に車の免許証を返納しました。これまで信心している宗教の本部が高知県にあるそうで信者さんを乗せ度々出かけていましたがそれも叶わず、また日常の買い物も近所のお店へ歩いて行っているようで、もどかしい日々の暮らしにどこかかつての元気が失せたような感じがするのです。

 親父のように最初から車に乗れない人間は自転車に乗ったりしてそれなりに暮らしていますが、隣のおじさんは自転車に乗るでもなく、車に乗れた便利に暮らしていた頃と、今の不便な暮らしの落差を肌で感じているようですが、老後の暮らしはまさに小さな世界でしか生きられないのです。

 私もその時を見越して、どう軟着陸するかそろそろ考えておきたいと思っています。

 

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○自分の心の中に潜むもう一人の自分

 人間はあれもやろう、これもやりたいと、色々なことを考えるものです。ところがそう心で思って始めても中々続かず、途中で止めた経験は枚挙に暇がないほど多いのです。「明日から朝早く起きよう」「来年から家計簿や日記をつけよう」「いつか暇になったら旅行に行こう」などと考えるものの、「今日だけは起きれない」「家計簿や日記も3日坊主で止めてしまった」「金と暇がないので未だに旅行に行けない」と、小さなできなかったことだけでも沢山あるようです。

 人間がこのように思っても殆ど出来ないのは何故でしょう。それは「明日から」「来年から」「お金や暇が出来たら」と「「次」に先送りし」「今から始める行動力」がないからだと思うのです。「今から始める行動力」は何よりも大切なことで、これなしに物事は始まらないのです。そのためには自分の心の中に潜むもう一人の自分を発見し、そのもう一人の自分に、「お前は心に思っていることを今直ぐに始めろ」と命令のスイッチを押させなければならないのです。


 人間は無意識な中で、「自分の心の中に潜むもう一人の自分」と絶えず対話しながら、生まれてから死ぬまで対話を続けるのですが、自分の存在に気付いて意識することは殆どありません。例えば自分の目の前に美味しそうなケーキが出されるとします。多分誰でも「美味しそう」と思い、「食べたい」という衝動に駆られるのです。特に甘いものに目がなかったり、お腹が空いていたりすると、それが夜12時であっても何の考える暇もなく手を出して、貪るように食べるに違いないのです。

 ところが「自分の心の中に潜むもう一人の自分」が思慮深いと、「今は何時か」「これを食べると太るかも知れない」など色々な身体に悪い条件が頭を持ち上げ、「食べたい」という自分と、「食べては駄目だ」という自分が喧嘩やせめぎ合いを始めるのです。「今日ぐらいはいいだろう」「ケーキ一個ぐらいならどおってことはない」と食べる理由を探して食べ始める人は、その時「美味しかった」という一時的な満足はあるのですが、多分体重計に乗る度に、「しまったあのケーキを食べるのではなかったと後悔するのです。

 もし「自分の中に潜むもう一人の自分」が強いと、食べない理由を探します。「ダイエット中だから止めよう」「今は12時、食事の門限は8時だから止めよう」と、食べたいけどがまんするスイッチを押させるのです。自分の心の中の我慢のスイッチを押せる人は、体重計に乗ってケーキを食べなかった強い意志を喜び、次にもその成果を続けさせ、結果的に心身ともに健康になるのです。自分がケーキを食べる弱い人間は、太ったり病気をしたりするのは体質や遺伝だと外因のせいにしているのです。

 「自分の中に潜むもう一人の自分」は容易に探せます。でも「もう一人の自分」を強くすることは容易なことではありません。ケーキを食べない強い意志力と行動力、それを続ける持続力、そしてその効果を推し量る観察力がある人こそ小さな成功を勝ち得る人なのです。小さな成功なくして大きな成功はあり得ません。大きな成功を勝ち得た人の全ては、「自分の心の中に潜むもう一人の自分」に打ち勝つ小さな成功のスイッチを押し続けた人なのです。

  「体内に もう一人いる 俺見つけ いつも対話し いいこと続け」

  「何気ない 小さな成功 続けると 以外や以外 太き成功」

  「人間は 弱いものだと 思ったが 自分を強く することできる」

  「ああ今日も ささやかなこと 続けてる 自分自身を 褒めてやりたい」


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○観光カリスマ塾三次会場②

 観光カリスマという称号をいただいている人は全国で100人もいます。しかしこの広い日本全国にたった100人ですから、その称号をいただいている人たちは、その名の示すとおり私以外の99人全てが凄い人なのです。

 今回塾長を務めた平田克明さんのカリスマ名称は「四季を通じて多角的な観光農園を展開する農村交流のカリスマ」です。また講師として招かれた松葉登美さんのカリスマ名称は「自然体の発想で銀山町のにぎわい再興を手掛けるわらしべカリスマ」です。さて私のカリスマ名称は「真似しない真似できないアイデアで地域力を作り上げるカリスマ」です。3人が一緒に顔をあわせることは勿論初めてです。

若松進一ブログ
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 第一日目のプログラムは3部構成でした。1部は平田さん、私、松葉さんの順に40分ずつテーマに基づいてレクチャーしました。平田さんは地域観光論について、松葉さんは地域文化論について、私は地域活性化論について持論を展開しました。いずれも味のある話でした。

 2部は立花テキスタイル研究所長の新里カオリさんがコーディネーターとなって、「銀の道から海の道へ・山間部と沿岸部を結ぶ観光」をテーマにしてシンポジウムが開かれました。新里さんの軽快でテンポのよい言葉回しで約2時間10分白熱した議論を戦わせました。

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 この日の会場となったほしはら山の学校は元小学校の木造校舎を活用した施設で、聞くところによると浦田あいさんが塾長を務めているとか聞きました。当日は浦田さんの近くに住む友人の中田一裕さんも駆けつけてくれ再会を喜びました。この日中国地方から集まった参加者は23人でしたが、皆さん熱心に議論に加わってくれました。

 夕方7時からは平田観光農園のやまぼうしという食事処で楽しい交流会が持たれました。私は開会後30分で急いで食事を済ませ、皆さんに別れを告げ、カーナビを頼りに東広島まで出て、西条インターから高速に乗って12時頃にやっと自宅へ帰りました。中止国といいながら往復8時間はかなり遠く少々疲れましたが、それでも今回も沢山のご縁をいただきほのぼのとした気持ちで、深まり行く秋の紅葉を楽しみながら。一人道中を楽しみました。

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 あくる日は午前中「銀の道から海の道へ、観光開発プログラム」というタイトルで、ワークショップをして拡販ごとに発表し講評すると聞きました。夕方外出先から帰ると、事務局の島津さんから「無事終わった」とお礼のメールが入っていました。今頃は参加者も事務局も、講師の皆さんもそれぞれふるさとに帰り、思い出を反芻したり疲れを癒していることでしょう。皆さんお疲れ様でした。

追伸

 昨日初めて顔を合わせた島津さんが、「若松さん、今朝あなたのブログを読んで来ました。書き込み時刻を見ると午前3時ごろでしたが、いつ眠るのですか?」と質問されました。そういえば前日早立ちのため少し早めに寝たため、逆に午前3時に目が覚めてしまい、することもないのでブログを書いた次第です。「歳をとると眠れないのです」と答えておきました。


  「暗闇の 道ゆえどこを 走ってる 分からぬままに カーナビ頼り」

  「カリスマと 呼ばれる人の 共通は 夢とソロバン 両立させて」

  「百人も いやいや百人 しかいない カリスマ人と いわれる達人」

  「美しき 物差しプラス 幸せと 文化物差し 三つ持ちたい」

  「どうしよう 裏が味噌なる 名刺なく 代用使い 語れぬ私」

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○観光カリスマ塾三次会場①

 今年の1月30日、広島県三次市川西地区のコミュニティ推進協議会から招かれて講演に行った折、平田観光農園で食事をし、観光カリスマ百選に選ばれている平田観光農園会長さんと面談、研修会にも足を運んでいただきました。たった一度の出会いでしたが、今年の中国地区観光カリスマ塾の塾長に決まった平田さんから、塾の講師をして欲しいと連絡が入りました。

 私も3年前に四国地区観光カリスマ塾の塾長うを通とめたこともあるし、人間牧場で多くの人の助けを借りて開催したこともあって、予定表を見て一も二もなくお引き受けしました。ところがカリスマ塾は一泊二日の予定菜のですがその後二日目の私の日程によんどころない外せない予定が入り、止む無くお断りをしようとしたのです。しかし一日目だけでもいいからと講師を引き受けることにしました。


 会場となった三次市上田にあるほしはら山の学校までは、双海~今治~(しまなみ海道)~尾道~世羅~山の学校までは車で有に片道4時間もかかる遠さです。逆算すると朝6時半くらいに出発しないと事前打ち合わせの始まる11時には間に合わないのです。そのため前日は少し早めに床に就きましたが、それが帰って災いし、3時過ぎには目が覚めてしまい、仕方ないので夜遅くの帰宅になるであろうからと、起きてブログを2本書いて出発しました。カーナビが行く道を指示してくれるし、前回行った川西地区への道と同じなので、車窓に映る風景を懐かしく思い出しながら、深まり行く秋の気配の中を走りました。

 途中しまなみ海道のサービスエリアでトイレ休憩をしただけで予定通り集合場所の平田観光農園に到着しました。国土交通省中国運輸局のスタッフも相次いで到着し、名刺交換をさせてもらいました。

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(道端の民家の庭の見事に黄色く色づいたイチョウ)

 少し時間があったので、平田観光農園の中を散策しました。前回見学してなかったダッチオーブンの森は早くも落ち葉が沢山落ちていました。クヌギやナラの林の中にダッチオーブンの炉やテーブルが設置されていて、中々いい雰囲気でした。

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(平田観光農園の管理棟)



 そのうちもう一人の講師である観光カリスマ百選に選ばれている当主の平田克明さん、講師の松葉登美さん、コーディネーターの新里カオリさんも見えられ、簡単な打ち合わせの後やまぼうし定食を食べながら談笑しました。会場は車で5分ほど走ったほしはら山の学校なので移動しましたが、前回は残念ながら外からだけの見学でしたが、元小学校の木造校舎は着々と改造が進められていて、人の温もりが感じられました。この日の塾生は23人で、スタッフを入れると35人程度のこじんまりとした塾でした。さてこの日のテーマは「地域資源を生かした観光地づくり」でした。

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(元小学校のほしはら山の学校)

  「あちこちへ 車を止めて うっとりと 紅葉楽しみ ながら行き着く」

  「凄いなあ 紅葉色ずく 自然見て 感心しきり 今が見ごろと」

  「前回は 真冬に訪ね 窓越しに 学校跡を 覗いて歩く」

  「この資源 生かせぬものか 思い出す 上勝町の 爺や婆」

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○庭の紅葉は今が見ごろです

 わが家の入り口に大きな石が二つ積まれています。下灘の国道工事現場から出た太い石で、太過ぎて処分に困るという話を聞いて、貰っ土木業者から貰ったものです。家を新築する際庭にでも使おうと思っていましたが、造園業者からも不恰好だと見放され、その使い道に困っていた矢先、裏の崖の石積み工事の際、とりあえず片付ける形で二つの石をクレーンで吊り上げまるで重ね餅のように積み上げてもらいました。積み上げた姿は結構格好がよく気に入って、時々その石の上に座って物思いに耽ったりしていました。

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 ところがその後移植したしだれ紅もみじがどんどん伸びて、畳6畳以上の広さに広がり、親父が下支えの竹などを組んだお陰でその大きな石はすっかり紅葉の葉っぱで覆い隠され、石があるのさえも分からないほどに同化しているのです。

 昨日外出先から帰って車庫に車を入れて見上げると、まあその色は真っ赤に染まって見事で、まさに紅葉といった感じがしました。自分の身近にこんな立派な紅葉があるのにその美しささえ見失っていたとは大失態で、早速夕闇迫る頃官らを持ち出してパチリ一枚写しました。

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 今が盛りと燃えるように紅葉しているこの紅葉は、若い頃行商人から買い求めたものを大事に育てていたものです。その後あちらこちらに移植していましたが、今の場所に移してからもう30年近くになりました。木は老木になると陰になる部分の枝が枯れますが、新しい芽も育つので当分はこのままの姿を保ってくれるものと思われます。玄関先のヤマモモが少し元気がなくなりやきもきしていますが、庭に植えた木々のことも忙しさにかまけて親父任せにしていました。そろそろ私の出番かもしれないようです。


  「気がつけば 庭のもみじが 紅葉し 今が盛りと 言ってるようだ」

  「北風が 根こそぎ葉っぱ 吹き飛ばす 間もなく冬が 足音立てて」

  「枝広げ 畳六畳 四・八方 いつの間にやら 大きく育つ」

  「もう少し 自慢したいと とりあえず 妻に伝えて ふたりで見上げ」 

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○家庭菜園にタマネギの植え付け

 秋が深まって、いよいよ冬支度です。例年より生育が遅れて心配していた大根も、季節機構の手助けを得てしっかりと台地で育まれ、この分だと間もなく天日干しを経て沢庵漬け込みに間に愛想でホッとしています。大根は葉っぱと地中の白い部分は相関関係にあるため、葉っぱの勢いが青々として強いので、夕日亭大根心という私の落伍芸名と同じように、これから春先まで大根サラダやおでん、おろし大根、なめしご飯、漬物などにしてせいぜい沢山食べたいと思っています。

 そろそろタマネギの植え付けをしなければなるまいと思ってましたが、親父も同じようなことを考えていたようです。親父は既にタマネギを植え付ける場所に牛糞を振り、準備をしていました。親父から頼まれて一昨日外出から帰って耕運機でその畑を中耕しておきました。親父は昨日一日をかかって畝立てをして作付けが出来るように聖地をしたようで、タマネギの苗を買ってくるよう注文されました。午前中は広島県呉市音戸町から視察が入り、支所の松本さんと二人で受け入れしていたので、昼食後思いついて松前の三好種苗店まで車を走らせました。

 昨年は確か一束100本の苗を5束買ったような記憶があるので、もみじという品種を4束、そして女性店員さんが勧める晩成中手品種を1束買い求めました。自分の家で食べるには多い量ですが、タマネギは弟や息子、娘にお裾分けするので、これでも足らないくらいです。早速午後3時半から親父と二人で畝に筋溝を掘って植え付けました。腰をかがめてする作業に親父は何度も背筋と腰を伸ばしていたようですが。その作業する姿を見ながら、来年はそろそろ渡し一人でこの作業をしなければなるまいと、寄る年波を心配しました。

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 それでお親父の支持は厳しく、もっと感覚を短くしろ、植え終わったら牛糞と籾殻を降れなどと、いちいちさいきょうを焼いていました。1時間もすると全て植え終わりましたが、畝にまだ余裕があるので、あと2束ほど買い求めて植えたいと思っています。タマネギはこれから寒い中で約半年間深い眠りにつくのです。野菜の中でこれほど長い間生育するのに時間がかかる作物も珍しいと思うのです。来年の5月初夏の頃にはその名のとおり丸々太ったタマネギが収穫できることでしょう。インテリアのように軒先に吊るしたタマネギも、いよいよ残り少なくなりました。


  「年老いた 親父の指図 この歳で 言われるままに タマネギ植える」

  「腰丸め 腰伸ばしつつ 畑仕事 親子を足せば 百五十越え」

  「三列に 仲良く伸びる 放射線 籾殻撒いて 作業を終える」

  「半年も 冬の寒さに 耐えながら 初夏に取り入れ 頭に描く」

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○花束のプレゼント

 研修会などの記念講演に招かれると、決まったようにお偉い人が出てきて謝辞などを言われることがよくあります。そんな折は礼節なので立ったまま謝辞を聞くのですが、歯の浮くような美辞麗句を並べられると、穴があったら入りたいような心境になるものです。ところが最近二つの集会で謝意に変え、花束をいただく機会を得ました。花束なんて似合わない風貌の私ですが、それでも若いと思しき女性から花束をいただくと悪い気はせず、思わず握手までしたいという衝動に駆られるのです。

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 先日高知県芸西村のイキイキ会に招かれた時は、施設園芸のメッカであるため村内で栽培しているというトルコキキョウや珍しいダリアをふんだんにおり交ぜた、ずっしり重い花束を壇上でいただき、舞い上がってしまいました。今までにも花束をいただいたことは何度かありますが、地産地消の花束は初めてで、2時間半の道程を帰る間にしおれては大変と車内の暖房を切って帰って来ました。妻は鼻が大好きなので何よりも嬉しいお土産に大喜びで、早速大きなつぼを二つも用意して玄関に投げ込み流の活花を生けてくれました。

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 昨日は八幡浜と合併した旧保内町のゆめみかんという立派な文化会館のサブホールで、青少年健全育成推進南予大会が行われ、記念講演を頼まれて出かけました。折角の機会だからと少し早めに出て、保内町宮内の公民館に立ち寄りました。主事をしている金谷さんとは、彼が農協に勤めている時代から深いご縁があって、先日の大洲でも発表をしてもらいましたが、あいにく出番が違ってすれ違い立ったので、お礼方々味噌を持参したのです。お礼に美味しいみかんを沢山いただき、職員や居合わせた馴染みの市会議員さんと懇談しました。


 この日の講演は開会行事と表彰、それに講演だけなのでたっぷり2時間も撮っていただいたので、久しぶりにゆっくり話すことが出来ました。やがて講演が終わり質問を終えてステージから降りようとすると、司会の方から呼び止められ、花束をいただいたのです。若い女性の差し出す花束に芸西村と同じように気恥ずかしいも伊がしました。自宅に帰り妻はまだ蹴れぬ芸西村の花束に加えて活けてくれましたが、まあ我が家の玄関は花に囲まれた思わずうっとりしてしまいそうなのです。

 花は人の心を和ませてくれます。10月の3日の私の誕生日を忘れずこの10年間花束を贈ってくれ続けている緒方二三子さんや西岡真由美さんからいただいた花かごといい、もう花束とは縁がないであろうこの歳で、花束をもらう喜びは格別なのです。今日花束をいただいた陰には八幡浜市青少年センター所長三好佐十先生の気配りがあったものと思われ、あらためて花束の意味を噛みしめているところです。

  「花束を もらう歳でも あるまいに 相次ぎもらい 照れてしまって」

  「わが玄関 ただ今花で 埋まってる 幸せですと 妻も喜ぶ」

  「花束の 花は洋花 裏庭に 咲きし花々 和花一味」

  「この花に 負けず一花 咲かせたい 残り少ない 夢のかけらを」

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○いつの間にか

 このところ何故か忙しく、今月だけでも西条市、松山市、東広島市、今治市、高知芸西村、大洲市、広島市と、県内はもとより県外まで出張し、その間淡路島洲本市、松山市、福井越前市から視察者を受け入れ、妻が「お父さんそんなに忙しくて大丈夫?」「よく行くところも来る人もあるねえ」と感心するくらい忙しいのです。私の日程表によるとこの忙しさは12月中旬まで続くようで、もう一頑張りしなければと自分自身に気合を入れているところなのです。

 そんなこんなで秋の深まりを感じる間もないのですが、いつの間にか季節は巡りてすっかり秋も深まっているようです。このところの忙しさで同じ敷地内に暮らしながら滅多に顔を見ない隠居の親父は、朝晩「寒い寒い」を連発し、まるで雪だるまのように着膨れて過ごしています。それでも体調はいいようで、7キロ向こうの診療所へ92歳ながら自転車で検診に行く健脚ぶりで、風が吹くたびに庭に舞い落ちる落ち葉を掃除したり、畑の手入れをしているようです。

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 菜園の野菜もこの一ヶ月で随分逞しく育って、春菊や小松菜、チンゲンサイ、蕪菜、白菜などが青々と茂って食べごろとなり、毎日の食卓を賑わせているのです。今年は高温と雨不足で大根の種蒔きが遅れたため、大根の太りが多少遅れ気味ですが、葉っぱはいつもの年と同じようによく出来ているので、これから年末までに遅れを取り戻して太ることでしょう。それでも昨日はカマスの塩焼きにたっぷりのおろし大根をかけて食べたし、越前市かの公民館主事さんから貰った越前蕎麦に春菊を一杯乗せて美味しくいただきました。

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 四・五日前まで青々としていた庭のノキシノブの葉っぱも、このところの冷え込みや季節風で一気に紅葉し、書斎の広くて大きな窓から見事な色合いを見ることができるのです。あと10日もすればこれらの葉っぱは散ってなくなり、来年の春先まで茎だけ残って殺風景になるので、せいぜい毎日楽しんで見ておこうと思っています。あれほど巣箱に群がって、活発だった裏山に設置したミツバチの巣箱も今は随分少なくなり、今は冬ごもりのための餌を食べこんでいるように見えました。

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 わが家の正面に見える双海町のシンボル本尊山も、日増しに紅葉が進んで、昨日ふと見上げると、クヌギはまだまだですが、海岸特有のハゼは真っ赤に色づいて、秋の深まりを感じさせてくれているようです。鳥が運んだハゼの実が自然に芽吹いて増えており、松くい虫の被害に遭って枯れた赤松に変わって、季節の彩を添えているのです。いつの間にか秋も深まり、家の内外に冬へと移り変わりつつある季節を感じならが、今日も元気で暮らしています。

 

  「いつの間に 人も自然も 衣替え 巡る季節を 愛でる暇もなく」

  「食卓に 上る野菜で 季節知る カマス塩焼き 大根添えて」

  「ハゼ紅葉 枯れ松代わり 照り映える ♯秋の夕日に♭ 口ずさみつつ」

  「窓越しに 見えるシノブの 見事さに 思わずシャッター 写真に収め」 


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○イキイキと生きる三条件

 日本人の寿命が延びて、日本は世界一の長寿国となりました。今年9月に厚生労働省が発表した全国の百歳以上の人口は3万6276人で38年連続で過去最多を更新し続けているのです。10年前と比べただけでも3倍以上というから驚きです。特に女性は前年より3531人増え、初めて3万人を越えました。つまり百歳以上のお年寄りに占める女性の数は実に86パーセントにもなるのです。何故女性は長生きするのかは様々な説があるようですが、まだ化学的にははっきりと解明されていないようです。

 長寿は喜ばしいことなのですが、最近長寿社会に様々な問題が起っています。高齢者の介護、医療は勿論のこと、老いてからの人生が長くなると、その生き方が問われているのです。私も統計上は65歳を一つ過ぎた高齢者なので、高齢者としてこれからどう生きるか、今年から高齢者になった妻と日ごろから色々話し合っているので他人事ではありません。何はさておいて一番の目標は夫婦揃って健康に生きることだと、食事と運動に特に気をつけています。食事は野菜と魚を中心にして、玄米食や麦ご飯も取り入れ、概ね午後8時を食事の門限にしたりしていますが、これだけでも随分体の状態がいいようです。健康診断も時々行ってまあ今のところは順調に生きています。

 来月から妻が年金をいただく年齢になったので、夫婦揃って年金暮らしです。妻の年金は国民年金なのでそんなに多くはありませんが、夫婦合わせるとつつましく生きれば何とか食べて行けるだろうと鷹を食っています。自分たちの暮らしもそろそろ縮小しなければなりません。妻は最近身の回りの使わなくなっているものを整理をしているようですが、わたしもそろそろ身の回りの整理をしなければならないようです。生活の裏側にある経済はとても重要で、金がないと夫婦や家族のいさかいも起るので、わが家の大蔵大臣たる妻に協力して、出費を出来るだけ抑える努力をしなければならないようです。

 さて肝心な生きがいですが、私には幸せなことに沢山の仲間とやるべき目標、それに学習意欲があるために毎日が楽しくて仕方がないのです。夫婦揃って健康な体と慎ましやかな経済もさることながら、仲間、目標、学習意欲はどうやらイキイキ生きる三条件ではないかと思うのです。

 飲み友達だった仲間も、酒を辞めたこともあって減り、職場の仲間も退職で殆どなくなりました。しかし私には長いボランティア活動やまちづくりで培った沢山の仲間がいます。また若い頃に作った生活設計に基づいて目標もしっかりと持っています。さらには学習意欲も今のところ旺盛です。これからも人生を楽しく生きようと思うこのごろです。


  「気がつけば 六十六も 歳重ね 年寄りなりぬ 人から見れば」

  「仲間あり 目標ありて 三つ目の 学習意欲 大いにありて」

  「どちらかと 言えばないのは お金だけ 食えたらいいと 思えば気楽」

  「妻曰く 自由奔放 生きている あなた長生き 私短い」

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○今からでは遅いかも・・・

 「歳をとったらつまらん」「今年もまた一つ歳をとってしまった」「歳をとったらどこぞが悪くなるばかりでろくな事がない」と、年齢を重ねることに不満を言ったり、悲観して生きている高齢者をよく見かけます。確かに年齢を重ねると気力も体力も減退し、周りの人からも老人扱いされて、ある意味若かった昔を懐かしむ事だってあるのです。でもそんな悲観的な考えを持って生きても人生、楽観的に生きても人生だったら、少し考え方を改めて前向きに生きた方が、どんなにかいい人生になるに違いないと思うのです。

 しかし、そんな言葉を常日頃言っている人、にいくら「もっと前向きに生きろ」と言っても、「分かりました。じゃあ明日からそうします」と悔い改めることは中々難しいようです。私の浅はかな考えですが、私たち人間は長い人生の出発点となる子どものころに教わったり体得した生き方が、その後の人生の生き方を決めるのではないかと思うのです。だとしたら子ども時代の教育はとても重要で、ポジティブに生きることの大切さをしっかりと教え込まなければなりません。人間は他の動物と違い学習する動物ですから、色々な学びの中でそのことを学ぶのです。


 人間が最初に出会うのは自分を産んでくれる母親です。ゆえに母親の存在は体内にいる間から胎教を得るほど絶大で、子どもが生まれて間もない頃の父親の存在など、取るに足らないのです。母親が抱きしめながら語りかける言葉は理解できなくても、海綿に水が染み込むように子どもの体に教えとして浸透するのです。まさに「三つ児の魂百まで」でしょう。やがて子どもは成長と共に言葉を覚え、「這えば立て、立てば歩めの親心」の願い通り自立の道を歩むのです。ある意味子どもにとって母親の影響は100%なのです。

 ところがつい最近、最も大切な母親の存在が危なくなっているようです。親になるための教育を受けていないため、子ども中心でなく自分中心にしているため、体形が崩れるからと抱きかかえて母乳など飲まさず、まるで荷物のように買い物籠のような道具に入れて持ち運んでいる姿をよく見かけるのです。私が子どもの頃の母親は貧乏ゆえに忙しく働かなければならないため、子どもは帯で背負われ、母の背中から母の汗や息遣いを感じていたのです。私が今ポジティブに生きれるのはひょっとしたら、母親から一生懸命生きることの大切さ刻み込んだスライドの一コマを、与えられたからに違いないのです。

 「鶏が先か卵が先か」の議論になりますが、日本の子どもをよくするには母親の教育を、日本の高齢者をポジティブにするには、人生の出発である子どもの教育をしっかりしなければならないと思うのです。私は仕事柄あちこちの母親教育や高齢者の集会に出かけて話をする機会がありますが、集会に集まった母親や高齢者は学習意欲のある人ばかりであり、むしろ集会に集まらない母親や高齢者が問題だと思うのですが、残念ながらそうした人たちは野放しで、場と機会はないのです。さてどうするか、難しい問題ですがやはり幼稚園や学校に依存するしかないようです。

  「歳とって つまらん日々と 嘆く人 多分最初に ボタン掛け違い」

  「母親の 教育誰が するのだろう 母の母だが これが危ない」

  「籠に入れ まるで荷物と 勘違い これでは子ども 愛情不足」

  「子育ても 野菜育てと よく似てる 地力なくんば 知力はつかず」

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